黒い魔力
「何だ!あの戦い方は!」
「何のこと。」
「ナサエル!」
「ちょ、ちょっと二人とも!」
ハーディーンは自室の寝台から飛び起きるなり、すぐ側にいたナサエルに掴みかかった。意識を失ってから数時間後の出来事だ。目が覚めたことを喜ぶ隙はなく、セイリアは狼狽える他ない。
「ボクは普段通り、戦ったけど。」
「そんなわけないだろ!でなければあんな乱れ方!」
「……ボクの所為だって?負けたのはお前だろ、ハーディーン。」
胸ぐらを掴む手が緩んだ。至って冷静にナサエルは椅子に腰掛けたまま、その間顔色一つ変えずにハーディーンを見上げ続ける。一方ハーディーンは顔色を白黒させていた。今は青い。それ以上は何も言えずに寝台へ、崩れこむように腰掛けて項垂れる。解放されたナサエルはケロリと微笑んで振り返り、セイリアの方を向いた。両手を後ろに組み、両肩を上げて小首を傾げ、歪みのない嫌味な笑みを浮かべている。
「お姉さん、ボクたち話があるんだ。二人にさせてくれない?この通り、ハーディーンもとっても元気だし、もう大丈夫だから。」
「えっと、あ、そう……?」
「うん!」
「じゃ、じゃあなにか」
「キースさんたちによろしく伝えておいてね。」
「う、うん。」
圧力のあるナサエルの言葉に押され、セイリアは部屋から出ていった。豪華な家具たち、奥に何個もある個室、どこも明るくて広い貴賓室だ。キースたちのいた部屋を思うと、子ども二人だけで使うには広すぎる。それでもナサエルは慣れたように絨毯の上を歩き、飾りの多いテーブルに用意してあった紅茶を口にした。立ったまま、これもまた飾りの多いカップの中身を全て飲み干す。すっかり冷めていた紅茶はナサエルの喉をよく潤した。
「ボクもさっき目が覚めたんだ。お前が取り乱すなんて珍しいね、ハーディーン。」
「……。」
「魔力が途切れるのを感じて、ボクも慌てて切った。そっちで何があったのか、少しはわかってるつもり。お前もこっちのこと、わかってるんじゃないの?」
「ナサエル……」
「うん。」
「あの人……」
「“どっち”?」
「え?」
「ティルさんと、セイリアさん。」
「ただいまー……。」
「……。」
セイリアが戻って来たのはあの狭い部屋ではなく、ナサエルたちの部屋と変わらないくらい広い部屋だった。あの後帽子から靴まで緑色の乗務員たちがやってきて、気を失ったナサエルとハーディーン、そしてティルをそれぞれを運んだ。ティルが運ばれたのはここ、ナサエルたちの部屋の隣に位置する貴賓室。始めは三人が気を失っていることに驚かれたが、「三人とも魔力を高める勝負を始めて、疲れて眠っている。」とキースが真顔で説明し、特に不審がられることはなかった。セイリアは頭の中で整理がつかなかったので、震えながら黙っていた。キースがナサエルの首を締める場面から始まり、あのティルがハーディーンを昏倒させている所を見たセイリアは、とりあえず少年二人の側についていくことにしたようだ。そしてここへ帰ってきた。意外と早く帰ってきたとキースは思った。そして更に意外なことに、こんな言葉を耳にすることになる。
「ごめんなさい。」
「……?」
「ナサエル君が目を覚ましました。そして、今回のこと全部話してくれて……」
「……。」
「本当にすみませんでした。勝負の邪魔をしてしまって。」
深々と何度も頭を下げる、このセイリア独特の謝罪の仕草には慣れたが、どうやらそういうことになっているらしいというくらいしか状況が掴めない。ただ、今回のことについてキースは非常に面倒であるとしか感じていなかったので、特に抗うことはしない。黙ってきいておく。
「ナサエル君にハッキリ……迷惑だったと言われてしまいました。あの時、生まれて初めて真剣勝負をしてもらって、キースさんにはとても感謝しているそうです。」
「……。」
「ちょっと、と言うか、かなり驚いてしまって……その、私の育った所には、ああいう勝負の仕方はないですから……そんなの言い訳になりませんね。本当にすみません。」
「いや。」
「ハーディーン君も目を覚ましました。本当に、ティルさんもただの勝負をしていたということで、私もホッとしています。」
「そうか。」
「ティルさんは?」
「まだ寝ている。」
「こちらも、かなりの真剣勝負をされたのですね。」
どうしてこうなったのかもわからない、そういうことにしておこう。キースはふかふかの椅子に座り直して、手を止めていた作業を再開する。小さなナイフを何本も、テーブルに並べて念入りに確認していたところだ。刃のほころびはないか、錆び付いてはいないか、他に不具合はないか、何度も目を通していく。
セイリアは怒った様子のないキースにひとまず安堵し、辺りを見渡して自分の居場所を探した。広い部屋の奥にまたいくつか部屋があるようで、ティルはそのうちの一つの割と広めの部屋で寝ている。覗きに行くと、全く触れられた形跡のない小部屋が二つ。どちらでも良かったのだが、一番手前に駆け込んで、寝台に飛び込んだ。
(胸が、まだドキドキしてる。)
あれは恐ろしい光景だった。旅を続けると、この先いくらでもあのような場面に出会うだろう。キースがいつも武器を触っているのは、きっと戦いに即座に応じるためだ。自分もいつも心構えておこうとセイリアは思う。だが、心と体が頭についていかない。涙が零れた。
