契約終了?
パーティーが終わり家に帰ってきた後、私は考えに考え抜いた末。婚約解消と言うか、契約を白紙に戻しえもらえるよう、雅臣さんに直接話した。マジで数週間は悩んだ。
結論としては、雅臣さんは私の希望通りにしてくれるということだった。
優吾と西園君が別れてしまえば、契約自体が無効になる。つまり、私がここにとどまる理由はないし、駒百合家としても縛ることはできないということで。
その代わり、私は奏さんの経営する雑貨屋での仕事を続けてほしいと頼まれた。まあ、こちらとしてもすぐさま仕事が見つかるわけでもないし、かと言って昔の会社に戻るのはちょっとまずいから、ありがたいといえばありがたいんだけども。
「――春乃さん、引っ越し先は決まっているのですか?」
契約書を処分した後、雅臣さんと奏さんの二人と今後のことを相談中だった。心配そうな顔で奏さんにそう聞かれ、私は大丈夫ですと答える代わりに笑顔を向ける。
雅臣さんの部屋には今、私たち三人しかいない。どういう意図かはわからないけど、雅臣さんが要さんさへ部屋に入れなかったのだ。
「はい、雑貨屋の近くにわりとお手頃な家賃のアパートがありましたから、空きがあればそこに行こうかと思ってます」
私がそう答えれば、奏さんは少しだけ残念そうに肩を落として見せる。いや、なぜ残念そうなの?
「ところで春乃、優吾とは相談したのかい?」
雅臣さんの言葉に一瞬、私は詰まったものの、素直に「いいえ」と首を横に振って見せた。まあ嘘ついたってすぐバレるし。すると――。
「そうだろうとは思ったけどね」
なんて、雅臣さんは苦笑いを見せた。
「すみません」
だって、すごく言い難かったのだ。お前とは結婚せずに普通の生活に戻るから。なんて、優吾が気持ちよく笑顔で了承してくれるとはあまり思えなかったし、喧嘩になりそうな予感もちょっと。なんて考えていたら、奏さんが私を呼ぶ声に意識が戻された。
「春乃さん、あの子の何がダメだったのかしら? 最近では、あの子も随分あなたを慕っていたように思うのよ? 親バカと思われてしまうでしょうけど、あの子は見た目だって頭だって悪くないと思うの。ちょっとわがままなところはあるけれど、きっとあなたたちならうまくやっていけると思うのよ?
もしかして、私や雅臣さんが、何かしてしまっったのかしらっ。もし気を悪くしてしまったなら謝るわ。だからもう一度考え直して――」
困ったような悲しい顔で奏さんがそう言葉を続けようとしたが。
「奏。やめなさい」
と、奏さんに対して珍しく少しだけ強い口調で雅臣さんが奏さんの言葉を遮った。
「でも、あなた……」
弱弱しい声で、雅臣さんを悲し気な表情で見つめる奏さん。そんな奏さんを見ると、私だって申し訳ない気持ちでいっぱいになるよ。本当に、よくしてもらったのに。私みたいなのを恩知らずと言うんじゃないだろうか。本当、申し訳ない。
「春乃が決めたことだ。他人の私たちがとやかく言うことではない」
雅臣さんにそうハッキリ言われて、奏さんは眉をハの字に下げながらも、すっと口を閉じた。
でも、改めて『他人』と言われると、やっぱりちょっと切ないな。自分でそう仕向けといてわがままなことを思ってる自覚はあるけど。
それでけ、本当に楽しかったんだろうと思う。ここでの生活が。
「ただね。一つ教えてほしいんだ春乃」
「なんでしょうか?」
「君がここにいる間、私も奏も、君にとって良き『親』であっただろうか?」
不意にそう言って微笑む雅臣さんの顔が、似てるはずもない私の父と重なった気がして、私の涙腺が壊れた。
やばいと思った時にはすでに遅く、私は両目から溢れた水を止めようと、慌てて顔をそらし洋服の袖で顔をごしごしと拭ったが、もう、壊れた蛇口は水道屋さんにしか直せないものだ。
ああ、もう。だからこういうのはやめてっ。弱いんだからっ!
