第77話 残酷な答え
ニノンは肩で息をしながら、心の中でほっと胸を撫で下ろす。
――た、耐えきったああああああ!
正直際どい所だった。
魔法の完成があと一秒でも遅れていれば、蒸発していただろう。
だが、ニノンは賭けに勝った。
白き死の濁流を凌ぎきり、生き残ったのだ。
――それに、これでチャージは済みましたからね。
ニノンは自身の魔法を打つ準備が出来た事で、勝利を確信する。
彼女の周囲を回る蒼き燐光は、その印であった。
こうなれば、最早戦いは成立しない。
ニノン・ザ・レイディアントソードの勝ちである。
「散々好き勝手やってくれやがって」
ニノンはずい、と杖を前に突き出す。
「もう怒ったんだからなあ、ニノンさんもなあ!」
怒ったというレベルではない。
正直完全にブチ切れていた。
あんな魔導師でも滅多に撃たないレベルの魔法を、たった一人に向けてぶっ放しやがってコノヤロウ。
世界の至宝、皆の美少女ニノンちゃんが死んじまう所だったじゃねえかよえーっ!
ころちゅ。
最早彼女の心には殺意しかなかった。
そんなニノンの殺意も意に介さず、偉大なる刃は彼女の眼の前に立ち続けていた。
だがその巨人に、異変が訪れる。
ヴィー!
大きな音と共に、ガシャン、と背中の筒が一本、背中から落ちた。
『ちっ、稼働限界か』
忌々しげなソンブルイユの通信が、ニノンの脳内に響く。
その筒は巨人の背に括り付けられている時は然程大きいものには見えなかった。
しかしこうして地面に落ちて見ると、相当な大きさだった。
丈は2メートル程も有るだろうか。
その太さも相応であり、人ならすっぽりと入ってしまいそうな印象を受ける。
「思ったよりポンコツじゃあないですか」
その様子を見て、意趣返しとばかりにニノンは煽る。
「ポロっと行っちゃいましたよ、部品。付け直した方がいいんじゃないですか?」
『落ちたのではない。排除したのだよ』
だがソンブルイユはそんなニノンの言葉に動じず、静かに返す。
『おい、予備を寄越せ。まだ有るはずだ』
そのソンブルイユの通信に呼応するように、新たな筒が奥より転がってくる。
鉄巨人はそれを掴むと、器用に背中に取り付けた。
『これは新型か。丁度いい、こいつの性能試験も行うとするか』
「察するに、それがご自慢のエイジャックスの定理を越えたものですか」
おそらく、そうなのだろうとニノンはあたりを付けていた。
その強大な魔力源を活かし、この鉄巨人を動かしている。
実際大した発明だと思わないでもない。
これは、完全に歴史を変えるものだ。
『左様』
やや誇らしげに、ソンブルイユも語る。
『素材の選定には苦労した。最初は失敗ばかりでね』
ずん、と一步近づき、落ちた筒を鉄巨人は拾い上げる。
『これが完成せねば、我が偉大なる刃も机上の空論。それはもう必死に吟味したとも』
ぐっ、と巨人が力を入れると、ばきりとその外殻が割れた。
ぱらぱらと、皮が剥けるように、それは地面へと落ちる。
『そして、漸く見つけた。理想の素材を』
その筒、透明なシリンダーの中身を見て。
ニノンはあまりの悍ましさに、目を逸らした。
「な、なんて……」
あまりにも、冒涜的な光景。
人に許される範囲を越えた暴挙。
「なんて事を……!」
そのシリンダーの中身は――
無数の、獣人の子供たちであった。
しかも、その様相は人の尊厳を犯すおぞましいものであった。
溶液で満たされたそこは、まさにこの世の地獄としか言いようがなかった。
彼ら彼女らの体は切り刻まれ、胸から下が存在しない。
その両手も切り取られ、まるで虫のような姿になっていた。
胸の下から飛び出る脊椎が、尻尾のようにうねうねと蠢く。
そしてその胸の下からは、幾重ものケーブルが伸びていた。
彼らは一様に虚ろな目で、ただそこに漂っている。
『エイジャックスの定理も、例外が有る。それが生体の保有魔力だ』
生徒に講釈するように、ソンブルイユは説明を始める。
『生きた生物であれば、その限界を越えて魔力を保有する事ができるのだ。つまり生物は最も有用な魔力タンクとなる。そうではないか?』
