第23章 猛火の底
廊下に出ると、乱場の姿がすでにあった。
「石上先輩!」
「乱場くん! あれは――?」
「小屋だ!」
背中から声が掛けられた。村茂のものだった。
「小屋って」
「そうだ、俺と飛原が昨日、荷物整理の仕事をした小屋が燃えているんだ。位置からして間違いない!」
「どうして?」
「分からん!」
私と村茂が問答している間に、他のメンバーも次々に部屋から出てきた。乱場が人数を数えて、全員がいることを確認すると、
「とにかく、行ってみましょう。消火活動をしないと!」
「しかし、行くったって……」
高井戸の言わんとしていることは分かる。玄関も裏口も施錠がされていることだろう。ここは朝霧が、汐見ならぶち破れる、とまた冗談を言うかと思ったら、
「言われるまでもなく、私がぶち破ってやるよ!」
汐見が威勢のいい声と同時に、階段を駆け下りて行った。
私たちも転がるように階段を下りていくと、何かがぶつかるような激しい音が大きくなる。ロビーに下りて音の正体が分かった。汐見が玄関扉に何度も体当たりを仕掛けていた。
「汐見さん!」乱場が駆け寄って、「この丈夫な扉は、さすがに無理です! 裏口のドアなら!」
「そうか!」
即断した汐見は、食堂に飛び込むと、椅子を一脚抱えて出てきた。そのまま厨房を抜けた先の枝廊下を曲がる。
「村茂さんも汐見先輩を手伝って! 僕たちは消火器がないか探しましょう! 東館へは、僕、石上先輩、朝霧先輩で行きます!」
乱場が指示を飛ばすと、村茂だけが食堂から椅子を持って汐見を追い、他の全員は二手に分かれて散った。
ロビーを抜け、まずリビング。灯した照明に照らされた室内を見て、何か違和感を憶えた。ローテーブルがあり、数脚のソファがあり――違和感の正体に気付いたが、それをいち早く言葉にしたのは乱場だった。
「霞さんの遺体が、ありません!」
「えっ?」
消火器がありそうな壁際や戸棚の脇を探していた朝霧も、ぎょっとして振り向く。乱場の言ったとおりだった。三人掛けのソファのひとつに確かに寝かされていたはずの、霞の遺体が消えている!
「生き返った?」
「馬鹿な!」
私の愚問を、当然ながら乱場は一蹴する。室内に目を走らせるが、霞の遺体はどこにもない。
「とりあえず、今は消火器を」
乱場の声で、私は本来の目的に戻った。
「乱場くん、昨日の捜索で、廊下に消火器の備え付けはなかったか?」
「ありませんでした。これほどの規模の建物なら、消防法に則れば本来あり得ない処置ではありますが、この妖精館はどうせ違法建築でしょうから」
「消火器自体を置いていない可能性もあるね」
「はい――」
「あった!」
朝霧の声がしたほうを私と乱場は同時に見た。リビング奥の作り付けの物入れのような場所で、朝霧が赤い消火器を抱えていた。そのまま朝霧は走ろうとするが、消火器は意外に重く、その足下はおぼつかなかった。
「貸して!」
私は朝霧から消火器を受け取ると、リビングを出て走った。ロビーを抜けたところで、同じように消火器を抱えて走る高井戸を見た。
「厨房にあった!」
「こっちはリビングに!」
私たちが枝廊下へ曲がると、
「たった今、開いたところだ」
疲労困憊といった様子で、壁にもたれて床に脚を投げ出した村茂が、親指で裏口をさした。ドアが開け放たれている。村茂の対面には、同じような姿勢でいる汐見の姿があった。
「ありがとうございます」
私と高井戸は、二人の脚を跳び越えて外に出た。炎が消し飛ばしてしまったのだろうか、周囲に霧はなく、月明かりに加えて、皮肉にも炎自体の明るさも手伝い、狭く曲がりくねった道を走るのに難儀はしなかった。
木々に挟まれた道を抜けて広いエリアに出た。目の前十メートル程度先で炎が立ち上っている。少し大きめのキャンプファイヤーという程度の規模だろうか。炎の周囲は十分な平地となっているため、他のものに延焼する危険性はなようだ。とりあえず私は、ほっとして胸をなで下ろした。高井戸も同じだったらしい、手にした消火器を炎に向けるでもなく、私の隣に立ち尽くしている。私と高井戸は顔を見合わせ、深い息を吐いた。が、
「石上くん、あれ……」
炎に視線を戻した高井戸が指をさす。見ると、燃え上がる炎から数メートル離れて、人が立っており、炎の反対側に長い影を伸ばしていた。
「あれは……」私も目を凝らして、「火櫛さん?」
炎を正面にして立つ人影は、間違いなく火櫛だった。
「おい! どうした――」
