第六十三話 『その眼が見つけた、探し物』
出航した船が水門を潜ろうとした辺りで、クロノが海に引きずり込まれていく。そんな光景を目の当たりにし、真っ先にガルアが飛び出した。
「退治屋! テメェが引き上げろ!」
そう言い放ち、港を疾走する黒い影。それに呼応するように、ロニアが矢を構えた。
「こうした行動を町の中で取るのは、本意ではありませんが……」
「状況が状況、ユリウス様、どうかお許しください」
そう残し、連続で4本の矢を放つ。それを視界の端で捕らえたガルアが、海に向かって飛んだ。放たれた矢を踏み台にし、船に向かって突っ込むガルア、当然だが人間業では無い。
「紫苑、俺を船まで投げろ、加減は必要ない」
「え、でも……」
「遠慮するな、お前にしか出来ない」
「は、はい……、では失礼しますね……えぇいっ!!」
主君の頼みを断れる筈も無く、紫苑は魁人の肩を掴む。そのまま全力で船まで投げ飛ばした。猛スピードで船に迫る魁人は、懐から数枚の札を取り出す。
「暴れちゃダメだってば、大人しくしてよっ!」
(大人しくするわけないだろ、離せって……!)
水中でもがくクロノだったが、海住種の少女の予想外の力から逃れられないでいた。見た目は完全に自分より幼い少女だったが、流石魔物と言った所か、まったく振り解けない。
(くそっ……息が……)
突然の事だった為、呼吸も乱れている、抵抗の力も弱まってきていた。やばいと思いかけた瞬間、不意に周囲の水が吹き飛んだ。
「きゃあぁ!?」
「ごほっ、げほっ! ……何だ!?」
頭上からガルアが『獣咆』を放ち、海に風穴を開けたのだ。攻撃の反動を利用し、ガルア本人は甲板に着地した。
(クロノ、今だ!)
アルディが心の中で叫ぶ、今ならいけると。
「「精霊技能・金剛!」」
大地の力を宿し、全力で抵抗する。 その力は、幼い少女の細腕など、容易く弾き飛ばす。
「だりゃぁっ!!」
「あっ……」
少女の表情が、一瞬悲しみに染まった。それを不思議に思う前に、今度は頭上から青く光る鎖が伸びてきた。
「クロノ、掴まれっ!」
上を見上げると、魁人が右手から鎖を伸ばしていた、恐らく普通の鎖では無いだろう。迷わずその鎖を掴むと、一気に空中に引き上げられた。
「悪いクロノ、時間がないから少し荒っぽいぞ」
「ノームの力で受けてくれ」
魁人のすぐ横まで引き上げられ、そのまま横腹に札を貼られる。
(ちょっと待て、何か嫌な予感が……)
「退魔符・発!」
静止する前に魁人が印を結ぶ、貼り付けられた札が爆発し、クロノは船まで吹き飛ばされた。
「よっと」
「ゲファっ!?」
それなりの勢いで吹っ飛ばされたクロノを、ガルアが片手で受け止める。そして、わざわざ受け止めてくれたというのに、後方に荒っぽく投げ飛ばされた。
「親切なのか、不親切なのか、はっきりしろよっ!」
「こまけぇなぁ、助けてやったんだから感謝しとけ」
それは事実なのだが、何だか納得出来ないクロノであった。
「うわっ、うわわっ!? やっばぁ……!」
クロノを奪われた海住種の少女は、頭上からこちらを見下ろす魁人から逃げるように泳ぎだす、ガルアが海に開けた穴も塞がりかけている、このままでは逃げられるだろう。
相手が魁人じゃなかったら、だが。
「悪いが、逃がすつもりはないっ!」
逃げる相手目掛け、札を投擲する魁人。放たれた札は、意思を持ったように少女を追尾する。8枚の札が少女を取り巻き、それぞれが線で繋がれた。
「えっ、何これ!?」
8枚の札が作り出した正方形の結界に、少女は一瞬で捕らえられてしまう。
「魔牢の鎖……接続っ!」
魁人の右腕から伸びた鎖が、少女を捕らえた結界と繋がった。
「封域・寂狩っ!」
魁人はその鎖を引き、結界を海から引き上げる。そのままの勢いで、結界ごと少女を、甲板に叩き落した。自身もその勢いを利用し、甲板まで飛んでくる。
当然のように綺麗に着地する魁人だが、随分ととんでもない動きをしていた。
「なぁ、魁人って実は結構化け物?」
「化け物とは酷いなおい……」
「一応、最近までは魔物に負けたことはなかったんだが……」
チラッとセシルの方を見る、つい最近彼女に負けたばかりだ。
「まぁいいだろ、そんな話は」
「一旦船を港に戻してもらおう、彼女から話を聞きださないとな」
結界の中で怯える少女を見て、魁人はそう言った。
港に引き返した一行は、結界を取り囲むように立っていた。正方形の結界の中、海住種の少女は涙目でこちらを睨んでいる。
「水門の内側に入り込んでいるって事は、門に穴でも開いてるのかねぇ……」
「こりゃ俺の責任だな、クロノ、悪かった」
