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おまけの一歩


あれからコンビニへと戻ってきた私は屍に成り果てた。当時のHPはゼロを維持していた。

ミサキちゃんに質問攻めにあった事は言うまでもないが、私の口は岩の様に重く、虚無の瞳を遥か彼方へと向けていた。


たまにシンジ君とミサキちゃんがあわれもない質問をぶっ込んでくる事を除けば、いつもと変わらない毎日がやって来た。

しばらく修行僧のような働きぶりを見せていれば、彼らもモノ言いたげな眼差しを向けてくるだけで何も言わなくなった。


それもこれも、ウサギと妖怪が全く来店しなくなったからだ。

ウサギは脱皮して神の申し子になってもやって来る事はなかった。妖怪は確か一度だけ来ていたようだが、正直あまり覚えていない。ただ珍しく、苦笑いのような表情を残していった事だけは何となく思い出せた。

平穏のような、そうでないような。胸のあたりがざわざわと焦燥感のようなものがくすぶっていた。


そしてウサギの告白から一か月半。

照りつける太陽は容赦なく皆の体力を奪っていった。汗をぬぐう。いくら店内は冷房がきいているとはいえ、真夏の炎天下の陽光は店内に灼熱の光線となって降り注いでいる。

ヘドロと化すミサキちゃんとシンジ君をしり目に、私は入り口から遠い食品コーナーでお弁当類を補充していた。

ふと私の元に影ができる。お客様が後ろに立っているのだと思い、謝罪を口にして体を退けようとしたら慌てた声が制した。


「お、お仕事中にすみませんっ。どうぞ、そのまま続けてください」


振り返れば、神の申し子改め、良知雄介が気恥ずかしそうに私を見下ろしていた。


「いらっしゃいませ」

「……あ、どうも、いらっしゃいました……」


なんだそれは。

次に会ったときどんな顔をすれば良いのかと思い悩んだ日々は一瞬にして風化した。


「お弁当ですか?」

「……あ、いえ」

「チュッパチャプスですか?」

「……あの、」

「何をお買い求めでしょうか」

「…………チュッパチャプス1つください」


レジへ向かう私の後ろを彼はとぼとぼとついてきた。

ミサキちゃんとシンジ君はギラついた目をこちらへ向けている。


「味は、適当でいいですよね」

「はい」


真横からの興味深げな眼差しを無視して、事務的な受け答えのみで会計を済ませる。

お釣りを受け取った彼は、商品をカウンターに置いたまま帰る気配はなかった。


「……少しお久しぶりです、刈谷さん」

「お久しぶりです。しばらく見かけませんでしたが、お仕事ですか?」

「はい、なかなか抜けられない仕事が入ってしまいまして。それも少し前には帰って来れたのですが……」

「お疲れ様でした」

「あ、ありがとうございます」


目尻を染めて彼はペコリと頭を下げた。

隣でミサキちゃんが「ガッテム……」と呟いた。


「あの、刈谷さん」

「何でしょうか」


彼がいそいそと財布から何かを取り出す様子に、私は小首を傾げた。


「……良かったら、いっしょに行きませんか?」


目の前に差し出されたチケットを凝視する。オペラのコンサートとは、また、ハードルの高いものを。


「私とですか?」

「えっ?はいっ、もちろん」

「これはどういったお誘いなのでしょうか」


どういったお誘い……。と口の中で言葉の意味を飲み込む彼は、瞬時に真っ赤に染まった。

照れるな、移る。


「ここここれは、あの、デ……」

「で?」


良知優介は緊張のあまり涙目になっている。お誘いを受けているのは私なのにうっかり応援してしまいそうになる。

ゴクリと生唾を飲み込み、顔を引き締めた彼がこちらを見据えた。


「刈谷さん、僕とデートしてくださいっ」


ちょっぴり声が裏返ったところは気付かないフリをした。

悲鳴を上げてフラリと身体が傾いたミサキちゃんをシンジ君が慌てて支えている。

大丈夫かミサキ!気をしっかり持つんだ!ダメ私、もうこのリアルに耐えられない……!俺も理解不能の脳内パンク状態だが、まだ死ぬな!これから面白くなるんだぞ!

