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第18章 伏毒

「では、十時のコーヒータイムに、また会いましょう」


 (かすみ)はそう告げると、黒い髪を翻して食堂を出ていった。立っていたままだった乱場(らんば)も、ゆっくりと椅子に腰を落とす。


「ねえ」今度は河野(こうの)が立ち上がって、「どういうことなの? あいつらの仲間になれば助かるっていうの? 殺されずに済むっていうの?」


 私たちの顔を順に見る。その顔には怯えの色がはっきりと見て取れた。


「落ち着いて下さい、河野さん」


 乱場がなだめようとしたが、


「これが落ち着いていられる?」睨むように乱場を見返すと、「それに、あの、庸一郎(よういちろう)って人、『人数が多すぎる』って……。どういうことなの? 私たちの人数が減れば助かるっていうことなの?」


 河野の言葉を聞いて、私はどきりとした。思わず乱場を見る。彼も同じだったらしい。視線がぶつかった。「人数が減れば助かる」今の状況において、この考えは非常に危険だ。それこそ……。


「ねえ」


 河野の鋭い声で思考が停止させられた。彼女は、視線を突き刺す相手を乱場から飛原(とびはら)に替え、


「監督、あなた、もしかしたら何か知ってるんじゃないの?」

「えっ?」


 自分が食ってかかられるとは予想していなかったのか、飛原は虚を突かれたように顔を上げた。


「倉庫で何かあったんでしょ? 火櫛(ひぐし)さんと何か……そう、自分ひとりだけ助けてもらうような契約を交して――」

「ち、違う!」


 対抗するように飛原も起立した。が、


「じゃあ、なに?」


 河野に問い詰められると、途端に空気が萎んだように着席し直した。


「河野さん……」


 朝霧(あさぎり)が不安そうな、悲しそうな声を絞り出す。はっとしたように、朝霧と、その隣に座る汐見(しおみ)に視線を投げた河野は、


「……ごめんなさい。ちょっと、ひとりになって頭を冷やしてくるわ」


 目を伏せると、冷蔵庫まで歩き、扉を開けてペットボトルの炭酸飲料を掴むと、足早に食堂をあとにした。

 残されたのは、高校生四人と、そして、


「なあ、乱場くん」


 ひとりきりの大学生である飛原が、乱場の名を呼んだ。顔を向けた乱場に、飛原は、


「何か、ここから逃げ出す方法は、ないか? なあ、名探偵と呼ばれるほどの君なら、何かいいアイデアを持ってるんじゃないのか?」


 声を若干潜めて訊いた。その表情は真剣そのもので、頬には汗が伝わり落ち、切羽詰まった様相が見られる。名探偵はすぐには答えず、飛原の喉が一度、ごくりと鳴ったところで、ようやく、


「飛原さん、倉庫で何があったんですか」


 河野がしたのと同じ質問を浴びせた。


「そ、それは……。いや、何も……なかった」


 飛原は答えたが、そのときは乱場から視線を外していた。小さくため息をついた乱場は、


「飛原さん、僕たちは一蓮托生なんですよ。全員、アクシデントからこの妖精館に辿り着き、幽閉されることになってしまいました。本気でここから脱出したいと思っているなら、全員の力を合わせないといけません。そのためには、隠し事があってはいけないんです。お互いを信頼できなくなってしまいます。現に、昨日の昼からの飛原さんの態度は、僕たちの中にかなりの不信感を生じさせています。分かりますよね」


 高校一年生から説教のようなことを言われているというのに、大学生の飛原は、それを甘んじて受け入れるように下を向いて黙っていた。乱場の声が止み、しばらく沈黙が支配していた食堂に、


「……君の言うとおりだ」飛原のか細い声が流れた。「確かに、俺たちみんなは仲間だ」


 厳しかった乱場の表情が緩んだ。が、


「だから、俺だけが不利益を被るような事態は避けるべきだと思わないか? どうして俺が、俺だけが見つけた秘密を、みんなに――」


 次に飛原の口から出てきた言葉を聞くと、再び表情に鋭さを戻した。飛原もまた、そこで声を止めた。伏せ気味の顔のまま、上目遣いで私たちを窺う。乱場が何か言おうとした、が、それに先んじて飛原は、


