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第2部 : あのキスには何の意味もなかった……よね?

皆さん、こんにちは!


私の物語を読み、応援してくださり本当にありがとうございます!皆さんからの応援は、私にとって何よりの励みです。


また、最近更新が遅れてしまったことについてもお詫び申し上げます。


今後は**週1回の更新**へと切り替え、**火曜日か金曜日のいずれか**に新しい章を公開していく予定です。各章またはパートのボリュームをこれまでより大幅に増やすため、短い更新を急ぐのではなく、より質の高い内容をお届けすることに注力したいと考えています。


読み応えのある長めの章を楽しんでいただきつつ、物語の展開とともに、レン、アオイ、アイリ、リク、そして謎めいた「システム」の行く末を見守っていただければ幸いです。


改めて、これまでの素晴らしい応援と、この物語にずっと付き合ってくださっていることに心から感謝申し上げます。


今回の章も楽しんでいただけますように!


それでは、どうぞお楽しみください!

アイリの視点:


バシャッ!


バシャッ!


バシャッ!


冷たい雨が、容赦なく私の髪や肩を叩きつけていた。


制服はすでに肌に張り付き始めていた。


「……」


なんで走ってるの?!


いや……


走り続けろ!


ただ……


考えちゃダメ!


止まるな!


振り返るな!


両手で頭を抱えながら、校庭を全速力で駆け抜けた。


鼓動は収まる気配を見せなかった。


昨日のことを思い出すたびに……


あのキス――


「い、いや!!」


走りながら激しく首を振った。


「ただの事故だったんだ!」


「それ以上じゃない!」


「だからもう、そのこと考えるのやめて!!」


「……」


それなのに、なぜ……


なぜ、その光景が頭から離れなかったのか?


「……」


「……バカ。」


「バカ……」


「バカな中村くん……」


「橘さん!!」


「……!!」


全身が硬直した。


だめ。


いや、いや、いや!!


今じゃない!!


私はすぐに、さらに速く走り出した。


「立花さん!」


また彼の声が聞こえた。


近づいてきた。


ずいぶん近づいてきた。


「逃げないで!」


「あんたのせいで逃げてるわけじゃないわ!!」


「……」


……


待って!!


なんで今、彼に返事しちゃったの?!


悔しさのあまり、唇を噛みしめた。


「バカ…」


「橘さん!」


水たまりをバシャバシャと踏みしめる慌ただしい足音が、どんどん大きくなっていく。


彼は本当に私を追いかけてきている。


「なんでついてくるの?!」


振り返らずに叫んだ。


「さっさと家に帰れ!」


「君、もう傘持ってるじゃないか!」


「でも、君は持ってないでしょ!」


「……!」


「い、いらないわ!」


「嘘つき!」


「嘘なんてついてないわ!」


「ずぶ濡れじゃないか!」


「あなたには関係ないわ!」


「傘を渡した瞬間から、俺の関わり事になったんだ!」


「……」


「ちっ!」


なんで私を放っておいてくれないの?!


もう十分恥ずかしいのに!


何事もなかったふりをしてくれなかったの?!


せめて……


昨日のことは忘れてくれなかったの?!


「……」


私の呼吸は次第に荒くなっていった。


雨で歩道は滑りやすくなっていた。


靴が水たまりを踏みしめるたびに水しぶきが飛んだ。


「うっ……」


なんであいつ、あんなに速いの?!


「橘さん!」


「……!!」


突然、温かい手が私の手首を包み込んだ。


私は息を呑んだ。


体が後ろへ跳ね返った。


「待、待って!」


もう走れなくなり、私はよろめきながら立ち止まった。


二人は雨の中、その場に立ち尽くしていた。


荒い息を吐いていた。


髪から水が滴り落ちていた。


制服はびしょ濡れだった。


二人とも黙り込んでいた。


周囲には雨の音だけが響いていた。


「……」


「……」


「……」


私はゆっくりと視線を下げた。


彼の手……


まだ優しく私の手首を握っていた。


「……」


「……」


私の鼓動はたちまちさらに激しくなった。


バクッ。


バクッ。


バドン。


「……放して。」


私の声は、意図していたよりもずっと小さく出てしまった。


彼はすぐに私の手首を離した。


「……ごめん。」


また沈黙が訪れた。


二人とも、どこを見ればいいのかわからなかった。


雨は私たちの間に降り続いていた。


ついに……


もう我慢できなかった。


「な、なんで……?」


私は拳を握りしめた。


「なんで私を追いかけてくるの!?」


「もう傘を渡したじゃないか!」


「じゃあ、なんで!?」


「……」


彼はしばらく私を見つめた。


そして、静かに答えた――


「……だって、雨の中に立っているのは君だから。」


「……」


「……え?」


アイリの視点


どうして……?


