第七十七話 『もう来ない明日』
目の前に現れた木精種の少女、その表情は警戒の色が強い。クロノは出来るだけ柔らかく言葉を発する。
「えっと、俺はクロノって言います」
「あなたの敵じゃ、ありません」
「……そう、ですか」
「まぁ、ならどうでもいいです」
背を向け、木の中に戻ろうとする少女。まだ何も聞けていないので、クロノはそれを制した。
「待ってください! 聞きたい事があるんです!」
「? 魔物の私にですか?」
「何で、この桜は咲かなくなったんですか?」
「……本当に、あなたが原因なんですか」
「……それを知ってどうするです?」
「仮に私が原因なら、刈るですか?」
「あなたが原因でも、理由を聞かずに襲ったりしません」
「話を聞きたいだけです」
その言葉に目を細める少女、しばらく考え込んでいたが、ゆっくりとクロノに向き直る。
「私はセラス、見ての通り木精種です」
「木精種はその名の通り、木を守護する精霊です」
「宿りし木とその生涯を共にし、見守り続ける……」
「私が花を咲かなくするなど、有り得ない事です」
「じゃあ、やっぱり……」
「けれども、それは普通だったらの話です」
セラスは木を見上げ、そっと幹に手を添える。
「今現在で言えば、確かにこの木の時間を止めているのは私です」
「あの日から、この木を抑えつけているのは、私です」
「……何で、そんなこと?」
「……5年前、私は人間に襲われたです」
「木に巣食う魔物、村の名物の桜に寄生した魔物と言われました」
「あの村が出来る前から、私はこの木と共にあったんですけどね、酷い言いがかりです」
「結果、私は致命傷を負いました、この胸の傷がそうです」
「この木の死は私の死と同義、同じ様に、私が死ねばこの木も死んでしまう」
「だから、木の成長を抑えつけ、力の消費を極限まで抑えて……命を先延ばしにしてるんです」
「私は、死ぬわけにはいかないんです」
「あの日の約束を、まだ果たしていないから……」
そう語るセラスの目は、少し潤んでいるようだった。
「……約束、って?」
「5年前、姿を隠しきれなくてですね、一人の男の子に見つかっちゃったです」
「慌てて人間化して、誤魔化したんですけどね」
「その子、それから毎日来るようになったんです」
「花が咲くのを、楽しみにしてたです」
「……もう、力は残り少ないですけど……」
「あの子に、見せてあげたい、満開の桜……」
「約束したです、明日この場所でって……明日、きっと咲くからって……」
「けど、その子は来なかった、代わりに別の人間が来て、私は襲われた……」
「……けど……きっとあの子は来るから……それまで死ぬわけにはいかないです……!」
「約束、したから……」
辛そうな顔で、搾り出すような声で、セラスはそう言った。もうダメだ、そんな事を言われて、放っておける訳がない。
「その子の名前、覚えてる?」
「え?」
「俺が探してくる、会いたいんだろ?」
「…………」
言葉は無かった、ただ一度、頷いた。
「その子の名前は?」
「……ゲート・アルグレイ……」
村で最初に会った、あの勇者だ。
「待ってて、必ず会わせてやる」
「……どうして……」
「俺も桜、見たいからさ」
「それと、助けたいって思ったから」
それだけ言って、クロノは村へと走って行った。
何人かの村人に話を聞き、ゲートの家を見つける事が出来た。数回ノックすると、先ほど出会った勇者が顔を出した。
「……君は、さっきの旅人君だね?」
「すいません、不躾なのは承知していますが、少しお話をさせて欲しいんです」
クロノの真剣な表情に何かを察したのか、ゲートは黙って中に入れてくれた。
「……話って、何かな」
「単刀直入に聞きますけど、木精種の子と約束、しましたか?」
その言葉に、ゲートは飲み物を入れたコップを落とした。
「……何でそんな事?」
「あの子は、まだ待ってるんですよ」
割れたコップを拾うゲート、表情は見えないが、その肩は震えていた。
「俺は部外者ですし、何も知らない」
「だから、何も言う権利は無いです」
「だけど、聞いちゃったから、放っておけないんです」
「……何があったかだけでも、聞かせてくれませんか」
顔を上げたゲート、その表情は暗い。
「……会った、のか」
「はい」
「まだ、待っていてくれてるのか」
「はい」
「…………っ!」
拳を握り締め、俯くゲート。
「ダメなんだよ、俺には資格がない……」
「俺は約束を破った、それも……自分勝手にだ……」
「今更、会えるはず……無いんだ……」
「……聞かせてくれませんか? 何があったのか」
「…………さっきあったばかりの君に、話すのもおかしな話だけどね……」
「5年と数ヶ月位前の話だ、勇者となり、俺がこの村に始めてきた日のことだ」
「当時18だった俺は、村の名物の桜を見に行った」
「そこで、あいつに出会ったんだ……」
「ふぅ、結構急な坂道だったな……」
坂道を駆け上がり、一息つくゲート。顔を上げると、期待していた物とは違う物が映った。
「なんだ、咲いてないじゃんか」
「結構期待してたんだけどなぁ……しかしでかいなこの木……」
大きな桜の木を見上げるゲート、これから自分が暮らす村の名物に相応しいと勝手に思う。
「……ん?」
木を見上げていて気が付くのに遅れたが、木の根元でワタワタとしている人影を見つけた。その人影が木の幹にぶつかり、尻餅をついた。
