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第15章 錯綜する愛憎

 自室に戻った私は窓に寄った。朝に比べて霧はかなり薄くなってきている。見ると、館の裏手には森を分断するように一本の道が延びていることが分かった。あの先に、飛原(とびはら)村茂(むらしげ)が作業をした倉庫があるのだろう。道は曲がっているため、残念ながらここからではその倉庫を目視することは出来ないが。

 無駄なことと分かってはいるが、窓を開けて鉄格子の一本を掴む。前後左右に揺するが、黒光りする鉄の棒は文字どおりびくともしない。汐見(しおみ)ならば破ることが出来るのでは? などと考えてしまうのが悲しい。映像芸術部部長として、常に毅然とした態度をとるよう努めてきている私も、あの二人のペースにはまりつつあるようだ。そんな自分がおかしくなり、私は笑みをこぼして窓を閉め、ベッドに横になった。ため息をひとつ吐くと、眠気と倦怠感に襲われ……。


石上(いしがみ)先輩」


 ドア越しに声が聞こえると、閉じかけていた私のまぶたは、バネ仕掛けのように開いた。


「どうぞ、開いているよ」


 ベッドから半身を起こして答える。「失礼します」の声とともにドアが開き、


「石上先輩、ちょっと、話しませんか?」


 乱場(らんば)が顔を見せる。その後ろには、朝霧(あさぎり)、汐見の二人の姿も確認できた。

 私は三人の後輩を部屋に招き入れた。三人とも自室から椅子を持参してきていたため、私たちはテーブルを囲んで車座になった。


「霞さんのお言葉に甘えて、台所の冷蔵庫から失敬してきました」


 乱場は椅子の他に、肩に提げた愛用の鞄も持参してきており、中からペットボトルのお茶を取りだして、


「たくさんありましたし、未開栓なので何か混入されている心配もありません」


 言いながら人数分の四本をテーブルに並べた。さっそく一本を取り、蓋を開けた汐見が、


「台所の棚には、カップ麺とかのインスタント食品もありました。いざとなったら、それらを食べれば問題ありませんよ」


 なるほど、このペットボトル飲料と同様、異物が混入されている心配は皆無というわけだ。朝霧、乱場に続いて、私もペットボトルを手にとって封を開け、冷たいお茶で喉を潤してから、


「話したいことって、何だい?」


 訪問の目的を尋ねた。


「それはもう」と朝霧はペットボトルを口から離して、「さきほどのコーヒータイムのときのことについて」

「びっくりしたよなぁ」と汐見が、「(かすみ)さんの色仕掛け。突然、何なの、あれ?」

「実際に仕掛けられた部長に意見を伺いましょう」


 朝霧は、持っていたペットボトルをマイクに見立てて、私に向けて突きだした。


「いやぁ……意見と言われてもね」と私は頭をかきながら、「ただただ驚いたというだけで」

「実際のところ、どうでしたか? 霞さんに迫られて」


 朝霧が即興のインタビュアーになると、汐見も同じようにペットボトルを向けて来て、


「部長、あのアングルだと、霞さんのおっぱいが見えたんじゃないですか?」

「ええ、ええ」と朝霧も頷き、「私の見立てだと、あのときの霞さんはブラを着けていなかったのではないかと。あれだけ薄いシャツなのに、下着の線が出ていませんでしたから」

