41話 綺麗に見えたもの
急いで支度を終えた俺たちは、待合所でチャイタンを待っていた。
目的の場所へは馬車で移動するしかない。
無理はするなと伝えたものの、チャイタンは「俺もいく!」と言い張り、聞く耳を持たなかった。
「……無事だといいな」
「……はい」
休む間もなく再び出向くほどの緊急事態。
現地では、最悪の事態も想定しなければならないだろう。
「コカトリスとの戦いでは、常に石化の危険があるわ。だから依頼を受けるなら、安全のために必ず撮影者を含めた二人以上のパーティを組む規則になっているのよ」
「その名前を聞いた時から、石化は想像していた。とはいえ、アバレたちは自信がありそうな様子だったが」
「コカトリスを倒せれば、撮影者としてある程度の実力がある証明になるわ。つまり、そういうことなんじゃない?」
「……なるほど」
「大丈夫、絶対バエルのほうが強いわ。それに、あなたにはあの対策カードもあるのよ」
リースは俺の返事を、不安の表れだと捉えたのだろう。
だが、俺の胸中にあるものは全く違う。
「……いや、どうかな」
マーモンも危険だとは言っていたが、依頼を受けるアバレを止めはしなかった。
それにアバレは、セツを愚弄したウィルとレインを叱れるだけの器も持っている。
だがチャイタンに対する異常なほど傲岸不遜な立ち振る舞いだけが、俺の中でずっと残っていた。
「アバレ、か」
決して悪い人間ではないと思う反面、すぐに受け入れられない気持ちも誤魔化せない。
胸の中で、小さくため息をついた。
「コカトリス……かなり危険な魔物ですね。もし戦闘になった時は……拙も、攻撃では役に立ちませんが、足だけは引っ張らないようにします」
「そうね。安心してバエル! 私も今度こそやってやるわ!」
……いい加減、気持ちを切り替えよう。
こんな状態のまま向かうわけにはいかない。
そうしていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「——出発の手配は間もなく終わる! 準備が整ったらすぐに行こう!」
「ん? それは何だ?」
戻ってきたチャイタンが、埃を被った箱を手にしている。
「こんなになっちまって……申し訳もねぇ」
蓋を開けると、中には数枚のカードが入っていた。
「……俺も、変われるかな?」
緊張した面持ちのチャイタンが、まるで宝物に触れるような手つきでカードを取り出した。
「どうせ駄目だと諦めるのは、もうやめにする。俺のカードはどれも弱いけどさ、もしアバレが大変なことになってるなら……それでも、じっとなんてしてられないよ」
「……チャイタン」
「きっと、届きます。チャイタンさんの優しい気持ちは、きっと——あ……れ?」
突然、セツがチャイタンの取り出したカードを見つめだした。
「セツちゃん?」
「ん、どうした? セツ」
「えっと……チャイタンさん。少しカードをお借りしてもいいですか?」
「あ、ああ。いいけど」
白魚のようなセツの手が、優しくカードに触れている。
一枚ずつ確かめるように見ていくと、やがて二枚のカードをチャイタンに手渡した。
「えっと? 何?」
「う、うまく言えないのですが……この二枚が、綺麗に見えました。……って、すみません。拙は急に、何を言っているのでしょうね」
「いや、別にいいんだけどさ。き、綺麗かなぁ? ……あー、なんか埃もついてら」
「すみません、忘れてくだ……っ!?」
突然、セツがこめかみを押さえた。
「セツ?」
「……すみません。少し、頭が」
「疲れてるのよ、無理しないで。ねぇバエル。セツちゃんは宿で休んでいても——」
「——いえ。拙もいきます」
セツは何事もなかったかのように、とてもしっかりとした声で断言した。
「本当に大丈夫か?」
「……はい。拙は、大丈夫です」
色の違う双眸が、何かを訴えかけているように潤んでいた。
「……辛くなったらいつでも言ってくれ。優先するのは、絶対に自分たちだ」
「ありがとうございます。バエルさん」
「うーん。やっぱ俺には雑魚カードにしか見えないや。人によって、そんなに見え方って違うもんか?」
角度を変えながら、穴が開くほどカードを見つめていたチャイタンの言葉にハッとさせられた。
……まさか!
ドレッドパンサーの時とは逆の可能性。
あの時は、俺たちが見ていたものがセツには見えていなかった。
今は——俺たちには目視できない何かを、セツの瞳は捉えている?
