第25章 悪魔の住む館
目を覚ますと、乱場の顔があった。
ちょうど彼の夢を見ていたところだったので、私はそれが夢の続きであるかのような錯覚を起こした。
「起こしちゃいましたか? 石上先輩」
寝起きでぼやけていた視界が徐々に鮮明になり、乱場の笑顔がはっきりと目に映るようになった。夢の中でも、彼はこうして私に微笑みかけてくれていた。
私はベッドをリクライニングさせて上体を起こした。乱場は「寝たままでいいですよ」と言ってくれたが、私は少しでも彼の顔を近くに見ていたかった。横になっているよりは傷が痛むことは事実だが。
私が撃たれた直後、跳びかかった乱場が、床に倒れた火櫛の手から拳銃を奪い、ほとんど当時に跳びかかる行動を起こしていた汐見が、火櫛に対して何かしらの関節技を極め、さらに村茂と飛原も加勢し、火櫛は行動の自由を完全に奪われた。その直後、館上空に爆音が近づいてきたという。当然、これらは後から聞いた話だ。
爆音の正体は警察のヘリだった。〈妖精館〉の捜索は難航するものと見られていたが、想定外に早く発見されることとなった。山の麓の道路を走っていたドライバーが、山の中腹で微かな火の手と、月明かりにたなびく煙を目撃したため、「山火事かもしれない」という通報を入れ、それがきっかけとなったのだ。ドライバーが目撃した火の手と煙が、火櫛が霞の遺体と大麻草の在庫を焼いた際に発生したものだったことは言うまでもないだろう。警察のヘリに収容して病院へ運ぶのが、あと数十分でも遅れていたら、私の命は絶望的だっただろうという。
緊急手術の末、こうして私は一命を取り留め、入院する運びとなった。当初は現場から近い仙台市内の病院に収容されていたが、容体がある程度の安定を見せたので、私は自宅に近い、ここ福島県会津若松市の病院に移ることを許された。乱場が毎日のように見舞いに来てくれているのは、そのためだ。
「朝霧先輩と汐見先輩は、部活の用事があるので、もう少ししたら来るそうですよ」
「そんなに頻繁に来てくれなくてもいいよ」
「何を言ってるんですか。石上先輩は僕たちの命の恩人じゃないですか」
「私も見たかったよ、汐見さんが火櫛さんに卍固めを極めているところ」
それを聞くと、乱場は吹き出して、
「違いますよ」
「そうなのかい。私は朝霧さんからそう聞いたんだが」
「卍固めなんていう典型的なプロレス技が、実戦で極まるわけないじゃないですか」
「まあ、何にせよ頼もしいよ。私は映像芸術部次期部長には、汐見さんを推しているんだけど」
「いいですね。でも、副部長として朝霧先輩を据えないと不安です。暴走するかも」
「本人にそう伝えておくよ」
「石上先輩!」
「冗談だよ」
ひとしきり笑い終えると、私は笑顔を消し、
「乱場くん、事件のほうは、どうなったんだい?」
「火櫛さんや庸一郎さんは最後まで抗いましたけれど、結局僕たちの証言で大麻草の栽培畑は発見されました。さらに、隠してあった帳簿類も見つけて、かなり大規模な販売ルートを潰すことが出来るようです。ちなみに、やっぱり火櫛さんは、僕たちを抹殺するために、暴力団の構成員を呼び寄せていたそうです。警察が乗り込んでくることが分かったため、麓の町のホテルに滞在させていたそうです」
「間一髪だったということだね。あのとき、乱場くんが霞さんの遺体からマスターキーを抜いて110番通報していなければ、私たちは全員亡き者にされていたというわけだ」
「そうかもしれませんね。それと、やっぱり霞さんは、自分でも大麻を使用していたらしいです。部屋から、吸引するために使われる器具が発見されました」
「そうか……。火櫛さんと庸一郎さんは?」
「いえ。検査では大麻は検出されなかったそうです。ですが……」
「何か?」
「はい、庸一郎さんの体内から、大量の砒素が検出されました」
「砒素?」
「そうです。長い期間に渡って、少しずつ蓄積されていったようですね。それなら、あの庸一郎さんの異様に白い肌の色も納得できます」
「砒素の影響か。でも、どうして庸一郎さんは、砒素なんかを?」
「これはもう憶測するしかありませんが、もしかしたら、霞さんではないでしょうか」
「どういうことだい?」
「庸一郎さんに砒素を飲ませていたのは、霞さんだったということですよ。憶えていますか? 庸一郎さんの食事は毎回、霞さんが彼の自室まで持って行ってあげてたそうじゃないですか」
「そのときに、砒素を混入させて?」
「庸一郎さん自身は、砒素を飲むなんて、何も身に憶えがないと証言しているそうですからね。ただ、自分の体内に砒素が蓄積されていると医者から聞かされたとき、庸一郎さんは大変驚いていたというんですよ」
「それは、そうだろうね」
「それがですね、その驚き方が、どうもおかしかったそうなんです。『どうして私のほうが?』みたいなことを口走っていたみたいです」
「どういう意味だろう?」
「その謎を解く鍵は、霞さんが亡くなったときにあるように思います」
「霞さんが……そうだ、確か、偶然姿を見せた庸一郎さんが」
「そうです、こう言いましたよね、『毒が、効いたのか』と」
「ああ。どうして現場を見てもいず、誰からも話を聞いていないはずの庸一郎さんが、霞さんの死因が毒にあると分かったのか、謎だったのだけれど」
「こう考えれば納得がいきませんか。庸一郎さんもまた、霞さんに毒、砒素を盛っていた」
