第29章 妖精館殺人事件
さて、こうして、名探偵乱場秀輔の推理により、妖精館で起きた恐るべき殺人事件の謎は解かれた。「恐るべき」とか、犯人のお前が言うな、と突っ込まれそうな物言いに聞こえるだろうか。
そう、犯人。笛有霞を殺した犯人は、この私、石上誠司で間違いはない。毒殺に際して使ったトリックも、全て乱場が指摘したとおりだ。
乱場に推理をぶつけられた私は、大人しく警察に出頭した。彼の行ったとおり、直接の物的証拠は一切なかったが、なにせ、探偵と犯人が一対一で対決の末、犯人側はその犯行を全て見破られたのだ。この状況で、物証がないことを盾にして抗うのを、私は潔しとしなかった。それが、名探偵と戦う犯人が辿る結末の王道というものだろう。
拘置所に収監される身となった私は、暇に任せて、こうしてあの事件の顛末を『妖精館殺人事件』として綴っていた。記述形式は、これも数々の名探偵の事件記録の王道に則り、ワトソン――つまり私――による一人称記述が相応しいのではないかと思い、そうした。結果、「記述者、イコール、犯人」という、(今さら掃いて捨てるほどある書き方で特段珍しくもないが)特異な形態の小説となってしまった。
私はこの文章を、乱場の事件記録のひとつ、つまり、犯人当ての小説としても読めるようにするという趣旨も視野に入れて書いた。よって当然、私の心情を全て記述するわけにはいかなかったが(「ノックスの十戒」によれば、これはタブーらしいが)、それでも目に見える物理的な事象は、この手の小説としては、かなり事細かに余すことなく描写できたのではないかと思っている。
この殺人のトリックは、乱場が推理したとおり、あらかじめ毒入りのカプセルを口内に含んでおき、それをコーヒーを飲む振りをしてカップの中に混入させるというものだが、その一部始終を、私は可能な限り記述した。
以下は、「第18章 伏毒」に書いた一節。リビングに下りていく直前、乱場に風邪薬を飲むよう促されて、薬を持って洗面所に行った場面だ。
私は洗面所に寄ると、薬を口に放り込んで、水を注いだグラスに口をつけた。
ここで私は、シアン化カリウムの入ったカプセルを口内に含ませるという準備を行った。よって、ここに書かれた「薬」というのは、薬は薬でも風邪薬ではなく「(毒)薬」だった。そして、それを「口に放り込」み、「水を注いだグラスに口をつけ」はしたが、薬も水も当然飲み込みはしなかった。飲んだ振りをしただけだ。
次は、リビングに下りて、いよいよ口内に含んでいた毒入りカプセルを自分のコーヒーに移す場面。
私は会釈してカップを取るとコーヒーをすすり、ソーサーとカップをローテーブルに置いた。
同様のことだ。「コーヒーをすす」ったが、飲み込まない。そのまま口内で毒と混ぜ合わせたコーヒーをカップに戻したのだ。すすったコーヒーを飲み込まずにカップ内に戻す、という行為の記述を省いて書かせてもらったということだ。
毒と混ぜ合わせた。そう、私はここで、まさに乱場が言ったところの「究極の手段」を取った。口の中でカプセルを噛み潰し、シアン化カリウムを完全に溶かしきったうえでコーヒーをカップに戻したのだ。そうした理由はもちろん、ただカプセルを移動させ、カップの中で融解するのを待つのでは危険が多すぎたためだ。霞の席と違い、私は皆と一緒にローテーブルを囲んでいたため、カップ内のコーヒーにカプセル剤を浮かばせてなどいようものなら、一発で見咎められてしまうに違いない。おかげで私は僅かの間とはいえ、口内にシアン化カリウム入りのコーヒーを含むことになり、一瞬気分を悪くした。それが顔に出たのだろう、直後、汐見と朝霧に心配されることとなってしまった。
こうして「仕込み」を終えた私は、あとは霞の動向を窺うばかりとなった。彼女が私と高井戸の間に座り、カップをローテーブルに置く。私は自分の企みを気取られないよう自然に振る舞いつつも、常に霞のカップを視界の隅に捉え、ひとときも目を離さなかった。
確信はしていたが、正直、頭の片隅では半信半疑に思っている部分もあった。本当に霞は私を殺そうとしているのか? 土壇場まで私は疑いをゼロには出来ずにいたが、それは杞憂に終わった。カップのすり替えが実行されたのは、あそこ。霞が「火櫛が私のことを好きだと言っていた」と発言した直後だった。あまりの衝撃的な発言に、皆の顔は一斉に火櫛に向いた、その隙を突いてのことだった。私も思わず(そういう手を使ってくるとは予測していなかったので)火櫛のほうを向いてしまったが、テーブルの上、私と霞のカップの状況だけは必ず視界に収めておいた。霞は、自分のものと私のカップの位置を、実にさりげない動作ですり替えた。僅かな音も立てなかった。その現場を見ていたものは、私(と霞)以外ひとりもいなかったはずだ。結果、「毒入りコーヒー同士の交換」という、実情を知っているものから見れば非常に奇妙なカップのすり替えは、見事に遂行されたのだ。