なぜ彼はこんなことをするんだろう?


再び、私たちの間に沈黙が降りた。


やがて――


彼は静かにため息をついた。


「……なんであんなふうに雨の中へ飛び出していったんだ?」


「……」


「風邪をひくよ。」


私は目をそらした。


「……」


「どうでもいいわ」


「……気にするべきだよ」


「気にしてない」


「明日には気にするようになるよ」


「……」


「……」


私は舌打ちをした。


「……うざい」


「……そうかもね」


彼の答えはあまりにも自然で……


……反論することさえできなかった。


その後しばらくの間、雨の音だけが私たちの代わりに語っていた。


そして……


彼の声が、ずっと小さくなった。


「……橘さん。」


「……」


「……もし……」


彼は言葉を詰まらせた。


「……もし、本当に僕のことをそんなに嫌っているなら……」


「……」


「……」


「……それなら……」


「……なんで傘を貸してくれたの?」


私はゆっくりと顔を上げた。


彼の目には怒りはなかった。


私を責めるような目でもなかった。


むしろ……


その目は……


戸惑っているようだった。


「……」


「……一人で家に帰ってもよかったのに。」


「……」


「……私のことを気遣う必要なんてなかったのに。」


「私……」


「……君の負担を増やしたくないんだ。」


「……」


「君の邪魔をしたくないんだ。」


「……」


「……」


「……」


胸が締め付けられた。


どうして……


どうして彼はそんな風に言うの?


私はうつむいた。


「……」


「……私は……」


言葉が喉に詰まった。


「私は……


「……あなたを……


彼はまばたきをした。


「……」


「……じゃあ、どうして……?」


「……」


私は自分の腕をきつく抱きしめた。


「……だって……


「……もう、自分が何を思っているのかさえ、わからなくなってしまったから。」


「……」


「……昨日……」


リクの視点:


