第七十六話 『沈黙した桜の木』
クロノが目を覚ますと、すぐにセシルが覗き込んできた。
「よぉ、時間稼ぎありがとな」
「……貴様も良くやった」
「アイツは完全に戻りはしなかったが、正気は取り戻したようだ」
体を起こすと、クリプスがこちらに近寄ってきた。その片目は黒く染まっているが、表情自体は明るい。
「クロノさん、本当にありがとうございました」
「成仏はまだ出来そうに無いですし、まだ自縛霊のままですけど、色々取り戻す事は出来ました」
「記憶が戻った影響か、霊体のコントロールも上手くできるようになったみたいです」
体を透けさせたり、下半身を消したり、クリプスは自由に出来るようになったようだ。
「しかし、貴様はよくあんなお守りで理解できたな?」
セシルがクロノに向き直る。
「貴様、あのお守りを見て、過去にコイツを救おうとした奴等が居たと察したのか?」
「うーん? 牢の中の鎖とか見てそうじゃないかなって思ったんだけど」
「お守りの中見てさ、確信したんだ」
「中?」
クリプスがお守りを開けてみる、中には小さな紙が入っていた。
「『ごめんなさい、どうかご無事で』……クリプスさんを想っての言葉だろ、それ」
それを見たクリプスは、目を瞑って小さな紙を抱き締めた。想いは確かに、伝わったようだ。
「クリプスさん、あなたを利用した奴等って……」
「思い出したくないとかなら、無理にとは言わないけどさ」
「いえ、大丈夫です」
「確か、私を捕らえたのは退治屋の一つだったはずです」
「名前は、『討魔紅蓮』と……名乗っていた筈です」
やっぱりか……そうクロノは思った。あの壁のシンボルを見た時から、薄々そう思っていたのだ。
「私は『討魔紅蓮』の一人に負けて、捕らえられました」
「真蛇人種である貴様が、人間に負けたのか?」
「はい、勝負にもなりませんでした」
「『討魔紅蓮』四の柱……レター・スイッチ……そう名乗っていました」
「私を助けようとした人を殺したのも、その男です」
「能力は分かりませんが、光の矢のような物を撃ってきます」
「あの人の強さは、異常です……クロノさん、どうか関わらないでください」
「うん、約束は出来ない」
即答だった。
「クリプスさんには複雑かもだけど、俺の夢は人と魔物の共存の世界なんだ」
「その夢の為、俺は旅をしてる」
「その夢を貫く限り、いつかは対立すると思うし」
「単純に、許せないから」
同じ人間としても、あんな行為は許せない。
「ふん、大きな口を叩くのは良いが、今の貴様じゃ相手にもならんと思うぞ」
「そうだろうけど、放っておけないよ」
「いつかは、必ず会いに行く」
そう言うクロノを見て、クリプスは薄く笑った。
「私は、死んでしまいましたけど……」
「あの人たちや、クロノさんに救われました」
「だから、人の善意を信じてみます」
「共存の夢、頑張ってくださいね」
「はい、頑張ります!」
「クリプスさんは、これからどうするんですか?」
「ここから動けないですしねぇ」
「あのお屋敷でコソコソと暮らしますよ」
「共存の世界が成されるのを、待っていますね」
暴走していたクリプスによって、屋敷はボロボロなのだが……まぁお化け屋敷的には都合が良いのだろうか。
「そうですか……じゃあまた会いに来ます」
「それまで、お元気で」
「えぇ、お元気で」
「優しい人間さん♪」
手を振って、真蛇人種の幽霊と別れたクロノ達、また魔物の知り合いが増えたクロノだった。
「一件落着、だねぇ♪」
「まったく、もう朝じゃないか……散々な夜だったよ……」
気が付けば朝日が昇ってきていた、夜通し動いていたようだ。流石に疲れたかもしれない。
「依頼もまぁ、達成という事でいいだろう」
「港町に依頼の報告をしにいくぞ、これで金の件はチャラだ」
「あぁ、そういえばそんな話から始まったんだったな」
「もう手伝わんからな、もうチャラだからな」
「……まぁ、セシルにはもう二度と財布を預けないけどな」
「なっ……ぐ……もうしないと言っているだろう……」
ぐぬぬ……と隣で睨んでくるセシル、そんなセシルが妙に可愛かった。
(今回はセシルの色んな姿が見れて面白かったなぁ、それだけでも十分な収穫だったかも……)
(それ、セシルの前で言ったら殺されると思うよ)
(えへへ~♪ 面白い事聞いちゃったかな?)
