50話 声
その声に、まるで時間が止まったような錯覚を覚えた。
俺の心に直接語りかけるような声が、現実の状況を嘲笑うかのように脳内に反響する。
「な——にが!?」
——クク……記念すべき初の会話だってのに、随分なご挨拶だな。
姿は見えないのに、どうしてか声の主は近くにいる気がする。
目を開けているはずなのに、一瞬、今の自分のいる場所がわからなくなった。
「……妄想に逃げている場合じゃない」
——ケケケ、つれないねぇ。薄々わかってんだろ? これはお前の都合のいい妄想じゃねぇよ。
「今までにも何度か声が聞こえた。あれは、お前だったのか?」
——御託はいい。今お前が成すべきことはなんだ?
「くっ、俺の……」
刹那——脳内が透き通ったように思考が導かれた。
認めたくはないが、これが現実で起こっていることだと納得するしかない。
——あの日、誓ったんだろ?
「……こんな、わけがわからないまま終わってたまるか!」
そうして俺は、俺の意志で魔導撮影機を仮面へと向けた。
「……最初からそうしていれば良かったものを」
「……」
「なにがおかしい」
笑ったつもりはないんだけどな。
カシャッ!!
「——!」
そこでようやく、自分の口角が上がっていることに気づいた。
既に再装填が完了していたシールドをスロットから抜き、現れたカードを効果も見ずに装填する。
「“リフレクション・ペイン”!」
撮影機に光が宿った。
「この土壇場で撮影したか」
仮面が瞬時に距離を取り、背丈ほどもある長刀を構えた。
その場所すらも間合いだと言わんばかりの威圧感。
「……効果を見るべきだったか」
攻撃カードであれば油断している最中こそが最大の好機だと思ったのだが、どうやら違うらしい。
気のせいだろうか、身体が重い。
例えるなら、体調を崩した時に感じるそれだ。
芯の熱を奪われ続けているような、そんな感覚。
「——だが、甘く見たな」
「……なっ!」
次の瞬間、刀が俺の間近に迫り来る。
刺突——だとしても、あまりにも速すぎる!?
「言ったはずだ。その腕、貰い受ける」
そうして無情にも、動きの鈍った俺の左腕へと剣先が届き——
シュンッ! と、不可解な音が聞こえた。
「——!」
俺はなにもしていない。
だが仮面が手にしていた刀が、突然悲鳴のような音を立てて粉々に砕け散った。
足元へと転がる破片は刹那に粒子へと還り、やがて跡形もなく消えていく。
「発動、したのか……」
身体が軽い。
負傷した左腕は痛むが、カードを発動した際に感じた違和感は嘘のように消えていた。
「……偶然、いや、狙ったかのような撮影。なるほど」
仮面が、砕けた破片でも探すように下を見ながら呟く。
そうして再び、俺を見た。
「——ッッ」
それは——
「ガゾンの報告は信じがたいものだった。だが先刻の様子を見て、それは大風呂敷だと結論づけようとしていた」
仮面が見せた、初めての——
「だがこの状況すらも楽しんでいるような、その異様な顔つき。あまりにも出来すぎている先の撮影。そして、私のカードを予期していたように対応した柔軟性。……やはり、貴様は放置しておくには危険すぎる」
——明確な、俺への殺意!
「……お前はここで死を遂げる」
仮面は静かに言い放つと、一枚のカードを取り出した。
ぞわりと全身の毛が逆立ち、俺の身体の奥底が、なにかを訴えかける。
これは、この感じは——ヤバい。
カードから溢れ出した靄は、瞬く間に仮面の全身に纏わりついていく。
そうして全てを呑み込まんと覆った靄が、意志を宿したように一斉に発生源へと還ると、瞬く間にカードの色が変化した。
残されたのは、黒色のカード。
まさしくそれは——
「闇の、カード!?」
「……」
仮面が、どこか躊躇うようにカードを見つめる。
だが、それも一瞬のこと。
俺が撮影機を握ると同時に、装填を終えた仮面は告げた。
「——“デス・フィー・ロアー”!」
「っ……!」
衝撃はない。
なにをされたかと身構えたが、不発だったのか?
その瞬間。
ドクンッ……ドクンッッ——!!
「——が……ぁ……っっ」
膝から力が抜け落ち、地面が俺を迎えてくれる。
かろうじて動く指先が、落とした撮影機に触れた。
だが握るための力も、声を出す力も、もう残されていない。
まるで、生きるために必要なものが身体から抜け落ちてしまったようだ。
そうして、視界が暗くなっていく。
身体の感覚が、完全に失われていく。
もう一呼吸すら、出来なく、なって。
こんな、はずじゃ……どう、して、お、れ、は……。
俺の、生命活動は、こう、して、おわ——
「——バエル、さん」
「……」
これはきっと、最期の奇跡。
もう聞こえないはずの声に、もう動かせないはずの口で応えようとした。
どこか懐かしい、俺が守らなければならなかった少女を想い、もう流せないはずの涙が零れ落ちる。
——ドクンッッ!
