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プロローグ 悪夢の卒業式

「さて、元も子もない事を言う様だけどミステリー小説はただのフィクションだ。現実にはあんなドラマチックな事件は起こらないし、ミステリーの十戒も存在しない。なのにどうして彼らは実際に起こった事件に筋の通ったシナリオや刺激的な真実を求めるんだろうね」


 暗闇の世界をスポットライトが照らし、そこにマスカレードを被った少女が、あるいは少年が現れ嘲笑うかの様にそう語り始めた。


 無駄に広い大聖堂の様なホールには俺以外観客は誰もいない。虚構の英雄ドン・キホーテを彷彿とさせる衣装もそうだが、薄っすらと背景に見える書き割りも実にチープだ。


 金のない劇団でももう少しいいものを用意出来るだろう。こんな豪華なハコを用意したせいで予算が無くなったのだろうか。


「大抵の事件では怨恨か金か女が動機になって人を殺す。巧妙なトリックはもちろん、銃も毒薬も使われないとてもシンプルかつ泥臭い殺害方法で。だからミステリー小説のお約束を現実の事件に適用するのは無意味な事なんだ」

「彼らにとってはどんな悲劇もエンターテインメントにしか過ぎない。誰も彼も本気で怒っていない。彼らは内より生まれた怒りや憎しみの感情を楽しみながら、踏みにじられた人々の絶望を娯楽として消化しているだけなのさ!」


 スポットライトを浴びた何人ものドン・キホーテは舞台上でマントをたなびかせ、役を使い分けながら独り芝居を始めた。


「そしてしばらくすればすっかり忘れてまた別の悲劇を求める。その繰り返しだよ。自分がいつか舞台の主役になるかもしれないなんて考えもしない」

「ああ滑稽だ、滑稽だ! とても面白い英雄譚だ! 彼らはシャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロを気取っているのだろうか! そのヒントは全て誰かによって用意されたもので、どれもこれも的外れな推理だというのに!」

「そう――お前の事だ! 不幸の蜜によって快楽を得る、その腐った脳味噌が詰まった頭を撃ち抜いてくれよう!」


 ドン・キホーテはマスケット銃をこちらに向けるが俺は身じろぎ一つしなかった。何故ならばそれは幸せな事であると、不幸を生み続けた自分自身が誰よりも理解していたからだ。


「何やってんだ」

「むう、アドリブでもいいから面白い返しをしてよ。空気読んで?」

「つってもどうせ夢オチなんだろ、これ」


 けれど茶番はこのくらいにしておこう。俺はドン・キホーテにそう告げると彼女はマスケット銃を下ろし素面に戻った。


「もう目を覚まして良いか? 最近は大口の仕事が入ってるから忙しいんだ」

「うんうん、探偵家業が順調な様で何よりだ」


 彼女は二代目捏造探偵を襲名した俺の活躍ぶりに満足しているらしい。これがただの幻で目を覚ませば忘れてしまうとしても、俺はこうして彼女と再び会えた事が嬉しかった。


「だけどもうちょっと僕に付き合ってくれるかな。君に見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」


 パチン。


 ドン・キホーテが指を鳴らすと周囲の景色が変わり、眩い光と共に軽快な音楽が流れ、ホールは学生服を着た中学生くらいの子供達で埋め尽くされる。


 座席に座る生徒は胸元に桜の花の様なものを付けている。舞台上では仲の良さげな生徒たちが一発芸や思い思いの演目を行い、そのたびに笑い声や歓声が聞こえた。


 来賓の客に法衣を着た人間がいたり、内装に白亜の女神像が置かれている点にやや違和感があったがどうやらこれは卒業生による余興をしている最中らしい。


 もうちょっと格式の高い建物の雰囲気にあった事をすればいい気もするが、本人たちが楽しんでいるのならば何も言うまい。


 舞台上では見覚えのある少女が親しい友人と共に決めポーズを取っていた。見るからに楽しそうでリア充そのものの光景である。


 ただ学校によっては卒業式でこの類の催しを行う所もあるが、虐めを受けている人間や友人がいない孤独な人間からすれば将来事件を起こしそうな子、と卒業文集に書かれるのと同じくらいグロテスクなイベントだ。


 オッサン探偵の俺とファンタジックな服装のドン・キホーテは明らかに浮いていたが誰も見向きもしない。記憶の外側からやって来た、いわば部外者である俺達は認識すらされないのだろう。


「よくわからんが帰っていいか?」


 正直こういうのは内輪で楽しむもので、学生の低クオリティなお笑い芸人のモノマネとかを延々と見せられるなんて地獄以外の何物でもない。俺は早々に飽きて帰りたくなってしまった。


「まあ待ってよ、すぐに最高に刺激的なパフォーマンスが見れるから」


 だが俺の文句にドン・キホーテはニヤリと笑いそう告げる。なんだろう、物凄く嫌な予感しかしない。


 舞台上に視線を戻すと舞台袖から若者とは思えないほど死んだ目の男子生徒が現れ、クスクスと笑い声が沸き起こる。それは今までの明るいものとは違い、侮蔑に満ちた嘲笑だった。


 彼がどうして卒業式という人生の晴れ舞台に独りでこの場所に立ったのかいろいろと想像は出来る。きっと前述した説明に該当する人間なのだろう。


 そしてその想像は彼が制服の内ポケットから取り出した包丁によって証明された。それは人生の門出というめでたい日にはあまりにも似つかわしくない凶悪なものだった。


『全部お前らのせいだからなッ!』


 鬼のような形相で叫んだ少年は切っ先を自らの喉笛に突き刺しそこから鮮血が飛び散る。先ほどまで笑っていた生徒たちは悲鳴を上げ、楽し気な歓声は一瞬にして阿鼻叫喚へと変わってしまった。


