第26章 死に至るまで
「あのですね、石上先輩、推理に入る前に、ひとつ報告しておきたいことがあるんです」
「なんだい?」
「高井戸さんと河野さんのことです」
「あの二人が、どうかしたのかい?」
「ええ、実は、その御両人、僕たちが妖精館を脱出したあと、正式にお付き合いを始めたそうで」
「ああ、確かにあの二人は、いつの間にか良い感じになっていたように見えたね」
「そうなんですよ」と、ここで乱場は言葉を切って、「ところがですね、あることがきっかけで、二人の仲がこじれることとなってしまいまして」
「高井戸さんが浮気でもしたとか?」
「浮気よりも、ある意味質が悪かったかもしれません」
「なにをしでかしたんだい?」
「……盗撮です」
「えっ?」
意外な言葉が出てきて私は驚いた。
「それもですね」乱場は、また一度言葉を切ってから、「その盗撮をしていた場所も問題だったんです」
「場所って、どこで?」
「……妖精館です」
「なに?」
「日にちは、あの霞さんが毒殺された日、場所は、まさに、その現場のリビングにおいてです。高井戸さんは、自分のスマートフォンの映像カメラを起動した状態にして、シャツの胸ポケットに入れておいたようなんです。もちろん、カメラレンズが正面上側を向くようにして。ポケットの頭から、ちょうどレンズだけが覗くような形にしていたわけです」
「ははあ……」私はその様子を想像して、「それで、いったい何を撮っていたと?」
「霞さんですよ」
「霞さん? あ、まさか!」
「そうです。あの日、霞さんは極端に襟口の開いたシャツを着ていましたよね。そして、それはその日に始まったわけじゃなかった。前日にもリビングに集まってみんなでコーヒーを飲みましたが、その席でも霞さんは、同じような服装をしてきていました。そのため、翌日にもリビングでコーヒーを飲むとなったとき、高井戸さんは、また霞さんがあのような刺激的な衣装で現れるんじゃないかと」
「それを期待して?」
「みたいですよ。実際撮影されていた映像は、霞さんの姿をずっと追ったものでしたから」
「呆れたものだね。でも、どうしてそのことが発覚したんだい?」
「河野さんが、高井戸さんのスマートフォンの中身を見てしまったことでですよ」
「うーん、いくら恋人同士とはいえ、相手のスマートフォンの中を見るというのは、あまり褒められた行為ではないと私は思うけどね。まあ、盗撮自体が、そもそも褒められた行為では絶対にないけれども」
「僕もそう思います」
「それで、河野さんが激怒したってことか」
「ええ。河野さんは、あれ以来、汐見先輩、朝霧先輩とも電話などのやり取りを続けていて、二人とも河野さんの怒りの愚痴を思いっきり聞かされたそうですよ。そのことに加えて、石上先輩が火櫛さんに撃たれたとき、男性陣では高井戸さんひとりだけが火櫛さんに跳びかからなかったことを、今さらのように言われているらしいです。朝霧先輩いわく、あの二人はもう終わりだろうと」
「はは」
笑っていいのかは分からないが(駄目だろう)、私は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「で、その高井戸さんの盗撮が、何か事件に関係あるのかい?」
「はい、大ありなんです。なぜって、その映像を見せてもらったことで、僕は犯人が分かったんですから」
「なに?」
私は思わず背筋を伸ばしてしまい、傷口に負荷を掛けることとなった。激痛が走ったが一瞬のことだ。私は顔には出さずに、
「霞さんの盗撮映像で犯人が分かったって……というか、乱場くん、君、どうしてそんな映像を見せてもらうことになったんだ? まあ、君も健全な男子高校生だ、興味を持つのは分からないでもないが――」
「違いますよ!」乱場は途端に顔を真っ赤にして、「僕は、あの日、霞さんが殺された日のリビングでの出来事を思い出そうと、記憶を引っかき回していたところだったんです。誰がどんな言動を取ったか、全てを憶えてはいられませんでしたからね。そもそも、あの場で霞さんが殺されるとは、全く予期できなかったんですから!」
