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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第二話
17/47

闇と光

 真面目な父と優しい母、頼りになる兄。幼いハーディーンが、目の前にある幸せにただただ包まれて育っていたある日、両親はオークの魔法省から“魔物”の討伐を命じられる。それは何ら特別なことはない、ハーディーンの日常そのものだ。しかし、その日を境に突然、ありふれた日常から逸脱する。両親はいつまでも戻って来なかったのだ。

『海難事故』

『恐らくそうであろう』

『優秀な魔術士も最期は呆気ないものだ』

 ルマティーグの出身ではない。だがその確かな魔術の腕で、国務を担うまでになった二人の死を、大勢が悔やんだ。幼いハーディーンはその言葉の意味こそわからなかったが、心に深く刻まれた。

「本当は……あなたたちのような人がくる所ではないんだけどね。」

「すみません。」

「慣れるといいわね。さ、ここが君の部屋よ、ハーディーン。」

「……」

「ハーディーン?」

「……に、にいさんは?」

「俺は、」

 そして唯一の肉親となった、兄までも去っていく。多くを語らない瞳が向けられた。束ねられる長い髪が、背を向けた時に優しく靡く。遠く遠くへ行く、振り返らない兄をずっと見ていた。父親譲りの青い目と、母親譲りの金髪。兄弟は瞳も髪も同じ色だ。顔の作りもよく似ている。だが、兄の首にある魔法印はハーディーンだけが持たない。兄も両親と同じように優秀な魔術士であった。

「う、うん。」

 兄の背中が見えなくなった時、ハーディーンはやっと声を出した。涙さえ、ハーディーンの身体は惜しがる。一人、ただただ立ち尽くした。


「ごはんですよー!」

 この一声で、狭い敷地中の子どもたちがテーブルと椅子が並んだ小さな部屋に集まってくる。ハーディーンはこの時間が一番苦痛だった。神様へのお祈りと言う名の合図の後、一斉に飛び交い出す大声と食べ物。手掴みで魚を貪っては、パンに噛り付く。スープは音を立てて飲み、食器を持てば擦れる音を喧しく鳴らす。その部屋の片隅で、ハーディーンは一人パンを小さくちぎって口にいれた。静かに咀嚼する音は、この部屋には響かない。

 ハーディーンは食事を終えて部屋へ戻り、ホッと息を吐く。やっと呼吸ができた気がした。物置を空にして布団を敷いただけの空間だ。この小さな施設で、ハーディーンだけが個室を持っている。それが異例の待遇だとハーディーンが気付くのは、ずっと先のことだ。幼いハーディーンは、自分のおかれた状況を理解するのに苦しんでいた。他を思いやる余裕などない。この静かな時間だけが心のやすまる、唯一の時だった。しかしそれがハーディーンを更に苦しめる。

「あ!あいつ!あいつだけひとりの部屋があんだぞ!」

「えー?」

「あんな子いた?」

「最近はいったんだ。おれ、あいつがにーちゃんと来たの見たんだ。」

 晴れた日は必ず建物の外へ出ることになっている。ハーディーンはいつも、特別に持参した一冊の本を読んでいた。その日も無意識に、子どもの少ない場所を選んで腰を下ろす。今日は裏庭の一本の木の下だった。大きな木だった。大勢の死角になる、太い幹がちょうど壁を作ってくれる。そうしてやっと皮の表紙をめくった時の事だった。

「おい、おまえ!」

「……。」

「おまえだよ!」

「……、……。」

「おまえ、口もきけないのか!」

 その木の上から、少年が飛び降りて来た。それに続いて少女も二人、幹を滑り降りてくる。ハーディーンは身体が硬直した。まさか上から人が降りてくるなんて、思いもしなかったのだ。

「おまえだけ特別あつかいだな。」

「あ、あ……」

「なんだ?本当に口がきけないのかよ。」

「……う……。」

「そうか、だからおまえは捨てられたんだ!」

「……?」

「おい、おまえもおれたちと同じだ。ひとりじめはゆるさない。」

「ねー、ほんとにひとりの部屋があるの?」

「いーなー、ずるーい。」

「本なんか読んでんじゃねーぞ!」

「あっ……!」

 少年が本を蹴り上げた。バラバラと本がめくれ、開いたまま伏せて落ちる。そして一枚の紙が遅れて落ちた。ハーディーンの持っていた家族写真だった。少年が面白がって写真を拾う。少女たちは本を拾い、奪い合うように中身を覗き合う。ハーディーンは気が遠くなりながらも、必死にこの状況を理解しようとした。

「あ!やっぱり!このにーちゃんだ!」

「なにそれー!」

「シャシンだシャシン!お金持ちしかもらえないんだぞ!」

「ずるーい!」

 少年が写真を丸めてハーディーンに投げつけた。気はますます遠退いていたが、ハーディーンは丸まった写真を震える手で拾った。遠いところで少年が喚いている。何を言っているのかわからない。少女の高い声が頭の中をぐるぐると駆け回る。そうして気付いた時には、自分の部屋に寝かされていた。


