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雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる。無自覚万能令嬢は『普通の生活』をお望みです!  作者: 三沢ケイ


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1.雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる(1)

 その日、ロングレイン侯爵令嬢のエノレアは雪山に捨てられた。

 身にまとっているのは、薄い水色のドレス一枚だけ。足元は、メイドの使うような質素な布製の靴だ。


「誰か! 誰か助けて!」


 エノレアは力の限り叫ぶ。

 けれど、応える者はいない。


(寒い……)


 しんしんと雪が降り積もり、辺りは一面白一色だ。

 既に指先の感覚はなくなり、意識は朦朧としていた。


「誰か……助けて……」


 力を振り絞って歩こうとするが、力尽きてその場に倒れ込む。

 横たわる体に、雪が降り積もる。


(私、死ぬのかな。お母さん……)


 そのとき、「おいおいおい。なんでこんなところにガキがいるんだ?」と誰かの声が聞こえた気がした。


(……誰?)


 もう顔を上げて確認する気力すらない。


「おい! おい! お嬢ちゃん、生きてるか? おい!」


 必死に呼びかけてくるのは、焦ったような声。

 応えることもできないまま、エノレアの意識は闇に呑まれた。


 

 ◇ ◇ ◇



 エノレアは、生まれる前からロングレイン侯爵家の人々から疎まれる存在だった。

 なぜなら、父は既に孫のいる高齢のロングレイン侯爵、母は屋敷を出入りしていた若い薬屋という、誰からも望まれていない嫡外子だったから。


 それでも、エノレアはちっとも寂しくなかった。

 大好きな母が、たくさんの愛情を注いでくれたから。


 けれど、幸せは長くは続かなかった。七歳になったとき。元気だった母が事故で亡くなったのだ。


 ひとりぼっちになったエノレアは、ロングレイン侯爵家に引き取られた。

 仕方なく引き取った、愛人の子供。それがエノレアの立ち位置であり、当然のことながら歓迎はされなかった。


 ロングレイン侯爵家にとって、エノレアは厄介者以外の何者でなかったのだ。


 不幸は続くものだ。

 タイミングの悪いことに、エノレアが引き取られて1月も経たずに、ロングレイン侯爵が持病の悪化で亡くなった。


「この疫病神が! お前が我が家に災いを運んできたのよ!」


 鋭い声で叱責してくる大夫人に、エノレアは何も言えなかった。

 

 そしてその日を境に、エノレアの扱いは使用人以下になった。

 部屋は物置に使われていた倉庫になり、食事は食べ残しの残飯になった。早朝から起きて深夜まで働きっぱなし。

 それがエノレアの毎日だ。



 それは、父である前ロングレイン侯爵が亡くなって三カ月ほど経ったある日のこと。

 エノレアはいつものように、廊下の雑巾がけをしていた。


「ねえ、おばあさま。エノレアおねえさまはなにしてるの?」


 廊下の隅で雑巾を絞っていると、舌たらずな可愛らしい声がした。振り向くと、そこには故ロングレイン侯爵の妻である大夫人とエノレアの姪にあたるリリアナが立っていた。


 まだ五歳のリリアナはふわふわの絹のドレスを着ていて、髪には大きなリボンが付いていた。

 煌びやかで、エノレアとは別の世界に生きる人のようだ。


「本当に目障りね。卑しい薬屋の娘が、侯爵家の廊下をうろうろと。せめて、目に入らないように気を遣えないのかしら」


 大夫人は、扇子で口元を隠すと、憎々しげにエノレアを睨みつける。


「申し訳ございません。今どきます」


 エノレアはぺこりと頭を下げ、そそくさとその場を立ち去る。


「ねえ、おばあさま。エノレアおねえさまはどうしてバケツを持っているの? リリーもいっしょにみずあそびする」

「可愛いリリアナ。あれは気にする価値もないわ。お遊びならおばあ様としましょう」


 先ほどエノレアにかけられたのとは全く違う、優しい声色。


「おばあさまがあそんでくれるの? やったー!」


 リリアナの喜ぶ声が聞こえる。


「まあ、リリーったら。あなたは本当に愛らしい子ね。その前に、今日のお勉強を済ませましょうね」

「うん!」


 大夫人は、リリアナの髪を撫でる。

 エノレアは雑巾を握りしめたまま、黙って俯いた。


(リリアナは、いいな)


 エノレアの三つ年下の、侯爵家の正当な令嬢。淡い桃色のドレスがよく似合う、愛らしい少女だ。

 エノレアが決して受けることのできない愛情を一身に享受し、輝かんばかりの笑顔を浮かべている。


 リリアナに悪気はない。

 ただ無邪気で、残酷なほどに純粋なだけだ。


 胸が痛くなるのを感じた。


(お母さま。どうして私を置いて行ってしまったの?)


 水仕事でカサカサになった手で、胸元のペンダントを握りしめる。母の形見なのだ。

 

『月のしずくに赤い実ひとつ 白き大地の眠り草──』


 よく、母が歌ってくれた歌を思い出す。

 一筋の涙が、頬を伝った。



 エノレアの人生を大きく変える事件が起きたのは、そんなある日のことだった。


 その日、ロングレイン侯爵家はどこか浮き立っていた。


「どうして今日はざわざわしているの?」


 エノレアは使用人のひとりに声をかける。


「お嬢様が王宮で開催されるお茶会に行かれるのですよ」

「へえ」


 その使用人によると、お茶会は王子様を囲んで行われる大事なものなのだそうだ。


(王宮ってどんなところなのかしら?)


 本でしか見たことのない世界。

 そこでひらかれるお茶会はどんなに素敵なのだろうと、想像だけが膨らむ。


 そのとき、「エノレア!」と自分を呼ぶ声がした。ロングレイン侯爵大夫人だ。


(いけない。また怒られる)


 エノレアは反射的に頭を下げる。いつものように頭を小突かれるかと思ったが、今日は反応がない。

 エノレアは恐る恐る、顔を上げた。


「エノレア。今日はあなたにも支度をさせます」

「支度?」

「あなたも、王宮に行くのよ」

「……わたしがですか?」


 大夫人の言葉に、エノレアは思わず聞き返した。



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