「全部見えましたか?」

「色は?」

「ノーコメントです」


 私は両手を上げて、左右から詰問してくる二人に答えた。テーブルを挟んだ向こうでは、乱場が顔を赤くしている。


「そういえば」と私は乱場で思い出して、「霞さんは、乱場くんにだけは迫らなかったね」

「確かに」


 朝霧は、くるりと乱場を向いた。汐見も同じく後輩を見て、


「霞さん、乱場が好みじゃなかったのかな?」

「もしくは、乱場さんに手を出すと、汐見さんにボコボコにされると思ったのでは」

「まあ実際のところ、そんなことしたら、卍固(まんじがた)めの餌食だな」

「出た! 本郷(ほんごう)学園の燃える闘魂! アントニオ汐見!」

「勝手にリングネームを付けるな! その名前、レジェンドすぎて恐れ多いわ」

「そんな無敵のアントニオ汐見にも、絶対に勝てないレスラーがいるという」

「誰だよ?」

「ザ・コブラ」

「思い出させんな!」汐見は一度身震いして、「というか、お前、よくそんな古いレスラーを知ってんな!」

「汐見さんの天敵でしょう」

「なにおう! 戦う前から負けることを考えるやつがいるかよ! バカヤロウ!」


 汐見はレジェンドプロレスラーのものまねをして、朝霧の頬を張る振りをした。


「ちょっと、汐見さん、こんな話をするために集まったのではありませんよ」

「話を脱線させてるのは、お前だろうが」

「いえ、汐見さんが、霞さんに卍固めを掛けるとか言い出したから」

「その発言を引き出したのはお前だ」

「そうでしたっけ?」

「もう、やめやめ」

「そうですね、いい加減、本題に戻りましょう」

「そういうの、閑話休題って言うんだろ?」

「まあ! 汐見さんがそんな難しい言葉をご存じだとは意外でした。現代文のテストが零点だったのに」

「待て、私が零点だったのは数学だけだ」

「あ、そうでした。じゃあ、参考までに現代文は?」

「三十五点だな」

「うわ……」

「おい! また何か言いそうだな。もう本当にダメだぞ」

「はい、今度こそ閑話休題です」


 本来『閑話休題』とは、逸れていた話を本筋に戻すことだと思うだが、私たちはまだ肝心の本筋の話に入ってすらいない。


「で、どこまで話したっけ?」


 汐見が訊くと、朝霧が、


「部長が霞さんのおっぱいを見たというところまでです」

「そうだった」


 もう面倒くさいので、私もいちいち否定しないことにする。


「でも部長、あの霞さんの色仕掛けにも、全然鼻の下が伸びていなかったですね、さすがです」


 朝霧が讃えてくれ、汐見も、うんうんと頷いている。


「私は紳士だからね」


 少し気取ってみると、


「さすが部長、調子に乗ってますね」

「こら!」


 汐見に朝霧が突っ込むというのは珍しい構図だ。その汐見は乱場を向くと、


「どうだ、乱場、お前も霞さんにおっぱいを見せられても、部長みたいに大変自虐としていられるか?」

「汐見さん、『泰然自若(たいぜんじじゃく)』の間違い」


 すかさず朝霧から突っ込みが入る。うん、やはりこうでなくては。


「は、はあ、それは……大丈夫……だと思います」


 俯き加減で乱場は答えた。


「本当か?」


 ぐい、と汐見がテーブルに乗り出すと、


「は、はい……」


 乱場は彼女の圧を受けたかのように、同じだけ身を後ろに引いた。


「じゃ、じゃあ、私で試してみるか?」


 汐見は少し顔を紅潮させながら、着ているシャツの襟を掴んで引き延ばそうとする。


「――えっ?」


 乱場が目を丸くして絶句したところで、


「ストップ、汐見さん」朝霧が汐見の頭頂部にチョップをこつんと当て、「犯罪です。それと、エロキャラをやるなら堂々とやりきって下さい。慣れないことをするから、変に照れて、かわいくなってしまっているじゃないですか」