背後から村茂の叫ぶ声が聞こえ、大勢の足音も同時に耳にした。彼らも追いついたらしい。その声が届いたのか、火櫛はおもむろに振り返った。顔の半分は炎で赤く染まり、もう半分は闇に溶け込んでいた。
「火櫛さん!」
真っ先に駆け寄ったのは乱場だった。真っ先にというか、他には誰も彼のあとに続くものはいなかった。私同様、恐怖と混乱で足が動かせないのだろう。
「何事ですか! これは!」
「乱場くん……でしたか」火櫛は、顔の左右を別々の色に染めたまま、「どうやって外に出たのです?」
「そんなことはどうでもいいでしょ!」見当違いのやり取りをするのにイライラした様子で、乱場は叫ぶと、「何を燃やしているのですか?」
夜空を焦がしている炎の柱を指さした。
燃やしている? そうだ、これだけの炎を上げるからには、その中心には何か燃焼物があるはずだ。村茂は、この炎の出所を自分と飛原が作業をした倉庫だと言ったが、それと思われる建造物は、炎から十メートル以上離れた位置に建っている。あの炎は、その倉庫手前にある広いスペースで燃えているということか。二階の窓から炎を見た村茂が、倉庫自体が燃えていると勘違いしたのも頷けた。
「……みさまです」
「えっ?」
火櫛が何事かを答えたが、炎の燃焼音がノイズになり、乱場の耳には届かなかったらしい。私も彼女の言葉を聞こうと、震える脚に鞭打って、乱場のそばまで歩いた。火櫛の口が再び開き、
「霞様です」
「……かす、みさま……?」
乱場は唖然と目を丸くして、炎に視線を動かした。今度は私の耳にもはっきりと届いた。火櫛の言葉が。私も燃えさかる炎の中心に目をやる。そこには二種類のものがあった。まず、立方体がいくつも並べられており、その手前に細長い物体が横たえられている。立方体は段ボール箱のように見え、実際大きさもそのくらいだった。一方、細長い物体は、長さが百六十センチに届かない程度で……。
「霞さん? 霞さんの遺体を燃やしているということですか?」
乱場は、元々大きな目をさらに極限まで見開いて、火櫛に問うた。
「ええ」火櫛は、顔を正面――炎の側に戻すと、「弔ってあげなければ、と思いまして」
そう呟いた彼女の顔は、赤々と照らす炎のせいで、本当はどんな色をしているのかを窺い知ることは出来なかった。
「弔うって……」一度炎に目をやって、乱場は、「じゃ、じゃあ、あの周囲にいくつもある箱のようなものは何ですか? もうほとんで崩れてしまっていますが、見たところ、段ボール箱のように思えましたが……」
だが、火櫛は彼の質問には答えないまま、私が手に提げているものを見て、
「延焼することはないでしょうが、消火してくれるというのならお願いします」と再び眼鏡に炎を映し、「もう、十分でしょうから」
「十分って、何がですか?」
私の質問にも火櫛は沈黙で答え、踵を返すと館方向へと歩いていった。ひとかたまりになっていた村茂たちは、まるで火櫛の周囲に見えない壁でもあるかのように、身を引いて左右に分かれた。その間に開いた道を悠然と通りすぎて、火櫛は木々の向こうに見えなくなった。
「石上先輩! 消火しましょう!」
乱場の声で我に返った私は、「あ、ああ」と返事をして消火器を炎に向けた。高井戸も走りながら消火器をスタンバイし、一緒に炎の駆逐にかかる。白い粉末が赤い炎を覆い、夜空を舐めていた火柱は完全に沈黙した。
この場にあった唯一の光源である炎が消滅したことで、周囲は闇の支配下に置かれることとなった。そこに新たなる光源が発生する。スマートフォンのフラッシュライトの光だった。何人かが同じようにライトを灯してくれたおかげで、闇の支配圏はかなり後退した。そのうちのひとり、乱場が、自分のスマートフォンを火柱が上がっていた位置に向ける。
「……どうやら、火櫛さんが言っていたことは本当のようですね」
乱場は顔をしかめた。背後では河野と朝霧の悲鳴が響く。私も含め、それ以外のメンバーは全員、黙ったまま息を呑んだ。
炎の死骸とも言うべき、黒くくすんだ消し炭の中、そこには本物の死骸があった。焼死体特有の、筋肉繊維収縮することで腕と膝を曲げたような状態になり、全身を黒い炭に覆われている焼死体が。
「うっ……」
消化器を放り投げて高井戸は、鼻を抑えて数歩後ずさりした。その理由は私にも分かった。感覚が麻痺していたのか、それとも今まで炎の熱がそれを抑えていたのか、肉を焼いた焦げ臭い異臭が私の鼻孔も突いた。私もたじろいで足を引こうとしたが、
「乱場くん……」