申し訳無さそうに、ユリウス王は謝罪する。
「いや、気にしてないですよ、王様」
「誰の責任かは、一先ず置いておきましょう」
「なぜコイツが、クロノを狙ったのか……まず知るべきはそこですし」
そう言う魁人は自覚してないだろうが、その目は少し怖い。
「貴様、何故この馬鹿を襲った?」
セシルの問いに対し、少女はだんまりを決め込んだ。
「このガキ、状況分かってんのか?」
ガルアが脅しをかける、少女の顔色が少し変わった。
「えーっと……、エラが乾いて声出しにくいなー、苦しいなー……」
「周囲の水ごと結界に閉じ込めた、それはありえないな」
「ぐっ……」
「貴様、いい加減にしないとこいつに差し出すぞ?」
そう言うセシルの背後では、未知によって正気を失いつつあるピリカがスタンバイしていた。
「海住種は生息域的に接触が困難、こんなチャンス滅多にないのですよぉ……はぁはぁ……」
「ピリカ、今真面目な場面だからな、もう少し抑えような……っ!」
レラが必死に押さえているが、その目は少々危ない物を感じさせる。海住種の少女も、その目に危機感を感じたようだ。
「あぅ……」
「全て吐いてしまうのが、利口だと思うがなぁ……」
セシルの言葉に泣き出しそうになる少女を、クロノが庇った。
「はいはーい、みんな怖いって……」
「こんな小さい子相手にさ、そこまで本気になんなくていいだろ?」
「襲われた本人がそれでどうする!? この子は小さいと言っても魔物だぞ!」
「だから?」
魁人の言葉に、クロノは当然のことのように返す。そのまま、少女の前にしゃがみ込んだ。
「何で俺を襲ったのか、教えてくれないか?」
「何か事情があったなら、怒ったりしないし、酷い目に合わせたりしないから」
クロノの笑顔に、少女の緊張も僅かに解れたようだった。
「……ほんとに、怒らない?」
「話してくれたらな」
「……分かった、話すよ」
その言葉と同時、クロノは笑顔で振り返る。そんなクロノを見て、周囲も呆れたように肩の力を抜いた。
「僕はね、この近くの海に、お兄ちゃん1人と、お姉ちゃん2人、4人で暮らしてるの」
「最近、お姉ちゃん達と喧嘩してさ……毎日毎日言い争い……」
「お兄ちゃんがそれで怒っちゃってね、そんなに喧嘩が長引くなら、勝負で決着つけろーってさぁ」
「その勝負の内容が、『海には絶対無い、珍しい物を持ってくる事』、なんだよ」
「だから僕、そこのお兄さんが欲しい!」
そう言って、クロノを指差す海住種の少女。
「……俺?」
「確かに人間は、海では絶対見つけられんだろうが、何故この馬鹿なのだ?」
「水門を潜り抜けてきた貴様なら、人間を攫うチャンスは幾らでもあっただろう」
「普通の人間じゃダメーっ! お姉ちゃん達に勝つには、そこのお兄さんじゃないとダメなのっ!」
「そこのお兄さんは、僕の眼が出した答えなんだよ!」
「これは僕のお兄ちゃんやお姉ちゃんにも秘密なんだけどね、僕の眼は探し物が見えるんだ」
「僕の眼は絶対に間違えない、お兄さんこそ! 僕の探し物なんだよ!」
探し物を映す眼……恐らくは生まれ持った固有技能だろう。
「お兄さんはただの人間じゃ無い、僕はずっと見てたんだよ」
「魔物との共存を訴えてる、海の中とか以前に、世界中探しても滅多に居ないような超・変人!」
「そんなお兄さんなら、僕の勝ちは確実っ! だからお兄さん、僕と一緒に来てよ!」
「……超……変人……ね……」
そんな事自分でも分かっていたが、こうまで真っ直ぐ言われると心に響く物がある。
「あははははははははっ! ヒー! 苦しいよぉ! あははははっ!!」
「くははっ……言われたねぇクロノ……はははははっ!」
この精霊達……、契約者への侮辱の言葉で大爆笑とはどういうことだ。振り返ると、誰も彼もが笑いを堪えていた。
「…………」
「ね?、ね? 僕と一緒にさ?」
「今回は助けるの、やめよっかなぁ……」
「えぇっ!?」
心に冷たい風が吹いていた、何だかやる気が出ない。そんなクロノの肩に、セシルが手を置いた。
「まぁそう言うな、共存を訴える貴様がコイツを見捨てるなら、貴様の言葉は薄っぺらになるぞ?」
「うん、とりあえずそのにやけた顔なんとかしようか」
「馬鹿な、私はにやけてなど……ふふっ……」
「……あぁもういいよっ! 超変人の俺が見捨てられるわけもねぇしなぁっ!!」
「やってやるよっ! 一緒に行ってやるよっ! どうせ行って帰ってくるだけだろっ!?」
半分以上ヤケクソだ、クロノは一筋の涙を流していた。
「キャッハァ! お兄さん大好きっ!」
