闇の魔術士
胸の奥底に眠っていた記憶。忘れたいが為に閉じ込めたのか、この感情で身体を震わせないように沈めたのか。ハーディーンは酷く動揺していた。それをよく表し、次元の壁が破かれたように激しく乱れていた。
「……。」
「……大丈夫?」
ハーディーンの魔力で創った剣が収縮してそのまま消えていく。そして悲しみの渦がハーディーンを囲った。ティルからはハーディーンの表情がわからない。だが、より一層悲しみが深まったことを肌で感じていた。
「……ない」
「は?」
「許せない……!」
ハーディーンの魔力が一気に膨らむ。今まで制限してきた力が放出され、次元に収まりきらなくなった。壁が剥がれるように壊れていく。ティルの頬を冷や汗の線がいくつも伝った。それでもなんとか保たれているようだ。もしかしたら、向こうの彼が調整してくれているのかもしれない。だがそれも時間の問題だ。
「……ねぇ。話なら聞いてあげるから、ここを出ようよ。君も死にたくないだろ。」
「聞こえませんでしたか?僕は許せないと言ったんです。」
「だから、何を!」
「とても不愉快なものを思い出させてもらいました。人の心によくもまあズケズケと、入り込んでくるものです。」
「なんのこと?」
「あなたのその無自覚な性格は人を傷つける。そのうち大切な人を失いますよ。ま、僕にはどうでも良いことですが。」
「俺はそんなことしていない!」
「いずれにせよ、魔力を“読まれる”なんて不愉快だ!」
渦巻いていた魔力が、ティルを取り囲んだ。濃く厚い魔力だ。それも、大量の。質量のある魔力が走り妙な風が起こる。生暖かいような渦に揺らされて、ティルの衣服や髪が煩くはためいた。渦の外から、一糸の乱れもないハーディーンが冷たい視線を寄越してくる。顎を上げ、見下ろすようにして。これは軽蔑の眼差しだ。ティルにはこの複雑な感情を理解できなかった。
(これだけの魔力、今度は受け入れきれるか……?)
「その目を止めろと言うんだ!」
「っ、ビックリした……。」
「何もかもわかったような顔をして!憐れまれるのは、辱められるのと同じだ!」
「だから」
「『そんなつもりはない』ですか?タチが悪いですよ、あなた。」
冷徹な語調を最後に、ハーディーンの声が聞こえなくなった。ざわめく音がどこからか聞こえるだけ。そしてハーディーンの魔力以外何も見えなかった。最も、強い光に当てられて目を開けられないのだが。
「な、んだ……?」
ティルの心がざわめく。光の中に形が見え始めた。どこか見覚えのある形だ。
「あ……」
自分の頭の何倍もの大きさの球体。自分の全身をすっかり収められそうな穴。太い柱のような、鋭い、牙。
「あ、あ…」
脈打つ白い肌に一本の青い筋。視界に収まりきらないその形。あまりにも巨大なドラゴンだ。ドラゴンの眼がぐるりと回転して、そして大きな眼球の中に小さなティルを捕らえた。ティルは目を瞬くことと呼吸を忘れて瞳孔と口を開き、全身を震わす。声にならない叫び声をあげた。
「不愉快の、お返しです。」
ハーディーンが渦の外でタイを締め直し、両方の口端を吊り上げて笑った。
「ふうっ!」
「……。」
「キースさん、巻き込んでごめんね?」
「……。」
「本当はティルさんだけで良かったんだけど、ま、人数は多い方がいいし。」
「何の話だ。」
「やだ!わかってるくせに!」
暗い影ばかりの不思議な空間だった。お互いの姿はくっきり見えるのに、辺りは延々と暗い。明るく笑うナサエルが、キースの腕にまとわりついてきた。手のひらをキースの腕に這わせるようにして撫で、頬を寄せて頭を預けてきた。甘えるような仕草のナサエルに視線すらやらない。キースは遠く遠くを見つめ続ける。
「ここのこと、気になる?」
「まあな。」
「ふふっ!じゃあ教えてあげる!」
キースの腕を放り投げるようにして捨てた。ひらりと身を翻して距離を取り、背を向ける。手を伸ばしても、足を踏みしめても、何も手に入らない空間。ナサエルの笑い声だけが漂った。取り乱す様子のないキースのことを、どう捉えているのか不明な態度だ。
「ここはボクらが魔力で創った世界!でも安心して、ちゃんと元の世界に戻してあげる。……ボクの言うことをきいてくれたらね。」
「魔力か。」
「そう!無駄に抵抗していなければだけど、ティルさんはハーディーンと一緒のはずだよ。」
「お前が今死ぬと、ここはどうなる?」
「!……さあ?死んだことないからわかんないな。」
唐突な質問に、ナサエルの眉間に皺が寄った。やや声の音調が低くなる。一瞬目の色を変えたが、まばたきをすると色が落ちて明るいナサエルに戻った。ニコニコと絶え間なく微笑んで振り返り、また歩み寄って来る。その足元にはナサエルの足跡が影になった残り、それが黒い炎のように燃え上がって揺れる。影の炎は次の足跡が炎をあげる頃には消えた。そうして近付いてくるナサエルの背中にも同じ炎のような闇が蠢いていた。
「ねえ、キースさん。」