(洒落にならないから、マジでやめて)
契約者を脅すとは、とんでもない精霊達である。
「まぁ、もうしないって言うならさ、約束な」
そう言って、クロノは左拳をセシルに向ける。
「……なんだ?」
「拳出して」
セシルが突き出した右拳に、クロノは左拳を合わせた。
「ん、約束」
「クロノ? こーゆうときって指きりとかじゃないの?」
「変わった約束だね?」
「ローとはいつもこうやってたんだ」
そう言って笑うクロノは、どこか嬉しそうだ。
「ローと俺はお揃いの指輪してるって言ったろ?」
「俺は左手、ローは右手、お互い利き腕のほうに指輪してんだけどさ」
「約束の時は、お互い利き腕で拳を合わせるだろ?」
「そしたら指輪同士がぶつかって、音を鳴らすんだ」
「なんかそれが子供の頃から気に入っててさ、約束の時はいつも拳を合わせてたんだ」
「ガキだな」
「ほっとけっ!」
自分でも少し子供っぽいと思うが、それでも気に入っているのだ。放っておいて欲しい。
「しかし、討魔紅蓮か……魁人もその話してたよな」
「関わるな、そう言われていたな」
「……けど、やっぱ許せないよ」
「共存とは正反対だからってだけじゃない、やり方が酷すぎると思う」
「今の貴様が何を言っても、変えられる事は一つも無い」
「今は出来る事をやれ、進める道を進め」
その言葉で、クロノは気になっていた事を思い出した。
「セシルさ、地下で俺をわざと煽っただろ?」
「は?」
「今回はもう諦めろってさ」
「あの時は熱くなってたから気が付かなかったけどさ、今思うとなんか不自然だし」
「……さぁな」
「誤魔化すなよ、何であんな風に俺を……」
「知らん、言わん、やかましい」
「……うっ……」
こうなるともうダメだ、絶対に譲ってくれない。ガックリと肩を落とすクロノだが、そんなクロノにセシルは背を向けたまま一言零した。
「諦めの悪い貴様、私は嫌いじゃないぞ」
「……え?」
「金を受け取りに行くぞ、さっさとしろ!」
聞き間違いじゃなければ、褒めてくれたのだろうか。たまに褒められると凄く嬉しいのは、クロノがまだ子供だからというだけじゃない筈だ。
「……へへっ」
クロノは急ぎ足でセシルの後を追う、いつの間にか、セシルとの旅も悪くないと思っていた。
依頼を達成し、報酬金を受け取ったクロノ達はウンディーネの泉を目指して歩を進めていた。台形を逆さにしたような形のコリエンテ大陸、その中央付近にその泉は存在する。
「行こうと思えば今日中に到着できそうだけど……」
正直体に余裕は無い、出来れば休んでから向かいたい所だ。
「ティアラちゃんきっと駄々こねるだろうなぁー」
「ティアラとのゲームも甘くないだろう、体を休めるのは僕も賛成だ」
ウンディーネのティアラがどんなゲームを仕掛けてくるか、アルディもエティルもそれを知らないと言う。
「ティアラちゃんはすっごくお子ちゃまだからねぇ、心を開いてくれるまで大変だったんだよぉ」
「すぐ水かけてくるしね、500年経ったが……変わっているかどうか……」
「何でそこでエティルちゃんを見るのかな!?」
エティルが空気を読めないのは500年前から変わってないらしい、精霊にとっては500年も大した年月じゃないと言うし、変わっている可能性は0だろう。
「とりあえず、今日はこの村を目指そう」
ウンディーネの泉に一番近い村、大きな村では無いが、少し有名な村だ。
「凄く大きな桜の木があるんだって、港町で聞いたんだ」
「そこで体を休め、ティアラの元へ向かうのか」
「あぁ、桜の木で有名な観光地みたいな場所だから、宿とかあるだろ、きっと」
軽い気持ちでそう言うクロノだが、セシルは嫌な予感がしていた。クロノが聞き込みをしているのを眺めていたが、村の情報をくれた男は何かを隠しているようだった。
