30.結納
福田さんは雇われ店長になった。
真白嬢の婚約者の小野寺冬馬が経営するカフェチェーンの、新しい店舗で働くことになったのだ。
兄貴さんも同じく雇われた。
ここで独立することを夢見て、頑張るそうだ。
幸太郎さんは曰、小野寺家は謹厳実直な家柄なので、福田さんを搾取したりすることはないので安心出来るそうだ。
それどころか、ノウハウを教えて、独立した際にはコーヒーや紅茶などの飲み物関係で力になってくれるつもりらしい。
「福田さんも、運がいい人だよ」
二人で福田さんのカフェに、で……デートしに行った帰り、幸太郎さんは呟いた。
紙屋さんに行ったのだ。
幸太郎さんから貰った一筆箋が女子社員からのものだと聞いていたのがずっと嫌だったのだ。
そうしたら幸太郎さんに「お孫さんもいる女子社員だよ。雪花ちゃん、会社には若い娘しかいないと思っている?」と笑われた。
そうならそうと初めから言ってくれればいいのに。
嫉妬していたみたいに聞こえるじゃないの!
そうやって私を騙すんだから!
でも、彼はその女子社員さんに、お勧めの可愛い便箋を売っている紙屋さんを、わざわざ聞いてきてくれたのだ。
「雪花ちゃん、気に入っているみたいだったから。君は字が綺麗だから、紙とか好きだろう? どう? 一緒に行かない?」と誘うために……。
嬉しかったけど、どうしてもお礼を言えなかったので、精一杯、可愛い格好をしてデートに臨んだ。
考えすぎて、眠れずに目の下に隈が出来たけど、服装は可愛いはずだ。
それに、幸太郎さんも満足してくれたようだ。
「もっとも、俺が一番、運がいい、そうだろう? 雪花ちゃん?
なんたって、こんな可愛い子と付き合ってるんだから」
満面の笑みで断言された。
こんな素敵な人に、そこまで言われて嬉しくないはずがない。
なのに、口から出る言葉は真逆だ。
「何言ってるんですか! 幸太郎さんって本当に……ヘラヘラしちゃって、恥ずかしい人!!!」
繋いでいた手につい、力がこもる。
「雪花ちゃんって、ツンデレだよね。
俺さ、そういう趣味になりそう」
「どういう趣味ですか?」
「え? いじめられると喜ぶ的な?」
私のせいで、幸太郎さんにはどんどん変な趣味が加わっていく気がする。
一刻も早く素直にならないと。
「結納の日取りが決まったけど大丈夫? 後悔していない?」
「勿論です。
逃げも隠れもしませんよ!
そっちこそ、無能だからって理由で婚約破棄させませんからね」
「また、そんなことを言う」
「―――未だに卵焼きが上手に出来ないんですもの」
式部邸に出入りしている一流の料理人に頼みこんで、卵焼きの練習をしているのに、どうしてもスクランブルエッグの域を出ない。
横目で見ていた父の方が上手に出来るようになってしまった。
「まぁ、それは……追々。
俺も似たようなものだし」
さすがにそこは絶賛はしてくれなくなった。
私と結婚するにあたり、幸太郎さんも花婿修業中なのだ。
なにしろ、ずっと実家住まいな上でに、優しい母親に甘やかされて育ってきたので、こちらも家事が苦手ときたものだ。
二人で暮らしたらとんでもないことになるだろう、というのが大方の予想だ。
かといって、益子さんは「面倒みきれないから嫌〜」とあっさり同居を拒否してしまった。
源一郎さんは残念がったが、幸太郎さんは積極的に動き出して、結婚はまだ先だというのに、新居を決めてしまった。
その内、そこで一人暮らしを始めるつもりだそうだ。いつかは家を出たいとは思っていたらしいが、母親の様子を気にして出来なかったらしい。
今はその心配もない。
益子さんは、きっと分かって突き放したのね。
そういう『ツンデレ』は気持ちがいいけど、私の『ツンデレ』は自分でも可愛くないと思う。
幸太郎さんは不快に思わないのかしら?
