第22話
国王視点
国王、シグバード・ル・フォン・ルーデンドルフは苛立っていた。
ここ数日間、シグバードの神経を逆撫ですることが数多く起きていたのだ。王都内での王族を中傷する噂、重臣たちの耳障りな忠告、貴族たちの夜会の欠席――。
それら一つ一つは大したことはない。
ただ、それがたった一つの原因だとすれば話は別だった。
(つくづく神経を逆撫でする存在だな……! アヤト・カンナギ――!)
ぎり、と歯軋りしながら、シグバードは拳を握りしめた。
アヤト・カンナギ。前線で様々な戦果を上げたとして、高い評価を受けている兵士だ。そのために平民でありながら『勇者』などと称されている。
だが、その戦果は眉唾物だとシグバードは考えていた。
何しろ、前線からの報告はあまりにも信じられないものが多い。
曰く、たった十人の部隊で奇襲し、魔王軍五百人を討ち取った。
曰く、五人で殿軍を務めて本隊が撤退する時間を稼ぎ、全員無事に生還した。
曰く、五日間で三か所の敵を撃退し、また他の方面の敵も同時に押しとどめた。
曰く、曰く、曰く――。
(馬鹿か、そんなこと人間ができるはずなかろう――っ!)
魔王軍は精鋭部隊であり、年間万単位の人間が死んでいるのだ。たった数十人で一部隊を壊滅させられた例もある。その精強な敵を前に少数で勝ちを収められるだろうか。
百歩譲ってアヤトが魔王軍と渡り合える人材だと認めたとする。
だが、それでも五日間で三か所の敵を撃退した、というのは物理的に不可能だ。
何せ、最前線は森や山が広がる未開の地。そして戦いがあったとされる場所はかなり距離が離れているのだ。寝ずに全速力で転戦しない限り、不可能なのだ。
(だが、父上は耄碌したのか、その言を鵜呑みにして――)
そして、アヤトに『勇者』というふざけた称号を与え、挙句の果てに、クラリッサと婚約させる始末だった。
可愛い妹が汚らしい平民風情の嫁になる――そんなこと、想像するだけで怖気が走った。だからこそ、シグバードは即位後、アヤトをすぐさま前線に送り返した。そして、無理難題を押し付け、ボロを出させようとした。
三か月以内に失地奪還せよ。
第五軍に勇者を派遣、前線を立て直せ。
第六軍に対する敵を撃退した後、第四軍の支援に向かえ。
同時進行してきた敵を全て討ち払え。
シグバード自身も思う――無茶な命令だ。
これには官僚たちからも反対の意見が多かった。
できるはずがない。勇者を使い潰すつもりか――と。
それに対し、シグバードは平然と答えていた――勇者ならばできるはずだ、と。
できなければ、『勇者』の称号を剝奪し、婚約も解消するつもりであった。
だが――アヤトはどういうイカサマを使ったのか、無茶な命令を次々と遂行していた。特に多正面作戦も遂行してしまい、ぐうの音も出ない。
本来ならば勇者を貶めるための命令。
だが、実際はどうだ、勇者の名声はさらに高まっている。
それが腹立たしくて仕方がなかった。
だから、シグバードは間接的な嫌がらせを始めた。
勇者の郵便物は一切、王城に入らないようにし、クラリッサには勇者の戦果が届かないように情報統制した。そうすれば、クラリッサは愛想を尽かす。
さらにはアヤトの右腕とされる女副官を引きはがすべく、マーロック家当主に縁談を内密に打診。一方のアヤトは王都には返って来られないように徹底して軍令を送り続けた。
そして、その嫌がらせに対して諫言する者は容赦なく遠ざけた。
その結果、どうであろうか。
前線からの戦果報告は少なくなり、クラリッサは勇者に愛想を尽かし、代わりに近くに置いていた近衛騎士を寵愛し始めた。市井でも勇者の噂は少なくなっていく。
そして、ついにアヤトとクラリッサが婚約破棄を実行。
その絶望した顔を盗み見た瞬間、シグバードの溜飲が下がり、久方ぶりに愉快な気持ちになった。
(あとは適当な女を宛がって繋ぎ止めつつ、使い潰せばいいだけのこと――)
シグバードは新たに使い潰す命令を考えながら、上機嫌の余韻に浸っていた。
――その日、アヤトが姿を眩ますまでは。
(あの男は一体、どこに消えたというのだ――!)