「……だって……」


「……もう、自分が何を思っているのかさえ、わからなくなっちゃったから。」


その言葉が彼女の唇から漏れた瞬間……


胸の奥が締め付けられるような感覚がした。


「……」


彼女はとても戸惑っているようだった。


途方に暮れているようだった。


それはもう怒りではなかった。


憎しみでもなかった。


ただ……


戸惑いだった。


私は静かに視線を落とした。


「……」


「……立花さん。」


彼女はゆっくりと私を見た。


雨は傘にそっと打ち続ける。


「私……」


「……本当にごめんなさい。」


彼女の目が大きく見開かれた。


「それ……」


「……事故だったんです。」


「それは分かってる。」


「でも……」


私はゆっくりと息を吐き出した。


「……それでも、ごめんなさい。」


「……」


「分かってる……」


「……誰にとっても、初めてのキスがどれほど大切か。」


「……」


「それは、人がずっと覚えているものだから。」


「特別なことだから。」


「……」


「そして、私たち二人とも望んでいなかったけれど……」


「……」


「……あなたにとってそれほど大切なものを、守ってあげられなかった。」


「私……」


「……それを奪うような人間にはなりたくなかったの。」


「……」


「あれはレンのものだったはずなのに――」


「……」


突然、柔らかな温もりが私の口を覆った。


「……?」


私は目を見開いた。


彼女の手だ。


彼女は私のすぐ目の前に立っていた……


彼女の手のひらが、優しく私の唇を覆っていた。


「……やめて。」


彼女の声は震えていた。


「……もう何も言わないで。」


「……」


「……謝らないで。」


彼女はゆっくりと手を下ろした。


「……」


「あなたのせいじゃない。」


「……」


「私のせいでもない。」


「……」


「あれは……」


彼女は震えるような息をついた。


「……ただの事故だったの。」


「……それだけよ。」


「……」


「……」


昨日以来初めて……


私たちの視線が、ようやくきちんと合った。


まだ照れくささは残っていた。


まだ気まずさはあった。


でも……


怒りは消えていた。


彼女はまた目をそらした。


「……」


「……私もごめんなさい。」


「……」


「一日中、あなたを無視しちゃった。」


「あなたがそこにいないふりをしてた。」


「……」


「あなたに怒鳴っちゃった。」


「……」


「それに……」


彼女の顔に、小さくてぎこちない笑みが浮かんだ。


「……あなたを平手打ちしちゃった。」


思わず小さく笑ってしまった。


「……うん。」


「……あれ、痛かった。」


「……ご、ごめん……」


「……また。」


「……」


「……」


僕は微笑んだ。


「……謝罪、受け入れたよ。」


彼女は一瞬、僕をじっと見つめた……


そして、静かに唇を尖らせた。


「……うざい。」


「……たぶんね。」


「……」


「……」


昨日以来初めて……


二人とも逃げ出したいとは感じなかった。


私たちの周りでは雨が降り続いていた。


でも、なぜか……


傘の下での沈黙は、もう居心地の悪いものではなくなっていた。




アイリの視点:


私たちの周りでは、雨が降り続いていた。


ほんの一瞬……


二人とも何も言わなかった。


気まずさは完全には消えていなかった。


でも……


今は、以前とは違う。


もっと静かだった。


「……」


「……」


突然、一陣の風が私たちを吹き抜けた。


私は思わず身震いした。


「……ブルッ……」


リクが私の方を見た。


「……」


彼の視線はほんの一瞬だけ私にとどまった。


「……!」


その直後――


彼の顔は真っ赤になった。


「な、何?!」


何も言わずに――


彼はすぐに顔を背けた。


「……ご、ごめん。」


「……?」


私はまばたきをした。


ごめん?


何に対して?


私が尋ねる間もなく――


彼は慌ててしゃがみ込み、ランドセルを開けて、黒いブレザーを取り出した。


「こ、これ。」


私を見ることもなく――


彼はぎこちなくそれを私の肩にかけた。


「……え?」


突然の温もりに、私は驚いた。


「な、何してるの?!」


「そ、そうすれば暖かくなるから。」


「え、えっ?!」


またすぐに顔が熱くなった。


「な、なんで急に変なことするの?!」


「変なんてことしてないよ!」


「絶対変だよ!」


「本当にしてないよ!」


「……」


私は下を向いた。


ブレザーが私の体の前を完全に覆っていた。


「……?」


なんで……


……彼が急に――


「……」


「……」


「……」


私の視線はゆっくりと下がった。


びしょ濡れの制服のシャツ……


「……」


「……」


「……えっ?」


雨のせいで――


白い生地がほんのり透けていた。


「……」


「……」


「……」


「……」


頭が真っ白になった。


「……」


そして、爆発した。



「あああああああああ!!!」


私はすぐにブレザーを体にぎゅっと抱きしめた。


「待、待、待って!!」


「あんた…!」


「見ちゃったの?!」


リクは即座に激しく首を横に振った。


「い、いいえ!!」


「その、つまり――」


「うっかり――」


「すぐに目をそらした!」


「……」


「……」


「……」


私の顔全体が真っ赤に火照った。


「な、中村くん!!」


「あんた……」


「この変態!!」


バシッ!!


二度目の平手打ちが、雨の降る学校の玄関に響き渡った。


「……」


「……」


「……」


リクは赤みを帯びてきた頬をゆっくりとさすった。


「……」


「……また?」


「わ、僕は……」


「……」


「……」


「……」


私は大きすぎるブレザーの中に顔を埋めた。


「……」


「あ、あの……」


「……あれは正当だった。」


リクは諦めたようにため息をついた。


「……」


「……うん。」


「……そうかもな。」


たとえ……


正直なところ、お互いを責めることはできなかった。


雨……


ただ、信じられないほど最悪のタイミングで降ってきただけだった。




レンの視点:


「……まさか、本気で外に出るつもりじゃないよね」


白崎さんはすでに靴を履き始めていた。


「……あの子たちをそのままにしておくわけにはいかないわ」と彼女は言った。


「……文字通り嵐に巻き込まれたんだよ、白崎さん」


「……そうよね。だからこそ、傘が必要なの」


私は、玄関の床にまだ転がっているそれを眺めた。


アイリの傘だ。


リクが落としたあの傘。


「……わかったよ」


私はそれを手に取った。


パッと開いた。


「……準備はいい?」


「……準備はいい」


外へ一歩踏み出した瞬間――


雨が壁のように襲いかかってきた。


「……冷たい――!」


「――高橋くん、ちゃんと持て――!」


「――ちゃんと持ってるよ――!」


「――自分の方に傾けてるじゃない――!」


「――そんなことない――!」


間違いなく、自分の方に傾けていた。


私たちは走った。


猛スピードで。


土砂降りの雨の中、小さな傘を二人で共有している人間が走るべき速度をはるかに超えていた。


「…あそこ!」


白崎さんが前方を指さした。


校門近くの小さな店のひさしの下――


ずぶ濡れで顔を真っ赤にした二人の馬鹿が、不審なほど離れて立っていた。


「――リク――!」


「――アイリ――!」


二人は、何か悪いことをしているところを見つかったかのように飛び上がった。


その顔色を見る限り、おそらく本当にそうだったのだろう。


「…お、おっと。やあ」とリクは、あまりにもさりげなく言った。「…俺たち、ただ、えっと」


「…雨が止むのを待ってたの」とアイリが素早く言い補った。


「…お店のひさしの下で」


「……たまたまね。」


「……一緒に。」


「……そう。」


白崎さんと私は顔を見合わせた。


それから、また二人の方を見た。


「……うん」と私が言った。


「……そうね」と白崎さんが言った。


二人は微動だにしなかった。


私たちも、それ以上は詰め寄らなかった。


リクはびしょ濡れの髪を手のひらでかき上げ、相変わらずアイリをまっすぐ見ようとはしなかった。


「……とにかく。君たちもずぶ濡れだ。こっちに来いよ」


私たちは彼らの横にぎゅうぎゅうに詰め込んだ。


せいぜい二人と半人分くらいの広さのひさしの下に、四人が。


肩を寄せ合って。


屋根の端をわずかに越えて、雨が激しく打ち付けていた。


一瞬、誰も何も言わなかった。


「…… 「さて」とリクは、止む気配が全くない雨を眺めながら言った。「…傘が1本ある」


「…4人で使うのね」とアイリが付け加えた。


「…それじゃ無理だよ」と私が言った。


「…天才的な指摘だね」とリクが言った。


「…黙ってよ、ただ事実を言ってるだけ」


「……実に有益な事実だね」


「……俺をここに置き去りにするつもり?」


「……そんなことしないだろ」


「……やってみろよ」


「……二人とも」と、白崎さんが淡々と言った。


私たちは二人ともすぐに黙った。


その時、アイリが私たちの後ろにある店に気づいた。


側面の換気口から湯気が立ち上っている。


窓には手書きの小さな看板が貼られていた。


「……餃子?」


リクが振り返った。


「……ああ。そうだな、ここ、実は美味しいんだ。」


「……知ってるの?」


「……アルバイト先が二ブロック先にあるんだ。たまにここで食べるよ。」


ちょうどその瞬間、アイリのお腹が鳴った。


しかも、かなり大きな音で。


「……!!」


「……何も聞こえなかったよ」とリクは即座に言った。


「……聞こえてたでしょ」と私が言った。


「……何も聞こえなかったよ」


「……今日、恥ずかしさで本当に死んじゃうかも」と、アイリは肩にかけたままのブレザーに顔を埋めてつぶやいた。


「…… 「ここで雨がやむのを待ったほうがいいかも」と白崎さんが優しく言った。「……この雨、すぐには止みそうもないし」


「……それに、もうお腹がペコペコだし」と私が付け加えた。


「……それは君だけの話だろ」とリクが言った。ちょうどその時、彼のお腹もゴロゴロと鳴った。


沈黙。


「……わかった、俺たち二人ともお腹がペコペコだ」と彼は認めた。


結局、私たちはひさしの端のすぐ下のベンチにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、4人で小さな紙皿に盛られた蒸し餃子を囲んでいた。屋根の向こうでは、雨は依然としてしとしとと降り続いていた。


