勝る者
男は本を取り出し、開いた。
「さて、これは歴史の教科書に載るくらいの聖戦だったんだ。……あぁ、僕らの世界と君らの世界は違うか。僕としたことが……。」
彼は自分の頭を軽く叩いた。
お茶目なのだろうか。しかしどこか…
開戦を知らせる笛が鳴ってから数時間が経った。あの頃からすればヨツヒデから授けられた技も増えた。これらは全て目の前に複数の敵が居たときに有効なものだ。
エリアスが所属する特殊部隊の出陣はまだだ。そしてそれが意味するのは、戦況はこちらの有利だということだ。
最初に送り込んだ軍のなかに、忍部隊のナンスケを入れたようだが、それが正解だったようだ。彼の能力は身内以外の誰も知らない。影から影へと移動する能力、通称・影移り。相手の攻撃を避け、増援を呼び込んだ。誘き寄せては叩き、誘き寄せては叩きの繰り返しだ。これはヨシユキとマサル、二人の作戦だったのだ。
「エリアス、大丈夫か?」
彼が所属する特殊部隊の兵士の一人が声をかけた。コノハやヨシユキ、ヨツヒデ以外に彼に声をかけた者は、その人が初めてだった。
「...あ、あぁ。なんだ、急に?」
「なんだって...皆が支度してるのにあんただけなにもしてないからさ。なにか思い残すことでも?」
「...まぁ、な。」
思い残すことは山ほどある。だが何よりもコノハと会えていない。ずっとだ。必ずその月に一度は会えた。それなのに今回は会えていない。気が滅入っていた。
「まぁこの戦が終わればそれも晴れるさ。」
男が手を差し伸べた。
「...あぁ。」
エリアスはそう言って彼の手を握った。初めての他人の手だった。
「おーい! ヨシユキ様から出撃の命令が来たぞー!」
奥から現れた兵士がエリアスとほの兵士に向けていった。二人は返事をすると、すぐに持ち場に戻ろうとした。
「エリアス。」
名前を呼ばれた彼は、背後から聞こえた覚えのある声に振り向いた。胸に包帯を巻いただけの肌の上に白い法被を身に纏ったコノハだった。
「お前...なんで...?」
「妾は姫でもあって薙刀の達人でもあるぞ...?」
暗い表情だった。彼女らしくなかった。
「まだ出撃まで時間があるじゃろ...。少し話をしたいと思うての...。」
「...あぁ、構わない。」
彼は持っていた刀を腰にしまった。
「今夜で決まるのぅ...。この戦の勝敗...。」
夜空に浮かんだ三ヶ月を眺めながら、彼女は呟くように言った。
「あぁ...。俺たちが出撃して変わるのは、味方の死者が減るか否か、くらいか。そのなかに俺もいなければいいな。」
冗談を言いながら鼻の下を擦った。
「お主は死なぬよ。妾が言うんじゃ。絶対死なぬ。」
優しく微笑み、彼女はそう言った。そして彼の服の袖をつまんだ。
「...コノハの部隊も出撃なんだろ?」
「あぁ。」
「...互いに無事でいるといいな...?」
「そうじゃな....。ふふ、こうして話しておると、昔を思い出すのぅ。父上が連れてきた子供は女の子と聞いておったのに、実際は男の子じゃった。」
「はは...。髪も切ってなかったからな。仕方ないさ。」
前髪をつまみ、その指先でチリチリと鳴らした。
「妾よりも小さかったのに、いつの間に妾の頭を越しおって...。」
「ふふっ...仕方ないだろ...?」
騒がしかった向こう側が静かになった。
「そろそろ時間のようだ。」
「.........。」
「さて___」
刀を持ち、自分の持ち場につこうとしたとき、コノハに腕を引っ張られた。何事だと思って振り返ると、勢いよく抱きついてきた。鼻水をすする音と多少荒っぽい声で、涙を流しているのだと察した。
「絶ッッ対に帰ってこい! お主がいなくなったら妾は...どうにかなってしまいそうじゃ...! だから例え逃げてでも...頼む、生き残ってくれ...!」
彼女の頬を伝う涙が後を絶つことがない。やけに生き残れと言う。それもそのはずだ。彼が闇軍に入ってから何度か戦はあったが、一度も敵を斬り殺したことはなかったのだ。逆の方向、いわゆる“みね”で戦場で活躍していたのだ。この聖戦ではその優しさが仇になることがある。
必死にものを言う彼女の頭に手を置いた。
「俺は死なねぇよ。姫さんが言うんだ。だから、お前も死ぬな。分かったか?」
