11.疲労
「お帰りなさい! どうだったの? 雨宮家のお茶会は……」
益子さんが幸太郎さんにおずおずと尋ねた。
こちらに目を合わせる気はないらしい。
「悪くなかったですよ」
そうでしょうね。
あなたはご満足でしょうね。
私を自分のものみたいに引き回して、いろんな人間と交流するパスポートにした。
これが役目と分かって臨んだけど、やっぱり利用する為に婚約されていると思うと、予想外に傷ついている自分がいた。
小野寺・雨宮組と八平・六辺組を目にしたせいだ。
あれが何らかの利益の上に成り立っている政略結婚同士だったら、まだ私の気持ちは晴れていたに違いない。
帰って来てからも、新堂夫妻に見せつけられる。
今日の外出はさぞかし楽しかったのだろう。
怯えてはいるものの、顔の艶とか紅潮した感じで、それくらいは分かるようになっていた。
「あの、あのね……雪花さん……」
益子さんが震える手で紙袋を差し出した。
「なんでしょうか?」
疲れて、神経が苛々していたけど、なんとか押し殺して、優しく対応したつもりだ。
「―――お土産を……買ってきたの」
「私に!?」
驚いたせいで、声が高くなってしまった。
益子さんの手から紙袋が落ちた。
「すみません。驚いて……嬉しいです」
紙袋を、さも受け取ったように、拾い上げた。
中にはサンドレスが入っていた。
「今日ね、とても楽しかったの……それで、雪花さんにも……お土産をって……」
「ありがとうござます!」
ハワイアンカフェに物販もあったらしい。プルメリアの柄が可愛いピンクのサンドレスだ。
これからの季節にピッタリだし、何より、私に益子さんがお土産を買ってきてくれるのは嬉しい。
物を貰うのに抵抗があるとは言え、その気持ちは前向きに捉えたい。
なのに、益子さんはひたすら謝りはじめた。
「ごめんなさいね。やっぱり気に入らないわよね」
「いいえ、とても嬉しいですよ。ありがとうございます」
「そうよね……こんなおばさんの趣味じゃ、式部家のお嬢さまが気に入るはずが―――」
「いい加減にして下さい!」
そこでついに、私の我慢の限界が来てしまった。
私は見慣れぬ人の中に一日中居て、神経をすり減らし、本当の幸せを見せつけられ、自らの醜さを認識させられ、傷つき帰って来たのだ。
慰めて欲しいなんて贅沢は言わない。
せめて、そっとしておいて欲しい。
こんなのなら、お土産なんかいらない!
「……雪花さん……」
「どうして私のこと、信じてくれないんですか?
私は益子さんのこと、見下したり、蔑んだりなんかしていません。
益子さんは素敵な人です。
ご主人や息子さんが、どんなに大切に思っているか!
それは益子さんにそれだけの魅力があるからです!
どうして自分のこと……自分の幸せが分からないんですか?
―――益子さんこそ、私のこと……酷い女だって馬鹿にしてる!」
「そ、そんなこと……」
「そうですよ! そうなんです!
私が高慢ちきで意地悪で、最低な女だと思ってるのでしょう?
そっちの方がよっぽど失礼です!
私はこの家に馴染もうと、頑張ってきました。
本当は赤みその味噌汁なんか大っ嫌いだけど、それがこの家の味だと思って我慢して飲んで来たし、益子さんにも気に入ってもらいたいって、手伝いも申し出てきました。
でも、益子さんは私に何も任せてくれなかった。私を信用していないからです。
もう嫌! こんなの最低!
そんなに私のことが嫌いなら、この家から追い出して下さい!!!」
重ねられた着物の上から蔵の鍵を握る。
家に帰ったら、あそこに眠る品々を漁ろう。
今日の様子を見れば、掘り出し物が見つかるかもしれない。
見つからなかったら……?
ゾッとして、居間を見渡すと、唖然とした益子さんの顔と、ビックリして私を見る源一郎さんと……口の端にうっすら笑みを浮かべる幸太郎さんが並んでいた。
ここで笑う所か!?
家に帰りたいけど、帰れない私は、『自室』に駆け込んだ。
過剰なフリルで心安らげない私の部屋。
せめてもの抵抗に、飾られていたビスクドールを大きな紙袋に全部押し込み、クローゼットに隠した。
幸太郎さんと買い物に行った時の紙袋だ。
買い物中、彼は私にそれを持たせなかった。
クローゼットに備え付けられた鏡に、自分の姿が映った。
髪が乱れて台無しだ。
結い上げた髪の毛をほどき、ついでに着物を脱ぐ。
高価な着物をぞんざいに放り投げた所で、ドアがノックされる。
久保田さんだろうか?
服も着ていないし、誰とも会いたくないので無視していると、ドアが開いた。
ちょっ……!
