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15.水難

「で、一体、何を流したの? 雪花お嬢さまは……」


 手にラバーカップという、柄に黒い半球状のゴム製品がついた道具を持った幸太郎さんに問いただされた。


 廉さんの手紙は薄手の紙だったが恋々と何枚にも渡って書かれていたせいで、細かくちぎってもかなりの量となり、トイレが詰まってしまったのだ。

 何回にも分けて流すべきだった。

 最後の方に面倒になって、ほぼそのまま丸めた状態で流してしまったのも問題だったのだろう。

 トイレって……どんなものでも、レバー一つで、すっきり綺麗に流してくれるものと思ったのに。


 自室のトイレが溢れだし、大慌てしている時に、幸太郎さんが帰ってきて、彼は仕事用のワイシャツを腕まくりしたまま、詰まりを解消してくれた。

 

 紙を流したのだ、とだけ白状すると、彼はラバーカップを止め、素手を突っ込んで、それを取り除いてくれた。

 すごい……。


 しかし、ちぎるのを手抜きした手紙の一枚は、ほぼ原形をとどめて回収されてしまった。


「テスト用紙……じゃ、ないよね」


 それにしては、紙が優雅すぎますものね。

 どう見ても、特別な内容を書くときに使う紙だ。


 おかげで、水に濡れても崩壊せずにトイレに詰まり、そのまま取り出されてしまった。


「ごめんね」


 私が説明に躊躇していると、幸太郎さんは短くそう言って、手の中の紙を広げた。


「やっ……!」

 

 「……めてください」と続ける前に、彼の顔が険しくなるのが分かった。


 あれはどの部分だったろう。

 『新堂幸太郎なんか捨てて、私とやり直そう』とかいう部分でなければいい。

 それから『君は好きなのは私のはずだ』という勘違いはなはだしい部分も困る。

 『もう一度会って、愛を確かめたい』も駄目だ。

 なぜ、ちゃんと細かくちぎっておかなかったのかしら!


 どの文が当たったのかは分からないが、幸太郎さんはボソっと「コンロで焼こうとしなかっただけは、まだマシだったよ」という慰めなのか、諦観なのか分からない台詞を吐いた。

 

「すぐに夕飯だから……下に降りてきて。

俺は、手を洗って、着替えないといけないから、先に行ってるんだよ」


 夕飯前に、綺麗に掃除してあるとはいえトイレに、紙とはいえ手を突っ込む羽目になった幸太郎さんに、心から申し訳なく思った。

 なのに、感謝の言葉も、謝罪の言葉も、言えないまま、夕飯の席になってしまった。

 食べ終わったら、「仕事が残っているから」とすぐに自室に引きこもってしまうし。

 

 朝のひどい卵焼きに、夕方のトイレ騒動……駄目だ。

 私ったら、いい所、無しすぎる。


 ようやく一枚も割らないようになった食器拭きをしていると、益子さんが頬を紅潮させて私を手招きした。


「どうしたんですか?」


「これは雪花ちゃんによ」


 紙を一枚渡された。

 卵の殻を頭に被ったり、お尻につけたりしているひよこが散らされた一筆箋だ。

 なんだろう?

 

 そこに書かれていた文字を見た瞬間、新堂の家から、また一枚、お皿が失われた。

 私はそのうち、毎晩皿を数える羽目になるかもしれない。


「すみませんっ!」


 拾おうとして止められた。


「ああ、駄目よ。幸ちゃんに叱られちゃう。

ここは私がするから、雪花ちゃんはあっちでお手紙、読んでいなさいな」


 また体よく追い払われた気がするけど、私は逸る気持ちを抑えきれず、居間に行く。

 源一郎さんが野球を見ていた。

 私も見るように勧められたけど、今回は遠慮して、自分の部屋に駆け込む。




『卵焼き、美味しかったよ。幸太郎』



 幸太郎さんから手紙を貰った。

 『美』のはらいが長くって、『太』の点が勢いが良い、正真正銘の幸太郎さんからの手紙だ。

 益子さんへの手紙は、付箋なのに、私にはきちんとした一筆箋を使ってくれた。

 しかも、卵焼きにかけて、ひよこ柄だ。


 風流なところもあるのね。

 

 思わず顔がニヤケる。


 べ、別に幸太郎さんから手紙が嬉しい訳じゃない。

 頑張りが認められたのは、誰だって嬉しいことだ。

 この感情はそれ以上でも、以下でもない。

 

 

 でも、明日も卵焼きを作ろう。

 ついでにお手紙もつけたらどうかしら?


「午後からもお仕事、頑張って下さい、とか?

……って、嫌だ! それじゃあ、新婚さんみたいじゃない!!!」


 自分の思いつきに憤慨してしまった。

 幸太郎さんは偽装嫁にそこまで求めてはいないだろう。


 だけど……うん、そうね。

 私、書道は得意なの。

 この家に、墨と硯と紙があるかしら。


 益子さんに尋ねると、「筆ペンなら……」と出して来てくれた。

 紙は仕方が無いので、ノートを破った。

 我ながら惚れ惚れするほど綺麗に書いた。

 どうだ! ただの無能じゃないのよ!

 華道とか茶道とか、そういう特技なら、いっぱいもっているんだから。

 これは自慢よ、じ・ま・ん。

 やや悪筆の幸太郎さんに対する、ちょっとしたあてつけであって、励ましの手紙じゃないの。


 『午後からもお仕事、頑張って下さい。雪花』


 少し考えてから、都子とやりとりする時にしているように、ノートを折った。

 ハート型……は止めておこう。

 可愛いけど、誤解されるから。

 幸太郎さんにはワイシャツ型でいいだろう。

 お仕事関係の手紙な訳だし。



 朝に、やっぱりスクランブルエッグになった卵焼きもどきだったけど、幸太郎さんには見せなかった。

 急いで蓋をすると、手紙を添えて、お弁当袋に入れ、何食わぬ顔でテーブルに置いておいた。


 いつも自分が準備するお弁当が、今朝に限って出来上がっているのを見て、不審そうな顔をした幸太郎さんは、私を見た。


 なによ! 私がいっつも変なことをすると思ってるんだわ! 

 失礼しちゃう!


 手紙なんか書かなければ良かった。

 今から取り返そうとしたら、幸太郎さんに益子さんが何事か囁いた。

 

 彼はニヤっと笑うと、私に奪い返される前に、自分の鞄にお弁当を入れた。




 その日の夜、戻ってきたお弁当にも、私宛の手紙が入っていた。

 今度は可愛いウサギの一筆箋だった。

 これ、どこで買っているのかしら?

 私も欲しい。

 聞いたら、そういうのが好きな女子社員に貰った……と答えられた。


 なんだ……そうか。

 幸太郎さんが選んで買ってきてくれた訳じゃないのね。

 どうりで可愛いと思った。

 別に……残念なんかじゃない。

 忙しいのだもの。偽装嫁に、そこまで手間をかけたくないのは当然だ。

 だったら付箋でも良かったのに。

 他の女性に貰った一筆箋よりも、事務的なピンクの付箋で十分だったのに―――幸太郎さんの馬鹿。

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