2-15 堤がかつて犯した罪
気が重かったが、その晩俺はミシェルとの約束を守るため指定された店へと向かった。
一応ネットで調べたが、約束のバーは会員制の店という以外は情報が一切なかった。ただの隠れ家的な店なのか、それとも……。
そんな店なのでかなりわかりにくいところにあり、俺は辿り着くまで少し苦労してしまった。
雑居ビルの中にあったその店には看板などもなく本当にここか? と思いながらも俺はミシェルの言葉を信じてドアを開き中に入る。
「お待ちしておりました」
すると中にはちゃんとバーがあり、カウンターの奥にはバーテンダーの格好をしたミシェルが酒を提供する準備をしていた。てっきり客として待っていたと思っていたがこういう方向で来るのか。
「観光ビザで入国して働くのはアウトだぞ」
「そうですね。ですが私はその辺の条件をクリアしているのでセーフです」
「ああそうかい」
俺は一応矛盾点を指摘したが彼女はフッと笑い受け流す。別に最初から観光客だとは思っていなかったし、特に詮索しないでおこう。
「んで、俺に何が聞きたいんだ? 俺の何を探っているんだ?」
「まあまあ、夜はまだ長いです。お酒でも飲みながらゆっくり話しましょう。私が日本に来た本当の理由も含めてね」
ミシェルはようやく自分が観光客ではない事を認めた。正直今更ではあるが、これで少しは話す事が出来そうだ。
「いいけどお前も酒を飲めよ。お互い酒を飲んで腹を割って話そうや」
「そうですね。構いませんよ」
彼女は酒に酔わせて根掘り葉掘り聞こうとしているのだろう。俺はせめてもの抵抗に飲み比べバトルを申し込んだ。
だが外国人は酒に強いイメージがあるし、相手がどのくらいアルコールに耐性があるのかわからない以上博打でしかなく逆に不利益を被る可能性もある。さて、この判断が吉と出るか凶と出るか……。
「さて、堤さん。あなたはゾンビをご存知でしょうか」
「ゾンビってあのゾンビか? リア充のカップルとか性格の悪いアメフト部を真っ先に襲う」
「いえ、映画ではなく現実に存在するゾンビです」
ミシェルはバーで大人がするにはやや奇妙な話題を振った。もちろん俺はゾンビが何であるのかは大体知っているが、それはあくまでもフィクションの中のゾンビだ。
「伝承の起源である中南米にはゾンビは確かに存在します。しかしそれはウィルスによるものではありません。その正体はゾンビパウダーと呼ばれる麻薬によって意識を奪われた人々です。彼らの多くは労働力にするため一度死んだ事にされ、その挙動もまるで死者が動いている様なので、何も知らない人間が見れば本物のゾンビと思ってしまうでしょうね」
「ああ、そっちか。だがそういう人間は今でも普通にいるだろうな。この繁華街にも多分いるだろう」
ヤクザに関わった女性の末路でシャブ漬けにして風俗で働く、というものがあったりするがそれもある種のゾンビであると言えるかもしれない。人の意識を奪う手段として麻薬は極めて便利なので、その類の話は古今東西でありふれている。
「詳しくは言えませんが、私は新種の麻薬について調査をするため日本に来ました。その麻薬はキノコを原料にしたもので脳の機能を破壊し相手を洗脳する事に特化した麻薬です。少し前に風俗店が摘発されましたが、実はそこでもその麻薬を用いたドリンクが提供されていました。世界の各地でこの新種の麻薬による深刻な被害が出ていますが、おそらく既に日本でも蔓延しているでしょう」
「そりゃ物騒な話だ。だが俺はそんなあからさまにヤバそうな面倒事にはかかわらないからな」
「ご安心ください。日本の警察も既に動いていますし、民間人の堤さんに協力してもらう特段の理由もありませんから」
ミシェルは笑ってそう告げ俺は一安心する。穏やかな話ではないがそういう事なら何も問題ない。日本の警察は優秀だし海外のエージェントと協力すれば、そう遠くないうちに根絶は出来なくとも脅威の大部分を取り除く事は出来るはずだ。
