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第65話 研究所の主

 コランタン・ド・ソンブルイユは、自他共に認める几帳面な男である。


 時間にとても厳しい。定めた時刻に遅れる事は決して許さず、時間厳守を徹底させる。


 スケジュールの遅延も変更も認めない。彼が定めたタイムスケジュールは死守される必要がある。

 彼が納得するだけの論理性と理由が提示されなければ、絶対に認めない。


 服装にも厳しい。彼の前では服装の乱れなど許されない。一糸乱れぬぴしりとした佇まいでなければ、雷の如き叱責が飛んでくるであろう。


 猛禽のような鋭い目つきと、ややこけた頬が形作る神経質そうな顔。

 表情も胡乱なものはなく怜悧な印象を周りに与えていた。

 ねめつけるように整えられた髪は、如何に動こうと乱れる事は無い。


 姿勢はまるで人形(マネキン)のように美しく真っ直ぐで、それが彼の纏う雰囲気を一層引き締めていた。




 そんな彼だからこそ、こんな地下深く、太陽すら届かず昼夜も窺い知る事のできない環境であっても、睡眠は定められた通りに取っていた。


 時計通り、夜半になれば眠り朝までぐっすりと就寝するのが彼の常であった。

 彼の執務室の奥にある仮眠部屋で、簡素ながらも上等なベッドに横たわり彼は眠る。


 彼自らが選んだふかふかの寝間着(ナイトウェア)を身にまとい、頭にはナイトキャップが嵌められている。


 上等な羽根枕と布団に埋もれたソンブルイユは寝息すら規則正しく定期的に立てられており、眠っている時まで規律の正しさを発揮するのかと思わせられるものがあった。




 そのような夜半の休息を取る彼の脳内に、激しく明滅する呼び出し光(コールフラッシュ)が生成される。


 ソンブルイユは直ちに微睡みに沈む夢の国から呼び戻された。

 時刻は夜半。日付が変わった直後くらいであろうか。心地よい眠りに落ちた直後に近い。

 不機嫌そうに顔を顰めながらも、彼はナイトテーブルに置かれた鋼鉄製のスクエア眼鏡(ウィッチグラス)を掛けながら通信に応答する。


『何用か』


 その声に、不機嫌なものが混じっているのは、気の所為ではない。

 寝入りばなに起こされて鷹揚な態度を取れる程、ソンブルイユは心に余裕を残してはいなかった。

 自らが定めた時間通りに動く事を至上とする自信の信念を侵されて、心安らかなはずがない。


 ソンブルイユの脳内に浮かび上がった通信主はその声を聞き、緊張を強めた様子が見て取れた。

 怜悧な印象のソンブルイユとは対照的に、柔らかい印象を持った青年の姿がそこには有った。

 女性が黄色い声を上げそうな、柔和な顔立ちの美丈夫。

 しかし今のその顔は、一目で分かるほどに強張っていた。


『は』


 返事をする通信の主、総隊長のヴァランタン・ド・ボーランの声は、その一節から伺える程に緊張していた。

 自身のタイムスケジュールを侵すという愚行がどれだけ怒りを買うか、この男も良く知っているはずだ。

 そうまでして報告せねばならない事態という事か、とソンブルイユは理解する。


『侵入者です』


 ボーランは簡潔に、必要な情報だけを伝える。

 余計な前置きや華美な装飾は無い。

 それは不要だと初めて会った時から伝えており、今に至るまで完璧に守られていた。


『侵入者』


 ほう、とソンブルイユは思わず声を漏らす。

 意外な、という驚きと、何故、という呆れ。双方の感情がそこには乗っていた。


『侵入者。侵入者と言ったかね、君』


 こつこつと、人差し指で眼鏡(ウィッチグラス)の蔓を叩く。

 ソンブルイユ卿が苛立ちを見せている時のサインであった。


『侵入経路は』


『素材搬入用の転移魔法陣を使用されたとの報告が』


 それはダラマトナの郊外、廃墟区に設置された、研究用の()()を調達する為の秘密の出入り口であった。

 殆ど人が訪れぬ目立たない場所を選び、設置したものだ。