「う、うるさいな……」


 汐見は胸を押さえてテーブルから身を引き、椅子に座り直した。


「ところで」朝霧が、今度こそ『閑話休題』とばかりに、「部長の他に、もうひとり、霞さんのお色気攻撃に動じなかった人がいましたね」

「ああ」汐見もシリアスな表情になって、「飛原さんだな」

「はい。どうも飛原さん、霞さんに興味がないというよりは、何か考え事をしていて、それどころではない、という感じに見えましたけれど」


 私は頷き、乱場が、


「村茂さんの話だと、倉庫での作業中に何かがあった、もしくは、何かを見たためにああなったらしいですが」

「私たちも倉庫を見ることが出来れば、その原因が分かる、とまでは言わないが、何か手掛かりを掴めるかもしれないんだが」


 私は窓に掛かる鉄格子を見た。乱場も一度、そちらに目をやってから、


「本人に訊いても、話してはくれないでしょうね」

「ああ、リビングでの様子を見る限りじゃあね。村茂さんが二人きりで話をするとは言っていたけれど」

「この問題については、保留しておくしかありませんね」

「そうだね。それと、もうひとつ」

「高井戸さん、というよりも、正確には河野さんのことですね」


 さすが名探偵。彼女の様子にも目を配っていたようだ。すると、


「河野さん、高井戸さんのことが好きなんだな」

「そんな素振りは、ちょこちょこありましたけれど、やっぱりだったんですね」


 汐見と朝霧も、うんうんと頷いた。


「その高井戸さんが、霞さんの色仕掛けにあんなに鼻の下を伸ばして、いい気持ちにはならないよな」

「せっかくここまで〈妖精館〉の外様として一蓮托生でやってきたというのに、何かトラブルに発展しなければよいのですけれど」


 二人はそろって不安そうな顔をした。

 確かに、明らかに何かを隠している飛原の態度と、霞の謎の色仕掛けがもたらした河野の不機嫌は、私たちの間に不穏な空気を生み、亀裂を発生させる要因にならないとは限らない。


「部長、乱場さん。夕食も引き続き、私たちと河野さんで作るのを手伝いますよ。というか、また厨房をジャックします」

「そうしてもらえるとありがたい」


 朝霧の提案に私は感謝した。


「まあ、河野さんが今までどおり手伝ってくれればいいけどな」


 汐見の表情からは不安の色が消えていなかった。それを見た乱場が、


「その点は心配ないと僕は思います。河野さんの個人的な心境と、火櫛(ひぐし)さんや霞さんたちのことを警戒することに因果関係はありませんからね」


 それを聞くと、朝霧も頷いて、


「むしろ、さっきの霞さんの奇行を見て、ますます警戒を強める可能性のほうが高いですね」

「確かに、そうかも」


 汐見も納得したらしい。


「それにしても」と朝霧は難しい顔をして、「霞さん、いったい何が目的で、何がしたいんでしょうか? さっぱり分かりませんね」

「霞さんだけじゃないぞ」と汐見も、「火櫛さんだって、霞さんの親父の……庸一郎(よういちろう)さんだっけ? あの人も薄気味悪いことには変わりないぞ」

「確かに」今度は朝霧が納得して、「で、どうしますか、脱出の新たな手立ては」

「そうだな。いつまでも食事に警戒して、同じ事を繰り返してるわけにもいかないしな」


 汐見の言うとおりだ。私たちの最終的な目的は、この〈妖精館〉からの脱出なのだ。


「火櫛さんには完全に警戒されているだろうから、難しいね」


 私が口にすると、


「そうですね。もう外に出られる機会は、そう簡単には来ないでしょうね」


 乱場が呼応した。


「何とか、あの鉄格子をぶち破れれば……」恨めしそうな顔で窓を見た汐見は、「おい、朝霧、何かを期待しても無駄だからな」自分を見つめている朝霧に視線を移して、「試してみたけど、全く、びくともしなかった」


