38話 見えているもの
「……どういうことだ」
「お、おいおい何やってんだよバエル! そんなカードでふざけてないで、さっさとドラゴン召喚しろよ!!」
もう一度ライトニングを放とうとして、思いとどまった。
魔物は平然と喉を鳴らし、その場所から動こうともしていない。
「あ、あのバエルさ——」
「——わかってる!」
セツは何かを言いたげだったが、体勢を立て直した方がいいと感じたのだろう。
「くっ!」
目の錯覚を疑いたいが、そうもいかない。
ライトニングは間違いなく魔物に直撃している。
だが攻撃してみろと言わんばかりに俺を睨む姿には、まるでダメージを受けた様子がなかった。
「……せめて」
一瞬、ガゾンとの戦いで顕現したカードが脳裏をよぎる。
カードスロットを横目で見るが、装填されているのは当たり前のようにライトニングだった。
「一度引くわよバエル! “私が上よ”!」
リースの魔導撮影機から放たれた力が魔物を襲う。
重力による束縛なら、あるいは——!
ガルル……
「嘘でしょ!?」
だがやはり、リースのカードも無意味だった。
「……引くしかないか」
「お前ら! 撮影者なのに何やってんだよ!? なんでこんな」
その瞬間——チャイタンの激しい声に突き動かされたように、魔物が俺に飛びかかってきた。
「ぐぅぅっっ!!」
視界が黒で覆われた瞬間、重い鉛を叩きつけられたような衝撃が走る。
刹那——身体が宙を舞い、抗う余地もなく地面へ投げ出された。
「——」
遅れてやってきた激痛に、一瞬だけ視界がフェードアウトしかけた。
奥歯を噛み締めてそれに堪え、なんとか体勢を立て直す。
自分の身体に目を走らせるも、動く分には問題なさそうだ。
「ちょ、ちょっと、嘘……!?」
「お、おい……バ、バエル!」
リースとチャイタンが青ざめた顔で俺を見ている。
「……大丈夫、軽傷だ! それよりヤツは」
「——そんな血だらけで、大丈夫なわけないでしょ!!!」
「……は?」
リースは何を言っているのだろう。
だが、今はそれより——
ガル……ガァァァ!!!
無視されたと魔物のプライドが刺激されたのか、怒り狂ったような咆哮を浴びて全身が硬直した。
本能が忌避する圧を気力で誤魔化し、思考を手繰り寄せる。
「あ………あ、あ……も、もう終わりだ」
その時、チャイタンが漏らした声に反応するように、魔物が嬉々として獲物へと向かっていった。
「い、いやだ! 来るな! あああああああ!!」
「——“アクセル”!」
魔物を凌駕する速度でチャイタンの元へ駆け、その身体を背負う。
「バ、バエ……ル? お前、そんな身体で」
「一旦引くぞ……“ストレングス”——!?」
連続して身体強化のカードを使い、近くにいたセツを片手で抱き上げる。
その時、カードスロットに見えたソレを前に、胸の鼓動が高鳴った。
——いや、今は考えている場合じゃない。
「え、えっと……バエルさん、一体これは」
「話は後だ。リース、逃げるぞ」
「え、ええ」
空いている手でリースを引っ張る形になったが、致し方ない。
俺は韋駄天のように疾走して、その場から離脱した。
◇◇◇
カードによる強化があるとはいえ、自分の身体の限界は自分が一番よく知っている。
ちょうどその時、身体から加速の感覚が抜け落ちていく。
同時に、カードスロットの光が不自然に薄れたのが目に入った。
「い、一度休憩しよう」
この後のことも考え、魔物から十分に離れた場所に腰を下ろすと、すぐにリースとチャイタンから詰め寄られた。
そこで俺は、今使用できるカードをチャイタンに正直に話す。
攻撃に使えるカードがライトニングだけだと知り、チャイタンの顔が絶望に染まった。
「……何で助けたんだよ」
「当たり前だろ」
「だってお前、そんな身体で……」
「やけに心配してくれるんだな」
「あ、当たり前でしょ! あなた、自分の状態がわかっているの!? 普通だったら、高名なエルフの治癒カードに頼らざるを得ない怪我、いえ……致命傷のはず、なのに」
リースの悲痛な声が森の奥へと吸い込まれていく。
気持ちは嬉しいが、この程度でそこまで心配されるとこそばゆい。
「二人ともありがとう。少し休めば大丈夫だ」
「防御のカードを使ってたってわけでもないんだろ? ……何で平然としていられんだよ、バエル」
「そうね。それにあの魔物。撮影者のカードでも通用しないなんて」
「しっかし、天下のドラゴンサモナーが、まさかろくにカードを持っていない撮影者だったとはなぁ。ライトニングなんて雑魚カード、撮影者は普通使わないだろ」
「……」
俺はこれまでの出来事を思い返していた。
そして、自分の中で結論づけたことがある。
どうやらこの世界の人々の多くには、コモンカードは弱いという共通認識があるようなのだ。
「……そうだ」
逃げることに精一杯で後回しになっていた。
先ほど見たものが確かなら——
期待を込めてカードスロットを見るが、そこにはいつも通りのカードが装填されていた。
「……いや、待て」
ガゾン。
そして、ドレッドパンサー。
二つの戦いの、共通点。
「——そういう、ことか?」
果たしてあの不気味な魔物に通用するのだろうか?