「チャイタン、準備できたぞ!」
俺の思考は、ギルド職員の合図により中断された。
「……アバレたちを助けに行こう!」
「はい」
「ええ!」
「無事でいろよな、アバレ……」
◇◇◇
強い風が吹き荒れている。
お互いの声さえ、瞬く間にかき消されるほどだ。
いつもと違う馬ではあったが、チャイタンは慣れた様子で自在に操っていた。
心なしか、いつもより加速カードの効きがいいように思う。
「……アバレに! 伝えたいことがあるんだ!!」
風音を上回るような声量が、俺の耳に確かに届いた。
返事をしようと声を張り上げたが、さらに強まる風音に呑み込まれてしまう。
「……」
せめてと思い、心の中で願った。
どうか間に合ってくれ——
そうして俺たちは、その場所へと辿り着いた。
「“アイギスベール”」
発動した直後、一瞬だけ幻想の布が見えた。
事前に発動しておく必要こそあるカードだが、これで咄嗟の状況にも対応できるだろう。
目の前には、周囲に街並みのない草原が広がっていた。
「——いた!」
遥か前方に、複数の人影が見える。
「ふー、間に合ったか」
チャイタンの安堵が混じった声に、俺もほんの少しだけ緊張が解けた。
役目を終えた馬車の速度は緩やかになり、次第にその光景も鮮明になっていく。
馬車を降りると、前方ではアバレの部下——ウィルが、俺たちを歓迎するように手をあげていた。
「……っ」
自然と漏れ出たもの。
それは、果たして誰の声だったのか。
目の前の光景に、誰もがそう発せざるを得なかったのかもしれない。
ウィルの苦痛に歪んだ表情からは、一切の温もりを感じなかった。
触れれば、嫌でも現実を突きつけられることになる。
それでも、俺は確かめずにはいられなかった。
「……遅かったか」
みんな、声が出せないでいる。
エルドラードで見せた、悪びれない表情は見る影もない。
確かに人であったはずの男は、無機質な石像へと姿を変えてしまった。
それだけが、この場において現実なのだ。
「……」
あの時は腹が立っていたはずなのに、今は気の毒にすら感じてしまった。
「——あ、あなた、たち」
物言わぬウィルの影から、悲痛に満ちた声が聞こえる。
「お前……」
ウィルの姿に気を取られ、すぐ近くにいた彼女に気づくのが遅れた。
「おねがっ……た、たす……たすけ」
「っ……」
不自然に変色した左腕を押さえ、レインと呼ばれていた少女が座り込んでいた。
スカートの端から覗く足先も、人肌とは程遠い色彩。
この世の終わりと言わんばかりに引き攣った表情は、ここで何が起きたのかを物語っているようだ。
「……こっちは、まだ助かるかもしれないけど……時間との戦いかもしれないわね」
「そんな……」
リースは顔を歪ませ、隣のセツも両手で顔を覆っている。
二人の声が届いていないのか、レインは身体を震わせながら焦点の合っていない目を前方へと向けた。
「あ、アバレさん、が……っ」
その先には、気力を振り絞るように叫ぶ男が見えた。
「……みんなはここでレインを見ていてやってくれ」
「——俺も行くぜ」
止めようとしたが、問答している時間は残されていない。
俺は頷き、チャイタンと共に向かった。
「……頼む、頼むから応えてくれ! 暴虎豹牙!!」
アバレが手にしているのは、長い筒状の武器。
いや、カードスロットが見える。
——まさか、あれは魔導撮影機か!
「“暴槍”!」
「なっ」
刹那——アバレの魔導撮影機が光に包まれ、鋭利な朱色の槍へと変貌を遂げる。
俺は息をするのも忘れ、その光景に見入っていた。
「……こんなところでぇぇぇええ!!!」
アバレが槍を構え、前方へと疾走した。
対峙しているのは、鶏のような見た目の魔物だ。
恐ろしく長い尾はしなやかにうねり、先端には獰猛な蛇のような第二の頭部が目を光らせている。
キェェェエエエエ!!
身の毛のよだつような咆哮をあげ、魔物が大きく口を開く。
次の瞬間、灰白色の吐息がアバレへと放たれた。
「ッッ……ぐああぁぁぁあああ!!」
アバレは咄嗟に身を捻ったが、どうにも動きが鈍い。
避けきれなかった片足が吐息の端に触れた途端、激痛に顔が歪んだ。
すると石化は瞬く間に広がり、膝下が灰白色の岩石へと姿を変えてしまった。
「ちくしょう!!」
「……何やってんだよアバレ!! 何だよ、この状況っ!!」
「……チャイタン? なんでここに!?」
己の戦いで手一杯だったのだろう。
アバレは、近づいた俺たちに今はじめて気がついたように声を荒げた。
「バカ! そんなこと言ってる場合かよ!」
「後は俺に任せてくれ」
俺たちの言葉に目を見開いたアバレだったが、それも一瞬だった。
「……こんなはずじゃ、なかった」
アバレは苦悶に満ちた表情でそう吐き捨てると、魔物——コカトリスへと槍先を向けた。
「……チャイタン。俺が死んだら、あいつらを——」
「——ふざけるな!」
チャイタンがアバレの前に出た。
「「チャイタン!?」」
俺とアバレの声が重なった。
「“ファイアボール”!」
チャイタンの端末から、コカトリスに向けて火球が飛んでいく。
コカトリスが翼を広げた、その瞬間。
火球が勢いよく直撃した。
「やったか!?」
「——いや」
……避けるまでもなかったのだろう。
コカトリスは、平然とこちらを睨みつけていた。
「そんなゴミカードじゃ無理だ! 逃げろチャイタン!」
「くそっ……やっぱり、俺なんかじゃ」
「チャイタン。セツが綺麗だと言ったもう一枚を発動するんだ!」
「え?」
「俺を、信じろ」
チャイタンの端末に装填されたファイアボールのカードは、まだスロットで淡い光を帯びている。
抗えない何かに突き動かされるように、その答えを待った。
「……“ガスト”!」
一陣の風が吹き、コカトリスのトサカがわずかに揺れる。
ただ、それだけだった。
「だ、ダメだ!! てんで効いてねぇよ!?」
「落ち着け! カードをよく見てみるんだ!」
だが、チャイタンを危険に晒すわけにはいかない。
いざとなれば、俺が——
「——マジ、かよ」
その声で確信に至った。
「バエル、さん? あんた、何を——」
「チャイタン! 見せてやれ!」
……キェェェエエエエ!!!
それまでと違う何かを察したのか、コカトリスが甲高い声で鳴いた。
「……俺だって! ——“パイロトルネード”!!」




