準備はすすむ
「――雅臣様。すべて予定通りに、滞りなく」
「そう。あとは当日に何の問題もなければ大丈夫だね。後は結婚式を待つばかりだけど、どうなの? 春乃は嫌がってない?」
「そう言ったそぶりは、ただ、何かを悩んでいるご様子はお見受けいたします」
「そうか、彼女には随分とこちらの都合を押し付けてしまっているから。よくやってくれていると思うよ。今後も彼女に目を配っておいてあげてね、要。ちょっとした変化を見逃して春乃に逃げられたら困る」
「心得ております。ですが、春乃様が駒百合から逃げ出すとは考えにくいとは思われますが……」
「いいかい要。交わした契約なんて文字通り紙一枚だ。頼りない口約束とたいして変わりない。優吾が契約の内容を変更するようなことがあれば、彼女はいつで逃げられる」
「そういうものでしょうか?」
「契約なんて、そういうものだよ」
休日と言えば、仕事をしていた時は待ち遠しく思ったものだけど、今の生活になってから『休み』という感覚が極端に少なくなった。まあ、仕事してないと『休日』という概念自体が無意味かもしれない。
「普段が休みみたいなものだしなぁ」
優吾と並んでデスクの前に座り、二台のパソコンでとあるゲームを協力プレイ中。最近、優吾が私に付き合ってゲームをすることが増えたと思う。本人も楽しいと思ってくれてるならいいけど。
「でもアルバイト始めたじゃない?」
「週二ですけどね。なんかやっぱり休みって感覚がないわぁ。優吾が休みだから、何とか休日の感覚が残ってる感じ?」
「確かに、僕は暦通りな感じだね。また夏休みの感覚とも違うんだろうなぁ。あ、廃坑見つけた」
「マジかっ! ナイスです! ちゃっちゃと制圧よろしく」
「え? 手伝ってよ。広そうなんだけど」
「マジで? やっと渓谷の一番下まで降りたのに。しょうがないなぁ。どの辺?」
「待って。こっちの地図見た方が早いよね」
一緒にゲームを楽しんでくれる恋人ってきっと貴重だわ。なんてふと思った。
桃里と付き合っていた時は一緒にやったことなかったからなぁ。あいつは、ゲーム自体に興味を持てなかったらしいし。
だけど、優吾だって別にゲームが初めから大好きなわけじゃないはずで、それでもこうして一緒にやってくれるなんだから、付き合いがいいのか、本当にゲームにはまってしまったのかは謎だ。
少なくとも楽しいと思っていなければ、こんな頻繁に付き合ってはくれないと思うけど。
「でも、本家に入ったら『休日』が欲しくなると思うよ」
優吾がプレイする画面上の地図を確認してから、私も自分の持っている地図で優吾の現在地を見てから移動開始。
「毎日忙しい感じなの?」
「最初のころは特に忙しいと思うよ。いろいろ」
「その色々ってのが気になるんですが」
色々ってなんだよ。少なくとも私が分かるいろいろの中には出産とか育児も含まれてるだろうけど、それ以外だと、なんだろうか? 駒百合家の決まり事みたいなものでもあるんだろうか。いや、あるか。
まあとにかく、いろいろか。結婚した後も、きっと何かしら驚かされて覚えることもいっぱいあって。ああ、確かに忙しそうかも。
「まあいろいろだよ。それより、もうすぐパーティーだよ? 大丈夫?」
「婚約パーティかぁ。たぶん」
「ちゃんとフォローはするから大丈夫だとは思うよ」
本当にフォローだろうな。それ。
ちょっと疑わしい気持ちはあるものの、優吾だけじゃなくて要さんや美影さんもいるだろうから、大丈夫だろう。うん。
そう言えばついこの間、私の誕生日を祝ってもらったばかりだが、気が付けば婚約パーティーまで一ヶ月も残っていない。今までどんなことしてただろう? なんかあっという間でいろいろ思い出せないが、まあいいか。大したことはなかったはずだ。
「そう言えば、話は変わるけどさ。西園君からなんか連絡あった?」
「え? ないけど。圭介られ連絡でもあった?」
「いや、ないけど。いい加減に連絡取り合わないのかと思ってさ」
さすがに、あったとは言えない。西園君とも言わないって約束しちゃってるし。
「ああ、連絡しようとは思ってるんだけど。メールは一応してみたんだよ。そしたら、今はちょっと忙しいから、落ち着いたら向こうから連絡くれるっていうからさ。待ってる感じ」
「そっかぁ」
私の知らない間に二人はきちんと連絡は取り合ってる模様。