俺は気分がよくなりグイ、とカクテルを飲んだ。量は少ないがなかなか強いな。俺は飲めるっちゃあ飲めるがそこまでではない。こりゃ酔いつぶれる前に適当な所で早めに切り上げないと。
「それともう一つ、堤さんに個人的に聞きたい事もあります。ドン・キホーテ事件で犯人とされた更家警視についてです」
「……こりゃまた懐かしい名前を聞いたな」
更家警視は俺の元上司であり、自殺した父さんの死の真相を探っていた俺を排除するため罪をでっちあげてクビにした男だ。
彼もまたドン・キホーテ事件で犯人によって殺され、世間一般では一連の事件の真犯人とされている。しかしとっくに終わったあの事件についてミシェルは何を聞きたいというのだろう。
「更家警視は悪徳警官とされる人物であり、賄賂を受け取るなど不適切な行為を度々行っていました。彼はある時不法滞在のブラジル人女性を逮捕し、見逃す事と引き換えに関係を持ったそうです」
「……………」
「勘のいい堤さんなら大体わかりますね。私は更家警視の娘です。あの男を父親だと思った事は一度もありませんが」
俺は真実を知り絶句してしまった。彼には親族がいないと思っていたが、まさか娘がいたとは。
「母親は結局強制送還され、養子に出された私は育ての親と共にアメリカでそれなりに幸せな日々を送っていましたが、ずっと気になっていました。私の身体の中には犯罪史に名を遺した凶悪犯の血が流れているのではないかと」
「……………」
「なので教えてください、堤さん。あの事件について詳しく教えてくれなくても構いません。ただ一言、更家警視は犯人ではないと言ってくれれば構わないのです」
自分の親が殺人鬼かもしれない。彼女の苦しみは如何ほどだったのだろうか。俺はかつて自分が短絡的に犯してしまった過ちを猛省せざるを得なかった。
「ああ。あいつは悪人だが事件の犯人じゃない。これで満足か」
「随分とあっさり言うんですね」
「さっさと終わらせて美味い酒を飲みたかったんでな」
俺は即座にミシェルに真実を告げた。それは彼女のためではなく俺自身のためだったのだろう。
「そうですか」
ミシェルはきっとドン・キホーテ事件にまつわるおおよその真実を知っているはずだ。彼女はその言葉を噛みしめる様に受け入れ、カクテルを作る手を止めてしまった。
「お前も飲んだらどうだ。もう聞きたい事は無いんだろう?」
「ええ」
彼女からは一切の敵意が無くなりようやく自ら作ったカクテルに口を付けた。更家をどうとも思っていないのならば、殺人というリスクを冒してまで彼の復讐をする理由もないはずだ。
しかしミシェルはそれで良くとも俺の心の中にはヘドロの様な淀みが生まれ、俺はその感情を誤魔化すために酒を浴びる様に飲んだ。
捏造探偵だなんてお天道様に顔向け出来ない仕事をしている以上、いつかはこうなるだろうと内心覚悟はしていた。
だが今はとにかくこの不愉快な感情を酒で誤魔化したかった。当たり前だがたとえ保身のために人を死なせた外道であろうと家族は存在する。俺のした事は多少なりとも彼女の人生を狂わせてしまったのだから。
「まあ本当は……」
ミシェルは静かにそう呟きそれ以上言葉を口にする事は無かった。彼女の真意はわからなかったが、俺は顔を直視する事が出来なかった。
ベタン。
「ん」
しかしシリアスな雰囲気をぶち壊すひょうきんな音が聞こえた。それは例えるのならスライムのオモチャを壁に投げつけた時の音によく似ており、音が発生したカウンターを見るとそこには潰れた餅の様な形状になったミシェルがいたのだ。
「てろーん」
「ミシェルさーん? 画風が変わってますよ?」
「堤~! お前もっと飲めよ、私の酒が飲めないってかアアン!?」
