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第98話 決死隊

 屋根裏に設えられたベッドに、ローネの姿は有った。

 元から線の細かった彼女は今や更にやせ細り、生気が感じられぬ姿をそこに晒していた。


 最早立ち上がる事すらできないのではないか。


 そう思える程に弱り果てているように、傍目からは見えた。


 その傍ではトトが椅子に座り、母の手を握っていた。

 温かな感触は記憶通りの優しい手。

 しかし前よりも骨の感触が近くなったように、トトには思えた。


「もうダラマトナは駄目ですよ」


 トトは静かに、ローネに語りかける。


「魔族が沢山やってくるです。この街も全部無くなるですよ」


 ぎゅっと、少し力を入れて手を握った。


「だからトト達も逃げるです。もう準備はしてあるですよ」


 だがローネはゆっくりと首を横に振る。


「行けないわ、私は」


「駄目ですよ!」


 トトは思わず声を張り上げた。


「もう一日二日で魔族が来るんですよ!? このままだと死んじゃうです!」


「でも、私はここから離れられない」


 娘を嗜めるように、弱々しく、しかし優しくローネは告げた。


「そうしてしまったら、ザバとカロが戻って来る場所が無くなってしまうわ」


 未だ行方不明のザバとカロ。

 もし二人が帰って来た時、ここが誰も居ない場所になってしまっていたら。

 そう思うと離れられない。

 ローネはそう言っていた。


「でも……」


 弟と妹の事は、トトも気にならないわけではない。

 もし帰ってきたらとは彼女も思っていた。


 だが危険は、目前まで迫っているのだ。


「シリバは迎えてあげられなかったもの」


 天井を見つめるローネの視線は遥か先、天高くを見据えていた。

 彼女には見えていた。

 空の上に居るシリバの姿が。


「だから、あの二人を待っていてあげないと」


 頑なにそう言い張る母の姿に、トトは何も言えなかった。




 未来とニノンの目に、とぼとぼと階段を下りてくるトトの姿が入ってきた。


「やはり駄目だったか」


 そう言う未来の表情は厳しい。


「ザバとカロが戻るかもしれないから、動けないって」


 悲しそうに首を振るトトの言葉に、未来とニノンは一瞬だけ表情を固まらせる。


 その願いが二度と叶わない事を、この二人は良く知っていた。


 だがその真実を告げる事もまた出来なかった。


「そうか」


 ただ一言、そう返すだけで精一杯だった。


「でもこのまま居てどうするんです」


 お茶を啜りながら喋るニノンの言葉に、柔らかさは無い。

 冷徹な魔導師としての問いかけがそこには有った。


「ただ蹂躙されて無駄死にするつもりですか」


「トトだって死にたくはねえですよ……」


 トトはスカートの端をぎゅっと握りしめる。


「でもお母さんを置いてけもしないですよ。どうにもならないですよ」


 まだ子供と言っても良い獣人の少女に、家族の去就が委ねられるのは、あまりにも荷が重かった。


「いざとなれば私が強制的に連れて行こう」


 未来が迷いなく言い切った。


「死ねば終わりだ。何もかも。まずは生きなければ」


 その言葉にニノンも無言で頷く。


 後悔するのも、嘆くのも、生きてるから出来る事。

 まずは生き残るべきだと、彼女もそう思っていた。


「とりあえず今後の段取りを考えよう」


 未来がひょいと、ニノンの手から情報端末(アルカナ・ロール)を抜き取る。


 ニノンが、あ、と言う間もなく、それは未来の手に収まった。


「街の公式ファブリックを見てみると……馬車はそれなりの台数が確保されているようだね」


「そりゃこの状況なら強制的に徴発したでしょうからね」


 街が滅ぶ瀬戸際、業者が持つ馬車を召し上げる事に参事会も躊躇いは覚えない。

 衛兵を使い強制的にそれを行い、避難民達の輸送に使う心積もりであった。


「だが流石に街の住人全員を乗せる事は不可能だろうと思うのだが」


「全員どころか半分も難しいんじゃないですか?」


 万を越える人数を一度に輸送する事など、誰も想定などしていない。

 どんなに馬車をかき集めても、千人運べれば上出来。

 下手すればもっと少ないかもしれないと、ニノンは予想していた。


「乗れなければ」


「まあ、終わりですよ」


 生存への切符は、残り少ない。

 その事を改めて二人は確認していた。


 未来はもう一度、天井を見やる。