『ご、ぉ、おごぉっ!』


 少年は苦悶の表情を浮かべながらも確実に死ぬため何度も喉に包丁を突き刺す。人を呪わば穴二つとは言うが、彼は自分の命を生贄にして虐げた人間への復讐を成し遂げようとしているに違いない。


 教師が暴挙を止めるために駆け寄った時にはもう力尽きてしまい、ただの肉の塊となった少年の周囲には血だまりが出来ていた。生徒たちは何が起こったのかわからず茫然自失となり、あるいは恐怖で泣き喚いていた。


『そんな……なんで……』


 それはあの少女も同じだった。直前に演目を披露した彼女はうずくまって震え、その狂った光景から眼を逸らす事しか出来なかったのだ。


 コミカルな音楽はこんな状況でもスピーカーから鳴り続ける。まるでコメディ映画の様に陽気で気が抜ける音楽だが、成程確かにこれも一種の喜劇であると言えるのかもしれない。



 卒業式の最中に生徒が自殺するという痛ましい事件は当事者にとっては悲劇だったが、センセーショナルな事件を求める無関係な大衆からすれば最高の娯楽でしかなかった。


 またその学園が評判の悪い新興の宗教団体の系列だったという事も影響しただろう、マスコミの報道は過熱し、ネットの世界でもまた虚実入り混じった情報を元に学園へのバッシングを行った。


『自殺した人間も自業自得だろ 人一人殺したんだから それを加害者にも未来があるって揉み消して 舐めんな』

『ガチ勢の親が団体に滅茶苦茶献金してたからな そら金ヅルだから護るわww』

『別の人間が虐めの主犯格だったのに押し付けられて一人だけ生贄にされて ある意味被害者だったかもしれないけど ちゃんと解決しなかったからこうなった』

『同じ子供を持つ人間からすればはらわたが煮えくり返る思いです もし自分の子供がこうなったら こんな社会に有害なカルトは解散すべきです』

『主犯格特定したったww おまわりさんこいつですww』


 そのコメントの下には見覚えのある少女の顔写真が張られていた。ご丁寧に有吉ありよし聖愛せいらという名前だけでなく住所と電話番号も添えられている。今の時代でももちろんアウトだが、法律を用いて説教した所で彼らには何の意味もなさないだろう。


『聖愛ってww こいつの家族もガチ信者で犯罪者予備軍なのかなww』

『いい笑顔してるな でもこういう奴のほうがヤバい』

『人殺してその罪を押し付けた上に女友達を不良に上納するとか鬼畜にも程がある もうこれ虐めとかじゃなくて犯罪だろ』

『で本人もお偉いさんの愛人になると』


 ネットには様々な罵詈雑言が垂れ流されていたが、その情報の多くは根拠に乏しいものだった。彼らは誰一人として真実に興味はなく、中には嫌がらせ行為を行った事を自慢する人間まで現れてしまう。


 その果てしない悪意に幼い少女が耐えきれるはずなどなく、鳴りやまない電話と奇声を上げ神への祈りを捧げる母親から逃れるため、彼女は家を飛び出してしまった。


『……………』


 夜の公園で聖愛はすすり泣く。本来ならば卒業と共に希望溢れる高校生活が待っていたはずなのに、彼女はなぜこのような場所にいるのだろうか。


 公園に咲いていた桜は静かに花弁を散らすが、その花弁はもうしおれて茶色く変わっていた。木の下には不良が花見でもしていたのだろうか、タバコの吸い殻やゴミが放置されている。


 何も見たくない、何も聞きたくない。


 少女は夜の闇に身を隠し全てから目を背けた。


『そこの君?』

『っ』


 けれどそこにお節介な若者が現れる。突然声をかけられた聖愛は身体を震わせ、その人畜無害でアホ面な青年に恐怖してしまった。


『ああごめん、その、制服は着てないけど俺は一応警察官でさ、泣いてたからつい』

『っ』


 しかし聖愛はおどおどとした青年の優しい言葉で敵ではないと認識したらしい。それは優しさとも呼べないものだったが、頑なに心を閉ざした少女にとっては女神の愛にも匹敵するほどの慈悲深い言葉だったのだ。


『う、ああっ……ああっ!』

『ってちょ、なんで泣いて? えーと、えーと! とと、とりあえずこれ、缶コーヒーあげるから泣き止んで!』


 号泣した少女に慌てふためいた青年はひとまず手に持っていた缶コーヒーを手渡す。それは俗世に傷つき疲れた少女にとっては、百二十円では不釣り合いな程愛情と温もりを感じられるものだったに違いない。


 だが俺はその後どんなやり取りをしたのかよく思い出せなかった。いや、一応思い出そうとはしたがどうやらタイムリミットが来てしまったようだ。


 そしてその様子を眺めていたドン・キホーテは大層愉快そうに俺に告げる。部外者である彼女にとっても、この悲劇が生み出したドラマは単なる娯楽でしかないのだろうか。


『さあ、サンチョ君。君はどんな真実をお望みかな? 君が選んだ真実を楽しみにしてるよ』


 ドン・キホーテはそう告げ、いつか見た記憶の再生はテレビの電源を切るかの様にプツン、と消え去ってしまった。

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