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第13話「邪推は知らないからこそ大きくなる」



「んん……っ」


 慣れ親しんだ雪藤美子(V:社守さくら)の家。そこのベッドの上で橋渡凛(V:魔女屋オルエン)は目に光を感じて目を覚ました。


 少しぼんやりしていたものの伸びをすると急速に覚醒していく。格好は色っぽい肌着である。つまりは昨夜、彼女とお楽しみをしてそのまま就寝したわけだ。


 ベッドには自分しかいないので美子は配信部屋かと察する。部屋に掛けていた上着を持って風呂場へと向かった。途中、作業部屋になっている扉で『作業中/配信中』の札を確認する。そうしてシャワーを浴びて服を整えた。その後、凛はリビングに行って冷えた麦茶を二つ用意してから作業部屋へと向かう。


 凛は作業部屋の前で念のためにノックをする。反応がない。音を立てないようにそっと中を覗くと、雪藤美子が集中して作業をしていた。それを見てつい凛は呆れ顔になりつつも笑みを浮かべた。そして配信中ではないと確信してから部屋の中へ入る。


「今日はお休みじゃなかったのかい?」

「おっほう!?」


 凛が美子の耳へ囁くように言うと飛び上がらんばかりの反応を返した。振り向いて凛を確認すると、美子は笑顔になった。


 美子はそのままジェスチャーでお茶を要求すると、凛が勝手知ったると言うように机の盆の上に置いてあるコップと持ってきたコップを交換した。

 美子が作業を休憩してお茶を飲む。


「いやー、先に起きちゃってリスナーのイラストを探してたらさぁ、いい感じのやつがあったからサムネ作りたくなっちゃって」

「ストックなんていくらでもあったろうに」

「魔女屋オルエンのやつも作りました、えっへん」

「あ、それはありがとう」

「どういたしまして。それとねそれとねー」


 美子がパソコンをいじって先ほど完成したサムネイル画像を見せた。サムネイルは『社守さくら×魔女屋オルエン』のカップルを意識したものが複数あった。イチャイチャしているものや、オルエンがシルエットだけになっているものなどである。


 美子はそれを見せてニヤニヤしている。

 凛はちょっと頭を抱えている。


「さあ凛ちゃん、愛しの恋人からの真剣な問いかけですっ」

「あ、はい……」

「私達のコラボ配信をそろそろ解禁してもよろしいのではないでしょうか?」

「ああー……まあ、サクラスターの優先時期は終わったし今は2期生の準備が終わるまで自由にやる方針だからね、そうだね……?」

「嫌なんですか~? 愛しの恋人のお願いですよぉ~? えっへっへー」


 美子がニタニタした顔で煽っている。彼女は凛の恥ずかしがり屋な部分を熟知している。普段は見せない凛の表情が見えることが楽しいのだろう。


 凛は赤面したまま彼女の隣に座った。


「わかってて言うのは狡いんじゃないか?」

「恥ずかしいんですね~。まあ、私も恥ずかしいって気持ちがないわけじゃないけど」

「そうだろうそうだろう?」


 凛は同意を得ながら美子の腰を引き寄せる。ついでに彼女のおでこにキスをした。それには美子も頬にキスを返す。こういうやり取りは親しくなればなるほど増えており、美子のほうも今では手慣れたものになっていた。


「というわけで、コラボはもう少し先延ばしにしてくれ……」

「ブーですよブーっ。凛ちゃん? そろそろ私も堂々と一緒にやりたいわけですよ?

 最初はこうイチャイチャしすぎるからさ、事務所で会話しないようにしてみんなと交友を深めるようにしてましたよ? コラボもしませんでしたよ? でもそのせいで私達にね、マジで不仲説が出て来て、大変不愉快な思いをしているわけですっ」

「ハッハッハ。あれかー……あのまとめにはちょっと驚いたなあ。まあでも確かに私達だけ妙に接触が少なかったからなあ」

「妙なところでポンをするのを治したいよー。運営の番組でもうちょっと会話するの見せたほうがよかったかぁ、ちきしょうですよ」


 苦笑いを浮かべる凛。ぷんぷんする美子。

 凛に顔をこすりつける美子。彼女をよしよしする凛。


 そんなスキンシップをしている最中、凛は流れるような所作(しょさ)で美子の手を取り、その人差し指を愛でるように撫で始めた。美子はそれもスキンシップの一つだと思って、彼女のしたいようにさせている。