刹那——機能が停止しかけた俺の身体を、温かいなにかが包み込む。
こんな状況なのに、思い浮かぶのはあの時の顔だ。
そう言えば、全てはあの日から始まったんだったな……。
……会いたい。
……会って、もう一度見せてほしい。
「……セ……ツ」
「……馬鹿なっ、受け切っただと!?」
視力が戻り最初に目にしたものは、片膝をつき、胸を押さえながら激しく息を吐いている仮面の姿だった。
それを無意識に眺めていると、身体に電気が流されたような衝撃が奔り、肩がビクンッと跳ねた。
そうして俺は再び起き上がることができた。
しっかりと撮影機を握り、辺りを見渡す。
当然、思い描いた人物などいるはずがなかった。
——ケケ、命拾いしたな。
また、あの声だ。
——そのカードに助けられたってわけだ。
「……どういう、ことだ」
言葉も問題なく話せる。
だが、それよりも。
「……仮面がカードを発動してから、いったいなにがあった。それに、今の言葉は」
——だから教えてやってんだろ。お守りみたいに後生大事にしていたカードがなければ、お前はもう死んでいたんだ。
「……なぜ、そんなことが言い切れる」
——わかるさ。あの撮影の時、俺がどこにいたと思ってんだ?
俺は咄嗟に、カードスロットに視線を送る。
「……テキストが記されている!?」
——それにしても傑作だな。どれだけの関係性かと思えば、ククッ……当の本人がこんなじゃ、あの娘も救われないな。
「……なにが、言いたい」
——あの娘が神殿で目立った後、お前誓ってたよな。「変わりたい、それがケジメ」って。薄々感じてたんじゃないか? 自分のおかしさに。
コイツは、なにを言ってるんだろう。
付き合っていられない。
——ケケ……ケケケ!
「……仮面が動けない今のうちに」
——今のお前に、なにが出来るんだ?
聞いていて無性にイライラする声を無視する。
そうして再び撮影機を見たが、全てのスロットが再装填待ちのカードで埋め尽くされていた。
——お前はいつだって、自分は最後にはなんとかなると思い込んでいる。
その瞬間、胸の奥で小さな爆発が起こった。
——前の世界でもそうだったみたいだな。落ちぶれた自分を認められずに、「俺は最後の最後には上手くいく」と、いつだって自分を誤魔化してきた。さすがのお前もここに来た当初は、それどころじゃなかったようだが……ケケッ。
爆発は止まらない。
あらゆるものを巻き込もうと誘爆し続けている。
——だがあの女と出会い、撮影した時に、お前はこの世界こそ自分が変われる場所だと思い込んだ。
「……やめろ」
ずっと向き合ってこなかったものが、すぐ目の前まで迫っていた。
——チャンスはいくらでもあった。それでも結局、お前は本当の意味で変われなかった。
「やめろ!!」
——そうしていつの日かお前は、こう考えるようになったんじゃないか? 自分はここでは特別な存在。だからこの世界で自分は死なない、死ぬわけがない。
「違う!! そんなつもりはない! 他人を見透かしたように、勝手に決めつけるな!!」
——ケケッ、違いない。違いないな。
——だが、当たってるだろ?
その声が、焼け野原となった胸の奥に深く、深く。
深く深く深く深く、どこまでも沈んでいく。
——その救いようのない勘違いが、この現状を招いた。
認めてしまえば、自分を保っていられなくなる。
「……俺、は」
——お前は自分が思っているような存在じゃない。
俺を形成していたものがバラバラにされていく。
どんな時でも俺の中にあった、かけがえのないものが消え去ろうとしている。
取り戻そうと必死になって手を伸ばすが、どうしてかそれには手が届かなかった。
「……ッ! 貴様、気でも狂ったのか? だがおかげで、私も目的を遂行できる」
前方では、胸を押さえつつも体勢を整えた仮面が自分の撮影機に触れている。
燦然と輝く白銀の障壁が目に映った。
このまま攻撃のカードを使われたが最後、今度こそ俺は殺されるだろう。
——ケケケッ、喜べ。お前はある意味特別だ。
「お前は……お前は、いったいなんなんだ!?」
すると、突如声はノイズがかかったように歪んだ。
——俺は、——が欲した力だ。
「“オブリビオン・エッジ”……貴様は、ここで殺す!」
再装填が終わったのか、再び仮面は長刀を構えた。
——迷うなよ、バエル。
——お前は、負けないんだろ?
「……俺は!」
「今さら生きて帰れると思うな!」
仮面が躍動する。
俺は、撮影機を自分へと向けた。
カシャッ!!
なぜだろうか、仮面の足が止まった。
生まれたカードから、なにかが漏れ出ているようだ。
だがそんなことは関係ない。
——ケケ、ケケケケケ! そうだ、それでいい!!
いつしか俺を包み込んだそれは、やがて意志を宿したようにカードへと還っていく。
「まさか!?」
変色するカード。
俺はそれを直接手に持ち、名を告げる。
「——ニゲル・イデア」




