第三章66 『少女を悩ませる“過去”と“友”』
「・・・」
「・・・」
「・・・何をしているのですか?」
「・・・」
「・・・また無視なのですか?」
「・・・」
「・・・そんな事しても無駄なので、さっさと準備してくださいのです」
「・・・」
「・・・チッ」
べったり と床にへばり付く加藤に、地を這う虫ケラを見るような目を向けるナノデス。
お約束通り、《怪物闘技》に出ることを渋った加藤が無駄な抵抗をしているのだ。
現在、闘技場に通じる通路の半ばほどで仰向けに横たわり、無言を貫いている。
「マジでいい加減にしてくださいのです。ヒョーゴが行かなかったら決勝戦が始まらないのです」
「・・・」
「このまま動かなかったら、スタッフに頼んで無理やり闘技場まで引きずって行くのも辞さないのですよ」
「・・・」
「おい」
「・・・ミ」
ぽつり と加藤が何かを呟いた。
「あ?」
「・・・ポクハユカノシミ・・・(加藤裏声)」
「・・・」
「ユカノシミダカラ、シャベレナイシャベレナイ・・・(加藤裏声)」
「・・・」
床にへばり付いて、無駄な抵抗を続ける加藤。
自分のわがままを通すため、床にへばり付いて動かないなど幼児のする事だ。
虫ケラを見る目から、本当にどうしようもない可哀想な人を見る目に変わったナノデス。何を思ったのか、嘆息をひとつ吐いて、その場を去る。
「え?」
すたすた と1人で通路を進んでいくナノデス。
彼女の思いもよらぬ行動に呆気に取られて、呆然とナノデスの背中を目で追う加藤。
「・・・え? 何なの? ちょ、、、ナノデス先輩?」
円形の闘技場に沿って作られた通路のため、ナノデスの姿は すぐに見えなくなった。
ぽつねん と簡素な通路に残された加藤。
1人でどうしたものか と加藤は思ったが、ナノデスは直ぐに戻ってきた。
通路を戻ってきたナノデスの手には、使い古されたモップが握られている。
「・・・?」
おそらく、通路の先に掃除用具を仕舞った倉庫でもあるのだろう。そこから持ち出してきたモップだ。
そんなモノをどうする気だと疑問に思った加藤だが、モップの使い道など知れている。
「・・・ブッ!!」
ナノデスはモップを加藤の顔面に押し付けた。そのまま、頑固な汚れを落とすように、ゴシゴシッと磨きをかける。
「、、、ちょ、ナノ、、ナノデスせんっ、、ちょ・・・クサッ! えっ? 、、、このモップ、クサッ! うんこの匂いがするっ!!」
「・・・頑固な汚れは、しっかり磨いて落とさないとなのです〜」
ナノデスは容赦なく、加藤の顔面をクサいモップで磨き上げる。
「いた、、、ちょ、、ごめっ、、起きる、起きるからって!!!」
身体を丸くして、ナノデスのモップを必死でガードする加藤。起きる起きる と言いながら、まったく起き上がる様子はない。
とうとう仰向けの状態から、亀のようにうつ伏せで丸くなった加藤。
こう固まられると、モップの磨きも効果が薄くなってしまう。
「わはははー!! どうだー、こう丸くなればモップのクサクサ攻撃など効かーーー、クッッッサ!! 俺の顔クッサ!! えっ!? 密閉すると顔クサ、俺!! 何これ、モップの匂い移ってんのコレ?」
顔を覆うように うつ伏せに丸くなったため、モップから移った匂いが加藤の身体の内側に充満してしまった。
こうなると、モップの匂いというより、加藤自身の匂いで参ってしまう。
「ブッハっ! もう無理クッさい!」
限界を迎えた加藤は、新鮮な空気を求めて、とうとう身体を起こした。
「はぁ・・・はぁ・・・」
息荒く、無臭の空気を貪る加藤。
そんな加藤にナノデスはーーー、
「気は済んだか? 床のシミ野郎」
辛辣な言葉を浴びせる。
「・・・いや、あのねナノデス先輩。俺の可愛い冗談にツッコンでくれるのは ありがたいんだけど、流石にモップで顔こするのはやりすぎだよ。モップは顔に押し付けるモノではありません。正しく使ってください!」
「オッケー」
そう言いながら、ナノデスはモップを高々と振り上げる。そして、加藤の頭めがけてーーー、
「ぇ? ぇえ!? えーっ!!? モップってそう使うもんだっけーーー!!!?」
勢いよく振り下ろした。
「いた・・・」
加藤は、モップが脳天直撃した頭を摩りながら、とぼとぼ と通路を歩く。
これから命をかけた戦いに挑むというのに、ナノデスの不当な怒りを買うとはツイてない。
「ちょっとイジケただけじゃんかー。シャノンたちからの連絡もないから、不満を身体で現しただけじゃんかー」
ぶつぶつ と文句を言う加藤の後を、まるで囚人を見張る看守のごとく、モップを携えて後に続くナノデス。