 打ち捨てられた廃墟区は、乞食どもも近寄らない。

 魔族の呪いが残るだのという俗説が彼らを遠ざけていたのだ。

 そしてそれは、彼らにとっては実に都合のいい噂だった。


『誰が』


 ソンブルイユ卿は、語気を強める。

 ボーランに圧をかけるように。


『そこから侵入してきたと?』


 語気だけではない。

 猛禽の如きと称される鋭い目つき、そこから放たれる眼光はいよいよ以て鋭利さを増していた。

 まるで槍先を鼻先に突きつけるかのように、ソンブルイユは部下を睨みつけた。


 ボーランは一瞬、言葉に窮したようだった。

 しかし意を決すると、口を開く。


『報告された情報からすると』


 意を決して、彼は答えを告げた。


『例の古式(オブソレット)の娘かと』


 ソンブルイユは怒りのあまり顔が紅潮し、頬がぷるぷると震えるのを感じた。

 眼前が真っ赤に染まるような錯覚と、頭に熱が籠もる感覚。

 眼の前のボーランがさらに縮みあがったように見えたが、それに慮る義理は無い。


『私は言わなかったかね?』


 ソンブルイユは、極めて冷静に、そう努めて冷静に話したつもりだった。

 だが声の震えと一オクターブ低い声色が、そうしきれていない事を彼自身も実感していた。


『【伝統派魔法使いには気をつけろ】と。決して侮るなと』


 そうだろう?と再度念を押す。


『それとも……もしかして、私の記憶違いだったかね? 一月前に全員を集めて重々に言い含めたのは』


 ソンブルイユはその娘が訪れた直後より、彼女を脅威として認識していた。

 故にそれまで毎週のように行っていた調()()も控えさせ、徹底的にやり過ごす方針を指示した。

 彼女が根負けして帰るまで。


 それを、部下にも徹底した。彼の中では、そのはずだった。


『ソンブルイユ卿自らが我々に下した命令(オーダー)は、勿論一同一言一句記憶しております』


 にこやかな笑みを絶やさぬようしているようだが、ボーランの顔には見て分かる程の汗が流れ出していた。

 

『しかし、その真意を隠したまま使われる末端の駐屯軍には意図が伝わらぬようで……』


『成る程成る程』


 ソンブルイユは面白そうにくつくつと笑いながら、顔に手を当てて笑い始める。


『【魔法使いの娘を監視せよ】、そして【その情報を漏らさず上げろ】という私の指示はまったく守られていなかったと、そう言いたいのだな貴公は』


 ハハハハハ、と乾いた笑いを上げるその姿は、裏腹に恐ろしさを孕んでいるように見えた。


『どうして!』


 遂に、この施設の責任者である男は激昂した。

 嘆きとも憤怒とも取れる叫び声をあらん限りに張り上げる。


『どうしてどいつもこいつも言われた事ができんのだ! 私の指示にそんなに理解に苦しむ部分が有ったか!?』


 私の指示はいつでも完璧だろうに!

 そう叫びたくなるのを、ソンブルイユは必死に抑える。

 それを忠実にこなせばなんの問題も無いとソンブルイユは確信していた。


『私の命令(オーダー)は単純かつ明瞭に発せられているはずだ。違うか?』


『はい、その通りかと』


『ただ言われた通りに動けば何も問題無いのだ。何故あいつらはそんな簡単な事がこなせんのだ!』


 いつもいつもこうだ、とソンブルイユは頭を抱えた。

 どれだけ自分が完璧な計画を立てようと、他人がそれを瓦解させる。

 考えた通りに動いてくれれば問題など起きようはずもないのだ。

 それを何故あいつらは――


『あの馬鹿もそうだ!』


 ソンブルイユはつい先日起きた、衛星国の馬鹿(セクタ・ミノール)が起こした事件を思い出す。


『こちらが良いというまで控えろと言っていたのに、調()()なんぞしおって!』


『彼らも必死であったかと愚行します』


 冷や汗を流しながら、ボーランは口を挟む。


調()()に関与する衛星国民(セクタ・ミノール)は、基本的に貧困者です。そこを利用し、我々は金で彼らを釣って協力者に仕立てあげました。食うに困る乞食から、衛兵や防衛隊の者達まで』


