第86話 混迷するダラマトナ
単なる衛星国の閑静な地方都市ダラマトナは、今喧騒に包まれていた。
普段は亀のように駐屯地に閉じこもっている王国の軍。
それが俄に騒がしく動き出す様子を見せていたからだ。
街行く人々は何事かと噂しあい、勝手な妄想を交換し合っていた。
そのような喧騒からはやや縁遠い場所。
郊外の貧困区に有るトトの家では、少女たちが今後について話し合っていた。
二階のテーブルで、未来、ニノン、トトが向かい合っている。
ニノンとトトは険しい表情を浮かべ、ただ一人未来だけがいつもと変わらぬ澄まし顔をしていた。
「どうにもきな臭い状況がやってきたようだが」
皆にお茶を振る舞いながら、未来がそう言う。
「どうしようか」
「とりあえず逃げられるように荷物纏めとかないとヤバですね」
トトの表情は沈んでいた。
彼女はこの生家を捨てなければならないという事実を、一番よく噛み締めていた。
「本当に魔族軍がソラムを落としたってんなら、間違いなくダラマトナまで来るですよ」
ふむ、と未来は小さく考え込んで。
「どうにも私には位置関係が良く理解できないのだが、そんなに喫緊の危機なのかい?」
そう問いかけた。
ある程度の地図は頭に入れてあるが、距離関係に実感が伴っていない。
この世界で、自分の思う尺度は遠いのか近いのか。
未来にはそれが理解できていなかった。
「そこは私が」
ニノンが口を挟んできた。
「ここから一番近い前線、第113前線区はソラムという後背地に支えられた最前線です。ここダラマトナからはまあ馬車なら数日ってとこでしょうか。そのソラムに物資やらなんやらを供給する基地みたいな街がこのダラマトナってとこですね」
テーブルの上にまるで地図が有るように、ニノンはコップを置いて位置関係を表していく。
「ダラマトナは前線から離れていると言えば離れています。でも、前線が抜かれたら危険ってくらいの場所ですね。本来ならソラムが防波堤になって耐えられるんですけど」
でもねー、と。
ニノンはジト目で溜息をつく。
「前線抜かれるような状況で、ソラムが耐えられるかって言うなら疑問ですね。それだけの大戦力が投入されたって事ですから」
「つまりソラムって街で止まってくれるのは、希望的観測か」
「だと思いますよ。トトさんの反応が正常ですね。どう考えてもヤバいんで」
未来の目の前には、あわあわと落ち着きがないトトが居た。
生まれた地が侵略されようとしている、その恐怖と焦燥は如何程のものか、未来には窺い知る事が出来なかった。
「状況が状況なんで、多分王国も本腰入れて救援してくるとは思いますけど」
腕組しながら、ニノンは渋面を見せる。
「ここが保つかは、怪しいでしょうね。一ヶ月くらいはかかるでしょうから」
「一ヶ月か」
馬車が主な輸送手段であるこの世界ならば、妥当な時間なのだろう。
しかし地球の科学文明に慣れた未来からすると、あまりにも緩慢な動きに思えていた。
「ニノンはどれくらいで魔族がここまで来ると予想する?」
「希望的観測なら二週間」
でも、と。
ニノンは指を振って、答える。
「現実的には一週間かそこらでしょうね」
「成る程、それは王国軍とやらが来るまでは保たなそうな訳だ」
重い沈黙が、部屋を支配した。
三人とも言葉が無い。
おそらく、この街は落ちる。
誰もが無言の内にそう言っていた。
「ローネさんの調子はどうなんだ、トト」
話題を変えるように未来が口を開いた。
「やはりまだ床に臥せっているのかい」
「まだ起き上がれそうにないですね」
首を振りながら、トトも溜息をつく。
「一度に色々有り過ぎて、心が疲れすぎちゃったですよ。まだまだ時間がかかりそうな様子です」
「そうか……」
ローネはシリバの葬儀以降、体調を崩していた。
起き上がる事も困難な様子で1日中ベッドに横になっていた。
食事もあまり喉を通らず、一日一回スープを少し口にするのみであった。
この数日で病弱で線が細かった彼女はさらに弱々しく、見窄らしくなっていった。
「いざとなれば連れ出す事も考えなければならないか」
「そうですね」
トトの視線が、天井を向く。
その先には屋根裏部屋が有る。
そこに眠る母の事を、少女は想った。
「その時はミクにお願いするかもしれないです」
「任せてくれ。力仕事もそれなりに得意だ」
沈んだトトを勇気づけるように、未来は微笑んだ。
しかしそれでも、彼女の顔は晴れない。
「無くなっちゃうんですかね、この街」
弟たちに続いて、こんどは生まれ育った街まで無くなろうとしている。
なんかここんとこ酷い事ばかりですね、とトトは心の中で呟いた。
「大丈夫とはちょっと言えないですねえ」
ニノンの声色も深刻なものを含んでいた。
「気休めで、大丈夫とは言えないです。そんだけ魔族は強いし厄介ですから」
数千年戦い続ける、人類にとって不倶戴天の天敵。
しかも今人類側は著しく劣勢に立たされている。
楽観視出来る要素は何も無かった。
「だから、いつでも逃げられるようにしておいた方がいいですよ、としか言いようがないですね」
「ですよね……」
トトはよろっと立ち上がると、部屋の隅の方へと向かう。
「トトは念の為の荷造りしておくですよ。幸いトトとミクの分は元々やってありましたから、そんな量は無いです」