いつでも、亡き両親を思い出せるほど暖かな人たちだった。この人たちと家族になれることがあるなら、それは私にとって幸福だと思えるくらい。
だから私は何度も頷いて、上ずった声を何とか落ち着かせて。
「はい、はい。本当に……」
感謝してます。という言葉は、壊れた涙腺のせいで続かなかったけど、優しく私の手を撫でてくれる奏さんの体温からは、きっと私の気持ちが伝わったのだと、そう思えた。もしかすれば、ただの錯覚かもしれないけど。
別に優吾が嫌いとか、この家の面倒くさい柵とか、ダンスが面倒くさいとか、私は人の上に立つ器じゃないとか、そう言ったもろもろのことはこの際関係ない。まあ、多少はね。気にはしてたけど。
そういうことじゃなくて。結局のところ、私は逃げだしたのだ。
優吾の言葉と気持ちを信じられなかったから……。
契約があれば、そんなことを考える必要もなかったし、別に優吾が私を好きだろうが嫌いだろうが関係なかったのだ。
だけどそれがなくなれば、問題なく彼と結婚できるかって言えばそうじゃない。
だって、初めは西園君が好きで、彼と一緒に居たいから契約して、でもうまくいかなくて、そんでそばに居たのは私。西園君のことも知ってた私は彼との間に共有できる秘密もあって、そりゃ居心地はいいに決まってる。嘘をつかなくていいんだものね。
でも西園君とうまくいかなくなれば当然、寂しさを埋める何かは必要で、そばに居た私に彼が向くのはある意味必然で。結婚することが決まっているから当然、恋人のように接してきたとしても、おかしいことじゃない。
だけど、じゃあどこまでが彼の本心なのかと考えても、私にはわかりっこないのだ。
手近な存在で済ませようとしてるとも考えられなくはない。もろもろ事情を知ってる私なら、西園君との破局で傷心の彼を慰めるにしても都合はいいだろう。
優吾の従者たちも、ご両親も事情は知ってるわけだから、さらに私は都合のいいポジションにいる。
彼の言葉を無条件で信じるのは、私にとってかなりキツイのだ。
なによりも、西園君と別れてしまった今では、私よりももっと条件のいい女の子なんて選びたい放題じゃん。
寄りにもよって、年上の一般人で、たいして美人でもない私を好きになる理由ってなくない?
今は一番近くにいるから優吾も好きだって思ってるかもしれないけど、結局、何にも縛るものがなくなれば、もっと別の選択肢があって、もっといい条件の女性はいくらでも探せるってことだし。
そうなれば結局、捨てられるのは私じゃん。
という結論から、私は今の現状から逃げるしかなくなったというわけなのだ。
自分に自信なんてない。私だって、優吾のことは信じたいと思う。契約がなくても、きっと大丈夫だって思いたい。
でも無理なんだよ。
見た目も、生活水準も違う、彼と私の常識さえ違うのに、何を根拠に縋ればいいの?
もう、桃里の時のようなことは、二度とごめんだ。
それから一週間後。私は安いアパートで独り暮らしを始めた。前と同じ。前の生活に戻っただけ。
雅臣さんと奏さん以外、優吾にはもちろん、側近連中にも私の居場所を教えないと雅臣さんたちが約束してくれて、私は奏さんが経営する雑貨屋で仕事を始めた。
ここには蛟さんが来ているが、実は彼は週に二回ほどしか来ない上に、事務所からほとんど出てこないのだ。おまけに売り場には絶対に出てこない。まあ、見た目がインテリヤクザ風だもんな。
そして私の履歴書云々は奏さんが管理してくれているので蛟さんが目にすることはないし、彼が来る日を私のお休みにしてもらっているので彼とばったり出会うというリスクもほぼない。
何よりも凄いのは、本家の家長が直々に隠蔽してくれてるので、あの有能な要さんですら私の居場所を探し出すことはできないらしいので、安心して仕事に打ち込んでね。と、奏さんに言われている。
なんか、駒百合から離れたはずなのにその恩恵は受け続けてるって、いいのかこれ? てか、そもそも優吾が私を探し出そうとするかも謎である。
私が契約の破棄をしたことも、それを雅臣さんが認めたことも、雅臣さんが本人にちゃんと伝えたというのは聞いているから、もう終わった、のよね?