ぎりぎりと歯軋りする。未だに勇者の消息は掴めていない。
近衛の調査によれば、女と一緒に飲食店に入った後に消息が掴めない、という。その飲食店周辺や宿舎をおらず、王都内では一切の目撃情報がない――。
女と聞いたため、マーロック家も当たったが、若き当主は逆に訊ね返してきたという。
『勇者殿? 前線におられると聞いていましたが、今は王都にいるのですか?』
ごまかしたのか、それとも全く知らないのか、判別できなかったという。
(近衛も情けない……! もう少し嗅ぎまわって痕跡を探せば良いものを……!)
その捜索に時間を費やしているうちに、どこから情報が漏れたのか、アヤトとクラリッサの婚約破棄について、徐々に知れ渡り始めている。
それを聞いたのか、市井では王族の悪い噂が絶えない。
また官僚たちは今からでも婚約解消を取り消すべきだとうるさい。
さらには、先日開催された夜会では参加者の一部が急病と称して欠席。それも一人や二人ではなく、十数人。調べてみれば、どれも勇者に関わりがある貴族ばかり。
今起こっているトラブルの全てが、勇者に原因があるのだ。
(くそ、大人しく出て来ればいいものを――)
苛立ちながら捜索の報告書にもう一度目を通す。だが何度見ても進展なし、だ。
シグバードはため息をこぼした瞬間、不意に扉が叩かれた。
「陛下、大将軍がお見えです」
「――通せ」
短く答えると、すぐに部屋の扉が開かれる。入ってきたのはでっぷりと肥えた一人の男だった。軍服の胸元についた勲章を直してから、男は恭しく拝礼する。
「ご尊顔を拝し奉り恐悦の至りにございます。陛下――」
「挨拶は良い。ムーディ将軍。用件は何だ」
「勇者の居場所の有力な情報が掴めました」
その報告に安堵の吐息をこぼし、シグバードは鷹揚に頷いた。
「やっとか――それで、どこだ」
「マーロック家の屋敷に、第四軍から第七軍の将軍が立ち入ったという情報が。その下っ端に金を与えて聞き出したところ、やはりマーロック家に勇者はいるようです」
「やはりか。あの男、しらばっくれていたな」
舌打ちを一つ。いずれ難癖をつけて領地を削ることを心に誓いながら、背もたれに背を預けて告げる。
「マーロック家から勇者を連れてこい。王命だ」
「――恐れ多くも陛下、そちらは今しばらくお待ちすべきかと」
大将軍の意見にシグバードは苛立ちを抑えながら低い声で告げる。
「何故だ。理由があるのだろうな」
「はっ――今、第四軍から第七軍の将軍たちがこの王都にいます。どうやら話し合いを密に持っており、連名で王に奏上する気配があります」
「奏上、だと?」
(王に向かって意見とは――どいつもこいつも)
シグバードは拳で机を打つと、大将軍は冷や汗を滲ませながら顔を伏せさせ、言葉を続ける。
「どうやら連中は勇者と王女殿下の婚約破棄の事実を突き止めているらしく、それが正当な理由がどうかを王に問おうと試みているとか」
「ふん、不遜な連中だな――まぁ、いい。答えてやってもいいが」
「へ、陛下、どのようにお答えするかは私めには理解が及びませんが」
大将軍は卑屈に伏せた顔を少し上げ、シグバードの顔を見ながら続けた。
「ただ、連中はそれが正当な理由ではない場合、勇者に味方して然るべき抗議をする、と息巻いているようで――」
「なん、だと……王に、盾突く気か……?」
一瞬にして頭に血が上り、シグバードは拳を机に叩きつけた。その激しい音に大将軍は身体を震わせ、平伏さん勢いで顔を伏せた。
「い、いえっ、彼らもそのような意思はございますまい! 正しい決断をされる賢王陛下には自ずとその威光に軍は従います故――!」
(――っ)
その言葉にシグバードの身が震える。大将軍の言葉は追従の中に痛烈な指摘を交えていた。正しい決断をしている王には軍は従う。
では、そうでない決断であった場合は――?
シグバードは深呼吸を一つし、手を振った。
「召喚は取り止める――ご苦労だった。下がれ」
「ははっ!」
大将軍はさらに頭を下げて拝礼すると、その場からいそいそと立ち去る。それを見届けると、誰にもはばかることなく盛大な舌打ちをこぼした。
(くそ、将軍共が偉そうに――!)
本当なら不快な奏上を試み、勇者を庇おうとする将軍たちを一人残らず罷免したいところだ。だが、魔王軍を相手にしている将軍たちだけに、下手に手を出せない。
シグバードは苛立ちを抑えるために深呼吸し、目を細める。
(――いいだろう。勇者め、軍を味方につけるなら、こちらも考えがある)
勇者の味方は軍とマーロック家。であれば、そこから切り崩していくべきだろう。少し黙考してからシグバードは筆を執った。