彼はあくまで私に気を遣ってくれる。
可愛くないお嫁さんの為に、幸太郎さんは新居のインテリアはシンプルにしているのだ。
「あとから雪花ちゃんの好きなようにすればいいよ」とのことらしい。
ハワイでもベルサイユでもなく、私の好きなように……。
想像したら楽しくなってきて、ついインテリアの本なんて買ってしまった。
買ってから思った。これ、無駄遣いかも。
反省して幸太郎さんに報告したら、「そんなことないよ」と破顔された。
そこで調子に乗って「北欧風とかどうですか?」と、提案したら、怪訝な顔をされた。
「なんで北欧風?」
「―――幸太郎さん、ツンドラ気候っぽい見た目だから、南国より北国かなって」
そう言うと、爆笑された。
「ツンドラ気候の男のところにツンデレ娘が嫁いでくるの!? おっかしいね」
どこが?
何? その源一郎さんでも言わないようなおやじギャグ。
思った通り、幸太郎さんの笑いの沸点は低かった。
申し訳ないけど福田さんから貰った落語会の招待券は別な人を誘おう。
これ以上、笑ったら、過呼吸をおこしちゃう。
「ねぇ、雪花ちゃんの為に、畳の部屋があるマンションを買ったよ」
「畳……!」
幸太郎さんは私より、私を知っている。
南国も北国もいいけど、住み慣れた畳の方が、私にはいいかも。
先のことだけど、『私たちの家庭』の形がだんだん出来てくる。
これが結婚するということなのね。自分たちでなんでも決めないといけなくなる。
私、頑張って幸太郎さんの面倒もみきれるくらい自立してみせる。
おかずの味付けは濃くもなく、薄くもなく、そしてお味噌汁は白味噌よ!
正式に結納を交わすことになった私に、母は着物を仕立てたがったが、断った。
家中の箪笥の中をひっくり返し、やっとのことで見つけた着物を見せた。
「これを着たいの?」
「はい。いけませんか?」
畳紙に包まれた赤地に総刺繍の宝尽くしの着物は、まだ肩上げがされたままだった。
それはしばらく見つめたあと、母は頷いた。
「そうね、おめでたい柄だし結納の席には相応しいかもね。
そう言えば、これも雪花ちゃんの成人式にいいかもしれないと思って仕立てたような気がするわ。
―――どうして、一度きりしか着せなかったのかしら?」
それはね、お母さま。
この着物を着て行ったお琴の発表会で、円方時乃と取っ組み合いの喧嘩をしたから。
幸いにも汚れはついていなかった。
肩上げを外せば、今の私にピッタリだ。
結納の席に、この着物を着て現れた私を見た時の幸太郎さんの顔を、私は確認できなかった。
終始、顔を伏せてしまったからだ。
肝心なところで意気地なしの自分だ。
全てのやり取りが終わった後、式部の庭を二人で歩くことになった。
所謂「あとはお若い二人に〜」というものだ。
それは見合いの席であって、結納を交わした二人には必要が無い気がするけど、幸太郎さんといられるのはいつでも良いものだ。
人がいないと、素直になり易いし。
そうだ、私は今日をきっかけに、もっと素直になろうと思うのだ。
「幸太郎さん……あの、こ、この着物、どうですか?」
「うん……」
煮え切らない返事だ。
決心したものの、イラっとする。
折角、この思い出の着物を探して、幸太郎さんの為に着たのに。
でも、思い直す。
誰かのせいとか、誰かの為とか言うのはやめよう。
私がこの着物を着たかったのだ。
「あのね、この着物、どうしても今日、着たかったんです。
幸太郎さんと初めて会った時の着物だから。
覚えてないけど……だけど、思い出の着物でしょう?
―――喜んで欲しくて」
「うん……」
「もーう! 聞いてますか!!!」
「うん。すごく……嬉しくて、言葉が出ないよ」
どうやら感極まっているらしい。
そういう所が、可愛いとも思う。
愛しい人の前に回り込むと、何事かと驚く彼に、勢いよく抱きついた。
「うわぁ!」
よろけつつも、それでもしっかりと抱き留めてくれたのはさすがだ。
「私ね、幸太郎さんのこと、大好きですよ!
あなたと婚約出来てとても嬉しいです!」
そう告白して、爪先立ちをして頬にキスをした。
「―――ありがとう。ありがとう、雪花ちゃん」
幸太郎さんがニッコリと笑って、力強く抱きしめ返してくれた。
やっぱり、ちょっと痛いけど……言わないでおこう。