「……これは俺の分だ」とリクは言い、すぐに手を伸ばした。


「……もう3つも食べたじゃない」とアイリは、顔も向けずに彼の手を払いのけた。


「……痛っ――」


「……声が大きいわ」


「……暴力的だ」


「……それ相応の仕打ちを受ける人に対してだけだよ」


「……俺には何も受ける資格なんてない」


「……あなたにはすべてを受ける資格があるわ」と、私はつぶやいた。


「……裏切り者」


私の隣で白崎さんが静かに笑い、二人がもたついているのとは対照的に、はるかに優雅に餃子を一つつまみ上げた。


「……これ、いいわね」と彼女は優しく言った。「……私たち四人、みんなこういうのが好きなんだ」


私は周囲を見回した。


リクは、奪われた餃子に劇的にふてくされていた。


アイリは、まだ彼のブレザーを着ていることに気づかないふりをしていた。


屋根の端のすぐ向こうで、雨が絶え間なく、一定のリズムで打ち付けていた。


「……うん」と私は言った。「……そうだね」




アイリの視点:


餃子を食べ終える頃には、雨は小雨に弱まっていた。


そして、それから間もなく――


雨は完全に止んだ。


白崎とレンは先に別れて、私たちに手を振って別れを告げた。


そうして残ったのは――


私たち二人だけだった。


いつものように、同じ方向へと歩いていた。


並んで。


傘は閉じられていて、リクの手にだらりとぶら下がっていた。厳密には私のものなのに、彼はなぜかまだ返そうとしないのだ。


二人ともあまり話さなかった。


その沈黙が、別に悪いわけではなかった。


ただ……


何かが違う。


いつもより重苦しい。


さっきの出来事が、まだ言葉にされずに二人の間に横たわっているかのようだった。


「……くしゃみ――!」


突然のくしゃみが、人通りのない通りでまるで反響するかのように響き渡った。


私はびくっとした。


「……うわっ。」


「……黙れよ」とリクは鼻をすすりながら呟いた。


「……言っただろ。」


「……何も言ってないよ。」


「……風邪引くって言っただろ。」


「……それは全く別の話だ。」


「……同じ日だったんだ。」


「……それでも別の会話だ。」


「……違うよ。」


「……アチョー――!」


「……ほら。」


「……これじゃ何も証明できないよ。」


「……すべてを証明してる。」


彼は袖の背で鼻を拭った――


私の肩にはまだブレザーが羽織られていたから、それは彼のブレザーの袖だった。


「……これ、返したほうがいいよ」と私は言い、ジャケットを脱ぎ始めた。


「……持っておいて。」


「……今、くしゃみしてるのは、これを持ってないからだよ。」


「……くしゃみしてるのは、雨が冷たいからさ。難しいことじゃないだろ。」


「……まさにそれが言いたかったの――」


「……持っておいて」と彼は再び言った。今度はもっと静かな声で。私を見ずに。「……君に似合ってるよ」


「……」


また顔が熱くなった。


たちまちに。


「……私、似合ってるかどうか、あなたの意見なんて聞いてないわ」


「……ただ言ってみただけさ」


「…… 「じゃあ、言わないでよ。」


「……わかった。」


「……わかった。」


私たちは歩き続けた。


私の手は、私には明らかに長すぎる袖の中に、まだ目立って埋もれていた。近いうちにこれを返すつもりが全くないことが、おそらく一目瞭然だったのが嫌だった。


「……くしゃみ――!」


「……ああ、それはひどかったね。」


「……大丈夫。」


「……大丈夫じゃないよ、死にそうなガチョウみたいな声だ。」


「……死にそうなガチョウか。いいね。ありがとう。」


「……どういたしまして。」


彼はまた鼻をすすり、鼻をこすりながら、私のせいで明らかに風邪をひきかけているという事実について、なぜか全く気にしていないような顔をしていた。


だって、彼は私に自分のジャケットをくれたんだもの。


そもそも、雨の中まで私を追いかけてきたんだから。


「……あんた、バカね。分かってるでしょ」と私はつぶやいた。


「……そう言われるよ。何度も。特に今日はね。」


「……よかった。一貫性は大事だから。」


「……病気の人には優しくするべきだよ。」


「……まだ病気じゃないでしょ」


「……明日にはなるよ。先手を打って同情しておいて」


「……絶対にない」


