行間Ⅴ
嘘だ。
こんなの嘘だ。
そう口に出したかった。
なのに、自分の口から漏れ出す音は、無様な泣き声だけだった。
真っ赤に染まった両手は、震えるばかりで何の役にも立ちはしない。
「嫌だ……こんなの嫌だよぉ」
力なく垂れ下がる大きな掌を、少年の小さな掌が必死で握った。
ほんの微かに、少年の手を握り返してくれる感触があった。
「はは……。なに、泣いてるんだ、よ。泣き虫……だな」
「だって、だって!! 龍也にぃがぁ……こんな、こんなの!」
「だい、じょうぶ……だ。俺は、こんなんじゃ……死なない、から」
苦しいはずなのに、それでも南雲龍也が少年に向けたその顔は笑顔だった。
そんな風に少年を心配させまいとする心遣いに、ますます少年は声を上げて泣いてしまう。
どこからか救急車のサイレン音が聞こえてくる。
少年はそれを耳にしながら、ひたすらに大好きなその大きな掌を握り続けた。
真っ赤な世界で、ただひたすらに悲しみに暮れる。
そんな己の無力さを、少年は呪っていた。
☆ ☆ ☆ ☆
少年が兄と慕っていた人物と再会を果たしたのは、式場の棺の前だった。
「……」
言うべきことが何も見つからなかった。
そもそも自分みたいな人間がこんな所に居てもいいのか、という罪悪感だけが少年の心にしこりを作っていた。
だって、
「龍也にぃが死んだのは……ぼ、僕の……僕のせいだ……っ」
南雲龍也という人物が死ぬ原因を作ったのは自分だ。
自分がいなければ、龍也は死なずに済んだのだ。
あんな風に、何の力も持たないくせに悪党の前に飛び出していった無知で愚かな子どもなど放っておけばよかったのに。
それなのに、龍也は助けてしまった。
身の程知らずの、馬鹿な子どもを。
南雲龍也とはそういう男だった。
彼は皆のヒーローで、例え自分がどんな窮地に立たされるかを分かっていてもなお、その顔に笑顔さえ浮かべて、全てを救ってしまう人だった。
だから憧れた。
自分もあんなヒーローになりたかった。
そして己の分も弁えずに、『勇敢』とは違う、ただの『無謀』を振りかざした少年のせいでヒーローは死んだのだ。
龍也が殺されかけていた時、少年は恐怖で足が竦んで何もする事ができなかった。
あれだけヒーローに憧れていたのに、結局肝心な所では何もできない。
彼の足を引っ張るだけだ。
少年の行動が南雲龍也を殺してしまった。
もう皆を助けてくれるヒーローはいない。
自分のせいで、もう存在しない。
もう、あの優しい声を聞くことはできない。
もう、あの優しい腕に抱かれる事も、一緒に公園を駆けまわる事も、あの大きな掌に頭を撫でて貰う事も、何もない。
全ては失われてしまったから。
ホロりと、一滴の涙が少年の頬を流れる。
それを皮切りに、これまで必死で抑え込んでいた悲しみの激流が蓋を切ったようにこぼれ出した。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
慟哭する少年は、最後の最後、龍也の残した言葉を思い出していた。
強くならなければならない。
南雲龍也は死んだ。それも自分のせいで。
ならば少年はその責任を取るべきだ。
いなくなってしまったヒーローの代わりを誰かが努めなければならない。
たとえ紛い物でも、自分が龍也の代わりになるしかないのだ。
英雄殺し。それが少年の犯した罪なのだから。
本来、英雄が助けるハズだった人を救う義務が、少年にはある。
それに、もうあんな想いはしたくないのだ。
誰かが傷つくのを黙って見ているくらいなら、自分が代わりに傷ついてやる。
少年はたった今、憧れの人の目の前でそう誓った。
そう決心した。
憧れだった。
南雲龍也のような、彼のようなヒーローになりたかった。
皮肉にも、その憧れを殺してしまった少年には、彼のようになる以外の道が残されていなかった。
だから、勇気が欲しかった。
南雲龍也のように、彼のように恐れずに何かに立ち向かっていけるだけの勇気が。
少年は強く、そう願った。