「ね、本見せて。」

「……え。」

「天界のこと、かいてない?」

 ある日、すっかり定位置になった木の下で本を開いていると、少女が声をかけて来た。自分より幼い。ハーディーンは首を横に振った。自分が持っている本はこの一冊だけで、言われたようなことは書いていない。少女はむくれて何か怒鳴った後、ハーディーンの隣に来て座る。

「天界って知ってる?」

「う、うん。」

「ほんとうにある?」

「うん。精霊は、そこから……く、来るんだって。か、神様もだよ。」

「どこにあるの?」

「あ、え、と……上?」

「上?お空?」

「う、うん。」

「……。」

 少女は突然木を登り始めた。器用に、木の表面の凹凸に足をおさめて登って行く。ハーディーンは息を飲んでそれを見上げていた。少女はずっと上の、それでいて一番低い木の枝に辿り着いて腰掛ける。幹に背を預け、大きく息を吸った後、声を上げて泣いた。ハーディーンが思わず耳を押さえてしまう程の大声だ。

「!?、??」

「うわーん!ママー!」

 少女は泣き続け、そしてこと切れたように静かになると、そのまま眠ってしまった。ハーディーンは少女が眠ったとわからない。突然静かになったので、木の下を右往左往した後声をかけた。返事がないのでますます心配になり、意を決して木を登りだす。少女がそうしたように、足をおさめる場所を探りながら、慎重に。途中何度か滑り落ちた。その度に、少女の咆哮のような鳴き声を思い出す。空も震えるような声だった。

(もし、天界が空にあるなら、)

 少女の声は届いたかもしれない。ハーディーンは、自分も近付いてみたかった。一心不乱に登り続ける。顔や腕に擦り傷を作りながら、やっと少女の顔が見える所までやってきた。

「!」

 少女は夕日に照らされた少女の顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃだったが、穏やかな寝息を立てていた。ハーディーンは一先ず安堵する。幹にしがみついたまま、空を見上げた。爽やかな風が傷を撫でると、痛みが和らいだ。視線のずっと先で、この瞬間を待ちわびていたように、夕日が彼方で沈み始めた。それはほんのひと時。ここへ来て始めて味わう、穏やかな時。ハーディーンの心は震え、何かが緩む。涙が、溢れ出して止まらなかった。


 自分を貫くことが辛い生活の中に、時々ふと与えられる小さな幸せと大きな発見があることに気付くようになった。ハーディーンは身体の成長と共に余裕も出来始めた。それは少しずつ少しずつ、心を覆った埃を取り除いていくように。

 あの日、ハーディーンが少女と木を降りる時、身体に傷が一つもなかった。不思議に思ったがそれ以来、傷を意識すると癒せるようになっていた。眠っていた魔術士の血が、目まぐるしくハーディーンを変化させていく。光に照らされるように、心が希望に満ちる。この力があれば、再び兄と暮らせるようになるのではないかと。

「……?」

 部屋で皺だらけの写真を眺めていた。手のひらに灯した光は、魔術で起こせるようになった火だ。父や母、そして兄に近付きたい一心で魔術の腕を磨き、できるようになった。そんなある日の晩。ハーディーンはふと顔を上げて部屋を見渡す。外では風が強く吹いていたが、不思議と恐ろしくはない。なんだか身体が落ち着かないので、こっそり扉を開けて廊下を覗いた。轟音が似合わない、優しい風が頬を撫でる。それに導かれるように、部屋を抜け出した。

(なんだろう。)

 廊下の窓が雨風を叩きつけられて震えていた。脇目も振らず向かっている先には、この大陸の神が祀ってある部屋がある。そこへ導かれているのだろうか。ハーディーンは静かに歩みを進めていく。

「あっ……!」

 息を潜める程慎重に歩いていたが、声が漏れる。神々しい像の前に、懐かしい姿があった。兄だ。暗闇に慣れた目には、確かに兄が映った。

「に、さ……?」

「……ハーディーン。」

「どうして、こ、こんな」

「……。」

 上手く話せない。渇望した兄との再会に、いざ立たされると喉が強張る。今までの日々が蘇り、涙で視界が歪む。しかし今この時で終わるのだと思えば、全て許せるような気持ちになった。

「にいさ……」

「ハーディーン。」

「なに……?」

「お別れを言いに来た。」

「!?」

「俺のことは忘れて生きろ。」

「ちょ、ちょっと待って……!」

「……。」

「兄さん!僕、兄さんたちのように、ま、魔術が使えるようになったんだ!」

「……何の為に?」

「た……め?わからない、けど!ぼ、僕、兄さんのようになりたいんだ。連れて行ってよ……!」

 突然奈落に突き落とされたようだ。見上げた兄の瞳が冷たく見えるのは、気の所為ではなかった。この上の絶望などないと、這い上がる思いで兄に縋り、必死で訴える。

「何の価値もない力だ。ハーディーン、俺たちは永遠に解り合えることはない。」

「っ……、」

「さようなら。」

「に、さ……」

 気づきたくないことがあった。自分は、誰にも必要とされていない。生きている価値が、ないのだ。その真実を、見透かされるような瞳が重くのしかかる。風が、強く吹いていた。神の像の足下で、ハーディーンは膝を折り頭を垂れる。こんな絶望の底では祈る言葉も出てこなかった。

20130831

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