 逃げる事を考えるのならば、すぐにでもローネを連れ出すべきだった。


 しかし、未来の足は動かない。


「親だものな……」


 未来の呟きは、誰に向けられたものだったのか。


「例え命散るとも、待ちたいか」


「私にも、分からないでもないですよ」


 ニノンもぽつりと、言葉を重ねる。


「帰って来る場所を守りたいって気持ち、私にも有りますから」


 例えどんなに愚かな選択だとしても。

 二人の少女には、その母の気持ちが蔑ろにできるとは思えなかった。


「本当に悩むな」


 困ったように、未来が笑う。


「理性は今すぐ発てと言っている。だが私の心は、彼女を尊重したいと叫んでいるんだ」


 滑稽だな、と。

 未来は自嘲した。


「どうにもならない気持ちがぶつかり合って、いつまでも悩むしかないですよ」


 ――だって、私達は人間なんですから。


 ニノンの言葉が、優しく未来に寄り添っていた。


 複雑に綯い交ぜになった感情が、そこには有った。


「結論は出ないが」


 それを断ち切るように、未来が言う。


「とりあえず馬車の様子だけでも確認しに行こう。予約が出来るのであればしてしまってもいい」


「ですね。現地がどうなっているかだけでも見ておくのは悪くない判断だと思います」


 すっと立ち上がる二人の少女と対照的に、トトは静かに座り込んだままだった。


「トトは、お留守番してるです」


 いつも明るい少女が、太陽を失ったように暗く、しょげている。

 この幼い少女はもう限界に近いのかもしれない。

 未来にはそう感じられていた。


「なるべくローネさんに付いていてあげてくれ」


 そんな彼女を励ますように、未来は笑う。


「もし馬車が取れたら、一緒に逃げよう。もう有無を言わせずにね」


「頼んだです」


 やはり静かに答えるトトを残し、未来とニノンは外へ出た。




 馬車乗り場は、既に人でごった返していた。


「うわあ」


 ニノンが思わずそう零してしまったのも無理からぬ、人の海がそこには展開されていた。


 人、人、人。


 大きなカバンを持った住人達が、そこには押し寄せて来ていた。


「早く、早く乗せてくれ!」


 男が焦ったように叫ぶ。


「魔族が来ちまう! すぐに出発しないと!」


 その男に限らず、その場に居る人間には多かれ少なかれ焦りが垣間見えた。

 不安げな顔に、焦燥感にかられた表情。

 それが場には蔓延していた。


「皆さん、落ち着いて!」


 馬車へと殺到する人の波を、衛兵が食い止める。


「馬車へは順番にご案内しますので、どうか落ち着いて!」


 彼は必死に自らの職務を果たそうと、声を張り上げる。

 極力にこやかに装い、両手で人々を宥めようと努力していた。


「どう見ても馬車の数が足りねえだろ!」


 だが、それも怒号にかき消される。


「ここに居る全員だって怪しいじゃねえかよ!」


「馬車はまだ有ります!」


 衛兵は必死に声を張り上げる。


「まだまだやってきます。ですから、落ち着いて!」


「ふざけんな、早く乗せろ!」


 そう言って無理やり馬車へ向かおうとする男を、衛兵達が押し留めていた。

 周りを見れば、衛兵だけでなく防衛隊の面々もこの騒動を平静に保つべく参加しているようだった。

 馬車の周りを囲み、それが不埒者に奪われないよう睨みを効かせている。


「思った以上に酷いな」


 未来が呆れたように頭を振った。


「まあこんなもんだとは思ってましたよ、私は」


 対するニノンはほへーと平静を保っている。


「でもまあ、目の当たりにするとちょっと引きますけどね」


「状況的に見ると先着順か、これは」


 喧々諤々のこの様子を見ると、予約などというお上品な手法が取られているとは到底考えられなかった。


 先着順の早いもの勝ち。


 例え当初想定されていたのが違う方法だったとしても、そうならざるを得ない状況がここには有った。


「となるともう強制的にローネさんを連れ出すしか無いか」


「まあ戻って帰ってきて、それでギリギリって臭いですよねこれは」


 一刻も早く馬車を確保すべし。

 二人の意見は一致していた。




 足早にトトの家へと戻ろうとした未来とニノンは、大通りの一角に人が集まっているのを発見した。


「なんでしょう、あれ」


 んー、とニノンが目を凝らす。

 どうやら防衛隊の一人が、何やら叫んでいるようだった。


「もう一度、最初から言う!」