乱場がハンカチで鼻を抑えつつ、スマートフォンを掲げながら焼死体に近づいていったのを見て、思いとどまった。
「石上先輩」乱場は振り向いて、「頭から死体を照らしていってもらえますか」
「分かった……」
私もフラッシュライトを起動させて、スマートフォンを黒い死体に向け、頭から足先(足の先端部は燃焼により失われていたが)までをゆっくりと照らしていく。
「ありがとうございます」と乱場は礼を述べると、「僕たちが火の手が上がっていることに気付いてから、どれくらい時間が経っていますか?」
「そうだね……」私は記憶を呼び起こして、「一時間は経過していないだろう。三十分か、四十分くらいかな」
「ですよね。それにしては……」乱場は近くから木の枝を拾ってくると、霞の死体(間違いないだろう)の主に腹部を突きながら、「内臓の燃焼具合が激しすぎます」
「どういうことだい?」
「人間の体を三十分程度燃やしただけでは、表皮や肉が焼けるだけで、腸などの内臓までは火は回らないことが普通なんです。内臓って水分が多いですから。でも、この死体は内臓に至るまでほぼ完全に焼かれています」
「それは、どういう?」
「恐らく、あらかじめ腹部を切り裂いて内臓を露出させ、さらにガソリンを振りかけたうえで燃やしたのでしょうね」
想像した私は手が震え、スマートフォンを取り落としてしまうところだった。
「いったい、何だってそんなことを?」
「死体を完膚無きまでに焼き尽くしてしまいたかったのでしょう」
「どうして?」
「そこまでは、まだ……」
「周囲に置かれていた箱みたいなものは?」
「焼け崩れて確認は出来ませんが、段ボール箱のようなものだったらしいですね。中身は……草? 植物でしょうか? ちょっとだけ燃え残りがあります」
乱場は屈み込んで一枚の葉っぱを手にした。細長く、ほとんどが焼け焦げており、緑色をした部分は僅かしか残っていなかった。
「これは――」
乱場がその葉を目の高さに掲げて凝視したとき、
「おい!」背後から村茂の声が聞こえ、「飛原がいないぞ!」
私は振り向いた。皆が掲げるスマートフォンが左右に動き、サーチライトのように周囲を照らした。乱場は走りだした。その行く先は、倉庫。私たちも彼を追う。
倉庫の大きな扉の前に飛原はいた。彼はその両開きの扉を開けようと苦戦しているようだった。
「鍵が掛かっていると思いますよ」
乱場の声に、飛原は手を止めた。扉の中央部には確かに鍵穴が見える。
「飛原さん」乱場は彼に近づき、「僕、あなたの態度がどうして急におかしくなったのか、分かりましたよ」
飛原は目を見開いて少年探偵に視線をぶつけた。乱場は私たちに振り返ると、
「とりあえず、館に戻りましょう」
その後ろでは、飛原が倉庫の扉にすがるように膝を折っていた。
私たちは、村茂と汐見が破った裏口から館内に戻った。ドアを破るための犠牲となった――もはや椅子としての役目には返り咲けない状態と化している――二脚の椅子も、廊下に投げ出されたままだ。この裏口の惨状を火櫛は知っているのだろうか。私たちは乱場の部屋に集まった。
喉を潤すため全員が食堂から飲み物を持ち込み、各人が部屋から持って来た椅子に腰を下ろして車座になる。中央にはテーブルが置かれた。乱場は立ち上がると、懐から何かを取りだしてテーブルの上に置いた。全員の視線が集まる。飛原だけが、横目で窺うようにしてそれを見ていた。それは、先ほど乱場が拾った、半分以上が焼け焦げた一枚の細長い葉っぱだった。
「何だ、これは?」
村茂が訊いた。ひと呼吸置いてから、乱場は、
「これは、麻の葉です」
「麻……それって……」
高井戸は葉に目を近づけた。
「はい、大麻草とも呼ばれていますね」
乱場が発した麻の別名を聞くと、室内にどよめきが起きた。ただひとり、そのどよめきに加わらなかった飛原を見て、乱場は、
「飛原さんの態度がおかしくなった原因は、これです。昨日、飛原さんは村茂さんと一緒に行った倉庫の整理の際、これを見つけたんです」乱場は、小さな燃えかすのような葉を指さして、「あの倉庫内には、段ボール箱が山と積まれていたそうですね。飛原さん、あなたは倉庫内に落ちていた葉を目に留め、それが麻だと気付き、段ボールの中身が全てこれなのだと悟った。あなたは、どうにかしてこの大量の麻を独り占め出来ないか、その考えで頭がいっぱいだったのですね」
飛原が何も反論しないことが、乱場の考えの正しさを雄弁に物語っているといえた。