慌てて、脱ぎ捨てたばかりの襦袢を羽織った。
それで良かった。
入ってきたのは幸太郎さんだった。
「勝手に入ってこないで!」
急いで前を掻き合わせ、紐を結んだけど、心もとないこと限りない。
私の姿を見て、幸太郎さんはたじろいだものの、出て行ったりはしなかった。
「馬鹿な真似をするんじゃないかと思って……」
「どうせ私は馬鹿ですよ!」
「……雪花ちゃん、落ち着いて」
大事な母親に反抗して、怒られると思ったのに、意外と幸太郎さんは冷静だった。
そうね、さっきも笑っていたくらいだものね。今も笑ったわね。
私の肩に手をまわすと、猫足のソファーに座らせた。
「雪花ちゃん、よく言ったよ」
「えっ!?」
まさかの褒め言葉だ。
「母もたまにはガツンと言われないとね。
実際、君への態度はあんまりだったよ。
でも、俺も父さんも、母さんには言えなかった。
このままずっと、波風を立てずに生活してもらうことばかり考えてた。
それじゃあ、駄目だよね。
君の言う通り、母さんはそろそろ自分の自信を取り戻さないと」
「――いいえ、やっぱり私、ひどいことを言いました。
あんな風に責めるつもりなんか……なかったんです。
でも―――」
疲れていて、他人の幸せを見るのが辛くて――そう、続けられなかった。
そんなの、自分勝手な言い訳だ。
知らぬ間に抱き寄せられていたらしい、幸太郎さんの身体の熱が伝わってくる。
それどころか、何? 今、こめかみにキスされなかった!?
「なっ! 嫌だ、触らないで!!!」
押しのけようとしたけど、ビクともしない。
このっ!
振り上げた右手も掴まれ、さらに密着する羽目になった。
「母も反省しているよ。
殊更、家庭内に波風をおこしたい訳じゃないけど……家族になるには、互いの意見をぶつけ会う時もあるだろう。
自分を責めすぎないようにね」
抱き寄せられ、耳元で甘く囁かれる。
「……優しくしないで下さい……」
優しくされると、自分の惨めさが増す。
あと、何か裏があった時に、騙された感が半端なくって、落ち込むから……。
「ふーん、君ってそういう趣味なんだ」
「そういうって?」
「苛められて喜ぶタイプ?」
「―――!!!」
何言ってるの! この男!!!
身体は動かせない代わりに、目の前にあるその喉笛、噛み切ってやりたい!
からかって満足したのか、もう一度、優しく蕩けるように耳元で言われた。
「ねぇ、雪花ちゃん、出て行くなんて考えないで」
「―――出て行きませんから……離れて!!!」
怖い。
薄い襦袢一枚しか身に着けていないせいか、幸太郎さんの熱さが強く感じる。
この熱が……私の身体も溶かしてしまいそうで怖いのだ。
「そう? 約束だよ。
いい子にしてるって」
「―――はい」
「じゃあ、これも俺が預かっておこう」
「!?」
私の思考を奪っている間に、男は首に掛けていた鎖を外していた。
胸元から鍵が引きずりだされた。
熱源もすばやく私から離れた。
「返して!!!」
立ち上がって手を伸ばすけど、届かない。
私の最後の一発逆転の希望が!
今度も騙された!!!
私って馬鹿? なんでこんなに簡単に騙されてしまうのよ!
「駄目だよ。
これは俺が預かる」
幸太郎さんはこれ見よがしに、鎖に繋がった鍵を自分の顔の前で揺らし、まだ私の温もりが残っているだろうその鍵に口を付けた。
「やっ……やめて」
自分に直接触られた訳ではないのに、とても恥ずかしい。
「代わりに君にしてもいいなら」
またその二者択一なの?
泣きそうになる。
この人は、私自身のことなんてこれっぽちも好きじゃないんだ。
欲しいのは家柄。
と、両親が集めた掘り出し物の逸品。
私は、おまけだ。
おまけなの?
「私のこと……好きですか?」
感情が揺れまくった一日の締めくくりに、私は錯乱してしまった。
「―――え?」
幸太郎さんの顔から『笑い』を消すことは成功したが、私は自分がとんでもないことを聞いてしまったことに、瞬時に気が付いた。
「なっ……なんでもないです!!!」
ぐいぐいと幸太郎さんを押すと、あっけないほど簡単に動いた。
そのまま扉の外に締め出す。
「なんでもないですから! 今の質問は忘れて下さい!!!」
「雪花ちゃん……俺は……」
「出てって、早く!!!」
鍵が付いていないドアの前に、ソファーを立て掛ける。
しばらくノックの音が響いて、何か声がしたけど、私は布団を被って、その全てを締め出した。
そして、そのまま眠ってしまったらしい。
起きると、翌日のお昼になっていた。
扉は蝶番ごと外され、ソファーは元の位置に戻っていた。
脱ぎ捨てた着物も、小物類もなくなっていた。
しまった……あの帯留めとかんざしだけでも、死守すべきだった。
お金になりそうというだけでなく、母との思い出の品だったのに。
ああ、つくづく自分の愚かさに嫌になる。
一番嫌なのは、幸太郎さんに期待してしまう自分だ。
あんな嫌な人なのに、どうして、他の婚約者たちみたいに、愛情を持って欲しいと望んでしまうのかしら。
「私のこと、好きですか?」
布団の中で呟いた。
うわぁあああああああああああ!!! 忘れたい!!! 忘れてぇええええ!!!
身を悶えること数分、さすがに阿保らしくなってきたので、起き上がって身支度をすることにした。
今日からは、もっと気を引き締めて生きて行こう。
幸太郎さんなんかに期待しない。絶対に。




