9 ジョンの推理
小雲おばあちゃんとスミちゃんに感謝と別れを告げ、私とジョンはおばあちゃんが住んでいる家から出ていった。
今はどこへ向かうともなく歩道をジョンと並んで歩いている。歩きながら、私はこれまで聞いたことを思い返していた。
まず、私の異変の原因だと思われることが分かった。けれど、その解決策は全く分からない。この街で1番詳しいであろう小雲おばあちゃんに聞いても分からなかったのだ。他に詳しい者の心当たりが私もジョンもなかった。
ここからどうすればいいのだろうか。私はずっとこのままなのだろうか。そんな考えが頭を支配していた。
私もジョンも黙ったまま歩いていた。スマホの時計を見ると、午後4時を回っていた。今日の授業は既に終わっている時間だ。
太陽は大分地平線に近づいていた。あと1時間ぐらいでその姿は隠れてしまうだろう。
「莉渚、少しいいだろうか?」
ジョンはそう言って、立ち止まった。私も彼に合わせて歩みを止めた。
「どうしたの?」
「ワタシが考えたことについて君に話したい。どこか腰を落ち着かせて話をしたいのだが」
ジョンはキョロキョロと辺りを見回した。やがてある方向に目を留めた。
「あそこにしようか」
ジョンの視線の先を追うと、道端にベンチが置いてあった。そのベンチは大人3人ほどが座れそうな長さで、幸い今は誰も座っていないようだった。
私とジョンはベンチに向かった。私がそこに腰を下ろすと、ジョンは私のそばの地面にお座りした。
「これまでの情報を整理しよう」
ジョンは私の顔を見て話し始めた。
「この街では願いを叶えるという神様がいるらしい。その神様はどのような願いであれ叶えてしまうという。そして、小雲ご婦人は今の莉渚の状態は誰かの願いによって引き起こされたとものであるだろうと言っていた。ここまではいいかな?」
私は黙って頷いた。ジョンは私が頷いたのを見て、先を続けた。
「ワタシ自身はこういった超常的な現象をあまり信じない。しかし、今の君の状態は明らかに人や動物が引き起こしたものとは考えられない。だから、あのご婦人が言ったことは正しいものだと思う」
「うん、私もそうだと思うよ」
そこに関しては異論はない。人間の言葉が分からないのに、動物と会話ができる。こんなことはどんなトリックを用いても不可能だろう。
神様にお願いして叶ったという突拍子もないことだけれど、すんなりと頭に入った。でも、問題はここからだ。私はどうすれば元に戻れるだろう。
「では、次に考えるのは誰が莉渚をこんな状態にしたのかということだ」
「え? どうすれば元に戻れるかじゃないの?」
私の疑問にジョンは首を横に振った。
「それを考えることも大切だ。だが、原因を突き止めなければまたこのような事態が起こるかもしれない」
ジョンにそう言われ、私は背筋が凍った。確かに今の私の異常が誰かによって引き起こされたものだとしたら、二度と起こらないように原因を明らかにする必要がある。
「問題は誰がということだ。莉渚、率直に聞くが、君をこんなことにした人物に心当たりはあるか?」
私は頭の中で普段会っている人たちの顔を思い浮かべた。お父さん、お母さん、近所のおばあちゃん、学校の友達。
私をこんな風にして嬉しくなるような人が周りにいるとは思わない。と普段の私なら言い切っていたところだ。しかし、今は違った。
「分かんないよ。私から見れば仲が良い人たちでも心の中はどう思っているか知らない。もしかしたらいるかもしれない」
私がそう呟くと、膝の上にポンと何かが置かれた。ジョンが私の膝にお手、いや、前足を置いた。
「すまない、答えたくない質問だった。誰かが心の中で自分のことを良く思っていないかもしれない。そんなことは分かるはずがない」
「うん、そうだね」
誰も他人の心の中なんて知ることができない。ジョンもこうして言葉を交わすことで、初めて彼が何を考えているか知ることができた。それほど自分以外の心を知るのは難しいことを私は知っていた。
「ならば、別のアプローチで考えてみよう。客観的な事実に基づいてだ」
「別のアプローチ?」
私はジョンの言葉をそのまま問い返した。
「ワタシは小雲ご婦人の話で気になった点がある。彼女の飼い主の女の子が願ってから、彼女はいつ元気になったか覚えているか?」
私は記憶を辿った。確か小雲おばあちゃんはこう答えていた。
「女の子が神様にお願いした次の日って言っていたね」
「そうだ。つまり、神様にお願いした次の日に願いは叶えられる。そう考えることができる。この考えが全ての願いに適用されるのか不明だが、仮にそうだとしよう」
「うん。でも、それがどうしたの?」
「するとある仮説が浮かび上がってくる」
ジョンは真剣な顔で私を見つめていた。そんな真剣な顔は今まで見たことがなかった。
「莉渚がこうなったのは今日の朝からだったな」
「うん。昨日まではいつも通りだったよ」
「ならば教えて欲しい」
ジョンが何かを言おうとしている。彼は何を聞きたいのだろう。
私はこれまで分かった事実を思い返す。その瞬間、何を聞かれるか察してしまった。
「昨日、普段とは違う何かが莉渚に起こったはずだ。それをワタシに教えて欲しい」
そうジョンから問いかけられ、私の心臓は跳ね上がった。
「昨日までは何も起こらなかった。では、何故、今日に異変が起こったのか。それは、その前の日、つまり昨日に何かがあったということだ。その出来事が引き金になり、誰かが君をこうなるように神様に願ったということだ」
ジョンは私の答えを待たずに話を続けていた。私の胸の中はざわめいていた。
「莉渚、教えて欲しい。昨日、いつもと違う何かがあったはずだ。それが分からないとこの先はどうしようもない」
ジョンは頭を下げていた。私のプライバシーに触れるようなことだ。だから、彼はこうして真摯に向き合おうとしているのだろう。
私はどう言えばいいか分からなかった。昨日、何があったのか。それを聞かれて、考えられることは1つしかなかった。
けれど、それを打ち明ける勇気が私にはなかった。あの事は誰にも言っていない。家族にも他の友達にも。
「莉渚、お願いだ」
ジョンは頭を下げたまま呟いた。その姿を見て、私は今日のことを思い出していた。
ジョンは私を1人ぼっちにしなかった。ずっと私のそばにいてくれた。
私と一緒に考えたり、行動してくれた。私が元に戻れるように精一杯力を尽くしてくれた。私はそんな彼に報いたいと思った。
胸一杯に息を吸い込み、そして息を吐いた。このことは他の人に話すべきじゃない。当事者同士で留めた方がいい。
けれど、私は話すことに決めた。私が元に戻るために、何よりこれまで一緒に頑張ってきた相棒のために。
「あのね」
私がそう切り出すと、ジョンは顔を上げた。私の顔をただじっと見つめていた。
「ジョンの言う通り、昨日、確かにあったよ」
「それはどんなことだ?」
私は胸元をギュッと握りしめた。つい昨日のことだけど、今思い出しても辛い思い出だ。
「親友と喧嘩したんだ」
そう言って、私はジョンに向かって力なく笑いかけた。