「うおっ!?」
ミシェルは顔を赤くして突然怒り出し俺に絡んだ。どうやら俺と同じものを飲んだ結果即座に酔っぱらってしまったらしい。
「わかっへるよ! どうせ酒が飲めないのになんでバーテンダーになって潜入したんだって思っれるんだろ! そうだよ飲めねーよ! ブラジル人が皆ガバガバ酒飲んでるわけじゃねーんだよ! でもなんかバーテンダーってカッコイイらろ! なのにこんなクソ雑魚でごめんなざい~!」
「ま、まあ、今はスマドリっていう言葉もあるし飲めなくても」
「おお! それっふぇ告白!?」
「違います、あと顔近ぇって」
先ほどまでのクールビューティーなミシェルの威厳はどこへやら、呂律の回らなくなった酔っぱらいに変貌した彼女はこれでもかと絡んできた。しかし危うくキスしそうなくらいに顔を近付けやがって、不覚にもドキッとしてしまったよ。
「え、なにその反応? お前童貞なの? 童貞なんだろ? 童貞はバーにいたらいけないんだよ?」
「ノーコメントで」
そんな俺の反応がおかしかったのかミシェルはニヤニヤと笑いだす。ああもう、こいつは見た目と中身が一致しない典型的な駄目な大人だ。
「うーし、ホテルに行くぞー! しゅっぱーつ!」
「ってちょい待てー!」
ミシェルは酔った勢いで俺に抱き着き強引に店の外に出て行った。ここは繁華街、もちろんそこらへんに休憩が出来る場所はたくさんあるのでその気になれば五分で合体出来るだろう。
「いやいや、もうちょっとこういうのはお友達からって言いますか、ミシェルさーん!」
「安心しろー! お前も授業を受ける前に学校で童貞と処女捨てろって習っただろー!」
「そんな常識エロ同人の中でしか成立しねぇよ!」
ミシェルは酔っぱらっていたが思いのほか力が強く、俺は親にくわえられる子犬の様に首根っこを掴まれ運搬される。
「おい見ろ! でけぇキンタマがあるぞー!」
「いやあれ違うから!」
当てもなく徘徊を始めた彼女はゲラゲラと笑いながら地元の商店街のランドマークでもある巨大な金の玉を指差した。ニナがこれを初めて見た時も連呼しまくっていたなあ。
「パンツ見るかー!?」
「あのなあ~!」
続けてもう一つの街の名物である秋コーデの装いをした巨大なマネキンの下に移動、ミシェルは身体を大きく逸らして股間を見上げた。この街に住む人間なら誰もが一度はやるが、言うまでもなくいい歳をした大人がやるものではない。
「もう見るもんねぇなー! じゃ行くかー!」
「ちょーい!? 俺には愛する娘とチャウチャウがいるんだー!?」
一通り街を観光した所でミシェルはホテルを探して街を練り歩く。この街にもう少し観光スポットがあれば時間を稼げたのだろうが、残念ながらこれくらいしかないのだ。他にあるのは金のしゃちほこがトレードマークの城の形をしたビルだろうか。
「いいだろー! 文化の日には不倫をするもんだ!」
「日本にそんな狂った風習はねぇよ!?」
だがまずい、このままじゃ大人向けの漫画雑誌のハードボイルドミステリー漫画みたいなねっとりぬっちょりした展開になっちまう!
基本ギャグなのにそういう路線変更は良くない。俺はもっとプロレスとかローカルネタとかそういうのをしたいんだ、ゲテモノパスタで登山とか! このネタ地元民以外には意味不明だろうけどな!
「ンゴ」
「おわっと!?」
しかしミシェルは突然糸が切れた人形のように脱力してしまう。俺は咄嗟に彼女を受け止めたが、彼女は目を覚ます事なく幸せそうによだれを垂らして眠っていた。
「ふう、セーフ……なのか?」
まるで子供の様だがどうにか最悪の展開は避けられた。しかしこれはどうすべきか……送り返そうにもミシェルの住んでいる場所なんて知らないしなあ。
仕方ない、ややこしい事になりそうだけど一旦俺の事務所に置いておくか。確実にニナにいじられそうだけど。