「……残酷ね」


「……自業自得だ」


私たちは歩き続けた。


同じ通り。


同じ道。


いつも同じ家へと続くあの道。


彼の家。


厳密に言えば私の家でもある。とはいえ、そう考えるのはまだ時々違和感があった。


「……くしゃみ――!」


「……いや、あれはひどかったね。」


「……大丈夫。」


私は横目で彼を見た。


「……全然大丈夫じゃないよ、中村くん。」


彼の顔は……


赤かった。


あまりにも赤すぎる。


恥ずかしさからくるような赤さでもなかった。


ただ見ているだけで温かそうに見えるような赤さだった。


「……顔が赤いよ。」


「……外は寒いから。顔ってそうなるんだ。」


「……そんなに寒くないよ。」


「……ちょっと寒いよ。」


「……5月だよ。」


「……5月だって寒いこともあるよ。」


「……5月は寒くないよ。」


彼は鼻をすすり、また袖で鼻を拭うと、何事もなかったかのように歩き続けた。


もちろん、それこそがまさに問題だった。


「……そんなに急いで歩かないで。」


「……普通に歩いてるだけだよ。」


「……何かを証明しようとしているかのように歩いているよ」


「……何も証明しようなんてしてないよ」


「……汗をかいてるよ」


「……湿気が多いから」


「……さっき雨が降ったばかりだ。湿気なんてないよ」


「……」


「……中村くん」


「……何?」


「……本当に大丈夫?」


彼は一瞬、答えなかった。


ただ前を見つめたまま、顎を少し固く引き締めていた。


「……大丈夫だよ、立花さん。」


その言い方――


いつもより小さな声で――


が、私の胸の奥で何かが不快にねじれるような感覚を覚えた。


「…… 「嘘が下手ね。」


「……俺は嘘が上手いんだ。」


「……全然そうじゃないわ。」


深く考える間もなく、私は手を伸ばした。


手の甲を彼の額にそっと当てた。


「……!」


彼はびくっとした。


「……な、何してるの――?!」


「……確認してる。」


「……何を――?!」


「……熱がある。」


「……」


「……あんた、バカね。」


「……そんなことない――」


「……雨の中、私にブレザーを貸してくれたせいで、今、病気になっちゃったのよ。まったくのバカ。」


「……大したことじゃないよ。」


「……まさに大したことなんだよ。」


彼は顔を背け、耳が顔全体よりもさらに赤くなった。


「……大丈夫。寝れば治るから。」


「……『寝れば治る』なんてことにはならないよ、中村くん。明日、平気なふりをして、授業の真っ最中にバカみたいに倒れちゃうに決まってる。」


「……妙に具体的だな。」


「……だって、前にもやったことあるでしょ。」


「……ああ、確かに。」


私はため息をつき、無意識に自分の肩に羽織ったブレザーをきつく引き寄せかけたが、すぐに手を止めた。


代わりに、それを肩から外した。


彼に差し出した。


「……ほら」


「……持っておけって言っただろ」


「……今の僕より、君の方がそれが必要だろう」


「……大丈夫だから――」


「……受け取って、中村くん」


「……」



今回は私の声のどこかに響くものがあったようで、彼は反論しなかった。


ただ黙ってそれを受け取り、きちんと着直した。正直なところ――


彼がほぼ即座に震えを和らげたのを見て、少し満足感を覚えた。


「……これでいい?」


「……うん。ありがとう、立花さん。」


「……慣れちゃダメよ。」


「……そんなこと、夢にも思わないよ。」


私たちは歩き続け、ようやく通りの先に家が見えてきた。ポーチの明かりはすでに点いていて、薄暗くなりつつある夕焼け空を背景に、温かみのある黄色い光を放っていた。


「……家に入ったら、すぐにベッドに入るのよ」と私は言った。「言い訳は聞かないから。」


「……はい、お母さん。」


「……そんなこと言ったら叩くって言ったでしょ。」


「……確かにそう言いました。」


「……くしゃみ――!」


「……ほらね」


「……それじゃ何も証明できないよ」


「……またしても、すべてを証明しちゃったわね」


彼は弱々しく笑った。風邪、くしゃみ、そして馬鹿げたほどの頑固さ――そういったすべてにもかかわらず、彼が「大丈夫だ」と必死に装おうとする姿には、ほとんど腹立たしいほど愛おしいものがあった。