「そうですね」
吐き気をこらえ、ニノンもそう返す。
「生物の魔力利用は昔から考えられてきました。魔力譲渡等の魔法がその一例です。だから、突飛な発想じゃない」
がん、とニノンが杖を地面に叩きつける。
やるせない感情がそこには乗っていた。
「そして生体の保有魔力量は、その知能に比例する。だから」
『そうとも!』
偉大なる刃がその両手を広げる。
自らを誇示するように、大きく。
『つまり、一番適した素材は、亜人なのだよ! そして複数のそれを組み合わせた方が魔力保有量は桁違いに上がる。つまりより場所を占有せず組み込める子供が最適』
だが、と。
『どうやら魔核が埋め込まれていると、それが導線の役割を果たすらしい。恐ろしい事に、生体でもエイジャックスの定理が適用されてしまうのだよ』
実に残念そうに、ソンブルイユは語った。
『だから、衛星国なのだ。衛星国亜人を調達する為に、ここに研究所を作ったのだ。素材確保の為にね』
なんて、狂気。
王国民の亜人への蔑視、いや自然な従属認識。
それが極まった果てがこれだ。
同じ言葉を話し、手を取り合う事のできる相手を。
ただの素材としか認識できない、この価値観。
あまりにも狂っていると、ニノンは思った。
この男はここで倒さねばならない。
ニノン・ザ・レイディアントソードは誓った。
眼の前に居る男は人として見過ごせぬ悪だと、そう思った。
「コランタン・ド・ソンブルイユ」
両の足に力を入れ、すっくと立つ。
震える手を掲げ、杖を巨人へ向ける。
「お前はここで倒す」
ニノンの周りに輝く燐光が、より一層強い輝きを放った。
「知るが良い、我が輝ける剣の銘が、何故授けられたか」
『どこまでも威勢の良いお嬢さんだ』
そんなニノンに、どこか嘲笑うように、ソンブルイユは笑う。
『ところで……ずいぶんとそれに心を乱されていたようだが、大丈夫かね?」
心遣うような言葉使い。
そして、虚仮にするかのような口調。
彼は軽快に、ニノンに問いかける。
『もしかして……知り合いでも探しに来たのかね? ここに』
「黙れ」
ニノンは最悪の想像を頭から振り払う。
その予想は間違っていると、必死に否定する。
有り得るはずがないと。
『自分で確かめてみたらどうだね、ん? 私は構わないとも』
「黙れと――」
巨人がニノンへ背中を見せるように、くるりと反転する。
それと同時に、バグン、という音が背中からして、筒を覆っていた装甲板が外された。
そこに有ったのは、やはり三本のおぞましいシリンダーだった。
無数の獣人の子供たち
数十にも及ぶ痛ましい犠牲者達が、そこに浮かんでいた。
そんなもの、ニノンは見たくもなかった。
だが、目を逸らせない。
嫌悪しているのに、目で追ってしまう。
探してしまう。
居るはずがないと思いながら、必死で探している。
そして、見つけてしまった。
虚ろな目をしてそこに浮かんでいる、懐かしいあの顔。
可愛らしいロロが、無惨な姿でシリンダーに捕らわれている所を。
小さく可愛らしかったその手は最早無く、太陽のようだった笑顔は何処にも存在しない。
ただ何も湛えぬ瞳が、空虚に空を見つめていた。
「うっ」
ニノンは思わず口に手を当てる。
だが、無駄だった。
「うげえええええええ!!!」
口から熱いものが込み上げる。
胃が痙攣し、その中身全てをぶちまけた。
『随分と繊細なものだ、魔導師とも有ろうものが』
ソンブルイユが気遣うように、優しく声をかける。
『たかが亜人。もう少し気楽に構え給えよ』
「お前ええええええええ!」
口元を拭う事も忘れて。
ニノンは怒りのままに、杖を振るおうとする。
自分の魔法であれば、一撃だ。
一撃で、この醜悪な悪魔を葬り去る事ができる。
そう考え、杖を掲げるが――
ロロとの思い出が、頭を過ぎる。
二人で過ごした楽しい日々を、ニノンは思い出していた。
二人で笑いあった二年間。
人生で何よりも輝いていた時間。
「あ」
――あのような姿になっても、ロロはまだ生きているのではないか?
