第37話 再び馬車へ
翌日。
宿で一夜を明かした一行は、パサを出発する。
再び馬車に半日揺られる時間の開幕であった。
ちなみにニノンの荷物はやっぱり未来とトトが運んだ。
「馬車って暇ですよね」
トトが退屈そうにつぶやく。
早朝から夕方近くまで、がたごとと運ばれるだけの時間は、少女にとってはあまりにも長過ぎる拘束時間だった。
「大人しく寝とけばいいんですよ」
すっかり距離の縮まったニノンが、二人の隣に座っていた。
「やる事無い時は寝とくのが一番です」
そう言ってニノンは遠い目をした。
「寝たくても寝れない時も大人になればありますからね……ヒヘヘもう五徹はしたくねえよワシは」
「良く死ななかったですね」
一日徹夜くらいは有るが、流石に五徹は人間辞めてるとトトは引いた。
「確かに退屈を紛らわせる術がなければ、人間寝るくらいしかやれる事は無いからね」
未来はそう言いながら、背もたれに体重を少しかける。
「生憎私も他人を楽しませるような話題は持ち合わせていなくてね。申し訳ない」
どうにも口下手でね、と未来は苦笑する。
「大体まだ朝ですよ。寝れねえですよ」
馬車が出発して、未来の体感では二時間というところか。
まだまだ朝と言って差し支えのない頃合いだった。
「私は朝でも夜でもいつでも寝れますが」
ニノンは少し得意げだった。
それ絶対自慢する事じゃないよなとトトは心の中で思った。
「トトさんの言う事も一理有るかと思います。
そーこーで!と。
「昨日の話の続きでですね、お二人の魔法適正を私が測ってしんぜましょう」
「魔法適性?」
「そのままどんだけ魔法使いに向いてるかって話ですね」
昨夜見せたように。
ニノンは教師の顔で話を続ける。
「どれだけ魔法を連続して使えるかに関わる、体が保有する魔力量。魔法陣を書く為の魔力操作力。呪文や魔法陣を励起させる為に送り込む魔力出力。色々ありますが、そういうのを調べてみませんかって話です」
「なんか面白そうですね」
魔法に憧れが有るだろうトトは興味津々だった。
「私も少し気になるね」
未来も興味を引かれたのか乗ってくる。
「じゃあ、早速やってみましょうか。トトさん、両手の掌を上に、手を差し出してくれませんか」
「こんな感じです?」
言われた通りに、トトが手を差し出す。
その上に、ニノンは手を重ねた。
「じっとしててくださいね」
ニノンは静かに目を閉じる。
まるで瞑想に入るように、それは普段の彼女からは考えられない静謐さを纏っていた。
「どうです、胸の辺りが熱くなってきませんか?」
最初は不思議そうに首を傾げるトトだったが。
あ、と。
不意にトトが声を上げる。
「なんか胸があったかくなってきたですよ。ドキドキするです」
「それが魔力の感覚です」
ニノンも嬉しそうに言う。
「魔力量は……まあ、なかなかですね。悪くない感じです」
むー、と唸りながら、ニノンはさらに言葉を続ける。
「その熱さを、腕の方に押し込むようなイメージで動かせませんか? 私の掌に伝えるような感覚で」
「えっと、こうですか?」
「そうそう、上手ですよ! そのままそのまま」
そんな二人の様子を、未来は微笑ましそうに見つめていた。
柔らかな笑顔は、まるで子を見守る母のようにも見えた。
「繊細さは……うん、まああんまり……でも押しは強いですね。大雑把でどかんと一発かますタイプですか」
うんうん、とニノンは頷く。
「多分50年くらい頑張れば私と同じくらいにはなれますね。大したもんです」
「なんか全然嬉しくねえですよ!?」
「50年で私と並べたら普通に凄いですからね!?」
このお子様は、と言いながら。
ニノンは未来に向き直る。
「では今度は未来さんの番ですね」
「今トトがやってた要領でいいのかな?」
「そうですね。まず胸の中の熱を感じてください」
そう言うと、ニノンは未来に手を重ねる。
この人はどうだろうな、とニノンは思う。
トトという少女は決して無才ではなかった。
仕込めばちゃんとものになるだろう。
そも獣人は魔法使いには向いている。
もし古式がメインストリームに鎮座し続けていたなら、人間がここまで幅を利かせる事は無かっただろう。
実際、古代の魔法使いというのは人間というイメージは少なかったのだから。
そんな事を考えながら、ニノンは自らの掌より未来の掌へ、魔力を流し込む。
この手法は自らの魔力を対象の魔力路に強制的に流し込み、魔力核を強制的に覚醒させるという一種の荒業であった。
魔力を制御できる魔法使いでは成立しない。
一方が魔力操作の素人で為すがままだからこそ成立し得る、そんな技法だった。
ニノンは魔力を流し込む。細く、深く。
相手の奥底まで潜り込むように。
「ん?」
送り込む。
送り込む。
送り込む。
「んん?」
送り込んでも送り込んでも。
底が見えない。
どういうこと!?