「と、とにかく、ここから脱出する方法を考えておいてくれ。頼む」

「――あ、ちょっと!」


 伸ばした乱場の手を振り切るように、飛原は脱兎の如く食堂を飛び出した。


「何なんですか、あいつ!」


 朝霧が憤慨した声を上げ、汐見も、


「乱場に脱出方法を考えておけ、だなんて、自分の秘密も喋らないくせに、ケツの穴が小さいやつだな」

「汐見さん、女の子が下品ですよ」


 朝霧が突っ込むと、


「ああ、悪い。言い直す。肛門が小さいやつだな」

「そうじゃなくて。『尻の穴が小さい』自体は慣用句として正しいですから」

「じゃあ、いいじゃん」

「そういう言葉を使うこと自体に問題があるということです」

「それじゃあ、何て言えばいいんだよ」

「度量の狭いやつだな、とか、しょっぱいやつだな、とか」

「いいや、朝霧、そんなお上品な言葉じゃあ、私の感情は表現できないな。だいたい、『しょっぱい』って、『しょっぱい試合ですみません!』て言うときしか使わないだろ」

「スーパー・ストロング・マシンですか」


 古いプロレスの話題はさておくとして、


「乱場くん、さっき、河野さんが言っていたことなんだが……」

「ええ」乱場も、承知済みだというように頷いて、「危険ですね」

「何が?」


 汐見は、きょとんとした顔で乱場と私の顔を交互に見る。


「汐見さん、僕が庸一郎さんに、『ここの仲間になれば、助けてもらえるのか』と訊いたとき、彼は、『僕たちの人数が多すぎる』と答えていました」

「そうだったな」

「それは、つまり、『もっと人数が少なければ仲間にしてもらえる』ひいては、『殺されずに済む』と拡大解釈することが可能です」

「うん、うん」

「ですから、それを能動的に行おうとする人が出てきたとしたら?」

「ちょっと待て……」


 汐見はシリアスな表情になって冷や汗を流す。


「そうです、それは、つまり――」


 神妙な顔で二の句を告げようとした乱場の目を見て、汐見は、


「『のうどうてき』って、どういう意味?」


 朝霧が椅子から転げ落ちた。



「とりあえず、僕たちも部屋に戻って、十時になったらリビングに行くことにしましょう」


 汐見に懇切丁寧な説明を終えた乱場は、額の汗を拭った。汐見は十分納得した様子で、「なるほど」を連呼していた。


「で、コーヒータイムになったら」と朝霧が、「私たちで、他の皆さんのことを監視するというわけですね」

「はい」乱場は頷いて、「何か不穏な動きをする人がいないか」

「犯行を未然に防ぐってことだな。まかせろ」


 汐見が勇猛に拳を握った。


「僕の考えすぎだとは思いますけれど」と断ってから乱場は、「でも、コーヒータイムに参加するのは、それだけが理由じゃありません。河野さんじゃありませんが、僕たちも一度頭を冷やして、リラックスして考えてみるべきでだと思うんです。ここに来て丸一日以上が経過して、さらに色々なことが起きて、気持ちに余裕がなくなってきている人もいます。ここらで冷静に話し合って、善後策を練りましょう。飛原さんにも言いましたが、僕たちは一蓮托生なんですから」

「全員集まるかな? 河野さんや、さっきの様子だと、飛原さんも来るかは怪しい」


 私が懸念すると、


「それならそれで仕方ありません。あとで話しますよ。無理強いしても逆効果だと思いますから」

「でも、乱場さん」と朝霧が、「その場には、霞さんも同席するんですよね。私たちの話も全部聞かれてしまうんじゃ……」

「いえ、僕は霞さんがいてくれたほうがいいと思っています。霞さんは、どうも僕たちを翻弄して楽しんでいるような節があります。だから、僕たちが本当に困っているんだということを面と向かって訴えて、お互いにいい着地点を模索するんです」