「……スープを作ってあげるわ」と、私は主に自分自身に向かってつぶやいた。「……気遣いからじゃないのよ。ただ、病気のルームメイトがいると不便だからね。」


「……そうね。気遣いからじゃないんだね。」


「……その通り。」


「……まあ、とにかくありがとう、橘さん。」


それには答えなかった。


主に、これ以上顔が赤くなると本当に火事になりそうだったからだ。


私たちは一緒に門に着いた。


同じ家。


同じドア。


いつも通り。


トレイ――スープ、水、その上に危なっかしいほど不安定に載せた冷湿布――を持って二階に上がると、リクはすでにベッドにうつ伏せで倒れ込んでいた。相変わらず、あのバカみたいに濡れた学校のシャツを着たままだった。


「……中村くん。」


「……」


「……中村くん、起き上がって。」


「……あと5分……」


「……君は5歳じゃないよ。」


「……でも、もう死にそうだよ。」


「……風邪でしょ、結核じゃないんだから。」


彼は枕に顔を埋めてうめいた。正直、その声は哀れなほどで、胸の奥の小さな、裏切り者のような部分が少し痛んだ。


もちろん、そんなことは絶対に認めないけど。


トレイを机の上に置くと、私は彼のところへ歩み寄り、肩をつかんで無理やり起こした。


「……座れ。」


「……痛っ、わかった、わかった――」


彼はようやくヘッドボードにもたれかかり、ぼんやりとした目で私を見つめた。髪はボサボサで、三方向に逆立っており、顔は帰宅時のまま、相変わらず不気味なほど真っ赤だった。


私は再び彼の額に手を当てた。


「……」


熱すぎる。


「……中村くん、これはまずいよ。」


「……大丈夫だって言っただろ。」


「……全然大丈夫じゃないよ。」


私はナイトスタンドから体温計を掴んだ――彼の母親が各部屋に体温計を置いておいてくれて本当に助かった。どうやら、これほど無鉄砲な子を育てた副作用らしい――そしてそれを彼に突き出した。


「……ほら。」


「……いらないよ――」


「……口に入れなよ。さもないと、私が入れてやるから。」


彼は一瞬、私をじっと見つめた。


そして、何も言わずにそれを受け取った。


私たちは黙って座っていた。時折聞こえる彼の鼻をすする音だけが響く中、体温計がビープ音を鳴らした。


私は体温計を引き抜いて確認した。


「……!」


「……何?」


「……100.2。」


「……」


「……『ちょっと風邪気味』なんかじゃないよ、中村くん。これはちゃんとした熱だよ。」


「……へえ。まあ、思ったより高いな。」


「……なんで今、そんなに冷静なの――?!」


「……パニックになる気力なんてないんだ。」


「……それじゃ安心できないわ!」


彼は弱々しく、片方の口角だけ上げた笑みを浮かべた。なぜか、それを見て私はさらにイライラしてしまった。


「……立花さん、心配しすぎだよ。」


「……心配なんてしてないわ!!! なんで私が……あなたのことを……心配しなきゃいけないの……」


「……私の額を二度も触ったじゃないか」


「……それは基本的な配慮であって、心配じゃない」


「……そうね」


「……違うよ」


「……わかった」


「……そんな風に私の言うことに同意するのはやめて。怪しいから」


「……」


彼を見なくて済むように、私はトレイの世話に没頭した。スープの器を彼の膝の上に置き、冷湿布をきちんと折りたたんでから、自分で彼の額に押し当てた。彼に任せておいても、まともにやれるはずがないのは明らかだったからだ。


「……食べなさい。」


「……そんなに腹が減ってないよ。」


「……お腹が空いてるかどうかなんて聞いてない。食べなさい。」


彼はゆっくりとスプーンを手に取り、相変わらず、私にはよく分からない表情で私を見つめていた。


「……そこまでしてくれなくてもよかったのに。」


「……わかってる。」


「……でも、それでもやってくれた。」


「……病気のルームメイトは面倒だからよ」と、今日だけで百回は言ったような気がするが、口にするたびにその言葉は弱々しく聞こえてきた。「……君が病気だと、全部自分でやらなきゃいけないんだ。料理も掃除も。面倒くさいんだよ。」