エリアスの胸板に顔をうずくめながら頷いた。うん、と言ったその声はかつて聞いたことがなかったほどに弱気であった。しばらくそうしていると、彼女はエリアスの顔を見上げた。
「負けるでないぞ! 妾が待っておるからな!」
精一杯に笑顔を作ってそう言った。頬が赤らめていて、それが可愛らしく見えたせいでドキッとした。そうだ、そういえば久しく会えたとき、してやろうと思ったことがあった。
「コノハ。」
「うん?」
一歩だけ近付き、彼女の顔の角度を上げさせる。そして彼はがら空きの彼女の唇にキスをした。
「んんっ...!?///」
初めてのことで勢いよく押し付けてしまったかもしれない。だが彼は5秒の間、彼女を離すことはなかった。息が持たなくなって口を離す。ぷはっと離れた二人は深く息を吸って吐き出した。
「な、ななにを...!?///」
急なことで驚きながらも顔を真っ赤にして言った。
「貰ったぞ。お前のこれ。」
意地悪そうにニッと笑い、自分の唇に指を当ててそう言った。
「な、おぬし、なにをいって......!///」
恥ずかしさのあまり、コノハの目線が定まらずに泳ぎ出した。
「...コノハ。」
「な、なんじゃ...?」
「俺は必ず生きて帰る。だから待っててくれ。」
「.....あぁ...。待っておるぞ...!」
出撃の号令が鳴った。エリアスはコノハにまたな、と言って本隊に駆け付けた。彼女は小さくなっていく彼の背中をずっと背後から見届けた。
「姫、そろそろ。」
傘下にあるマサル軍の兵士が彼女をエスコートした。
馬に乗って戦場へと駆けつけた。到着すると、部隊が二手に分かれてそれぞれを援護することになった。エリアスはヨツヒデを援護した。みね打ちで次々と相手を倒し、彼のもとへと向かう。
彼は光軍の総大将・サンルスとの激しい一騎打ちを繰り広げていた。“闇”の力を具現化させた紫、“光”の力を具現化させた黄色の光がぶつかり合っていた。持っていた武器を捨てたサンルスは、腕につけたグローブでヨツヒデに殴りかかる。しかし刹那の瞬間、彼の鎧が火花を散らした。そして高く舞い上がったヨツヒデは、頭上から大きく振りかざした。
「死ねッ!!」
サンルスはすぐに体制を立て直し振り下ろされる彼の刀をグローブで受け止めた。
「俺は死ぬわけにはいかん!! 大勢の者が、俺を信じてくれているからな!!」
「黙れッ! サタナキア様の名の下に、貴様を断罪するっ!!」
彼がヨツヒデに渾身の一発をかまそうとしていた。エリアスは急いで彼のもとにかける。しかしそれを阻む者が現れた。
「あんたが『刀背打ちのエリアス』か?」
青い甲冑を身に纏った剣士、雷刀のトワーズだ。
「邪魔だ! 退け!」
「俺に遠慮はいらねぇ!! みね打ちなんてしなくてもいい!! お互い、この盛大な宴を楽しもうぜ!!」
電流を身に纏い、素早い動きでこちらへと近付いてくる。
「邪魔だと言っている!!」
相手を大きく切り刻む技、「五月雨ノ空」をお見舞いしてやる。距離を詰め、刀を下から上に斜めにして振る。彼自身の能力もあって、みね打ちでも相当のダメージが入る。すかさず空中に跳んで技の続きを__ せずにそのまま飛び越えてヨツヒデのもとへ向かった。
「ヨツヒデ様...!!」
「ちっ...! 逃がしちまったか...ッ!!」
ヨツヒデはサンルスに殴り飛ばされて地面を転がった。刹那の領域が何故か見切られている。当然だ。確かにヨツヒデは刹那という名の極一瞬まで素早さを特化させている。それに対して相手は光だ。光速で行動している。速さはヨツヒデに劣るが、それでも広範囲に渡る攻撃を仕掛けてくる。厄介な相手だ。
「おぉ、お前がエリアスか。」
「...お前と話す気はない...!」
やれやれ、と首を振ったサンルスは、渾身の力を込めて地面を殴る。周りの地面の一部が隆起した。立ち止まってしまった彼に目掛け、隆起して現れた岩石をぶん殴り、破片を飛ばした。砕けた岩が彼の右肩にぶつかる。力が抜けて刀を手放してしまったその瞬間、勢いよく胸部のど真ん中をぶん殴った。衝撃が背中にまで伝わった。だが彼はその腕を精一杯掴んだ。
「消え失せろ!!」