「それでね。圭介が、婚約パーティーのことを聞いてきたからさ。会場とか日時は教えておいたんだけど」
「そう。まあ隠すことでもないからね」
「でも、さすがに招待はできないんだよなぁ。母さんが渋い顔してたし」
「でしょうね。むしろ、なんで呼ぼうと思ったお前」
西園君だって、招待状をもらった瞬間に破り捨てるだろ。ほぼ間違いなく。
「いや、さすがに僕だって圭介を呼んだりはしないよ。ただ、ちょっと気になって母さんに聞いてみただけで」
「それでいいよって言われたら、呼ぶつもりだったんじゃないの?」
「んーーー。呼ばないよ。うん」
「おい、こっち見て言えよ」
「あ、宝箱があるよっ。中身は何かぁ? レアアイテムが入ってるといいよねぇ」
誤魔化し方が雑だなぁ、おい。まあいいや。
「それより春乃」
「ん?」
「そろそろ、籍入れない?」
「いきなりなに?」
優吾に顔を向けると、彼は少し複雑そうな顔をして見せた。
「いや、いきなりっていうか、そろそろいい頃じゃないかなって……どうせパーティーのあとには、婚姻届け書くことになるでしょ? それがちょっと早くなるだけだよ」
そう言って、優吾は少しだけ笑顔を私に向けるが、どことなく、その笑顔がぎこちなく見える。
「なんかあった?」
「いや、別になにも」
そういうわりには、随分と複雑そうな顔をしていると思う。誰かに何か言われたからと言って、優吾本人が納得しないことを、こいつが言われるがままにやろうとするわけがないのは分かる。ということは、優吾が何かを考えて、自分で何かを思ったってことなんだろうと思う。じゃあ一体、優吾が何を思っていきなり、籍を入れよう言い出したのか? だよなぁ。
「あのさぁ、それこそ急いで入れなくても、結局は契約してるんだし、いつでも席は入れられるでしょ? じゃあ、当初の予定通りでいいんじゃない?」
「まぁ、そうなんだけど。なんて言うか、何となくさ。今できることならやっておいた方がいいような気がしてさ」
優吾はそう言うと、困ったように眉尻を下げてふっと息を吐き出した。
何をそんなに焦ることがあるというのか。
「私、別に契約から逃げ出したりしないよ? しかも今さら」
本当に今さらな話だ。何を言い出すのかと、私は軽く鼻で笑ってゲーム画面に顔を戻す。
私は優吾のことを嫌いじゃないし、こいつと結婚することに多少の不安がないとは言わないが、それでも、このまま結婚しても、それなりの家庭は築けると思う。特に、契約上の問題はないし、このままなるようになるだろうと思うんだけど。
「今さらだよね? でもさ。本当に逃げない?」
「は?」
優吾の言葉に驚いて画面から即座に優吾のほうへと戻された私の視線には、やはり複雑な、困ったような顔で私に視線を向ける優吾と私の視線が絡まった。
「何事にも絶対なんてないだろ?」
「そりゃそうだけど……なに? なんでいきなり不安になってるわけ?」
今の今まで、そんなこと口にしたこともなかったのに、なんだってここにきていきなりそんなことを言い始めるんだろうか?
「そりゃ、気持ちの違いだよ」
「まあ、そうなんだろうけど。でも、なんで私が逃げるなんて思うのかが疑問だわ」
このさい、契約のことは置いておこう。それを置いておくにしてもだ。婚約っていうのは、そう簡単になかったことにできるものじゃないだろう。少なくとも、私と優吾の場合はそうだ。
優吾の家柄がデカすぎるんだから、まわりの影響を考えれば、簡単にくっ付いたり離れたりはできることじゃない。と言うか、できればくっついたり離れたりしないほうがいいに決まってる。
少なくとも、優吾の家と、優吾や私個人にも何かしら影響が出ないとも言い切れない。そう考えれば立てないで済む波風はそのまま穏やかに済ませてしまう方がいいだろう。とは思うんだけど……。
「そういうのも、勘っていうか……なんか予感っていうか、このままでは終わらないような気がするんだよね」
「勘って、ものすごい信憑性のない理由だな、おい」
そういうのって、女の勘といい勝負じゃねぇか。根拠がなさすぎる。そう思ってちょっと呆れた視線を向ければ、優吾は面白くなさそうに口先を尖らせた。
「あるだろ、そういうの」
「まあ、ないとは言わない」
ただ漠然とした不安を理由に、いろいろ急いでもしょうがないとは思うけどな。
「だから、書くだけ書いてよ。書類を持っていくのは後でもいいから」
「いや本当、ちょっと落ち着きなって。大丈夫だよ」