「不思議なものだよなあ」

「なにがー?」

「私の指と違うのはそりゃそうなんだけど、触るだけでこうも違うのが不思議でさ。ずっと触りたくなるんだ。触られるのもいいけどな」

「そっかー……ん? 最後は下ネタですか?」

「ハッハッハ! 違う違う、そんなつもりはないよ。ちょっとサイズを測ってもいい? 純粋に好きな指をしてるから知りたくなってるだけなのさ」

「いいよー。どうぞどうぞー」


 お互いに笑いながら美子の指のサイズを測っていく。彼女は何も警戒することなくされるがままだ。凛はあらかじめテープとペンを用意していたため、戸惑うこともなく彼女の指のサイズを測ることに成功する。


 ありがとうと言って計測終了すると、凛が改めて話を切り出す。


「まあほら、コラボは今年中にしようか。私もイメージトレーニングして普通の配信ができるように練習しておくからさ」

「? いや別に普通の配信はできるでしょうよ?」

「衝動的にきみにキスやら抱き着きやらしてるんだぞ? そのくらいは自覚してるんだよ、ヤバイって。配信なんか知らずにサクッとやらかしそうだってさ」

「あー……もういっそそれでいいんじゃないかと思うんですよ、私としてはね?」

「センシティブ判定食らってアカウントBANはダメだろ」

「ええ……? あなたベロチューを我慢できないと申しますか……? これは深刻な問題だ……」

「否定できないからなあ、我ながら」


 不必要に深刻な顔をする美子。凛も深刻な顔だ。

 しばらくしてお互いに笑いがこぼれる。


「まあ、だからもうちょっと待ってくれ。お願いだ」

「しょうがないな~。でも今年中にはコラボしようね」

「ああ、もちろんだ。ありがとう愛しの伴侶」

「愛しの伴侶……いやあ、いい響きですなあ」


 うっとりとしている美子に、凛が微笑みながら彼女の頬にキスをする。そして立ち上がってからのコップを片付ける。


「ご飯は食べた?」

「プロテインとごぼうにしたから朝は大丈夫」

「ご……あ、作り置きのか。じゃあ私もそうするかな。だからお昼はラーメン屋か適当に料理屋のいいところにでも行かないか?」

「あ、行く行くー。じゃあもう少しやったら終わるからさ、そのままお外でデートしようよ」

「わかった。準備しとくよ」


 凛々しい立ち振る舞いで凛が部屋から出ていくのを見送って、美子はだらしないが幸せそうに頬が緩んでしまう。


「……あ!? さっさと終わらせないと。おめかしせずにデートするとかありえないんだから」


 美子はテキパキと作業を終えて洗面台へと急いだ。

 そうしてその日、二人で理想的な休日を過ごす。

 紛れもなく、人生で最も幸福な時期の、ありふれた一日だった。




   ■   ■




 人生のどん底にいたあの日、たまたまアイドルVチューバー:社守さくらの配信を目にしてから、飯塚郎二の人生は再び明るいものに変わっていた。現在、彼はコンビニ弁当を食べながら社守さくらの配信を大型モニターで眺めていた。


『こんさくー! フルライブ所属の0期生、アイドルVチューバーの社守さくらです! みんなぁ! 今日も配信に来てくれてありがとうっ!