「勿論お礼はするよっ! お兄さん、コリエンテに行きたいんでしょ?」
「僕が勝てたら、お兄さんを僕がコリエンテに連れて行ってあげるよ」
「船じゃ4日かかる距離も、僕なら1日もかかんないからねー!」
「その遊泳速度に、俺の体が耐えられるかは別の問題じゃないか?」
「金剛を使えば大丈夫だろう、それよりクロノ、問題はまだあるだろう?」
笑いすぎて涙まで流しているアルディが、クロノに近づいてくる。
「僕達精霊には問題にならないけど、クロノは水中で呼吸が出来ないだろ」
「どうやって、この子について行くつもりだい?」
「あー……そうだな、そりゃ困った……」
「大丈夫! これ貸してあげるよ!」
そう言って、少女は懐から腕輪のような物を取り出す。
「コリエンテ大陸で生み出された魔道具・『空気の腕輪』だよ」
「これを身に着けた人は、空気の膜に体を包まれる! 水中でも呼吸が出来るようになる優れものだよ!」
「本当に、コリエンテで生み出された道具ってスゲェなぁ……」
「ってか何でそんなの持ってるんだ?」
「昔ね、海で溺れてた人を助けたら貰ったの、綺麗だから僕の宝物!」
そう言って笑顔を見せる、その笑顔からは悪意を微塵も感じなかった。
「そっか、よし……それじゃ行こうか」
「その前に、クロノ」
セシルが複雑そうな顔で話しかけてきた。
「セシル? どうした?」
「今回、私は同行しない、先にコリエンテへ飛んで行くから、後から合流しろ」
「は?」
思いがけない言葉に、クロノは目を丸くする。
「何でだよ? お前、泳げないとかそんな理由か!?」
「正直心外だが、泳げる泳げないで言ったら、私は泳げない」
「と言うか、体温が下がるとだな……少しな……」
龍族や、蛇人種の中には、体の体温が下がると冬眠状態に入る種が存在する事を思い出した。
「え、何? セシルって寒いと冬眠するの!?」
「馬鹿言え! 私は半分人の血を引いている! 冬眠なんぞするか!」
「ただな……その、私自身物凄く不愉快なのだが……」
「セシルちゃんはねー……体が冷えちゃうとね、すっごくしおらしくなっちゃうんだよぉ」
「初めてみたら、別人に見えるかもねぇ」
またもや口を滑らせたエティルに、セシルの尻尾が襲い掛かった。
(何それ、スゲェ見てみたいんだが……)
「滅多な事を考えるなよ、こうなるからな」
「……ギブ……ギブだよぉ……」
今回は逃げ遅れたエティルが、セシルの尻尾にギリギリと締め上げられていた。
「……とにかく、私は勝手にコリエンテへ飛んで行く」
「最初の港で待っているから、後から合流しろ」
「まぁ仕方ないか、分かったよ」
「魁人、その子を海に離してやってくれ」
クロノの言葉と同時、魁人が結界を解除した。少女は地面を尾びれで蹴り、海へと飛び込む。
「ぷはぁっ! お兄さん、これ!」
「それ付けてれば濡れる事もないから、服はそのままでいいよ!」
「まぁ、さっき海に落とされたから、既に服はビショビショだけどな」
少女の投げた腕輪を受け取り、左手首にはめ込む。
「セシル、俺の荷物を頼む、買い食いで金を使いすぎるなよ」
「貴様、私を何だと思っているのだ」
そう言いながらも、セシルはクロノの荷物を拾い上げる。
「よし、それじゃあ今度こそ、行くよ」
「みんな、またな!」
「クロノッ! 気をつけろよ!」
皆に一礼し、そのまま海へと飛び込む。 体を薄い膜が覆い、確かに呼吸が出来た。
「うわぁ、マジで凄いな、コリエンテ製のアイテムは……」
「お兄さん、こっちこっち!」
腕輪の効果に驚くクロノの手を、少女は掴み取る。 その手を引いたまま、泳ぎだした。
「このまま僕のお兄ちゃんの所に行こう! 絶対にお兄さんを連れて行けば、僕の勝ちだよ!」
「あぁ、ところで、君の名前は?」
「僕? 僕はマリアーナ! お兄さんは?」
「俺はクロノ、 なぁマリアーナ、そんなに姉さん達に勝ちたいのか?」
「勝ちたいよ! 僕、一番下の妹だからさ、いっつもいっつも馬鹿にされてるんだ」
「たまには勝ちたいの! 今回は僕が有利な勝負だしさ、絶対に負けたくない!」
「そっか……」
マリアーナに手を引かれ、かなりの速さで海の中を進むクロノ。そんなクロノは、小さい頃の記憶を思い出していた。
(そういえば、俺って結局ローに勝った事、無かったなぁ)
憧れでもあったその背中に、結局一度も手が届いた事は無かった。姉に勝ちたいと言う目の前の少女の気持ちが、クロノには少し分かった。
(うん、一回くらいは、勝ちたいよな)
そう思い、握られた手を握り返す。
これくらいの協力は、してやるとしよう。




