第5話 初恋はコーヒーの香り
リアは思わず立ち上がり、手を振った。彼が馬から降りるその瞬間まで。
その眩しい姿をつい目で追ってしまう。
「かっこいい……私もあんな風に乗りこなしたいな」
「ふふ、そっちなの?かっこいいって」
「も、もちろんアレンもよ!」
そわそわした気持ちが落ち着かなかった。軍手からこぼれた土が鼻先を汚す。
するとソフィアがくすっと笑った。軍手を外し、ハンカチを取り出すと汚れを拭ってくれた。
「ありがとう……そんなに汚れてた?」
「ええ。熊みたいになっていたわ。これで大丈夫よ。早く行ってきたら?」
「うん!」
アレンの近くへと走った。みんな彼に注目している。優しい瞳も、声も、昔から変わらない。
「アレン!」
「リア」
彼はこの町が被災した日からリアを支えてくれた、五つ年上の――兄のように大切な人。
(私の初恋は――)
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「リア、聞いたよ。春祭りの日……大丈夫だったのか?すぐに駆けつけられなくて、ごめん」
あの日の苦い光景が、思い浮かぶ。
「うん……私は大丈夫」
心臓の音が速くなり、見えない首輪がわずかに熱を帯びる。
まるで、何かに締めつけられているかのように。
息が詰まる。
「ありがとう、アレン」
考えるより先に一歩踏み出し、近づいた。
体が少し熱く、触れてしまいそうな距離。けれど……彼の手が迷っていることに気づいた。
それから静かにリアの肩に触れ、「……ごめん」小さくそう言って、離した。
それと同時に声が聞こえてくる。
町の大人たちだ。
「おーいアレン!荷解き手伝ってくれ!」
「こっちも頼む!」
「分かった。順番に行く」
短い返事。けれど、その声が響くだけで、止まっていた人々が自然と動き出す。笑顔になる。
誰もが無意識に、アレンの指示を待っていた。
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だけど時折、アレンが所属している騎士団の人たちが彼を迎えに来る。それは今日に限った話じゃない。
「あ、騎士の人来てるよ」
「え……ああ。本当だ」
彼は騎士たちと短く視線を交わした後――
「……まだ大丈夫みたいだ」
そう言って笑顔を見せる。
「ねぇ……アレンって騎士団では今どんな立場なの? 実は副隊長とか?」
そんな質問をよくする。けれど彼は、何かを誤魔化すかのように笑って答える。
「あはは。うーん」
「それは……君が大人になった時に話すよ」
そうやって、話題をすぐ逸らしてしまう。――早く大人になりたい。そう思うたびに、なぜか心に引っかかった。
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休憩時間になりアレンの隣に座った。
(隣、空いてる。うれしい。)
「ねぇ、アレンってもう二十二よね?」
「そうだよ」
彼がコーヒーを飲む横顔を、頬杖をつきながら見つめた。
(黒い魔法使いとのこと……相談したい……)
かなり迷った。
(巻き込みたくない)
でも――知って欲しい。話したい。
「……アレンなら、どんな人を結婚相手に選ぶ?」
契約相手、とは聞けずにそう質問を投げかけてみた。
「突然だね」
「私、もう十七よ! ちゃんと……そういうことだって、考えてるわよ」
(もう、契約してしまったけど……)
アレンは目を細め、また視線を逸らす。
「もうそんなに経つんだね。結婚相手か……」
上の空のように呟く。生気が抜けたように、冷たい空気を感じた。
「えっと……例えばでいいのよ。優しいとか、面白いとか。髪が綺麗とか!」
彼は少しの間、考える。そして。
「嘘をつけない人……かな」
そう言ってコーヒーをテーブルに置き、揺れる水面を見つめていた。次にこちらを振り向いた時。
「リアならどんな人がいい?」
いつもの笑顔に戻っていた。だけどその問いに、リアの心臓が少し速まる。
「え……!? えっと……私は……」
コーヒーの香ばしく、少し苦い香り。リアにはまだその良さが分からない。けど、ずっと決まっていることがある。
「アレンみたいに……ずっと一緒にいてくれる人がいいわ。約束を守ってくれるもの」
そっと笑顔を向けた。
これは昔からずっと変わらない。
遠くで教会の鐘の音が鳴り、幼い日の誓いを思い出した。
――だけど。
コトンッ、と空の陶器の音が響く。
気付けば、目の前には大人のアレンがいた。
これが、現実。
休憩を終えた彼は、椅子から立ち上がる。
「リア、僕はまた作業に戻るよ」
「じゃあ、このマグカップは洗っておくね」
「ありがとう。頼むよ」
そして彼は小屋から出て行った。
彼の飲んだマグカップには、茶色のコーヒーの跡がついている。それを水で洗い流した。
水が勢いよく流れる音がする。
コーヒーの苦い香りはもうしない。昔は重かったはずの器が、やけに軽く感じた。
リアは濡れた自分の手のひらを見つめ……水滴が肘までぽたぽたと流れた。
そして、小窓から見えるアレンに向けて、片手を伸ばした。
「嘘をつけない人……か」