 さて今日の配信ですが……今日はなんと! あのステルスアクションゲームのリベンジ配信をしようと思います! イエーイ!』


「……かわいいよな、さくらちゃん」


 彼女が笑っていると郎二もつられてニコニコと笑顔を浮かべてしまう。いまだろくな就職先も決まらないというストレスが緩和されるのだ。おバカなことをしているのを見たり、あるいは彼女の気道に共感することがこんなにも楽しいものだと驚くばかりだ。


 そこへふと、コメント欄にスーパーチャット、つまりは課金してさくらにお金を送りつつコメントをする、ということをしたリスナーが現れる。


『寝不足八時間さん、スパチャありがとうございます。えーと――』


 お金を払ったコメントというのは基本的に優先して読み上げられるものだ。もちろん同時に大量に湧いたりお金を払ってまで悪質コメントをされた場合はそんなことはしないが、基本的にはどのVチューバーも優先して読み上げるのが界隈の常識である。


『さくらは恋人がいますか? いないなら結婚してください……ダメです! フルライブはリスナーとの恋愛を禁止しています! ごめんなさい!』


 読み上げて速攻で振られるリスナーに、コメント欄もナイスお笑いという形で適度に大賑わいである。基本的に社守さくらのリスナーに厄介なガチ恋勢というものはいない、もしくはいてもかなり少ない。結婚を迫られてもギャグの一環として受け止められる雰囲気であった。


「不謹慎な奴だな、笑えねえジョークだぜ……」


 そんな雰囲気であるため飯塚はコメントこそはしない。しかしああいった結婚を迫るコメントは心底不愉快である。


 何故なら彼は『さくらがそんなことをするわけねえだろ。俺達のアイドルは恋愛なんかしねえ』と本気で思っているからである。アイドルは昔からそういったものであるというのは世間の常識であろう。それは今後もきっと変わらない。


 だが世の中にはうるさい人間がいる。代表はとある大型匿名掲示板の社守さくらのアンチスレにいる連中である。


 そこでは何人もの人間がコソコソと『恋人がいるに決まってる』『美人なのは同期と後輩が証言している。つまり美人なら男が放っておくわけないだろう常識的に考えて』などのようなレスで溢れかえっている。


 その中には不届きなことに『アールちゃんは男』という信じがたい暴言を吐く輩までいるのだから始末に負えない。ニコニコと大切な親友を語る姿になぜそのように(よこしま)な思考が働くのか飯塚には理解できないことだ。


 特にこのアンチスレに定住する有名なアンチのことは許せない。何故ならそいつは自称元スタッフを名乗って明らかな虚言を撒き散らしているからだ。


『社守さくらには男がいる』

『シルヴィアは既婚者である』

『綿雨ハクイは乱〇が大好きな真性ビッチ』

『魔女屋オルエンはレズビアンなのは本当』

『彗星ルカはスタッフの一人とセフレ』


 などというものである。

 飯塚および心あるリスナーの何人かはそのアンチスレの上記のレス対して真っ当な反論を何度も行なった。しかしアンチどもは納得しない。むしろこちらを『フルライバーに騙されている豚』と見下すことで優越感に浸るばかりであった。


『あれほどかわいくて誠実な配信をさくらがビッチなわけがない』

『豚くん乙www』

『これは美しい豚ですねえww』

『肥え太った豚はいい脂が乗ってますねぇ! ブヒヒィ!!』

『断末魔が聞こえそうwwやめーやおめーらww』


「くそったれ!」


 飯塚はついアンチスレの反応に激昂し、布団の上に携帯を投げつけてしまった。荒れた息を整えたところで少しばかり冷静になる。大して頭の良くない自分では納得させるような言葉を作れないのは自覚しているが、それでもどうにかできないものかと苦々しい思いで胸がいっぱいだ。


 仕方がないと無理矢理に自分を納得させ、彼はまた社守さくらの動画を漁っていく。そうして見たのはさくらが恋愛について語っている配信を切り抜いた動画だ。


『――本音を言うとねぇ~昔はたしかにこう、恋愛はできないししちゃいけないんだろうな~というのはあったよ? アイドルだもん。でもオルちゃんのさー、アイドル哲学を聞いてるとそういうのはほんと小さなことだったんだなーって思うよ。とにかく今のさくらは、みんなが楽しめることを提供することだけ考えてる。恋人とかはもうその時の流れでなんとかするしかねーやと開き直っています』


 その動画ではさくらがこのような言葉を口にしていた。飯塚はめずらしく桜の言葉にイラっとした。理由はわからないがイラっとした。たぶん、アイドルとしての意識が低いからイラっとしたのであろうと思うことにした。なぜなら彼女はかわいいポンコツな女の子だ、少しくらいの失敗は愛嬌なのだ、と。