思わず殴りたくなる寸劇をかます二人は置いておくとして。


「彼らの事は気にしないでください。暑さのあまり頭の中が少しやられちゃってるんです」

「……働く事も大事ですが、たまにはお休みもしっかりとった方がいいですよ」


いいんです。その気遣わしげな目すら勿体無い。

目を閉じるな!閉じたら最後だぞ!おい、ミサキ!……ミサキー!が聞こえたところで、彼らは空気だと思う事にした。


「オペラ好きなんですか?」

「いえ、僕もこういった場で聞くのは初めてなのですが」

「またどうして」

「…………お祝いにと、友人たちからいただいたのです」

「例の、友人たち、ですか」


お祝いとは何だと思ったが、想像するにくだらない事であるだろう。

うーん、と悩む私を彼は不安そうに見ていた。


「あの、興味ないですか?」

「ない事はないけど、着ていく服も無いですし」

「それなら僕がっ」

「プレゼントは結構です」


美しい顔が涙で滲ませる姿は破壊力抜群で。こちらはさながら犯罪者の気分だ。


「……分かりました、行きましょう」


お手上げです。服は、まあ何とかなるだろう。

ここまで一生懸命になってくれると、正直、嬉しい気持ちが勝ってしまう。

彼の事はゆっくり知っていこうと思う。とりあえずはオペラも、いいかもしれない。


「ありがとうございます……!」


ま、眩しいっ!

心底嬉しそうなご尊顔の満面の笑みは私には目の毒であった。

どっと汗が出る。やばい今持っていかれるところだった。


「良知さん、ウサギの頭部私にも貸していただけないでしょうか?」

「え?うさ子さんの着ぐるみの頭の部分ですか?」


あれはうさ子さんのものだったのかそうなのか。うさ子でもうさ吉でも、こうなったらただのウサギでも何でもいいから助けてくれと切に願った。


「あれは身を守るための鎧だったのですね。欲する立場に立たされて、その偉大さがようやく分かりました、ウサギの頭部」

「……そ、そうですか?」


キラキラとした不可視のオーラを発しながら、美しい男は目を瞬かせた。








良知雄介は今日も来る。

私を好きだと言った口で、しどろもどろになりながらも自分の言葉で話しかけてくる。

そんな一生懸命さに絆されてきている自分に気づいてはいるが、私は己の中に生まれた感情が何であるのか図りかねている。

良知さん、と名前を呼んだ時のとろけるような笑顔は、今でも頭に張り付いて離れないでいるから困ったもんだ。


ミサキちゃんとシンジ君に神の申し子の正体が爆走ラビットであると知られたときは、人間ってわからない……と、高校生らしからぬ悟りを開いていた。ついでに生温い目で見てくるものだから、妖怪の件も踏まえて一度本気でげんこつをおみまいしてやった。

店長はさすがというべきか、初めからウサギの正体に気づいていたようである。あの雰囲気では、良知雄介が来店し始めた頃とか、彼の空回り具合とかも分かっていた節がある。それらをすべて慈愛のほほ笑みで覆い包んでいるのだと、あらためて拝み奉った。


妖怪は、相変わらずいやらしい視線で私を絡めとってくる。一時姿を現さなくなったが、忘れかけたころに奴は再び来店するようになった。

脳内で妖怪呼びをするだけでも悟られていそうで怖いので、不本意ながら志崎さんと呼ばせていただいている。

良知さんと志崎さんはお互いの存在を認識したあの日から平日土日問わず来店するようになった。私の勤務時間を考えれば、二人が鉢合わせるというバックドラフト現象はたまに起こった。

そんな時は決まって、一枚上手の志崎さんが良知さんをへこませて、ついでに私の精神面が削られる事となる。でも最近は、志崎さんはただ楽しんでいるだけのようにも思えた。


―――刈谷さん、俺はね、靡かない猫を少しずつ懐柔していくのが好きなんです。ただそこに猫にとっての別の一番が現れてしまうと、とたんにやる気を無くすんです。―――


ただ無償に腹は立つので、最後まで悪あがきしようとは思っていますよ。

と、続けて言ったときの志崎さんの顔は、今まで見た中でも本当に素直な笑顔に見えた。


はらはらと雪が降り始めた。かじかんだ手に息を吹きかける。

街中のイルミネーションがきらめき、連なるショウインドウが夜を明るくしていた。


「すみません!待ちましたか?」


急いで来たのか、白い息を大きく吐き出す彼は涙目だ。


「すごく待った」

「……えっ!」

「嘘。今来たとこ」


慌てた様子が面白くて笑えば、彼もふわりと笑った。


「でも寒いから早く行こう」


自然に私の横に並ぶ彼をふと見上げた。

私の変化にすぐ気がつく彼は、優し気な瞳で見返してくる。


「どうしました?桃子ももこさん」


いつから私はこの顔を見るとほっとするようになったのだろう。

その答えは、もうすぐ目の前にある。


「ねぇ、良知さん。もうちょっとだから待っててね」


不思議そうにする良知さんから目を離し、冷たくなっている彼の手をとった。

途端に体温の増す体は、今は二人分になった。






刈谷桃子かりやももこ

大学生

ショートボブ


良知優介らちゆうすけ

モデル

長身美形


志崎悠しざきゆう

サラリーマン

エリート眼鏡


ミサキちゃん

いまどき女子高生

恋に貪欲


シンジ君

いまどき男子高生

道楽に貪欲


店長

崇拝対象



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