背後から現れた刹那の男がサンルスの体に刀を振るった。数えきれない程の紫色の斬撃が彼の鎧に傷をつける。空いている腕を振り、光の力を込めた技でヨツヒデを凪ぎ払う。怯んだ瞬間によって生まれた隙、エリアスはその腕を離して刀を拾いざま、すぐに技を放った。
「憤怒の三ヶ月ッッ!!」
今まさに、初めてそれが成功した。彼の鎧が砕け、中に着ていた着物が露になった。
近くで光軍の兵士と戦闘を繰り広げていたヨシユキがそんな彼を見て嬉しくなった。
エリアスは続けざまに技を使用した。「地上ノ雷」が決まった。空中に浮いた彼にとどめを刺そうとヨツヒデが飛び上がる。
「貴様自身の罪を悔いろッッ!!! サンルスゥウウウウ!!」
「ッ!?」
彼の...ヨツヒデの鎧が何者かによって砕かれた。
「皆のもの! 作戦開始だ!」
何かを知らせる笛が鳴った。すると、マサル軍の兵士たちが一斉に闇軍の旗を下ろし、光軍の旗を上げた。そして闇軍に攻撃をしてきた。
「なに...?!」
ヨシユキがマサルを見る。
「悪いな、ヨシユキ。我らに得があったのは闇軍ではない。光軍だ。」
「............おのれぇ......!! マサル!!」
「遠吠えは地の獄でするがよい。殺れ。」
マサル軍の兵士が闇軍を完全に包囲し、矢を放った。炎の力を使うクロマツの肩にそれが刺さり、槍を一本落とした。
「闇軍を滅ぼせ!」
マサルのその一声で光軍が押し返し始めた。何が起こっているのか分からず、頭のなかが真っ白になった。その隙にサンルスが地面に着地し、ヨツヒデをぶん殴った。エリアスは混乱している。とっさに思い浮かんだのは、コノハと別れ際に聞こえた、彼女をエスコートする声だ。
「姫、そろそろ。」
傘下にあるマサル軍の兵士が彼女をエスコートした。
まさかさっきの笛は__ 。
嫌な予感がしてしまい、馬を呼んで一人で城に戻った。
頼む。そうでないことを......!!
城に戻ると、門に傷だらけの兵士がいた。闇軍の者だ。だがエリアスが通ってもピクリともしなかった。死んでいる。予感が当たったかもしれない。馬から降りて中へと急いだ。
「コノハ...どこだ...!?」
どれだけ探してもいない。人影があると思って近付くと、マサル軍の兵士だった。みねうちで気絶させ、そうして城内をあちこちまわってコノハを探した。広い廊下だ。かつてのそこの床は木材で、綺麗に磨かれているためか照明に反射して光沢を放っている。壁は白い壁紙で傷ひとつもなかった。幼かった当時、その初めて見る光景に、彼はぽかーんと立ち尽くした。だが今はその床も傷と土や泥にまみれ、照明は切れていた。白かった壁は赤黒い血痕が生々しく残っていた。その初めて見た残酷な光景に、エリアスは不安を感じられずにいられなかった。
探しても探しても彼女はいない。上の方から何やら騒がしく物音がした。まさかと思って二階にかけあがることにした。
騒がしかった部屋はまだ音がしている。ふすまを切って中にはいる。
「エリアス!?」
コノハだ。いた。そして彼女を囲む三人のマサル軍の兵士。そいつらを一瞬で気絶させてやった。
「お主、何故ここに!?」
「話はあとだ! ここから出るぞ!!」
薙刀を持っていた手を掴んで引っ張る。コノハを連れてこの城から出ることにした。
「いたぞ! 残党だ!!」
「ちっ...! 邪魔だッ!!」
憤怒ノ三ヶ月を横に放ち、一気に倒した。叫んだそいつの声と、彼らが走っている足音で位置がバレている。だが走ることを止めずに進む。息が切れていることにも気付かないほど必死になって、ひたすら出口を求めて走る。
「いたぞ!!」
見付かればエリアスが技で蹴散らした。走り続けていると、疲れて技も放てなくなり、部屋の中に入ってしばらく大人しくすることにした。
「ハァ...ハァ...。大丈夫か、コノハ...?」
「ハァ...うむ...大丈夫じゃ...。」
彼女のその一言でひとまず安心した。だがあまり休んでいられない。息切れがある程度治まったら早速___。
突然コノハが短い声をあげた。何事かと彼女を見ると、胸の真ん中から刃が生えていた。戸を越した後ろから何者かに貫かれたのだ。一瞬時が止まった。それが引き抜かれた瞬間、ハッとして戸を蹴り破り、後ろにいた奴らを...斬った。それもただ斬っただけではなく、両の腕を落とし、胴体に切り込みを幾つも入れた。そのまま倒れた兵士に対し、何度も何度も刺した。もちろん既で相手は死んでおり、その体からは赤い液体だけでなく、肉や内蔵が溢れていた。