だが——試してみる価値はある。
「……なぁに格好つけてるのよ」
「べ、別にそんなつもりはないが」
「その様子だと、本当に身体は大丈夫そうね。……あなた、特殊な体質だったりしない? 痛みを感じないとか」
リースの言葉を聞き、改めて自分の身体を眺めてみた。
擦り傷や打撲はあるだろうが、それだけだ。
少なくとも、俺にはそう見えている。
先ほどから食い違う会話に、いよいよ違和感を覚えたその時——
「あ、あの!」
「あのさ!」
ずっと考え込むようにして黙っていたセツと、勢いのいいチャイタンの声が被る。
そういえば、こういう状況なのにセツだけは妙に落ち着いていることに、今さらながら気づいた。
「あ……すみません。拙は、後で、いいです」
「い、いや……俺だって」
「いえ! 本当に、いいんです。拙は、話すのが得意ではないので。もう少し、考えてから話します。チャイタンさんが、お先にどうぞ、です」
「……わかった」
チャイタンが頭をボリボリと掻き、似合わない咳払いをしている。
やがて覚悟を決めたのか、息を大きく吐き、俺に向かって頭を下げた。
「——悪かった!」
「謝られることじゃない。それなら、俺の方こそ……」
「……少し長くなるんだが、お前らには聞いてほしい」
照れくさそうに言うチャイタンに、俺たちは黙って頷いた。
「……内心じゃ俺もわかってたんだと思う。少ししか一緒にいなかったけど、バエルは人を見下すようなヤツじゃないって。それでも俺は、そう思い込むことでしか自分を保てなかったんだろうな」
「チャイタン……」
「エルドラードで見たあいつ、アバレってんだけどさ……あれでも、俺の友達なんだ」
「と、友達……あれで」
リースは「本当なの?」とでも言いたげに目を見開いている。
「俺たちは撮影者に憧れてた。もし撮影者に選ばれたら、一緒にパーティを組んで冒険しよう! 昔、そんなふうにアバレと夢を語り合ったっけなぁ」
そう語り出すチャイタンの顔には、無理やり作ったような笑みが浮かんでいた。
「でも、撮影者の適性があったのはアバレだけだった。……あぁ、そうだよ! 死ぬほど悔しかったけど、あいつの前では無理して祝ったさ!! 最初はあいつも気まずそうにしていたよ。アバレが撮影者になりたての頃は、依頼に誘ってくれたこともある。……だけど今じゃ、お前らが見た通りだ」
俺は先ほどの二人の様子を思い返した。
並々ならぬ関係だと察してはいたが、かなり深い溝があるらしい。
「俺だってこのままじゃ終われないって、諦めずに挑戦した。でも神官から、一度適性なしと出たらほとんど絶望的なんだと告げられたよ。あの時の気持ちは——今も忘れてない。これから先も俺は、撮影者になれることは……ないんだ」
「……」
その残酷な事実に、チャイタンはどれほど傷ついたのだろう。
次第に目元へ浮かんできたものには、気づかないふりをして続きを促した。
「それからも色々あって、俺も捻くれちまって。そんな時だよ。御者として仕事をしていたら、エルドラードの撮影者が撮影する瞬間に居合わせたんだ」
「カードが生まれたってことか」
「ただのカードじゃない。カードの名前は“頼れる仲間たち”。……そのカードには、俺も写っていたんだ」
「……何?」
撮影できるタイミングは、直前になるまでわからない。
——その名前は、聞いただけで俺の心に深く響いた。
「当然、俺にはそのカードは使えない。それでもあの人は言ってくれた。『チャイタンたちが一緒なら、俺はもう負けない!』……ってな。その日から俺も、自分の仕事に誇りを持てるようになった。たとえ同じ場所にいなくても、俺の写ったカードが仲間の助けになっていると思うと、自分も一緒に戦っている気がしたんだ」
「……」
「単純って思われるかもしれねぇけど、本当に嬉しくてさ。お、俺は撮影者じゃないけど、それでもいいんだって救われた。俺は、俺にできることから始めようって。——だ、だけどあの人は、この依頼を受けてから……行方がわからなくなっちまったんだよ!!」
チャイタンの瞳から零れ落ちるものを、地面が受け止め続けていた。
嗚咽を漏らす男を笑う者は、この場には誰もいない。
「もう負けないんじゃなかったのかよ……! 俺も、俺も一緒に戦う力があれば!!」
「……よく、話してくれたな」
「俺だって戦いてぇよ……ちくしょう、なんで俺は」
袖で目元を拭うチャイタンを見て、俺も覚悟を決めた。
今はまだ確信がない。
だが、いつまでもこのままでは埒があかない。
今こそあの日の答えを出す時だ。
「今度は俺が、応えてみせる番だな」
「だ、だけどお前、ライトニングなんかじゃ——」
「あら、私もいることを忘れないで」
俺たちの話す声が、木々を抜ける風に運ばれていく。
「——あの!!!」
刹那——これまでずっと黙っていたセツが声を上げた。
すると木の枝にとまっていた小鳥が羽ばたき、青の彼方へと消えていく。
「拙の話を、いいでしょうか」
いつものか細さはなく、何かを決意したような声がはっきりと耳まで届いた。
「先ほどから、伝えるべきかずっと迷っていました。……ですが決めました」
「……セツ?」
一度俯きかけた顔が、何かを吹っ切ったように上がる。
陽光に照らされて輝くオッドアイに、思わず息を呑んだ。
「——みなさんには、何が見えているのですか?」