「その『大丈夫』にだって根拠はないだろ? 人の気持ちなんて割と簡単に変わるんだからさ」
「それも間違ってはいないだろうけど、私がそう簡単にコロコロと気持ちが変わるような人間だと思われてることの方が侵害なんですけどねぇ?」
そうにやりと口の端を持ち上げて見せれば、優吾は両目を丸くして。
「そういう意味で言ってるわけじゃないよ」
なんて、少しだけ慌てたように首を横に振って見せる。
「うん。その言葉を信じましょう。だから、あんたも私の『大丈夫』を信じてあげてくれる? 絶対とは言わないし、何事にも絶対ってのはあまり使うのは好きじゃないけど、何の問題も起きなければ私とあんたは、結婚するんだからさ」
「そう、だね。僕はいつだって春乃のことを信じてるさ」
優吾はそう言って、どこか寂しそうに笑いながら、私の何もない首を見つめた。
誕生日にもらったあのネックレスだが、どうやらトパーズと言う宝石は太陽の光で色あせる性質があるようなので、昼間は特に日の光に当てないようしっかり保管している。教えてくれたのは聖君だ。さすが貴金属大好きっ子である。
だけど優吾のやつ。何がそんなに不安なんだろうか。ただの勘とは言うものの、私がネックレスをあまりしないことが彼の不安をあおっているとか? いや、さすがにそれはないよな。聖君の説明は優吾も一緒に聞いてたはずだし。
今のままなら、契約に何の変更もなければ私と優吾は結婚するだろうし、結婚後は契約内容自体も多少変わるだろうとは思ってる。それは仕方ない。
でも結婚前なら……確かに契約の変更に伴う破棄はできるだろうな。優吾も、もちろん雅臣さんや奏さんも、その場合の私が契約を破棄することを咎めはしないだろう。
もしかすれば、それを懸念してるんだろうか。先のことは誰にも分からないのに。
夕飯後、春乃が寝たのを確認してから、僕は要の報告を聞いていた。
「間違いない?」
「はい。すでに様々な手続き済ませているようです」
予感はしていた。まだ確定ではない。けど、圭介が何か忙しそうなのをしって、要に圭介のことを調べさせれば、どうやら彼が自分の仕事のことで動いていることを知る。
圭介の話を振ってきたことから考えても、たぶん春乃は圭介の現状を知っているだろう。
「二人が仲良くなってくれたのは喜ばしいと思うべきなのかな?」
「春乃様はお優しい方ですので」
「責めてるわけじゃないよ。このままいけば、契約内容を何一つ変更せずに済みそうだとは思っているけど」
ただ、契約内容をそのままに春乃と結婚しても、遠からず僕がそれに不満を持つだろうことはすでに分かっている。だからと言って、契約内容を変更、あるいは破棄したとして、春乃は僕のところに残ってくれるのだろうか。
僕と彼女はたぶん、お互いの気持ちがに同じ方向を見ていると思う。僕の好意に気付かない彼女ではないし、春乃が僕に寄せてくれる好意が、僕の思い違いということはないだろう。
「ですが優吾様、このまま契約を続けるのはやはり無理があるのではありませんか?」
心配そうに要が僕を見つめる。お前の言いたいことは分かるつもりだけどね。
「一先ず何も片付いてはいないからね。それらが片付くまではこのまま。現状維持がいいと思うんだよ」
変化を望むと同じように、変化は恐ろしいものだ。出会った時にはここまで彼女のことを考える日が来るとも思わなかったけど、こうなってしまったからには、無理強いできないなら、なるに任せるしかない。
「私が思いますに」
「ん?」
「優吾様は、優吾様らしく過ごされるのが一番かと思います」
「僕らしく? ああ、わがままで強引なくらいでちょうどいいって? 言ってくれるね」
と僕が笑って見せれば、要が慌てたように首を横に振った。まあ、たまにはできる従者を慌てさせるのも楽しい。
「いえ、決してそのようには」
「分かってるよ」
「ですが優吾様、今後どう事が動くにしろ、優吾様の思う通りに求めたほうが、いいように私は思います」
そう言って僕を心配そうに見つめる要に、僕は苦笑いを返すしかない。
「その忠告はしっかり頭の中に入れておくさ」
どっちがいいかなんて聞かないでくれる要には感謝してる。
選ばなきゃいけないのも分かってる。どっちも好きなんてありえないし、それはどちらにも失礼なことだ。せめて、気持ちさえなければ、こんなに困りはしないのに。