「ぐちぐち言うな なのです! ヒョーゴの《烙印》が解除されてない以上、《怪物闘技》に出ない事がどれだけマズい事になるのかくらい想像しろなのです!」
「そりゃ、分かってけどさー」
本当に気が進まないので仕方がない。
何と言っても、これから戦うのは炎を纏う巨大馬を殺した巨人だ。
彼らの戦いは、それは凄まじいモノだった。
一言で言うならば、怪獣映画。
軍隊なんかを片手で捻り潰せそうな巨大生物と身ひとつで戦えと言われている様なものだ。
「・・・今回ばっかは、ほんと死ぬかもな」
加藤は、ついつい悲観的になってしまう。
そうこうしている内に、闘技場に通じるゲートの前まで来てしまった。ゲートの向こうからは、衝撃を覚えるほどの大歓声が漏れ出てきている。
「・・・」
「・・・どうしたのですかヒョーゴ。まさか、ここで怖気ついた訳ないのですよね?」
「・・・ん、いや、まぁ・・・怖気ついてはいるんだけど・・・そうじゃなくて・・・」
加藤はしばらく沈黙したのち、片耳に付けていたイヤリングを外した。
このイヤリングは、シャノンから通信ように渡されていた《通話》の魔法が付与されたマジックアイテムだ。
対となるイヤリングを持っているシャノンと通信をはかれる。
「これ、ナノデス先輩に渡しとくわ」
「は?」
外したイヤリングをナノデスに手渡した加藤。
「えっと・・・なんで なのですか?」
キョトンとしながらも、ナノデスはイヤリングを受け取った。
「あーいや、俺 正直、この戦い生き残れる自信ないんだわ。さっきの巨人と巨大馬の戦いを見て・・・巨大馬はともかく、巨人には敵わない、、、そう思った」
「・・・」
加藤の告白を黙って聞いていたナノデス。
「この決勝戦が始まる前に、シャノンたちが俺を奴隷から解放してくれると期待してたが・・・まぁ、無理だったし」
「・・・っ!」
ナノデスは、咄嗟にメイド服のポケットを抑える。彼女のポケットには、加藤 兵庫の《烙印》の魔法が付与された簡易魔導書が仕舞い込まれている。
「・・・それで・・・?」
「ん?」
「一体なぜ、この《通話》のイヤリングをナノデスに渡すのですか? ヒョーゴが持っておくべき物なのですよ?」
「んー・・・いや、俺が持ってたら、俺が死んだら、それも破壊されちゃうかもしれないだろ。でも、ナノデス先輩が持っていれば、俺が死んだ後もシャノンたちと連絡が取れる」
「・・・?」
話が見えてこないため、柳眉を寄せたナノデス。
その反応から、話が通じてないと察した加藤は言葉を付け加える。
「あ、いやだから、ナノデス先輩の《烙印》の簡易魔導書も米倉が持ってんでしょ。だったら、シャノンと連絡が取れたら、もし俺が死んでも、ナノデス先輩だけでも奴隷から解放される可能性があるじゃん」
「・・・っ!? あの・・・前にも言ったのですが、別にナノデスは奴隷から解放されたいとは思ってないのです!」
「でも俺は、ナノデス先輩を解放したいと思ってるよ。だってナノデス先輩いい奴だし、もう俺ら友達じゃん」
「ーーーっ!!!?」
不意に、ナノデスの脳裏に過去の記憶が呼び覚まされる。
それは、忘れていたい記憶だ。
髪の色や産まれた境遇だけで、凄惨な差別を受けた日々の記憶。
泣いても、謝っても、後悔しても、懺悔しても、許される事がなく繰り返された暴力の思い出。
人とは違う事が罪だと思い知らされた悪夢のような現実。
だが、そんな過去の記憶が霞むほど、目の前の男が言った“友達”の一言はナノデスの心に突き刺さった。
「・・・バカなのです、、、ヒョーゴは」
ぽつり と言ったナノデスの言葉は、ゲートが開く音に飛ばされて、通路の奥に消えていった。
「お! 開いた。んじゃ行ってくるわ」
加藤は笑顔でそう言って、ゲートを潜り、闘技場の中に消えていく。その後、すぐに2人を隔てるようにゲートは閉じる。
「・・・」
加藤がゲートの向こう側に去っていって数秒後。
「!」
通路の先から2人のスタッフが歩いてきた。
「なぁ、おい。さっきのヤツどうした?」
「さっきのヤツ?」
「ほら、あの成金野郎のペットのモンスターがした糞だよ」
「あー、あれね。この先の掃除用具倉庫のボロいモップ使って かたしといたよ」
話しながら、ナノデスの後ろを歩き去っていく2人のスタッフ。
「・・・」
ナノデスは、ちらり と自分が持つモップに目を向ける。
使い古されたモップだ。何年も使われていたのだろう。鼻が曲がりそうな匂いと、何やら獣臭い歪な匂いがモップの先から漂ってくる。
「・・・フッ」
ナノデスは、胸の奥から、ひと握りの笑みが溢れるのを感じた。
「ーーー本当に、バカなのです。ヒョーゴは」