 そう思ったところに飯塚の気持ちを代弁するようなコメントがスパチャで表示される。それも限度額の五万円を課金したコメントである。


『ええと“ずっと俺のさくらでいてください。愛してます!”ってありがとー! でもちゃんと近くにいる女の子が魅力だったらそっちに行くんだよ? そういうアドバイスならいくらでもするからね? それにスパチャは限度額じゃなくていいからね? グッズ買うお金とかにしてくれるほうがさくらは嬉しいよぉ。ウィンウィンは世の中で大切なことです。

 こういうのはお互いが嬉しいと思わないと駄目になるんだからね! 無理はダメ! 社守さくらとの約束だぞ?』


 さくらのアイドルらしい励ましに飯塚は温かい気持ちになる。彼女は優しい。高校までの女とは比べ物にならない。飯塚に対して無関心、理不尽な軽蔑、嫌悪感、理由のわからない優越感を滲ませていた女どもとは比べ物にならない存在だ。


 そう感傷に浸ったところでさらにスパチャが表示される。内容はシンプル。『さくらは男がいたことはありますか?』だ。その返事は驚くことに肯定された。しかし彼女の返答は彼女らしい返答ですぐに安堵する。


『一度だけ交際ありますよ。ただその男とはね、エッチもキスもしてません。理由はすごく簡単。なんと! この社守さくら! 初めてのお付き合いはなんとなんと五股された女のうちの一人だったのです! ……ふざけんじゃねえぞあんの穏やか鬼畜チン〇ン野郎がぁあああ!』


 さくらが怒り顔になって大を叩くバンバンバン! という音が鳴り響く。


『失礼、取り乱しました。過去を思い出しました。

 いやでもね聞いて聞いて? 学校に登校前にさ、ドッキリも兼ねてルンルン気分で彼氏のアパートに行ったらさ、知らない女の子と腕を組んでさくらの目の前に出てきたの! 殺人現場を見られた顔と見てしまった顔がガッチンコした感じ、わかる!? 

 しかもそのまま問い詰めたらさ、彼氏じゃなくて女の子のほうが“おまえまた浮気かーくおがぁあぁあああ!!??”って何言ってるかわかんないくらい発狂して男をグーパンしちゃったんだよねぇ。しかも追加で彼氏を蹴りまくったの。さくらそれで恐ろしくなってさ……逃げ出しました。

 そこで初めてのお付き合いは終了です。付き合った期間は一か月です。ある意味よかったというか何とも言えませんね。それ以降、男の人を恋愛対象としてみるのがちょっと苦手になったんですよねぇ。男性そのものが苦手というより、自分の男を見る目が信用できないんですよぉ』


 さくらは遠い目をして語る。声のトーンも悟りを開いたような妙な落ち着きがある。


『ちなみにそのあと学校、あ、短大時代の話なんですけどねこれ。学校でその女の子に話しかけられてねぇ“あいつ五股したけど元気出して”という謎の慰めをされました。さくらは死んだ魚の目で頷くことしかできませんでしたよ。

 女の子のみんな、気をつけようね? 優しそうに見える男の子は危ない、社守さくらの独断と偏見です、参考にしてください。以上! ……ん? “寝鳥竿と出会ったのはその直後ですか?”……フッ、ご想像にお任せするよ、皆の衆。クックック、フッフッフ、ハーハッハッハ!』


 寝鳥竿のことを聞かれた瞬間にさくらは焦ったような表情になったが、すぐさまヤケクソっぽい笑い声を溢れさせ誤魔化した。そしてそれを最後にその切り抜き動画終了する。


「あー笑った……そっかー、あの寝鳥竿とはそんなふうに出会ったのか……笑えるなー」


 そう、彼女は男をとっかえひっかえするビッチではない。

 飯塚はまた彼女のことを知って強く確信する。


「さて、さくらをビッチと言ったアホを言い負かさねえとなあ」


 充分に気合が戻った飯塚は、再びアンチスレを訪れて書き込んでいった。







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