「? 大丈夫ですかー?」
「うっ…………だ、大丈夫ですよー?」
近づいて声をかけると、肩をビクッと震わせて返事をしてきた。桃色の髪を揺らして振り向いた少女は、見惚れてしまうほど可愛い顔をしていた。
「どうしたんですか? なんか慌ててますけど」
「い、いや、そんな事はまったく無いですよ」
「あああああなたさんこそ、こんな場所まで何用でででです?」
そんな事ないようには全然見えないが、気にしないようにする。
「今日からこの村でお世話になることになった勇者なんですけどね、村の名物の桜を見に来たんですよ」
「咲いてないのが残念ですけど」
「あーそうなんですかーそれは残念でしたー」
なぜか棒読みだ。
「いつ頃、咲いてるのが見れますかねぇ」
「後1ヶ月と23日です」
「え、分かるんですか?」
「そりゃ自分の事ですし」
「へ?」
「あ、いや、えと、その……自分の事のように知り尽くしてますからね! この桜の事は!」
一瞬顔を青くしてた気がするが、少女は自信満々に胸を張っていた。
「へぇ、凄いですね」
「桜、好きなんですか?」
「そりゃ好きですからこの木に決めたわけですし」
「え、何をです?」
「あーえーうー…………む、村の名物に、です」
「? あなたが決めたんですか?」
「む、村の皆が、いつからかそう呼ぶようになったんです!」
「誰が決めたとかはないです!」
「よく知ってるんですねぇ、流石地元の人だ」
「まぁ、1300年くらいはこの木と一緒ですしね」
「1300年?」
「!? ジョークですよ? 笑うところです!」
ワタワタと手を振り回す少女、何故かは分からないが、この少女に惹かれるようになった。その日から、毎日桜の木を見に行くようになった。
桜の木の根元に、彼女は居た。毎日毎日、必ずそこに居たのだ。
「セラスさーん、こんにちわー」
「また来たですか? 咲くまでまだ3週間あるですよ」
「あはは、セラスさんに会いに来たんですけどね」
「え……」
「なんて、迷惑ですかね」
「……嬉しい、ですよ?」
お互い、そんな事を言いながら笑う、それだけで幸せだった。
「セラスさんはいつもここに居ますよね?」
「この木は、私にとって一番大事な物ですから」
「いつまでも、見守っていたいんです」
「本当に桜が好きなんですねぇ」
「この木も好きですけど、この木の花を見て、多くの人が喜んでくれる」
「それを見るのが、何より嬉しいです」
そう言って微笑む少女、その笑顔は桜の花より美しいと断言できた。
「ゲートは、桜見れたら嬉しいですか?」
「うーん、そりゃ嬉しいと思います」
「早く見てみたいなぁ、楽しみですよ」
「……そっか……」
「頑張って、咲かせます♪」
そう笑う少女が、とても愛おしかった。はっきり言えば、初めてあった時から一目惚れだったのかも知れない。だからこそ、毎日通っていたのかも知れない。
桜が咲くまで一週間を切ったある日、村に数人の男達が訪ねてきた。男達を引き連れているのは、自分より小さな少年だ。勇者であるゲートが、その少年の話を聞くことになった。
「……退治屋の方々が、この村に何の用ですか」
「刺々しいなぁ、魔物の気配がしたから来たに決まってんじゃん?」
「仮にも勇者が居る村に魔物が居たとなれば、笑い話だよ?」
「……この村は平和です、魔物なんて……」
「甘ーい! 激甘だねぇ君!」
「平和のすぐ裏側、そこが一番危ないんじゃないかー?」
「言ってる事は分かりますが、この村は俺が守ります」
「魔物が本当に居たとしても、俺が……」
「ド素人がでかい口叩いてんじゃねーよ」
「魔物と実際に戦った事もねぇ、量産型勇者に何ができるって?」
その言葉に何か言い返したかったが、確かにゲートは魔物との戦闘経験は無い。
「俺達に任せとけば、魔物は見つけるし、きっちり退治してやるよ」
「条件は金、それと邪魔さえしなきゃいい」
「簡単だろ?」
そう言って、少年達は村から出て行った。悔しかったが、ゲートは何も言えなかった。
その日、セラスの元を訪ねたゲートは、魔物の話をしていた。退治屋が来た事、この村に魔物の気配がある事、全てセラスに話していた。
「この村に魔物なんて、居るわけない……」
「セラスさんも、そう思うだろ?」
そう隣に座るセラスに問うが、セラスは難しい顔で俯いていた。
「セラス、さん?」
「……ゲート、予定が変わったんです」
「桜、明日にはきっと咲きます」
「へ?」
突然の言葉、ゲートは呆気に取られてしまう。
「ゲート、約束して欲しいです」
「明日も、ここに来て欲しいです」
「桜が咲くところ、ゲートに見て欲しいです」
「待ってくれ、何で急に……」
「約束、して欲しいです!」
大きな声で、訴えてきた。こんなセラスは始めてみる。その両目は、涙を流していた。
「セラス、さん?」
「来てくれるって、信じてますから」
「……うん、必ず、行く……」
「約束だ、今までずっと来てただろ? 明日だって必ず行くよ!」
出来る限りの笑顔でそう答えた、セラスも、笑ってくれた。必ず会いに行くと約束し、ゲートは村に戻った。
村への坂道の途中、ゲートは足を止めた。セラスのあんな顔は始めてみたのだ。少し不安になったゲートは、来た道を戻り始めた。
そして、見てしまったのだ。セラスの姿を。魔物の姿の、セラスを。
(……そんな……セラス、が……?)