「まあまあ、分かってるよ」
私は椅子から立ち上がる勢いの乱場をなだめた。乱場も落ち着いたようで、
「僕は、誰かが殺されるなら、被害者は僕たち、外様組の中の誰かなんじゃないかと思っていたんです。しかも、もしそうなれば、犯人は飛原さんか河野さんのどちらかだろうと。というのも、石上先輩も憶えていますよね、その日の朝食後に偶然、庸一郎さんと話す機会があったのですが」
「もちろん憶えているよ。庸一郎さんは、私たちをして『数が多すぎる』と言ったのだったね」
「そうです。そのとき、場にいたのは、僕たちを除けば飛原さんと河野さんだけでした」
「その二人のどちらかが、自分が助かるために他の誰かを殺すかもしれない、そう思ったんだね」
「はい。それに、あのときの飛原さんと河野さんの状態でしたら、庸一郎さんと話したことを、村茂さんや高井戸さんに喋るとは思えませんでしたから。だから僕は、何か行動を起こすとしたら、飛原さんか河野さんだろうと見当を付けて、主にその二人に狙いを絞って観察をしていたんです」
「なるほど、よく分かるよ。ところが、意に反して殺害されたのは霞さんだった」
「そうなんです。そんなときにですね、朝霧先輩からその話を聞いたんです。まさに渡りに船でした。高井戸さんに頼んだら、まだ動画は残っているというんで、見せてもらったんです」
「で、それを見て、犯人が分かった?」
「そういうことです。どうですか、石上先輩も、その映像をまず見てみませんか? データを預かってきましたから」
乱場は懐からスマートフォンを取りだすと、私の返答を待たずに、私の枕横に椅子を持って来て座った。そして、ベッドに渡してあるベッドテーブルの上にスマートフォンを――私が使っている湯飲みをスタンド代わりにして――置くと、私と並んで画面を見られる用意を調えた。
「再生します」
乱場は画面を操作して動画の再生を始めた。動画が始まると、まず私は妙に懐かしさを憶えた。妖精館のリビングがそこにあった。
動画は、私がリビングに下りていく前から始まっていた。あのとき高井戸は、三人掛けソファにひとりで腰を下ろしており、そこに私も同席したのだ。よって、その高井戸の胸ポケットに入れられていたというスマートフォンカメラは、その対面に座る、向かって左から、汐見、乱場、朝霧の姿を捉えている。乱場と朝霧の頭の間からは、窓際でひとり用ソファに座る火櫛の姿も見える。
『全員そろったか?』
村茂の声。彼は、ローテーブルを囲む輪から離れ、画面にしてもっとも右、コーヒーメーカーを置いたテーブルを前にして「村茂珈琲店」を開いている。
『部長と霞さんが、まだですね』
答えたのは朝霧だった。
『僕、石上先輩を呼んできます』
その隣に座る乱場が立ち上がり、画面外にフレームアウトした。それから一分も経過しないうちに、
『霞さん』
村茂の声がして、カメラも動いた。高井戸が体を捻ったのだろう。カメラは時計と逆回転をして、ドア方向に向く。霞が入室してきた。薄いシャツにミニスカート。死亡時そのままの服装だった(当たり前だが)。
ここで、撮影者の求める被写体は何かがはっきりした。カメラは、歩く霞を常にほぼ中心に捉えている。霞は、ひとり用ソファを使う飛原の背後を歩き、火櫛と汐見たちとの間を抜けて、村茂のもとへ行く。村茂のテーブルには、コーヒーカップが三つ用意してある。村茂、霞、私に配るためのものだ。
『霞さん、俺のほうから持って行ったのに』
『ありがとう』
村茂の意に反して、霞はセルフサービスでカップのひとつを手に取った。
ここで乱場は動画を一時停止して、
「見ましたか。霞さんは自分でカップを選択しました」
「そうだね、村茂さんは自分で運んでいくつもりだったらしいけれどね」
「もし、村茂さんが犯人で、この時点でカップに毒を仕込んでいたのだとしても、それを霞さんに選ばせることは不可能だったわけです。三分の一の確率に賭けるしかない」
「そのとおりだね」
「遡ったとして、前もって何者かが、数あるカップのひとつに毒を仕込んでいたのだとしても、霞さんのもとにそれが渡ることをコントロールするのは不可能です」