正気に戻った彼は急いで彼女のもとへ戻る。
「...コノハ...?」
足元がマサルの兵士の血で赤く染まった。だが彼の顔はコノハでも見たことないほど、絶望の色に染まっていた。
「......えりあす...。」
「手当て...待ってろ...今助ける...!」
手当てするための道具を探そうとした彼の腕をつかみ、止めた。察したエリアスは、コノハの上体を少しだけ起こした。
「.......らわ.....しにたく、ない......。」
「...死なせるかよ...だから...」
「そばに、いたかった...。おぬしの...そばに....。」
「....。」
咳こんだ彼女の口から赤い血液が現れた。本当に、死んでしまうのか...? 現実が受け止められない。
「やく、そく...やぶったのは...わらわ、か...。すま、ないな...?」
「ばか...やめろ...! やめてくれ......。」
この感情はいつぶりか、考えればすぐにその日が現れた。丁度10年前のあの日だ。あの日も...。
涙が止まらない。ずっと流れ続けている。吐息が震えた。
コノハが頑張って顔を近付けようとしていることを察し、額をくっ付けた。
「ふふ...。たくましい...のぅ...。」
彼女の目からも暖かい液が流れた。
「...さいご...に...きいておくれ...。」
「......なんだ...?」
「....ひとりの.....おとことし、て.....おぬしが...。」
「俺が...?」
....................。
最後まで何かを伝えようとした。しかしそれも伝えられぬまま、彼女の頬を伝った涙は乾き、もう流れることはなかった。そう、彼女は息を引き取ったのだ。それがわかったとたん、涙がさらに流れ始めた。穏やかな表情で彼女は今、自分の腕の中にいた。
「...心地よさそうに...眠りにつきやがって......。」
愛する者の腕のなかで尽きたことが嬉しかったのだろう。エリアスは彼女の体を精一杯に抱き締めた。
城の一部屋に一人、強き者がすすり泣く音が響いた。
「どうして、いつも、こうなって、しまうんだ......?」
ドクン、と不思議な感覚がした。
「くそ.....くそ.....ッ!」
あのときと同じだ。紫色の電流が流れ始めた。彼の目が赤色に光る。またあの時と__
暴走しそうになる直前、コノハの法被から包帯が落ちたのに気が付いた。
コノハの体を横抱きにして城から出た。彼はヨツヒデよりこう言われていた。
「私が負けることはない...だが、万が一そんなことがあったらこの城を燃やせ。私とコノハ、そして貴様ら兵士が過ごしたこの城を敵の手に渡すわけにはいかん。」
エリアスは言われた通り、城を焼くことにした。着火材の保管場所は一部の者しか知らない。城を焼きやすくするために一定の場所に置いてある。乾燥している雑草をむしり、火打ち石で火を起こす。仲間の持っていた弓矢を拾い、それを使って火矢を作った。そしてそれをそこに放った。大爆発を起こし、城は燃え始めた。コノハの死体を添え、そこで火葬も済ませる。
城の主に拾われた他人が、城の主の命令に従って燃やした。皮肉だ。
コノハが身にまとっていた法被が燃え始めた。見ていられなくなって顔を伏せる。辛い。しかし後ろから聞こえた足音が最後まで居させなかった。闇軍は壊滅しただろう。ならば考えられるのは光軍の兵士だ。エリアスはコノハの言う通りに従い、逃げることにした。情けない自分を殺してやりたい。彼は彼女が持っていた包帯を握りしめた。
「コノハ...最期まで世話をかけた...。ありがとう...。」
涙を拭って森の中へと走った。
さよなら、コノハ。
守護の剣 #5 勝る者
話す前から、そして話したあとも彼の表情は暗かった。
「光軍の勝ちで幕を下ろしたこの聖戦、いや、この戦いに限ったことじゃない。どちらの軍にも人としてのドラマがあったんだ。」
彼は大きく息を吸って吐き、次の本を取り出した。