彼女は混乱する。
こんな事態はあり得ない話だった。
それこそ、まさか――
「魔力が、無い?」
魔力が存在しないのであれば、起き得ない事態。
愕然としたように、ぽつりと呟いた。
「そうなのかい?」
対する未来は特に気にした風も無かった。
「まあ、そういうものかもね」
「いやいやいやいや」
ニノンは慌てたように首を横に振る。
「魔力が無い人間って、あり得ないでしょ? 見た事も聞いた事も無いですよ???」
「眼の前に一人居るようだが?」
レアケースだね、と未来は笑う。
「笑い話じゃねーよ! こんなの想定してないよぉ……うひぃ……」
ニノンという魔法使いの常識にはあり得ない状況だった。
人も物も、魔力を宿す。それが世界の理だった。
魔力を保有しないものなんて、理論上存在するはずがないのだ。
真実だとしたら、世紀の大発見である。
大発見だが、だからどうしろと。
ニノンは心の中で頭を抱えた。
「ああ、なるほど」
――不意に。
足首を唐突に掴まれたような、そんな感覚がした。
ぞくりと背中に悪寒が走る。
決してあり得ない、埒外の奇襲。
「経絡か、つまり」
ニノンの魔力が、押し返される。
未来の体より、力強く、そして繊細に。
咄嗟にニノンはそれに抵抗しようと、意識を集中する。
だがそれを嘲笑うかのように、自らの魔力がその所有権を失ったように――突如の反逆者と化して、ニノンの魔力路に逆流して襲いかかる。
ニノンは声にならぬ悲鳴をあげた。
このような事は初めてだった。
いや、一度だけある。
まだ未熟だった頃、師匠から魔力操作の師事を受けていた時の事だ。
同じように二人の魔力路を繋ぎ、こうやって魔力の押し合いをして。
師匠には一方的にボロクソにされたっけ。
その時と同じような、全てを弄ばれるような感覚が、再びここにある。
あの頃よりも何もかもが完成され、上を行っている今なのに!
「おっとすまない、不躾だったかな」
未来がぱっと手を離す。
「初めての感覚でね……年甲斐もなく、はしゃいでしまった。失礼をした」
「いえ」
ニノンは言葉少なにそう返すのが精一杯だった。
胸に去来したのは恐怖か、敗北感か。
ただ眼の前の少女の才能に戦慄した。
「未来さんは」
少し心が落ち着いてきたのだろう。
彼女は言葉を絞り出す。
「魔力は全然ですけど……その他は多分、天才的です。こんな人見たこと無いです」
「ミクの方がトトよりすげーです?」
「いや結局魔法自体使えないんで、トトさんの方が上ですね」
「やった! ミクに勝ったです!」
わーい!と無邪気に喜ぶトト。
そしてそれを微笑ましく眺める未来。
その二人をぼうっと見つめながら、ニノンは掌をにぎったり開いたりして――先程の感覚を思い出す。
あまりにもちぐはぐな、その才。
魔力を持たないのに、その操作は誰よりも上。
まるで、何処か別の場所より現れたような、完璧な異才であった。
もし彼女が魔法を使えたなら。
おそらく、誰よりも大成しただろう。
きっと歴史に名を残す大魔導師になったに違いない。
その事が、少し惜しいと感じた。
それから暫く、トトとニノンはじゃれあっていた。
トトはどうやら先程の感覚がいたく気に入ったようだった。
「トトも魔法、習ってもいいかもです」
「ちみっこもようやく私の偉大さが分かりましたか」
「お前の偉大さじゃなくて魔法の凄さです。勘違いするなです」
トトが楽しそうに、魔法についての興味を見せていた時。
完全に弛緩しきっていた、その時。
未来が不意に、彼方を見やる。
馬車の幌の先まで見通すように。
「はぐれだーッ!」
緊迫した男の怒声が響き渡った。
「はぐれが来た! 客は馬車から出るな! 絶対だぞ!」
周囲がにわかに騒がしくなる。
音だけではない。
先程とは違う、緊迫した空気。
何も変わっていないはずなのに何もかもが翻ったような、名状しがたき感覚。
それが場に溢れた。
「はぐれ?」
未来が不思議そうに呟く。
「もしかして意外と箱入りですか未来さん」
ニノンが焦ったように言う。
「はぐれ魔族ですよ。つまりですね」
彼女の顔にも、緊張が走っていた。
いつものちょっと緩んだ表情ではない。
それは引き締められ、魔導師としての顔が彼女を支配していた。
「襲撃です」