「わあああ!」
静かな時が流れ始めたと思った時、切迫した声が突如上がった。セイリアは体を起こし振り返る。個室を出て顔を覗かせると、奥の部屋中の家具がガタガタと音を立てているのがわかった。ティルが目覚めたようだ。目の下と鼻の頭を赤くして駆けつけたが、ティルのいる個室には入ることも、入り口に近づくこともできなかった。黒い魔力が電気を帯びて膨張している。指先でその魔力に触れてみたが、皮膚が裂けるような痛みが走った。
「ティルさん!大丈夫ですか?!」
「何事だ。」
「キースさん!わかりません!ティルさんがっ!」
キースは舌打ちをした。至極面倒そうではあるが、黒い魔力に埋め尽くされた室内へ向かうようだ。セイリアが腕を掴んで止めたが、静かに振りほどかれた。
「危険です!キースさん!」
キースは腰の大剣に手を置き、力を込めた。髪が逆立って膨らむ。そしてそのまま行ってしまう。纏う何かと黒い魔力がぶつかり、バチバチンと劈く音がした。セイリアは口元に両手を当てて悲鳴をあげそうになるのを堪えるが、キースには何事もないようだ。音だけがけたたましい。
「キースさん……!」
呼びかけには応答がなかった。聞こえないだけだろうか。セイリアは個室の入口で右往左往する。そこへ、二つの影が近づいてきた。
「あれっ!ナサエル君!」
「ハーディーンもいるよ。」
「そうだね。二人とも、もういいの?」
「うん。それより何事?」
「すごい魔力だ……。」
ハーディーンの肩が震えている。しかし、怯えているのではなかった。心の底から喜んでいるような妬んでいるような、鋭い笑みを浮かべている。ナサエルも真剣な瞳を好奇心で膨らませて魔力に向けていた。そして青い目を細めて笑む。
「ボク、行ってくるね。」
ナサエルは魔力を薄く張って全身に纏うと、誰かが何かを言う前に軽やかな足取りで室内へ向かっていく。黒い魔力に触れる瞬間、キースの時と同じようにバチンと音が鳴った。その慣れない音にセイリアは体を強張らせたが、ナサエルは何の反応も示さず進んで行き姿が見えなくなる。その時、ハーディーンがポツリ呟いた。
「……やはりか。」
「キースさん!」
「なんだお前、入って来たのか。」
「鍵、あいてましたよ?わー、すごい魔力だな。これが無意識とは思えない。」
寝台に寝かされた時のままのティルの姿。意識はないのだが、魔力を膨らませてしまっていた。高価そうな家具はこの魔力に馴染めず、時折ガタンと動く。衝撃に耐えられず、ガラスのテーブルは割れてしまっていた。キースの眉間に皺が深く刻まれた。
「こいつ……。」
「キースさん、大変ですね。どうします?」
「……。」
「ボクなら助けてあげられそうですけど?」
踵を上げて身長を伸ばすと、ナサエルはキースの耳元に囁く。しかしナサエルが言い終える前にキースは深く踏み込んで、ティルの頭に向かって飛び蹴りを繰り出した。ナサエルの目が丸くなる。電気が走り、その衝動でティルの身体が大きく跳ねた。キースも反動に押されたが、空中で身を翻してしっかり着地した。
「いってぇ!」
酷い音の後、誰かが叫んだ。辺りはやや埃立ったものの魔力がすっかり消えたようだ。ハーディーンが個室に飛び込んで、セイリアは最初戸惑い、左右に揺れた後、急いで後を追って続く。室内には、キース、ナサエル、そして床に伏せて悶えているティルと散乱した家具がたくさん。
「なにすんだキース!!」
「は?」
突如上体を起こして叫び、瞳孔を開いてキースを見上げる。地を這うような格好だったので、キースとハーディーンの冷たい目は否応無しにティルを見下ろすことになった。
「は!?っていうかここどこだ?!」
「あははは!」
しばらく目を点にしていたナサエルが腹を抱えて笑い出す。突然のことに全員が注目したが、ティルの滑稽な姿にハーディーンもつられた。セイリアも安堵に近い微笑みを浮かべる。
「げっ、お前……。」
「僕もいます。」
「君も。それにキースも。と言うことは……そうか、良かった。」
「何が良いんだ。」
床を這う格好のままティルは何か納得し、そして安堵の息を吐く。和やかな空気が漂い始めた。しかしキースは冷たくティルを見下ろして、そして壊れた家具を指差して続ける。
「部屋、テメェで直せよ。」
「なん……はあっ!?なにこれ!俺やってないけど!」
「手伝います。」
「えっと、……助かるよ。」
「あ、はいはい!私もいますし、手伝います!」
「あんたは別に。」
青ざめるセイリアの横をキースが通り過ぎていった。ナサエルはそれを見逃さない。和気藹々とした空気から頭を出し、抜け出して追いかけていく。キースが大部屋の椅子に腰かけた所へ、ナサエルは間髪入れずにまとわりついた。目が合わないキースの顔を至近距離で覗き込む。
「ねぇキースさん!さっきはビックリしちゃった!ふふ、あんなやり方……面白かったな。」
「まだ何かあんのか。」
「うん。ボクたち勝負には負けちゃったけどさ、どうしても二人に協力してもらいたくなっちゃって。」
「……。」
「一生に一度のお願いってことで、ね?冒険者さま。“魔物”の退治、手伝ってくれませんか?」
ナサエルが態とらしく小首を傾げ、両手を後ろに組み、両肩を上げて歪みのない嫌味な笑みを浮かべた。
20130920