 手に持った槍を振り上げながら、彼は声を張り上げる。


「このままでは、住人全員が退去する前に魔族の大群がやってきてしまう! そうなれば、皆殺されてしまうだろう!」


 顔を真っ赤にさせ、つばきを飛ばし防衛隊の男は熱弁を振るう。


「それを防ぐにはなんとかして魔族の侵攻を遅らせるしかない。ほんの僅かでも!」


 周囲の人間は、それをざわめきと共に聞いていた。

 聴き逃がせ無い熱量がそこには有った。


「我こそはと思うものは、ダラマトナ決死隊に志願して欲しい! 報酬も無く、確実に死ぬ!」


 だが、と。


「それでも、君たちが守りたいものは守れる! この街の為に共に死ねる同志を、我々は求む!」


 献身により誰かは救われると、彼らは主張していた。

 少なくとも、彼ら自身はそう信じているようだった。


「今更素人集めて突撃してなんになるんですかねえ」


 半ば呆れたようにニノンは吐き捨てた。


「無駄死にだと思いますけどねー私はねー」


 だが、未来は違った。

 その話を興味深そうに、咀嚼するように聞いている。


 そんな未来の様子に、ニノンも気づく。

 そして何か悪いものを見てしまったかのような視線で、彼女の顔を伺った。


「あの、未来さん? もしかして良からぬ事を考えてません?」


「流石に私も単独で軍に突っ込むのは無謀かと考えていたのだが」


 うんうんと、未来は頷く。


「多少なりとも仲間が居るなら、いけるかもしれない。少なくとも、接敵するまでのバックアップ要員が居るのは心強い」


「やっぱおかしい事考えてたよこの人!?」


 ニノンは未来の肩を掴んで、がくがくと揺する。


「幾らなんでも魔族の大群に突っ込んで生きて帰れるわけ無いでしょ!? 冷静に考えましょうよ冷静に! どこに勝算が有るって言うんですか!?」


「あの大百足くらいなら百体居てもなんとかなるから、少なくとも足止めくらいは出来るかなって」


「さっきからおかしい発言しか出てこねえなこの女!?」


 何言ってんだこいつ、自分が勇者とでも思ってんのか?


 あ、そうだった勇者だった。


 厳然たる事実に、ニノンは頭を抱えた。


 そして心の何処かで、この人ならやれるんじゃない?と思ってる自分が居るのも嫌だった。


 いや本当にやれそうだけどさあ! でもさあ!


 混乱するニノンの肩に、未来はぽんと手を置く。


「ニノンも一緒に行こう?」


「こんな堂々とした自殺のお誘い聞いた事ねえよ!?」


 わたしゃまだ死にたくねえよ!

 ニノン迫真の心の叫びだった。


「いや真面目な話、私とニノンが揃えば結構やれると思う」


 だが未来の方は、真剣な表情でそう言った。


「おそらく有るんだろう? 大規模攻撃ができる魔法が」


「そりゃまあ、有りますけど」


 ジト目をしながら、しぶしぶとニノンは答える。

 そのような魔法、魔導師(マスター)である自分が使えないわけがない。

 伊達にブラックハートの弟子は名乗っていないと、彼女も自負していた。


「私が君を守って、君が敵を薙ぐ。それで大分減らせるんじゃないか?」


「出来るか出来ないかでいったら、出来ると思いますよ」


 ただし、と。


「魔将が出てきていなければですが。魔将が出てきたら、無理です」


「勝算は十分有ると見ていいようだね」


 未来はにやりとニノンに笑いかけた。


「それに気に食わないと思わないか?」


「何がです」


「尻尾を撒いて逃げるのが、だよ」


「うぐぅ」


 それは、ニノンの痛い所を突いた発言だった。

 ニノンは何より負けず嫌いだった。

 敵に背を向けて敗走するなど、もっての他。


 出来るなら魔法ぶっぱして全部ふっとばしてえなー。

 そう思っていた。


 未来はまるでそれを見透かしたかのように、自分に語りかけてくる。

 悪魔の囁きのような、ニノンを溶かす甘い誘惑だった。


「仕方ないですね」


 半ば乗せられている事を自覚しながら、ニノンは折れた。

 逃げるのが気に食わないのは確かなのだしと。


「危険になったら即逃げで良いなら、一緒に行きます」


同意(コンセンサス)は取れたようだね」


 未来はゆっくりと、男の方へと歩いていった。


「大丈夫、いざとなったら君だけはきちんと逃がすさ」


 未来の横顔は、自信に満ちあふれていた。

 それは死にに行く者の顔ではない。


 勝利を確信した狩人の顔だった。

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