「そう上手くいくかな?」私は疑問を呈した。「完全な私見だけれど、私にはあの霞さんが、そんなに素直に私たちの言うことを聞いてくれるとは思えない」

「部長に同感」

「同じく」


 汐見と朝霧も同意してくれた。


「確かに」と乱場も霞の異常性は認めているようだが、「でも、それでも話し合ったほうがいい……そうすべきです。冷静になって話し合えば、きっと打開策は見つかると、僕は信じています」


 乱場の澄んだ目を見ながら私は、「探偵」と言うには、彼は少々純真すぎるのではないかと思った。これは今に始まったわけではない。私が日頃から常々思っていたことだ。幸いにも、という言い方が正しいかは分からないが、これまで乱場が対してきた犯罪は、金目当てだとか、頭に血が上ってやっただとか、単純明快な犯行動機によるものが多かった。だが、耳目に触れる古今の不可能犯罪においては、そういった俗物的な動機によって引き起こされたものは少ないほうだと言えるだろう。この先、乱場が探偵としてやっていくうえで、彼の純真さは(かせ)となってしまわないだろうか。無論、それが乱場の魅力のひとつだと、私自身思ってはいるのだが。



 ベッドの上で寝返りを打ち、スマートフォンを見る。午前十時を五分ほど回っていた。食堂で「全員集まるかな」などと心配を口にしていた私が遅刻するのはまずいだろうし、不穏な動きをするものがいないか監視するという目的もある。承知してはいるのだが、ベッドから起き上がることに、この上ない億劫さを感じる。原因は分かる。乱場の手を握らずとも、微熱があることが自分でも知れる。風邪は完治していなかったらしい。昨夜風呂に入ったのが悪かったのか。スマートフォンのデジタル時計が十時七分を示したところに、