もしこのまま魔法を放てば、間違いなくロロも死ぬ。
私が、ロロを殺す。
ソンブルイユへの殺意と、ロロへの愛。
それがせめぎ合い、ニノンの体を硬直させた。
『どうしたのかね』
そんな様子を知ってか知らずか、ソンブルイユは彼女に問いかける。
『撃たないのかね、魔法』
ニノンは撃てない。
もしこの魔法を放てば、間違いなくロロは死ぬ。
これから放つのは、例え師でも防ぎ得ぬ必殺の一撃なのだから。
ぎゅっと杖を握りしめる左手に汗が滲む。
撃て。撃つんだニノン。
ここでこいつを止めるんだ。
止めなければ、犠牲が増える。
でも、ロロを殺していいの?
あの子の命を、あの子が好きだった魔法で奪うの?
そんな残酷な事を、私が?
理性と感情が彼女の頭の中で激しくぶつかり合う。
ぎり、と食いしばった歯が軋みを上げる。
目には涙が浮かび、顔が歪んだ。
『哀れだな、古式』
巨人に覆われ、その顔は見えないが。
ソンブルイユが憐れむ視線を向けているだろう事を、ニノンは察していた。
『信仰と合理性を備えていれば、そのように悩む事は無かったものを』
「私、は」
震える声で、ニノンも返す。
「見たこと無い神様の教えより、目に見えるものを大切にしたいんですよ」
『背信者め』
偉大なる刃が右手を掲げるのが見える。
あの棍棒が、今から自分に向かって振り下ろされるのだろう。
だがニノンの手も足も動かなかった。
即座に魔法を放てば良い。
そうでなければ、逃げれば良い。
だというのに、彼女の体は動かなかった。
まるで固まってしまったかのように、杖を掲げたまま動けない。
ただ小刻みに震える様だけが、彼女が彫像ではなく生有る人間である事を表していた。
『これで試験終了だ。さらば、時代遅れの魔法使いよ!」
大上段から唸りを上げて棍棒が迫る。
あ、これ死ぬな。
ニノンは冷静にそれを見ていた。
死が目前に迫る中、何故か心は静かになっていた。
先程の脳内の喧騒も無く、だた穏やかに。
迫りくるそれを受け入れていた。
最後にロロに会えた。
多分それで満足してしまったのだろうと、ニノンは思う。
そして望んでいた毎日はもう戻ってこないと理解してしまった。
だから、もういい。
もういいのかもしれない。
――楽しかったなあ。
蘇るのは、ロロとの思い出ばかり。
あの子と出会って、自分の人生は完成した。
そしてあの子と別れ、人生は終わる。
それだけだ。
ほんの数秒が、永遠にも長く感じられた。
とてつもない速度で、ゆっくりと、巨大な鉄の塊の一撃が迫ってくる。
その腕が、唐突に落ちた。
肘から先が、別の生き物のように。
ただぼとりと、その場に落ちる。
上腕は手先を失い、虚しくそれを空回りさせていた。
一体何が、と思うより早く。
その声は、彼女の耳に届いた。
「だから言っただろう」
威風堂々と彼女の前に立つその姿は。
良く知っている後ろ姿だった。
黒い髪を靡かせた、馬車の中で出会った少女。
「困った時は、きっと助けると」
「未来、さん」
ニノンはそこに信じられぬ者を見た。
天音寺未来。
ここに居るはずのない彼女が、そこに居た。




