第十九話:知識の番人
埃の匂いと、数千冊の古書が放つ独特の重圧感。
ここは、筋肉ですべてを解決しようとする者たちが最も忌み嫌う、思考と静寂の聖域――中央図書館の最深部である。
「ヨウジさん……。ここ、本当に誰もいないんですね」
サクミが小声で囁く。その声すら反響して響くほどの静寂。
「当然だ……。この学園で『本を捲る』という行為は、指先の細かい筋繊維を酷使するだけの非効率な作業だと思われているからね」
ヨウジは、カコが「死角」として選んだ古びたソファに、吸い込まれるように沈み込んだ。
「……ああ、このソファの弾力。数十年分の埃がクッションの層になって、重力を完全に分散してくれる。……これこそが、僕の求めていた『低燃費な終焉』だ……」
ヨウジが深い眠りに落ちようとしたその瞬間。
書架の奥から、乾いた紙の擦れる音が響いた。
「――そこは、私の定位置なのだがね」
「誰っ?」
「闖入者は君たちの方だよ。そちらが先に名乗るのが筋ではないかね?」
現れたのは、分厚い眼鏡の奥に鋭い知性を宿した青年だった。
「失礼しました。私の名はヨウジ。」
「サクミです」
「私はカコ」
「ほう。最近、監察官を相手に『脱税』を働いているという、噂の怠惰な天才は君か」
「……誰が天才だって? 僕はただ、座るのに必要なエネルギーを削っているだけの……ただの省エネ主義者だよ」
「フッ。私はシン。この図書館の司書代行だ」
「シン…聞いたことあるわ。学園で唯一「筋肉を脳の補助機関」として使う独自の魔導理論を持つ変人ってね」カコがつぶやく。
シンの腕は、他の生徒のように丸太のようではない。しかし、重い古書を片手で支える前腕には、鋼の針金のような細密な筋肉が凝縮されていた。
「フフ。お互い自分の知らないところで噂になっているようだな」
シンは手にした古書をパタンと閉じると、無駄のない動きでヨウジの前に立った。
「ほう。……今の君の呼吸、そして魔力の揺らぎ。……確かに、我が学園の『マッチョイズム』とは対極にある。……だが、いいだろう。本を愛する者に悪人はいない、と言うしな」
シンは指先で空中に複雑な数式を描いた。
すると、図書館の入り口付近に薄い膜のような魔法障壁が展開される。
「隠身魔法『いないいないばあ』か。発想は悪くないが、マナの波形が甘い。……私の『図書館定義魔法』を重ねておいてやった。これで監察官どころか、寮母のトモミでさえ、ここを『ただの巨大な岩塊』だと誤認するはずだ」
「……助かるよ。お礼に、何か僕にできることは?」
「……静かに寝ていろ。それが、この図書館に対する最大の敬意だ」
シンは再び書架の影へと消えていった。
「……先輩、なんだか不思議な人でしたね」
サクミが感心したように言う。
カコはニヤリと笑い、棚から一冊の「解剖学」の本を取り出した。
「ふふ、類は友を呼ぶってことよ。……さて、ここなら追っ手も来ない。ヨウジ、ゆっくり休みなさい。ここにある知識、全部あんたの省エネ理論の材料にしてあげるわ」
「……ありがとう。……じゃあ、一時間だけ……本気で『無』になるよ……」
ヨウジの意識が、深い図書館の闇へと溶けていく。
しかし、その窓の外では、女子寮の騒動を振り切った鋼鉄薬物連邦のエージェントたちが、プロテインセンサー「脂身くん」を手に図書館へと近づいていた。
「ここだけくり抜いたかのごとくプロテイン濃度が低い。不自然だ」
「奴の隠身魔法か」
「見えないことが居るということだな。行くぞ」
ヒョロガリ一行にエージェントたちが迫る。