 部下の言葉を、不愉快そうにソンブルイユは聞いていた。

 そんな事は言われずとも知っている。

 なにせそれを提唱したのは自分自身なのだから。


『我々にとっては単なる()()()程度の額ですが、彼らにとっては違います。目も眩むような大金なのです』


『あの程度の額がか?』


 ソンブルイユ視点としては、はした金のつもりだった。

 出してもさして痛くないような、ポケットマネーで賄える額。

 実に安上がりだなとすら思っていた。


『あの程度の額でもです』


 ボーランは確か下級貴族の出だったな、とソンブルイユは思い出す。

 衛星国民(セクタ)の心情を理解するのも、それ故だろうなと。


『彼らからすれば、一ヶ月もこの()()を禁じられるのは死活問題なのです』


 わかりますか、と尚もボーランは問いかける。


『中にはその日食べるものに困っている者すら含まれるのです。ソンブルイユ卿からすれば愚かな行いであろうと、そうでなければ死ぬのです』


『成る程、成る程』


 先程までとは打って変わって、静かな声でソンブルイユは言葉を発した。


『下々の者にも苦労は有る。理解はしよう。同情はしよう』


 そう、まるで納得したような物言いをして――


『だがそれと私の指示を守れぬ事、それで問題を巻き起こしたのは別であろうが!』


 再び、いやさらなる激怒を以てソンブルイユは叫ぶ。


『どう考えてもこの侵入はあの所為であろう! 魔法陣の転移先を逆解析されたと見て良い! どれだけ愚かなのだ、未開の蛮人(セクタ・ミノール)は!』


 勿論件の下手人にはたっぷりとした報酬が払われた。

 神の国への旅路という、人生で一度きりのプレゼントが。


『この街の連中はもしや私を憤死させようとでも画策しているのかね!?』


『私どもも再三勧告し、指導は行ったのですが』


 ボーランは先程よりも必死な形相で言葉を並べているようにソンブルイユには見えた。

 しかしそれがどうにも言い訳がましいと、心の中で余計に怒りが湧いてくる。

 

 どうしてこいつらは素直に自らの誤りを認められないのか。


『どうにも一般の兵や騎士達には、古式(オブソレット)への侮りが強く』


 またそれか!

 ソンブルイユはうんざりした。

 王国民(エタ)が抱く通念は、彼も良く理解していた。


 現代式(デルニエクリ)が最新式であり、尤も優れた最新の魔法であり。


 古式(オブソレット)は時代遅れの役立たずだと。


『実際私としても、ソンブルイユ卿がそこまで過剰に警戒する程のものなのかと思うのですが』


『今の時代の者であれば、そうそう知らぬのも無理ないのだろうがな』


 最早怒る事にも疲れ果て、ソンブルイユは言う。


古式(オブソレット)は魔王が出現する前は、戦場の花形であった。彼奴らが使う魔法が戦域の勝敗を左右し、如何に魔法使いを守るかが要だったのだ』


『ですが今は現代式(デルニエクリ)により、万人が魔法の恩恵を与れます』


 そう、現代式の登場により魔法は広く門戸が開かれた。

 魔導式という新たな技術と、魔核(ロイユ・セレスト)という制御装置の誕生により、王国民(エタ)はその恩恵を享受し、より発展した。


『恩恵。そうだな、万人に恩恵は降り注いだ』


 ふん、とソンブルイユ卿は鼻を鳴らす。

 愉快そうに、不愉快に。


『だがその()はどうだと思う? 現代式(デルニエクリ)はその汎用性により、使い手を選ぶ古式(オブソレット)を駆逐した。それが主流となった理由の一つでもある』


 だが、と。


『それは――古式(オブソレット)の質までも、現代式(デルニエクリ)に劣ると、そうなると思うかね?』


 ボーランは言葉に詰まったように見えた、

 彼自身は現代式の使い手であり、その有用性も強さも熟知しているはずだ。

 だが、古式がなんなのかまでは知るまい、とソンブルイユは思う。

 そうでなければ、ここまで侮らぬ。


『違う。まったく違う』


 それより前に、ソンブルイユはそれを否定する。


古式(オブソレット)は依然として強力だ。()()()()()でならば、変わらず脅威なのだよ。奴らは戦場を焼き、切り裂き、削り取る』


 そう、強いのだ。

 古式(オブソレット)――伝統派魔法使いというのは。

 筆舌しがたい程に、強く恐ろしい。


『ましてや、魔導師(マスター)クラスともなれば、歩く戦略兵器だ。かつては国の移動すら制限されていた、まさしく国の財産だったのだ』


 それは遥か過去の話。

 魔王という世界を変えた怪物が現れる前、確かに彼らは世界の主役だった。


『だから私は侮るなと言った。細心の注意を払えと』


 故に、そのような存在から目を逸らす事は自殺行為だと、ソンブルイユは良く知っていた。


『しかも()()ブラックハートの弟子ともなれば、尚更だ。あの化物が生み出した魔導師がまともであるはずがない』


 そして、今の状況が思っているより遥かに悪いと、彼一人だけが理解していた。


『ボーラン総隊長。貴公はすぐに現場の指揮に戻り給え。可能であれば対象を制圧せよ』


 反射的に、ボーランは敬礼を取る。

 ソンブルイユ卿よりの命にはただ従うのみという姿勢がそこからは見て取れた。

 そこには先程までの伺うような姿勢は微塵もない。

 ただ忠実に命令をこなす彼の右腕としての姿に相応しく見えた。


『私は()()の準備をしておく。場合によっては必要かもしれんからな』


 その言葉と共に、ソンブルイユは通信を切った。


 どうやら今夜は徹夜だな、と心の中で独りごちた。


 その雰囲気に似合わぬ、可愛らしい猫の刺繍が入った寝間着を放り投げ、彼は騎士服に着替える。


 閉所、それもこちらの研究所(フィールド)であれば間違いなく有利であろう。

 しかしそれでもという可能性は残る。


 そうであれば対抗できるのは()()しかない。

 ソンブルイユは素早く身支度を整えると、足早に部屋を後にした。

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