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お金が欲しい

相談者は、三十代後半の男性だった。


スーツはくたびれているが、清潔ではある。

ただ――椅子に座ってから、ずっと落ち着きがなかった。


「……お金の相談です」


そう言う声は、困っているというより、

恥ずかしそうだった。


「借金?」


「いえ」

「そういうわけじゃありません」


「生活できてる?」


「はい」


即答だった。


「貯金は?」


「あります」


「仕事は?」


「続いてます」


俺は、何も書かずに顔を上げた。


「じゃあ」

「何が足りない」


男は、少し考えてから言った。


「……安心です」


来たな、と思った。


「具体的に」


「いくらあれば安心できるか」

「分からないんです」


「増えても?」


「増えてもです」


「減ってないのに?」


「減ってなくても」


男は、自分でもおかしいと思っている顔をしていた。


「聞くぞ」


男は、小さくうなずく。


「金がゼロになったら」

「今すぐ、死ぬか?」


「……死にません」


「じゃあ」

「今日の不安は、命の問題じゃない」


男は黙った。


「不安なのは」

「金がなくなることか?」


「……違います」


「じゃあ、何だ」


少し長い沈黙。


「……自分の価値が」

「なくなる気がするんです」


俺は、椅子にもたれた。


「金がある間だけ」

「存在していいと思ってるな」


男の喉が、はっきりと動いた。


「誰に、そう言われた」


「……分かりません」


「じゃあ」

「自分で決めたんだ」


男は、否定しなかった。


「なあ」


俺は、静かに続ける。


「今まで」

「金がなくても」

「誰かに必要とされたことは?」


「……あります」


「仕事じゃなくてだ」


「……あります」


「じゃあ」

「金は条件じゃない」


男は、眉を寄せた。


「でも」

「稼げない自分は……」


「嫌いか?」


即答はなかった。


「嫌いじゃないなら」

「責めるな」


「責めてないつもりでした」


「責めてる」

「毎日な」


男は、視線を落とした。


「金を集めてるんじゃない」

「安心を、集めてるだけだ」


「……」


「でもな」

「安心は」

「数字じゃ埋まらない」


男は、ゆっくり顔を上げた。


「じゃあ……」

「俺は、どうすれば」


「金を稼ぐなとは言わない」


一拍置く。


「だが」

「稼げない自分を」

「消そうとするな」


男の肩が、わずかに揺れた。


「足りてるのに足りないって感覚はな」

「もう、十分生きてきた人間にしか出てこない」


「……そうなんですか」


「ああ」


「生き延びる段階は」

「とっくに、終わってる」


長い沈黙。


「……証拠」

「いりませんでした」


「ああ」


「俺」

「もう、持ってましたね」


立ち上がるとき、男は少しだけ背筋を伸ばした。


ドアが閉まる。


しばらくして、背後から声がする。


「お金って、誰でも欲しいものだよね」


「生活する上では、確かに重要だ」

「でもな」

「稼げないから価値がない、とはならない」


「人間の価値はな」

「減ったり増えたりしない」


「綺麗事って言われそう」


「事実を言っただけさ」


静かになる。


金が欲しいんじゃない。


ただ、安心したかっただけだ。


――証拠はいらない。

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