「……時間、無いですね」
セラスは背後のゲートには気づかず、桜の木を見上げていた。
「……間に合わせるです、これが最後の花になっても……絶対に……」
そう呟き、セラスは桜の木の中に戻っていく。ゲートは声を殺して、村まで走っていった。
家まで走ってきたゲートだったが、思わぬ人物が家の前で待っていた。退治屋の少年だ。
「あ、勇者の兄さん、探したよ?」
「はぁ……はぁ……っ……何の用だ?」
「魔物の気配、一番強い場所が分かったんだ」
「あの桜の木の辺り」
「兄さん、よくあの辺りに行ってるらしいね?」
「……っ!」
何も話す気は無かったが、顔に出てしまった。
「ふぅん……その顔……」
「思う物はあるんだね……」
「いや、俺は……!」
「いやいや、それ以上話さなくていいよ」
「後はこっちでやるんで、その反応見れただけで十分」
そう言って、少年は歩き出す。
「待て! 何を……!」
「兄さん、何か思う物があるんだったらさ、気の毒だったね」
「心中お察しするよ、相手は魔物、騙されてたって事なんだしさ」
「所詮、相容れぬ存在って事だよ」
追いかけようとしたゲートだったが、その言葉で足を止めた。
「今日は準備も出来てないからさ、俺達一旦帰るわ」
「明日改めて来るから、邪魔だけはすんなよ?」
「なに、すぐ終わるからさ」
そう言って歩いていく少年、ゲートは何も言えなかった。
次の日、ゲートは家の中で蹲っていた。セラスの事を思い出し、拳を握り締めていた。
『所詮、相容れぬ存在って事だよ』
あの少年の言葉が、胸に刺さっていた。
(本当に、そうなのか……?)
(セラスは、魔物……俺は……騙されてたのか……?)
(あの笑顔も、約束も……全部嘘だったのか……?)
約束……今日、桜が咲くとセラスが言っていた。窓から外を覗くと、見たくも無い光景が目に映った。複数人の男達が、桜の木への道を登っていた。
(今日はセラスとの、約束……)
(…………くそっ…………くそっ!)
足は動かなかった、迷いが少年を、その場に縛り付けた。しばらくして、大きな音が響いたのを聞いた。家から飛び出すと、桜の木の方向から煙が上がっていた。
それを眺めている事しか、出来なかった。退治屋達が坂道を降りてくるのが見える。呆然と立ち尽くすゲートに気がついたのか、先頭を歩く少年が近寄ってきた。
「やぁ勇者の兄さん、無事に終わったよ」
「魔物は退治した、村の人にはもう安心だと伝えてね」
「……何、か……」
「は?」
「その、魔物は……どんな、……何か……言ってませんでしたか……?」
「はぁ? どうだったっけかな……」
「あぁ! なんか約束がどうのこうの言ってたわ」
「まぁ魔物の言う事なんてどうでもいいからなぁ、ズバッと切り捨てた」
「……それが?」
その言葉に答える余裕が、ゲートには無かった。居ても立ってもいられず、ゲートは走り出した。毎日セラスと語り合った桜の木の下は、戦闘の影響で焼け焦げてボロボロになっていた。
いつもこの場所に居た少女は、もう居ない。
この場所に毎日来ていたゲートだから分かる、いつも見上げていた桜の木が、死んでいる事が。
待っていてくれたんだ、約束したから、セラスは今日も待っていてくれたんだ。
それなのに、自分は……。
後悔しても遅すぎる、もう、セラスは居ないのだ。
「馬鹿、野郎……」
「俺の……っ! 馬鹿野郎っ…………!」
「……うあぁ……ああああああああああああああああああああああっ!」
泣こうが喚こうが、セラスは戻ってこない。約束を破った後悔なんて、自分にはする資格もない。桜の木の下で、少年は泣き続けた。
答える者は、誰も居ない。
桜は沈黙してしまった、この時から、ずっと。
約束の明日は、もう来ない。




