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黒い魔法使いと死なない契約  作者: 日曜日更新
【第一章】
5/20

第5話 初恋はコーヒーの香り

 リアは思わず立ち上がり、手を振った。彼が馬から降りるその瞬間まで。


 その眩しい姿をつい目で追ってしまう。


「かっこいい……私もあんな風に乗りこなしたいな」

「ふふ、そっちなの?かっこいいって」

「も、もちろんアレンもよ!」


 そわそわした気持ちが落ち着かなかった。軍手からこぼれた土が鼻先を汚す。


 するとソフィアがくすっと笑った。軍手を外し、ハンカチを取り出すと汚れを拭ってくれた。


「ありがとう……そんなに汚れてた?」

「ええ。熊みたいになっていたわ。これで大丈夫よ。早く行ってきたら?」

「うん!」


 アレンの近くへと走った。みんな彼に注目している。優しい瞳も、声も、昔から変わらない。


「アレン!」

「リア」


 彼はこの町が被災した日からリアを支えてくれた、五つ年上の――兄のように大切な人。


(私の初恋は――)


 ---


「リア、聞いたよ。春祭りの日……大丈夫だったのか?すぐに駆けつけられなくて、ごめん」


 あの日の苦い光景が、思い浮かぶ。


「うん……私は大丈夫」


 心臓の音が速くなり、見えない首輪がわずかに熱を帯びる。


 まるで、何かに締めつけられているかのように。


 息が詰まる。


「ありがとう、アレン」


 考えるより先に一歩踏み出し、近づいた。


 体が少し熱く、触れてしまいそうな距離。けれど……彼の手が迷っていることに気づいた。


 それから静かにリアの肩に触れ、「……ごめん」小さくそう言って、離した。


 それと同時に声が聞こえてくる。

 町の大人たちだ。


「おーいアレン!荷解き手伝ってくれ!」

「こっちも頼む!」


「分かった。順番に行く」


 短い返事。けれど、その声が響くだけで、止まっていた人々が自然と動き出す。笑顔になる。


 誰もが無意識に、アレンの指示を待っていた。


 ---


 だけど時折、アレンが所属している騎士団の人たちが彼を迎えに来る。それは今日に限った話じゃない。


「あ、騎士の人来てるよ」

「え……ああ。本当だ」


 彼は騎士たちと短く視線を交わした後――


「……まだ大丈夫みたいだ」


 そう言って笑顔を見せる。


「ねぇ……アレンって騎士団では今どんな立場なの? 実は副隊長とか?」


 そんな質問をよくする。けれど彼は、何かを誤魔化すかのように笑って答える。


「あはは。うーん」

「それは……君が大人になった時に話すよ」


 そうやって、話題をすぐ逸らしてしまう。――早く大人になりたい。そう思うたびに、なぜか心に引っかかった。


 ---

 

 休憩時間になりアレンの隣に座った。


(隣、空いてる。うれしい。)


「ねぇ、アレンってもう二十二よね?」

「そうだよ」


 彼がコーヒーを飲む横顔を、頬杖をつきながら見つめた。


(黒い魔法使いとのこと……相談したい……)


 かなり迷った。


(巻き込みたくない)


 でも――知って欲しい。話したい。


「……アレンなら、どんな人を結婚相手に選ぶ?」


 契約相手、とは聞けずにそう質問を投げかけてみた。


「突然だね」

「私、もう十七よ! ちゃんと……そういうことだって、考えてるわよ」


(もう、契約してしまったけど……)


 アレンは目を細め、また視線を逸らす。


「もうそんなに経つんだね。結婚相手か……」


 上の空のように呟く。生気が抜けたように、冷たい空気を感じた。


「えっと……例えばでいいのよ。優しいとか、面白いとか。髪が綺麗とか!」


 彼は少しの間、考える。そして。


「嘘をつけない人……かな」


 そう言ってコーヒーをテーブルに置き、揺れる水面を見つめていた。次にこちらを振り向いた時。


「リアならどんな人がいい?」


 いつもの笑顔に戻っていた。だけどその問いに、リアの心臓が少し速まる。


「え……!? えっと……私は……」


 コーヒーの香ばしく、少し苦い香り。リアにはまだその良さが分からない。けど、ずっと決まっていることがある。


「アレンみたいに……ずっと一緒にいてくれる人がいいわ。約束を守ってくれるもの」


 そっと笑顔を向けた。


 これは昔からずっと変わらない。


 遠くで教会の鐘の音が鳴り、幼い日の誓いを思い出した。


 ――だけど。


 コトンッ、と空の陶器の音が響く。


 気付けば、目の前には大人のアレンがいた。

 これが、現実。


 休憩を終えた彼は、椅子から立ち上がる。


「リア、僕はまた作業に戻るよ」

「じゃあ、このマグカップは洗っておくね」

「ありがとう。頼むよ」


 そして彼は小屋から出て行った。


 彼の飲んだマグカップには、茶色のコーヒーの跡がついている。それを水で洗い流した。


 水が勢いよく流れる音がする。


 コーヒーの苦い香りはもうしない。昔は重かったはずの器が、やけに軽く感じた。


 リアは濡れた自分の手のひらを見つめ……水滴が肘までぽたぽたと流れた。


 そして、小窓から見えるアレンに向けて、片手を伸ばした。


「嘘をつけない人……か」

 

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