あなたの欲しいもの、教えて。キースの頭の中でナサエルの声が反響すると、辺りからナサエルの気配が消え、とびきり静かになった。耳鳴りのようなか細い音だけが聞こえる。キースは顔色こそ変えないものの、視線を泳がせた。右と左を見渡して見るが、そのどちらにも闇が広がるだけで変わりははない。
「濃くて深い闇の前では、どんな小さな希望も逃れられない。さあ、早く望んでよ!ボク、とても退屈なんだ。」
黒い炎が五つ、一斉にキースの目の前に横に並んだ。左端の炎が消えると、人型に形を変えた影が足元から浮かび上がる。次に右隣の炎が同じようにして消え、左端のものと異なる人影が浮かんだ。先ほどのものより背の低い影だ。こうして次々と人影が並んでいく。闇の世界に、くっきりと人の形をした影が五つ。それらには見覚えがあった。
「キースさん。ティルさんがもう少し大人しくて従順だと嬉しいんじゃない?」
一番左端の影が、ティルの姿に色を変えた。ティルは姿を現すなり穏やかに微笑みかけてくる。そしてナサエルが闇色の布を脱ぎ落としたようにどこからか姿を現し、ティルの腕に絡みついた。
「それとも、この女の人かな?ふふ、随分嫌われているようだったもんね。」
ナサエルは隣の影に移り、隣に立つ。その影がセイリアの姿になった。セイリアもまた、ティルと同じように朗らかに微笑んでいる。ティルとセイリア、曇りのない二人の笑顔を前にしても、キースは冷静だった。突然姿を現した仲間。それが非常に精巧な“つくりもの”であることを見抜いていた。そう、この息遣いまでも本物と違わないティルとセイリアは、魔力でつくりだされたものだ。
「と、……あれ。残りは誰かな。」
「茶番だ。」
「え?」
ナサエルが次の影を不思議そうに覗き込み、歩み寄ろうとしたその瞬間。あっと言う間もなく距離を詰めたキースの右手が、ナサエルの首を捕らえた。
「っ、ぐ……!?」
「……。」
キースの右腕は筋肉が盛りあがり、血管が浮かび上がっていた。腕を上げると、同じようにナサエルの頭が上がり、足が浮き始める。ナサエルは口を大きく開けて、瞼を極限まで押し上げて、顔を歪めていた。キースの右腕に両手で爪を立てる。酸素を取り入れようと口が開閉する。全身が本能でもがくのだが、キースは全く動じない。いつの間にか五つの人影は消え、背景は激しく歪んでいる。魔力どころではなかった。
「なにしてるんですか!!」
そこへ女性の割れるような声が聞こえた。程なくしてキースの背中に衝撃が走る。振り返ると、そこにはセイリアの姿があった。青白い顔で迫り、キースを思いきり睨みあげて、何度も背中を拳で叩いている。
「!!」
「……。」
「キースさん!その子を離してください!!」
「お前は……」
手を緩めると解放されたナサエルが、そのままの形で落ちて倒れこんだ。セイリアは慌ててナサエルに寄り添い、様子を確認している。酷く咳き込むナサエルの背中を撫でながら、顔を覗き込んで色を伺った。
「大丈夫!?」
「あ、あ……」
「キースさん、最っ低です!!」
「……」
「力の差が歴然な子どもに、こんな!!」
目に涙をためて、再びキースを睨みあげる。ナサエルの背中をさすりながら、酷く軽蔑した眼差しを向けるセイリアのことを、キースは普段と変わらない冷たい瞳で見下ろしている。
「あ、あなた……」
「なに?君、大丈夫?」
「お姉さん、どこから来たの……?」
「え?ど、どこって……」
「ボク、はぁ……っ、お姉さんのこと、ここへ連れて来ていないのに……。」
ナサエルの肩が震えていた。荒ぶる呼吸の為でもあったが、得体のしれない来訪者を脅威に感じているのだ。取り乱している心を表すように、周りの闇が崩れている。セイリアの手を弱々しい力で振り払ったナサエルは、瞳を揺らしながら後ずさり、セイリアから離れた。セイリアは目を丸めて固まる。
「なんだ、これは幻覚じゃないのか。」
「なんの話ですかっ!」
「違う……あなた、何ですか?」
「私は君のこと……」
「っ、ダメだ……!」
大きくナサエルの身体が痙攣した。首を絞められていた影響ではなく、周りの魔力の変化のせいだ。その直後から大きな耳鳴りのような音が響渡り、闇が、切り裂かれたように弾けてしまう。ナサエルが、この空間を解いたのだ。闇の魔力が途切れ、反発していた光の魔力も強制的に収縮する。幕が落ちたように景色が変わり、あの狭い列車の部屋に戻った。
「!」
「ひ……!」
ナサエル、セイリア、そしてキース。狭い部屋に大人数が集まっている。三人は同じものを目に入れるしかなかった。ナサエルはソレを見て目を見開いたが、瞳の色が否応無しに霞んでそのまま床で意識を失ってしまった。ソレを見つけたセイリアは、身体を強張らせて引きつったような悲鳴をあげて震えた。
「ティル……。」
ソレを見たキースは、仲間の名前を呼んだ。黒く渦巻く魔力を全身に纏って、金髪の少年を殴りつけている仲間を制止しようと。金髪の少年は、もう既に意識を手放していた。弱々しく胸が上下しているだけだ。禍々しい黒い渦だけが、激しく揺れていた。
20130914