そう言って、少ない荷物をトトは吟味し始めた。
何をどのように持って行くかと。
残った未来とニノンは顔を見合わせる。
整った顔立ちの少女二人。
しかしその視線は互いに鋭いものだった。
「君はすぐに発つべきだろう。もう目的も達成したんじゃないか」
そう言う未来に、ニノンは首を振る。
「この状況で尻尾巻いて逃げるとかクソ過ぎるでしょ。どんだけ私の事薄情だと思ってんですか」
抱えていた真理の杖でニノンはこんこん、と机を叩く。
「付き合いますよ、少しは。せめてあの子が逃げる手伝いくらいは出来るでしょ」
ニノンは天を仰ぐ。
遥か遠く高い天の彼方。
ロロは今そこに居るのだろうかと、彼女は想う。
そしてそこから自分たちを見ているのだろうかと。
「ロロが憧れた先生は、誰かを見捨てるような格好悪い魔法使いじゃないですから」
なら、それに恥じない自分で有りたいと。
最早二度と出会う事が無くても、あの子の師匠であった事実は永遠なのだと。
自分の先生は最高の魔法使いだと、あの空の果てで誇れるようにと。
ニノンは心を奮起させた。
「眩しいな」
そんなニノンを、未来は目を細めながら見つめていた。
彼女という存在の光に、目が灼かれそうな面持ちで。
「きっと君のような人間を、英雄と呼ぶのだろうね」
「何いきなり恥ずかしい事言ってるのこの人!?」
唐突なその言葉に、ニノンは思わず吹き出した。
「それ持ち上げてるの? それとも羞恥プレイしてんの? 真顔でそんな事言うの止めて貰えます?」
「私としては本音のつもりなのだが」
未来は苦笑しながら肩を竦めた。
「普通言わねえよそんな事……でも顔が良いからちょっと様になってるのがムカつく」
なんだよもーこいつはよー、とぐちぐちと呟くニノン。
だが顔がちょっとニヤけているのを、未来は見逃さなかった。
「とりあえず、私の荷物をここに持ってきますかね。暫く一緒に行動する事になると思いますし」
ニノンはトトの方を向くと、杖をぶんぶん振って呼びかける。
「おーいちびっこ! 暫くここにお世話になるから覚悟してよぉ―!」
「なんで家主の了解も取らねえでそういう事決めるですか!? 常識ねえのかこのアホの子!」
二人はうがーうにゃーと互いを牽制し合う。
精神年齢は同レベルだな、と密かに未来は思った。
「まあいいですよ、それくらいの余裕は有りますし」
しゃあないですね、とトトが最終的に折れた。
「でもここに居座る以上こき使ってやるですよ。覚悟するです。」
「肉体労働以外なら得意ですよ!」
「ここには肉体労働しかねえですよ?」
「知らねえ! 私は頭脳労働者なんだよ! じゃあなまた戻って来るからなーアバヨ!」
逃げるようにニノンは階段を駆け下りていった。
ごん、という鈍い音が階下から聞こえたような気がするが、トトは無かった事にした。
「まったく、あいつが居ると騒がしくて堪らないですよ」
「静か過ぎるよりはいいさ」
未来もテーブルから立ち上がる。
「私も大きめのものを纏めておこう。持っていきたいものがあるかな?」
「そうですねー」
二人の少女が、仲睦まじく作業を行う。
それが敗走準備だという事から目を逸らし、二人は暫しこの作業を楽しんだ。
一方、トトの家から飛び出たニノンは、己の宿へと向かっていた。
それなりの時間を使い辿り着いた、ニノンが滞在する木漏れ日の水車亭は、特に変わりが無いようだった。
探査魔法を使った結果も良好。
特に周りに誰かが潜んでいるとか、騎士に囲まれているとかは無い。
とりあえず最悪の想定からは脱しましたね、とニノンは胸を撫で下ろす。
「すんません、急なんすけどチェックアウトお願いします!」
ささっと自分の部屋に戻り荷物を詰め込んだニノンが、宿屋のカウンターの横を走り過ぎる。
王国民である彼女は魔核経由での自動認証・決済によりハンズフリーで全てを行う事ができる。
魔核という魔導式制御システムを体内に保有するかしないかで、生活の利便性に圧倒的な差が生まれるのがこの世界の常識だった。
行うつもりなら声もかけずにチェックアウトも可能ではある。
だがニノンは礼儀として一声かけるようにしていた。
脳内通信が可能な世の中であっても、声の温かみは無視できない。
それがこの古風な魔法使いのポリシーの一つだった。
両手で鞄を持ちながら、ニノンは走る。
鞄はここに来た時より大分軽くなっている。
スクロールを相当数使った為だった。
今ではなんとかニノンでも持ち運びできる重量になっていた。
街の大通りに出る。
日が高くなったこの頃合い、人々の往来も徐々に激しさを増してきていた。
しかしその誰もが浮つき、気もそぞろという印象を受ける。
それは時折流れる、参事会からのお知らせの所為だと、ニノンには考えるまでもなく理解った。
「まあ自分の街がやべえですって言われて平気なツラしてられる奴はそうそう居ないですよね」
今の所パニックまでは起きていない。
だがもし、ソラムが陥落したという報が入れば――
「あと何日か後にはやべえんだろうな」
おそらくこの街の様相は一変するだろうと、ニノンは思った。
残された猶予時間は思った以上に少ない。
どうするべきかを考えながら、ニノンは貧困区へとひた走る。
あの二人と合流し、今後の事を考えよう。
真理の杖を強く握りしめ、彼女は進んでいった。