 やはり、そうだったか。


「やはり、汐見さんの卍固めでも無理でしたか」

「どうやったら鉄格子に卍固めを掛けられるんだよ! やって見せてくれよ。押したり引っ張ったり広げたり、頑張ってみたけど、全然だったの!」

「押したり引っ張ったり広げたりして頑張った、って、何だか卑猥な意味に聞こえませんか?」

「お前は何を言っているんだ」

「乱場さん、何を想像したんですか? 顔が赤いですよ」

「な――僕は、な、何も……」


 乱場は両手を振って朝霧に答えた。


「部長は何を想像したんです?」


 汐見が訊いてきた。何を言っているんだ、お前は。


「あ、本当」朝霧も私を見て、「部長も顔が赤いです。柄にもなく照れてるんですか?」

「あ、いや、これは……」

「石上先輩、もしかして、熱があるんじゃないですか?」


 乱場が図星をついてきた。


「えっ? そうなんですか?」

「卑猥な妄想をしていたんじゃなかったんですか?」


 汐見と朝霧も心配そうな顔を向けてくれた。


「橋の消えた現場から戻るとき、雨に打たれたからですね」

「それに、あのとき、僕にシャツを貸してくれたから」


 汐見と乱場の言ったとおりだろう。どうも、昼食を終えた時分から、体の不調を感じていたところだったのだ。


「ああ、ちょっと体がだるいだけだよ」


 皆に心配をかけまいと私は笑みを作ったが、


「乱場、部長の熱をみてやってくれ」

「はい」


 汐見に言われた乱場は椅子から立ち上がると、私の隣に来て、その白い手を私の額に当てた。


「……うん、熱がありますね」

「そうかな……」


 私は乱場の手を握りかえした。確かに、私の体温が上がっているせいだろう、彼の手が少し冷たく感じた。


「休んだほうがいいですよ」

「そうそう」

「夕食の時間になったら呼びに来ますから」


 乱場、汐見、朝霧が掛けてくれた言葉に私は頷いた。


「風邪薬でも持って来ればよかったですね」

「飛原さんたちが用意してきていないかな?」


 朝霧と汐見は顔を見合わせる。


「僕、訊いてきます」


 乱場が部屋を出て行くと、「ささ」と汐見に促され、私はベッドに横になった。

 それからすぐに、


「村茂さんが、万一に備えて持って来てくれていました。さすがです」


 乱場が薬の箱を手に戻ってきた。カプセル薬の風邪薬だった。さっそく、封を開けて中身を取りだした乱場は、


「食後に一カプセル服用、ですね。中途半端な時間ですけれど、今一回飲んだほうがいいですよ。はい」


 と、薬とは反対の手に持っていたグラスを差し出した。洗面所に用意されていたもので、水も入っている。


「わざわざ汲んできてくれたのかい。そこにあるお茶で飲んでもよかったのに」


 私がテーブルに置いたままのお茶のペットボトルを見やると、


「駄目です。水以外の飲料で薬を飲むと、薬の成分に影響して本来の効力を発揮できないことがあるって、朝霧先輩も言っていたじゃないですか」

「はは、厳しいね。ありがとう」


 私は苦笑いしながら上体を起こすと、乱場から薬とグラスを受け取り、カプセル薬を服用してから再びベッドに横になった。


「あ、それと」私から受け取ったグラスと残りの薬をサイドテーブルに置くと、乱場は、「飛原さんのことも訊いてきましたけれど、案の定というか、村茂さんにも何も話してはくれなかったそうです。飛原さんの部屋を訪れたんですけれど、ひとりにしておいてくれ、と言われて、すぐに追い出されてしまったとか」

「そうか」


 私は天井を見てため息をついた。


「河野さんのほうは、あとで私と朝霧でどんな様子か確認しておきますよ。夕食のことの打ち合わせと言えば、話しやすいですし」

「頼むよ」


 私が汐見に礼を述べると、朝霧が、


「では、部長、夕食の時間になったら起こしに来ますから。お大事に」


 汐見と乱場を伴ってドアに向かった。


「部長、ゆっくり寝て下さい」

「石上先輩、お大事に」


 汐見と乱場の声に小さく手を挙げて答え、三人が部屋を出ると、私はまぶたを閉じた。施錠はしなくてもよいだろうと考えた。もし、私の容体が悪くなり、ベッドから立てないくらいに弱ってしまったらまずい。夜中ならまだしも、他のみんなが起きている昼間であれば、何者かが侵入してくることもないだろう。……何者か? 誰のこと? 何の目的で侵入するというのか。この妖精館に入った直後、高井戸が言っていたことを思い出す。「クローズド・サークル」「何か起きないはずはありませんよ」「決まってるじゃないですか……殺人事件です」

 もし、この状況下で殺人事件が起きるとしたならば、いったい誰が、誰を、どういった動機で殺すというのか。

 (くだん)の台詞を高井戸が口にしたときにも書いたが、これからそう遠くない未来、実際に殺人事件がこの妖精館で発生した。だが、このときの私は、そんな恐ろしいことが本当に起きるなど、夢にも思っていなかった。

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