「何だって?」
「これも思い出して下さい。霞さんは、毎食前に薬を飲んでいましたよね」
「……そうだった」
「その薬は、庸一郎さんが処方したもので、実際、庸一郎さんが霞さんに、食前に必ず薬を飲むように、と言いつけていることが何度かありました」
「ああ、そんなことが何度かあった。じゃあ、あれは……」
「そうです。自分の盛った毒を、きちんと霞さんが飲んでいるかを確認していたのでしょうね。そして、あの日、霞さんが死んだことを知った。その死体には外傷はなかった、ということは……」
「庸一郎さんは、自分が盛り続けていた砒素がついに効いたことで、霞さんを死に至らしめたのだと、そう勘違いをしたのか!」
「庸一郎さん自身の口からは、何も聞かれてないそうですが、恐らく。ところが、霞さんのほうでは、庸一郎さんが自分を毒殺しようとしていることを、知っていたのではないかと思います」
「どうして?」
「庸一郎さんに比べて、霞さんのほうは至って健康に見えました。肌が白いのも生まれつきなのでしょう。霞さんが飲んでいた薬はカプセル剤でした、中身を捨てて、カプセルだけを飲んでいたのでしょうね。霞さんが庸一郎さんに盛っていた毒は、そもそもそのカプセルの中身だったのかもしれません。それに、霞さんは、飛原さんが『庸一郎さんは病気を煩っているのか?』と訊いたとき、こう答えていましたよね、『お父様は、もうすぐ死ぬの』って」
思い出した。それを口にしたときの、あの霞の愉快そうな顔。あのときは質の悪い冗談かとばかり思っていたが。
「それにしても、どうして親と子同士で毒の盛り合いなんていう、とんでもないことをするようになったんだろう、あの親子は」
「そこのところは、庸一郎さんも火櫛さんも一切語らないそうなので、推測するしかないのですが、あの親子の仲が険悪だったのは間違いないのでしょうね。ですが、表向きの抗争に発展しなかったのは、火櫛さんの目があったからなのではないかと思います」
「彼女の存在がストッパーになっていたと」
「火櫛さんは、そもそも自分は、庸一郎さんの先代に雇われた身分なのだということだけは喋ったそうです。その先代に火櫛さんは両親の代から恩があって、その縁で妖精館に仕えているのだとも。火櫛さんは先代から、自分の息子と孫娘のことを監視するよう言いつかっていたのかもしれません。間違っても、親子で諍いを起こすことなどないよう。笛有家のあの商売を滞りなく存続させるようにと。だから火櫛さんは、あの二人、特に霞さんのことは用心していたのだと思います。霞さんの性格からして、自分の目を盗んで何かしでかすのではないかと。商売道具の大麻に手を出してもいましたからね」
「あり得るね。火櫛さんは時折、霞さんのことが手に余るような素振りを見せていたから」
「はい。それと、僕はさっき、親子仲が険悪だったと言いましたが、両者の間にはある程度の温度差があったのだろうと思います」
「それは、どういう?」
「庸一郎さんのほうでは、霞さんが自分を殺そうとしているとは、そこまで考えていなかったのかもしれません」
「どうして?」
「だって、霞さんのほうは庸一郎さんから渡された薬――中身は毒だったのですが――を飲まなかったのに対して、庸一郎さんのほうでは、霞さんが盛った毒を口中に入れていたからです。霞さんが持って来た食事を、何の疑いもなく食べていたということですからね」
「なるほど。確かに、そうだ」
「庸一郎さんは、霞さんのことを『所詮、小娘』みたいに侮る気持ちがあったのかもしれませんね。結果、自分が相手に盛った毒が、逆に自分に返ってきてしまった」
「自分の仕掛けた毒で、自分が……」
「そうです。幸いにというか、庸一郎さんは、砒素が致死量に達するまでには至りませんでしたが」
「そうか……」
気が付くと前のめりの姿勢になっていた私は、深く息をついてベッドに背中を付けた。話に集中していたため忘れていた傷の痛みも返ってきた。
乱場の話を聞いて、あの妖精館にまつわる多くの謎が解かれたことが分かった。だが、まだ最大の謎が残っている。私はそれを確かめるため、もう一度前のめりになった。傷が疼くが、構わない。
「乱場くん、もうひとつの事件のほうは?」
「もうひとつの、事件……」
私の言葉を聞くと、話を終えてリラックスしていた乱場もまた、シリアスな表情に戻った。私は、その大きな目を覗き込んで、
「霞さんが毒殺された事件だよ」
「ああ……」
「犯人は、分かったのか?」
乱場の目を見つめると、
「……はい」
彼も私の目を、真っ直ぐに見つめ返した。
「聞かせてくれないか」
「いいですけれど……」
乱場は一瞬だけ躊躇したように見えた。私の気のせいであったことを願う。
「はい」今度は乱場は、その目に確かな決意の色を浮かべて、「ですが、今回僕が推理できたのは、犯人とその犯行に使われたトリックだけです。どうして犯人が霞さんを殺す動機を持ったのか、そして、どうして犯人が凶器となったシアン化ナトリウムを持っていたのか、その事情までは分かりませんでした」
「根拠のある推理じゃなく、推測や憶測も?」
「……はい」
乱場は言い切った。
「分かった、聞かせてくれ」
私は体を揺すり、なるべく傷の痛みを和らげられる体勢を探した。さきほどの話以上に長丁場になるだろうからだ。




