第三章38 『簡易魔導書の行方』
米倉は混乱している。
見た事もない、フードを被った少女に脅迫されているからだ。
押し倒され、馬乗りになり、そしてーーー、
「・・・ひぐぅ・・・」
鋭利な爪が首の皮に突き立てられている。
と言っても、米倉に首はない。まさに、パンプティ・ダンプティのような卵型の体型をしている為、おそらく頸動脈などの太い血管がある箇所に爪を突き立てているのだが・・・。
「ーーー下手に騒ぐなヨ。苦しんで死ぬ事になるゾ」
少女の爪は、まるで大型肉食獣のそれだ。
弛んだ顎に埋まっている首など、一撃で斬り裂けるだろう。
「・・・っ!? ま、ままかさ、あのざ、惨殺死体、ももしかしてお前が・・・!?」
米倉の脳裏に、先ほど目にした、床に転がった惨殺死体が思い起こされた。
咽せ返る様な血と油の匂いが充満していた室内。広がる血の海に沈む青白い2つの死体。
光なく開けられた死体の瞳は、いつまでも夢に出てきそうなほど恐ろしかったのを覚えている。
「ーーーひっ」
次の瞬間、がたがた と震える米倉。
いくら子供好きな彼であっても、見知らぬ少女に押し倒され、鋭利な爪を首に突き立てられると興奮よりも恐怖が勝つらしい。
「か、カレか・・・? カレがほ、欲しいりょ、か?」
「ハァ? 何つっタ?」
呂律が回らないほど震えた米倉の言葉に、シャノンは柳眉を寄せる。
「か、かかかか、ね・・・。か、ねはくれてやるから・・・い、いいい命だけは・・・」
「あア、金カ。んなのいらねーヨ。小銭欲しさニ、こんな所までこねぇーッテ。それト、さっきお前が言ってた惨殺死体もオイラじゃねーから安心しナ」
一応、シャノンは米倉の疑惑について断っておく。
これ以上、下手に恐れられて話が進まないのは困るからだ。
「じゃあ、一体、ななわなな何の目的でぇ・・・!」
「簡易魔導書ダ」
米倉の問いに、シャノンはすかさず目的を答える。
「《烙印》を宿した簡易魔導書を渡セ」
「す、てぃぐ、ま・・・の?」
シャノンの言葉を聞いた瞬間、米倉の相好がみるみる崩れる。
蒸気が出るほど脂汗を垂れ流し、駄肉がついた顔は締まりなく弛んでいる。
その見た目から、まるで顔が溶けているかの様に思えるほどだ。
「な、ななななな何の事だ!? す、すすすすスティグマのスクロール????」
惚ける米倉だが、シャノンの言葉を理解しているのは一目瞭然だ。
シャノンは、声のトーンを少し下げて言葉を続ける。
「すっとぼけんなヨ。奴隷を縛る《烙印》の魔法を宿した簡易魔導書ダ・・・。肌身離さず持っているはずだゼ」
ずいっ とシャノンは、首元の爪を数ミリばかり米倉に押し付ける。
たったそれだけで、まるで首を強く絞められたかの様な圧迫感と閉塞感を覚えた米倉は、あっけなく白状した。
「・・・上着の・・・右の・・・むね、ぽけっ・・・」
言い終わる前に、シャノンが米倉のジャケットに手を突っ込む。言った通り、紐でまとめられた紙の束が出てきた。
「・・・や、やるから・・・たのむ、命だけは・・・」
「安心しナ。用が済んだラ、とっとと出ていくヨ」
シャノンは、取り出した紙の束を片手で器用にめくっていく。
1枚1枚に、ラテン語と幾何学模様が混ざった様な文字と、日本語の人物名が書かれている。
おそらく《烙印》を発動させるための文言と、その対象となる奴隷の名だろう。
「・・・?」
ぺらら・・・と紙束をめくったシャノンは、ある違和感を覚える。
最後の1枚までめくり終わったシャノンは、もう一度、今度はじっくりと紙束をチェックする。
だがーーー。
「おイ・・・どういう事ダ?」
何度 確認しても、加藤の名が記載された簡易魔導書がない。
「・・・? 何だ? どうしたんーーーひっ!!」
シャノンは、米倉の首元に突き立てた爪に力を込める。
「カトウの・・・っ! カトウ ヒョーゴの《烙印》を宿した簡易魔導書はどこダ?」
「ひっ・・・かと、う・・・?」
「お前が《怪物闘技》に出している《覚醒者》の子供ダ」
「・・・あ、あぁ。あ、あの《覚醒者》の、すすす《烙印》なら・・・こ、ここには無い・・・」
「ハァ? オメーの奴隷じゃねぇのカ?」
「た、たたたしかに、私が、買い取った・・・ど、奴隷だ・・・だが・・・」
米倉は、生唾を飲み込んで言葉を続けた。
「・・・《怪物闘技》に出場するモンスターの管理は・・・ウチの《手獣兵》に、ま、任せていり・・・」
「《手獣兵》・・・?」
この時、シャノンは米倉が言った《手獣兵》が誰なのか何となく分かっていた。
だから、あえてこう聞いたのだーーー、
「その少女の・・・名ハ?」
ーーーと。
米倉は、やはり震える声で言葉を返す。
「な、なななナノデス・・・」
「ーーーッ!! なんダ・・・そリャ・・・」