それも間違いないだろう。私が頷くと、乱場は動画の一時停止を解除した。ソーサーとカップを持ち霞は、火櫛と少し距離を置いた場所に据えられていた、やはりひとり用のソファに腰を下ろすと、コーヒーカップに口を付けてサイドテーブルに置いた。
それから少しして、私と乱場がリビングに入ってきた。霞のときとは違い、入室した私たちにカメラが向けられることはなく、画面の中央には霞が、正確には、ソファに座って組まれた脚の白い太ももがあった。
『石上くん、今日のは昨日以上の自信作だ。ぜひブラックで味わってくれ』
画面には映っていないが、村茂の声がした。ここから先は私にも記憶がある。すぐにコーヒーをひと口すすって私は、その味を賞賛したのだ。汐見たちが私の風邪を心配し、乱場たち三人はコーヒーではなく、グラスに注いだジュースを飲んでいることを知る。そんなやりとりが終わると、
『村茂さん』
霞が動いた。自分のカップを手に、村茂のもとを訪れる。
村茂のテーブルにカップを置き、談笑を終えると、また霞は自分のカップを手にして村茂の前を離れた。ここでまた乱場は動画を停止させる。
「カメラにはっきりと映っていました。霞さんが手にしたのは、間違いなく自分が持って来たカップでした」
「ああ」
「続けます」
動画の一時停止が解かれる。
次に霞は河野の横に来て、カップをローテーブルに置いた。が、ここは村茂のときとは勝手が違った。ローテーブルと言うだけあり、テーブル天面の位置が低いため、霞が置いたカップが撮影範囲からフレームアウトしているのだ。カメラが熱心に捉えているのは、前屈みになった霞の胸元だった。
霞に話し掛けられる河野が、カップを口元に運ぶ。僅かに傾けられたカップの中には、ブラウン色をした液体が入っていた。そうだった、河野はコーヒーをブラックではなくミルクを入れて味わっていたことを思い出した。
河野との会話を終えて霞は、フレーム下に手を伸ばしてカップを取る。そのまま河野を後ろを通り、一瞬、高井戸の目の前を通過して、
『いいかしら』
高井戸と私との間に座った。今までにないアップで霞が画面に映し出される。やはり霞はカップをローテーブルに置いたはずだが、ここでもテーブルは画面外にあるため、この映像だけではそれを視認できない。
高井戸との会話が進む中、シャツの襟口が滑り、霞の肩が露出する。霞は画面外に手を伸ばしてカップを取って、脚を組み替えると、顔を反対方向、つまり私のほうに向け、再びカップを持った手をフレームアウトさせる。またカップをローテーブルに置いたのだ。
『石上くん』
私との会話が始まった。途中、汐見や朝霧たちが入れてくる茶々も聞こえる。
『でも、火櫛さんは、石上くんのことが好きだって言ってたわよ』
霞がこの言葉を発したときに、私も含めた全員の顔が一斉に火櫛を向いたのだが、カメラの映像にほとんどブレはなかった。高井戸は顔の動きだけで火櫛を見たのだと思われる。被写体に対する熱意、というか執念を感じる。
霞が立ち上がった。手には当然カップがある。私の前を通り、ひとり用ソファに座る飛原の背後を抜けて、霞は場を一周した形で自分の席に戻った。画面に一瞬、コーヒーカップが映り、下から上に抜けていく。撮影者の高井戸がコーヒーを飲んだのだ。流し込むように飲んでいるため、喉の鳴る音までがはっきりと録音されていた。
映像では、霞がカップを口元に運ぶところだった。
「ここです」
動画を止めないまま乱場が呟いた。私は息を呑んだ。
霞が、口元につけたカップを傾けた。白く細い喉が脈動して……。
乱場は動画を止めた。一時停止ではなく、再生そのものを終了したのだ。ここまで見れば十分ということなのだろう。
スマートフォンを回収した乱場は、椅子を動かして元の位置に戻り、再び私と対面するような格好になる。
「乱場くん」生じた僅かな沈黙を私は破り、「この映像を見て、犯人が分かった?」
「はい。これから説明します」
私の視線は、少年探偵の瞳に吸い込まれた。