(この馬鹿タレはまったく疑っていないが……何かあるのだろうな……)
そんな事を思いながら、セシルは歩を進めていた。クロノに言おうか迷ったが、面倒くさくなったのだ。
数時間ほど歩き、村が見えてきた。村の向こうが凹んでいるように見える。
「あぁ、池か? 結構大きいな」
村の入り口から見える池、その池に向かって切り立った崖のような場所があり、そこに大きな木が見えた。
「あれが桜の木かな? けど……」
ここからでも、花が咲いていないのが分かる。と言うか……枯れ木だ。
「聞いてた話と違うな……」
「ん、旅の人か?」
村の入り口で止まっていると、一人の男性に声をかけられた。
「アルルカの村へようこそ、旅の人」
「歓迎したいところだが、村の名物の桜は見ての通りさ」
20代くらいの男が背負っている大きな盾と大きな槍、どう見ても普通の村人では無いだろう。
「どうも、えっと、あなたは……?」
「あぁ、失礼……」
「俺はゲート、この村で世話になってる勇者だ」
「勇者さんでしたか、俺はクロノ、旅人です」
「セシルだ」
いつものことだが、セシルは人間化の状態だ。
「桜の木、どうしたんですか?」
「いやぁ、数年前から花が咲いてない状態なんだよ」
「……木の寿命、なのかな……?」
ゲートの言葉には、何か別の物が含まれている気がした。それを不思議に思ったクロノだが、背後から現れた複数人の男達にその思考を邪魔された。
「やあやあ! 今日も俺が見回りに来てやったよ!」
「……こちらからは、一言も頼んでない筈ですが?」
赤い髪をしたクロノと同じくらいの少年がニヤニヤと村に入ってきた、それに対するゲートの口調は少し冷たい。
「村の名物の桜が咲かなくなって、もう5年になるんだっけ?」
「変だねぇ、あの桜に巣食っていた魔物は、きっちり退治したんだけどなぁ」
「……えぇ、退治されたはずです」
「木の寿命、それだけの事でしょう」
「いやぁ、おかしいと思うよぉ?」
「実際村長からもう一度調べてくれって言われて、俺達来たんだしさぁ」
「まぁまぁ安心してよ、何か問題があったら俺達が解決してやっからさ」
「役に立たない勇者さんは、そこら辺でお茶でもしててよ、あははっ!」
そう言うと、少年は取り巻きを連れ、村から出て行った。
「……何ですか、あれ」
「退治屋だよ、5年前、あの桜の木に取り付いていた魔物を退治したんだ」
「……花が咲かなくなったのは、その時からだ」
「……魔物を退治してから、花が?」
「花を目当てに来たんだったら、残念だったね」
「……あの桜は、あの日から花を付けていない」
「……じゃあ、俺はこれで」
ゲートはそこまで話すと、背を向けて去ってしまった。
「……木、見に行ってみよう」
ここまで違和感を感じて、無視出来る訳がなかった。クロノ達は桜の木を目指して走り出す。
坂道を駆け上がり、崖のような場所まで上ってきた。足を滑らせると池まで真っ逆さまだ。
「大きな木だな、花が咲いてりゃ綺麗だっただろうなぁ……」
見上げると分かるが、この桜の木はやはりかなりでかい。花が咲いている状態でみてみたかったものだ。クロノが桜の木に目を取られていると、セシルが怪訝な顔をした。
「この気配……完全に退治されていないようだな」
「へ?」
「隠れ切れていないぞ、出て来い」
セシルの言葉に反応し、桜の木の幹が蠢いた。木の幹が盛り上がり、人の形を成していく。
「これって……」
「あぁ、木精種だ」
幹から完全に離れたその姿、人型をしているが、足は植物の根のようになっている。髪も桜色の葉のようだ。肌の色も、緑がかかっている。
「……退治屋、ですか?」
顔を上げた木精種の少女、その胸には深い切り傷が確認できた。
人と魔物、異なる種の約束の物語が、今始まる。