「石上先輩」


 ドアの向こうから声が掛けられた。乱場だ。「開いてるよ」と答えると、ドアがゆっくりと開かれ、


「石上先輩、もうみんな集まって……どうしたんですか?」


 ベッド脇に駆け寄ってきた乱場が、私の額に手を当てる。ひんやりとして心地よい。


「熱がありますね」

「ああ、少しね。ひと晩寝て完治したと思っていたんだけどね」

「風邪は引き始めと治り始めが大事なんです。油断したら駄目ですよ」

「それより、乱場くん」私は上体を起こして、「さっき、みんな集まってると言ったね。みんなとは?」

「ああ、僕たちのほうは、石上先輩以外みんな、と言う意味です。霞さんと庸一郎さんは来ていませんが」

「私たちみんなということは、飛原さんや河野さんも?」

「ええ」

「霞さんは、来ていない?」

「そうです。でも、みんなでコーヒーを飲みたい、と言い出したのは霞さんなんだから、すぐに来るでしょう。だって、あの火櫛さんさえ参加してるんですよ」

「『さえ』って、どういう意味なんだい。乱場くんがそう言っていたと、あとで本人に伝えておくよ」

「やめて下さいよ!」


 乱場は笑った。私も笑みを返すと、


「そうか、それじゃあ、私も参加しないわけにはいかないな。何せ、火櫛さんさえ来ているんだからね」

「もう」


 頬を膨らませる乱場を見ながら私は、ベッドから床に下りた。


「大丈夫ですか?」乱場は心配そうな顔になり、「あ、石上先輩、朝食後に薬は飲んだんですか?」

「……いや」

「さっきも言いましたけれど、治り始めだからといって油断したら駄目です。きちんと飲んで下さい」

「分かったよ」


 私はサイドテーブルの引き出しから薬の箱を取りだした。すると、すかさず乱場が、


「ちゃんと水で服用して下さいね」


 同じくサイドテーブルに置いてある炭酸飲料のペットボトルに目をやる。私は、やれやれと肩をすくめた。


 私は洗面所に寄ると、薬を口に放り込んで、水を注いだグラスに口をつけた。


「そういえばさ」私は隣に立つ乱場に、「このあとすぐにコーヒーを飲むんだから、水で薬を服用することは、あまり意味なくないかい? すぐに胃の中で混ざるわけだし」

「屁理屈を言わないで下さい」

「はいはい」


 再び肩をすくめた私は、乱場と並んで階段を下りた。


 私が先頭に立ってリビングの扉を開けた。室内を見回すと、窓際に霞の姿を見つけた。乱場が私を呼びに行っている間に来ていたらしい。


「お待たせしました」


 遅れたことを詫びながら、私はソファの空席を求めた。ローテーブルの長辺に据えられた三人掛けソファのひとつが、高井戸だけのものになっている。私はその隣に腰を据えた。

 対面の三人掛けソファは、朝霧と汐見が両端に座っているため、その間は乱場の指定席(指定したのはこの二人だが)に決まっているのだろう。

 短辺のひとり掛けソファの片方には、昨日と同じく飛原が、そして、その対面、昨日私の席だった場所には河野がいた。

 村茂は今日は、最初からコーヒーメーカーの置かれた机に椅子を持って来て座っており、さながら「村茂珈琲店」の様相を呈している。

 霞と火櫛は昨日と同じく、ローテーブルを囲まない離れた位置で、ひとり掛けソファとサイドテーブルを使っていた。


「石上くん、今日のは昨日以上の自信作だ。ぜひブラックで味わってくれ」


 村茂がソーサーに載せたカップを持って来てくれた。丁寧にも、私の後ろ側から差し出してくれる。中には当然、湯気の立ち上る真っ黒な珈琲が入っている。私は会釈してカップを取るとコーヒーをすすり、ソーサーとカップをローテーブルに置いた。


「これは旨いですね」

「そうだろう」


 私の言葉に、自分の席に戻る途中だった村茂は、振り向くと満足そうに頷いた。


「部長、顔色が悪いですよ」

「うん、まだ風邪が治ってないのか?」


 対面のソファに座る、朝霧と汐見が声を掛けてくると、すでにその二人の間に入っていた乱場が、


「石上先輩、まだ風邪が完治していないんですよ」

「そうなのですか」

「さては、部長、風呂上がりに暑いからって、ずっと素っ裸になってたんだな」

「まあ、汐見さんじゃあるまいし」

「私はそんなことしないぞ」

「本当ですか?」

「ああ、肩にタオルを掛けてれば素っ裸じゃないだろ」

「まあ、あれですね、汐見さんは風邪を引きませんし」

「おお、健康にだけは自信があるんだ」


 汐見は胸を張った。恐らく朝霧は、俗に「風邪を引かない」と言われる特性を汐見が有していることを暗に伝えたかったのだと思うが、通じなかったようだ。はあ、と小さくため息をついて、朝霧はグラスを口に運んだ。ん? グラス。私の視線に気付いたのか、汐見が、


「私たちは冷蔵庫から持って来たジュースを飲んでるんだ」


 同じようにジュースの入ったグラスを掲げた。色からしてオレンジジュースらしい。


「村茂ブレンドの苦みは、まだ僕たちには早すぎたみたいですから」


 そう言う乱場の前にも、同じものが置かれている。確かに、私が先ほど味わったコーヒーは、今まで以上に苦かった。


「そうなんです」と朝霧が、「いくら砂糖とミルクを入れても、ちっとも甘くならないんですよ。しまいには村茂さん怒り出しますし」

「そりゃそうだよ、朝霧さん、君ねえ」と珈琲店主の座に戻っていた村茂が、「あんなに、まるで親の仇みたいに砂糖をドバドバ投入したら、せっかくのコーヒーの味わいが吹き飛んでしまうよ」

「というわけで、私たち高校生組は、コーヒーはよしてジュースを飲むことにしたんです」

「でも、部長はさすがだよな。やっぱり、コーヒーをブラックでおいしく飲めるようになるのが、大人になる条件なんだろうな」


 大人を定義する条件は、もっと他にも色々あると思うが。

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