「それにしても呆気ないものだよなぁ」
「え? なになに?」
ただ今お仕事中だが、何となくつぶやいた独り言をアルバイトの瑠美ちゃんが拾って、不思議そうに首をかしげていた。
今年十六歳になったばかりという瑠美ちゃんは、今風の女子高生らしく可愛らしくて、ちょっとだけポヤンとしているが人懐っこくて、いつも笑顔で明るいいい子だ。
「ん? 最近買ったゲームが思った以上に早く終わっちゃってさぁ」
と、私が言えば、瑠美ちゃんも「ああ」と笑ってくれた。
「春乃さんってゲーム好きだもんねぇ。また面白い乙女ゲーあったら教えてね」
「おう。まかせとけ」
瑠美ちゃんもゲームが好きらしく、特に乙女ゲーをこよなく愛しているようで、そっち方面で彼女とはすぐに仲良くなることができた。
ここで働く仕事仲間たちとは、わりと仲良くやってる。
前は裏方で事務仕事ばかりしていたから、売り場のことは全くわからなかったけど、こうして売り場に出てみればやはり楽しいものだ。可愛い雑貨にも触れられるし、若い子とも話ができるし、こういう仕事もやりがいがあっていいと思う。
ゲームの話で私と瑠美ちゃんが盛り上がっていると、昼休憩から戻ってきたもう西城さんがにやにやとこちらに近づいてきて。
「てか、二次元の男がそんなにいいですかねぇ? 瑠美ちゃんはまだ若いからいいけどさぁ。宮島ちゃんってもういい年なんだから、そろそろ三次元の彼氏とか作った方がいいんじゃないの? てことで、そんな寂しい独り身の宮島ちゃんに実はいいお話があるんですがねぇ~」
と言いながら、私に写メを見せてくる。
「え? 何このイケメン」
そこにはかなりのイケメン君が友達らしき男のこと写っていた。
「イケメンだろ? 私の彼氏の同僚君なんだけど、彼も彼女募集中なんだそうよ」
「へー」
と適当な返事をする私の横から、瑠美ちゃんも写メを見をみて「マジイケメン!」と笑い。
「夏希さんの彼氏って、この前、車でお迎え着てた人だよね? へぇ。サラリーマンさんでしょ? 春乃さんも元OLだったから気が合いそう?」
そう聞いてくるが。
「いや、全く同じ仕事をしてたとしても気が合うかはわからんと思うよ」
さすがにそんな無理矢理こじ付けられるとお姉さん困っちゃうから。
「そりゃそうだわっ。でも、性格は悪くないし、お勧めなんですけどねぇ」
と、西城さんにさらにニヤニヤされる。
「いや~、イケメン大好きですけどねぇ。今はちょっと気持ち的な余裕がねぇ」
そう苦笑いを返すしかない私。本当、今はまず気持ちの整理をだな。
「何言っての宮島ちゃん。余裕がないのは宮島ちゃんの年齢だよ」
「ぐはっ。痛いところを突きやがるっ」
心臓をえぐるようなパンチの効いた言葉だったぜ。
「ってわけで、来週の休みに飲みかに行こう。ね?」
「えー。飲み会じゃ私行けないよぅ」
「大人になったら瑠美ちゃんを飲みにつれて言ってやろう。私のおごりだぜ?」
「わーお。西城さん太っ腹っ」
「その時はぜひ、宮島ちゃんと割り勘したい」
「なん、だと」
今の生活が、私には性に合ってる。瑠美ちゃんや西城さんのように気軽に話せて、ご飯に行くのも、飲みに行くのも自由で……。
優吾との生活が嫌だったわけじゃない。楽しかった。結婚だって、嫌ではなかったんだ。
でも、逃げ出した私には、もう戻る場所なんてない。
それに、気持ちの整理にはまだ時間がかかるだろうけど、その理由をみんなには説明できないし、何よりも、新しい出会いや恋をすれば、また気持ちも変わるだろう。と思うことにする。
「じゃあ、来週はぜひイケメン君と西城さんの彼氏におごってもらわないとな」
私がそう言ってにやりと笑えば、西城さんもおかしそうに笑った。
「それはナイスアイデア! 腹いっぱい飲んでやろうぜぇ!」
そう話がまとまったあたりで、お店にお客様がご来店だ。私たちの雑談もいったんそこで終了した。
新しい環境で再スタート、と言うには場所がちょっとあれだけど。
気持ちの整理がつかないところも、奏さんと顔を合わせる機会が未だにあることが起因してるのは間違いない。
奏さんや雅臣さんと会うことを嫌だとは思わないけど、いまだに駒百合から離れられない自分に、ちょっと呆れるというか、なんというか。
「あ。そう言えば、マネージャーがこれから来るって、オーナからさっき連絡あったわ」
お客様を見送った後、急に思い出したように西城さんがこちらを振り返ってそう言った。
マネージャーが来るのかぁ。マネージャーとは蛟さんのことだ。売り場では彼をそう呼んでいる。
「ふーん。急だね。なんだろ?」
予定では、明後日来ることになっていたはずだよな?
「あー、なんかねぇ。マネージャーがオーナーの書類整理して、何か見られちゃったとかなんとか」
「あ、うん。大体わかった。急に用事を思い出したんだけど。私、早退していい?」
「いや、ダメでしょ」
ですよねぇ。
オーナーの奏さんからわざわざ連絡があって、しかも書類を見られて蛟さんがこっち来てるって聞けば、まあ、あんまりいい予感はしないんだよなぁ。
てか、あのマンションを出てまだ一週間なんですけど。バレるの速くないですかね?
でも来るのが蛟さんだけなら、まだいいか。それに、来るって言っても、私に用事があるとは言い切れないわけだし。
きっと私に用があるわけじゃない。うん。違うわよね?
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誤字の修正と、一部セリフの追加。