もし、この犯行があのような〈クローズド・サークル〉ではなく、一般の社会で行われていたとしたら、全員のコーヒーは早急に保管されて鑑識に掛けられてしまうため、私のカップに入っていたコーヒーもまた、毒入りのものだったと看破され、それを手掛かりにしてトリック解明は成されたかもしれない(私はその夜にでも、残された毒入りコーヒーを捨てて、中身を普通のコーヒーと入れ替えておくつもりだった。だが、そうするまでもなく、火櫛がカップを全て洗ってくれたのだが)。しかし、乱場は、「そのときに限って霞が口紅をつけていなかった」という事実を発見、その手掛かりを取っかかりにして推理を積み上げていき、見事このトリックの解明に至ったのだ。感服する他はない。
結果、これを「小説」として見れば、トリック遂行についての大事な部分をぼかしたり、一部主語を省略して書いた記述が存在する結果となってしまったが、これくらいは目を瞑ってもらいたい。なにせ、先にも書いたように、これは私が犯した犯罪の記録であると同時に、名探偵乱場秀輔の事件簿のひとつとしても読めるものにするつもりだからだ。そのために「読者への挑戦」などという、これまた王道的外連味も加味させてもらった。
ついでに書かせてもらうと、私は常々、この「読者への挑戦」というものに違和感を抱いていた。「挑戦」が挟み込まれる作品において、その「挑戦者」の多くが作品の記述者、ないし事件を小説化した作家であることを不満に思っていたのだ。事件の謎を解くというのが「挑戦」の趣旨なのであれば、その「挑戦者」は事件の犯人が務めるべきではないのか? と。今回、期せずして私が理想とする「挑戦者、イコール、犯人」の図式を成り立たせることが出来たことに、個人的な満足を憶えている。
以上が、私の犯した犯行と、そのトリックの全てだ。この『妖精館殺人事件』を完全に閉ざして終わらせるためには、私が霞を(そして霞が私を)殺害した(しようとした)動機など、まだまだ説明不足の感は否めないだろう。だが、私は多くを語りたくはない。あとは読者の想像に任せようなどという「逃げ」を打つつもりでいるわけでもない。名探偵はトリックを暴き、犯人はそれを認めて屈した。それで十分ではないか。現代の探偵学では、犯行動機にはあまり重きが置かれておらず、また実際、こういった不可能犯罪を記録した小説を好んで読む層には、「面白いトリックを味わえれば、犯人の動機などの人間関係なんてどうでもいい」という読者も少なからずいるそうだし。
それでも、語れる範囲で何かがあるとすれば、まず、私が凶器に使ったシアン化カリウムだが、あれは――入手経路は明かせないが――私の持ち物で間違いはない。私が常に所持していたものだ。ああいったものを入手できるチャンスに(幸か不幸か)遭遇したとき、私は一も二もなく飛び付いていた。致死量の毒物(しかも、かの有名な、不可能犯罪における毒物の王様「青酸カリ」だ)を常に所持しているという「自分は他のみんなとは違う」的な、意味のない優越感や特別感に酔いたかっただけなのだろうと思う。若気の至りだったと(今でも年齢的には若いが)今ならはっきりと言える。
入手した青酸カリは市販の医薬用カプセルに入れており、あの撮影旅行にも当然持参してきていた。もっとも、肌身離さず身につけていたというわけではなく、あのときは鞄の中に隠しておいたのだが。それを霞に見つかってしまったことが、今回の事件が起きる(というか、私が起こす)きっかけになったのだ。
そう、霞が私を殺害するために使ったシアン化カリウムもまた、もとはと言えば私のものだった。私はカプセルを二つ所持していたのだが、そのうちのひとつを彼女が私の鞄から盗みだしたのだ。いかなカプセルが透明のものだったとはいえ、あれをシアン化カリウムと見破った(少しだけ舐めたり、匂いを嗅いだりもしたのだろうが)ということは、霞もやはり裏社会の人間だったということか。しかし、私は二つのカプセルを一緒にはしておかず、別々の場所に隠していたことが功を奏した。霞はカプセルをひとつだけ発見して、それが全てだと思ってくれたらしい。私が毒入りカプセルをもうひとつ持っていたということ、そして、それによって自分が死ぬことになるなどとは、霞は想像だにしていなかったに違いない。では、なぜ、霞が私の鞄からカプセルを発見できたのかというと……。
やはり、出来る限りすべてをつまびらかにする必要があるようだ。できるだけ個人の名誉に抵触しない程度に、記述していくことにしよう。