「……そうね。純粋に自分勝手な理由ね。」


「……その通り。」


「……じゃあ、なぜその湿布に小さなクマの模様がついてるの?」


「……」


「……あれ、明らかに適当に掴んだものじゃないでしょ。」


「…あ、あ、最初に目についたやつだったんだ」


「…君の部屋から持ってきたんだろ」


「…何の話か分からないよ!」


彼は笑った――その笑いはすぐに咳に変わり――私は慌てて水の入ったグラスに手を伸ばした。


「……笑うな、バカ。悪化するぞ――!」


「……す、すまん――」


「……飲め。」


私はグラスを彼の手に押し付け、彼が飲む間、腕を組んでその場に立ち尽くした。明らかに言いたくないあの感情ではなく、イライラしているように見せかけようとしていた。


「……ありがとう、橘さん。」


「……スープを飲みなさい。」


「……飲んでるよ。」


「……もっと早く。」


「……心配してる時は、すごく命令口調になるね。」


「……心配なんてしてないわ!」


「……わかったよ。」


「……信じられないみたいな顔で『わかった』なんて言わないでよ。」


「……わかったよ。」


「……中村くん!」


彼はまたニヤリと笑った。今度はその笑みも弱々しく、スプーンで食べ物を口に運ぶ合間に、疲れでまぶたがすでに重くなり始めていた。それでも――熱も、彼の頑固さも、この馬鹿げた一日全体も――私は立ち去る代わりに、静かにデスクチェアを引き寄せてベッドの横に座っていた。


万が一に備えて。


気にかけていたからじゃない。


当然だ。


しばらくの間、部屋には彼のゆっくりとした、規則正しい呼吸音だけが響いていた。


額に当てた冷湿布は、もうぬるま湯のようになっていた。


とっくに帰るべきだった。


でも、帰らなかった。


「……中村くん。」


「……うん。」


「……まだ寝てないでしょ。」


「……まあ、そうかな。」


「……それじゃ答えになってないよ。」


彼は片目をほんの少しだけ開けた。まだ半分ほど枕に顔を埋めたままだった。


「……何?」


「……」


私は躊躇した。


正直、馬鹿げている。だって、その質問が重要だったわけじゃないんだから。


本当にどうでもよかった。


「……あのキス」と、私はようやく口を開いた。彼ではなく、コップをじっと見つめながら。「……昨日のこと。あのハプニング。」


「……」


「……あれは……初めてだったの?」


「……別に知りたくて聞いてるわけじゃないんだけど」と、私はすぐに、あまりにも早口で付け加えた。「……ただ気になっただけ。純粋な好奇心よ。それ以外は何もない。」


彼は一瞬、黙り込んだ。


それから、まだ熱でかすれた声で――


「……違う」


「……」


胸の奥で、何か熱いものが一気に燃え上がった。


「……何だって?」


「……痛っ、大声出さないでよ、病気なんだから――」


「……それってズルいよ」


「……何?」


「……私があんなふうに初キスを犠牲にしたのに、あなたにとっては初キスじゃなかったなんて言うの――!?」


「……まあ、僕たち二人がそんなことになるなんて、別に計画してたわけじゃなかったけど――」


「……そういうことじゃないの。」


「……じゃあ、何が問題なんだ――」


「……問題は、不公平は不公平だってことよ、中村くん。」


彼は呆気にとられたように私を見つめていた。疲れきって体調も悪すぎて、私の理屈についていく余裕など明らかにないようだった。


正直なところ?


私自身も、自分の言っていることがちゃんと筋が通っているのか、よくわからなかった。


「……」


なぜ私はこれほど怒っているのだろう。


別に大したことじゃないはずなのに。


彼の初キスが私とのものか、そうでないかなど、実際には何も変わらないはずなのに。


全く気にする必要なんてなかったはずなのに。


それなのに、なぜ胸がこんな風に締め付けられるような気がするのだろう。


「……」


私は自分の額に手のひらを押し当てた。まるで、そうすれば頭の中で起きている何かを止められるかのように。


「……いいや」と私はつぶやいた。「……聞かなかったことにして」


「……」


でもその時――


何かがパッと閃いた。


私はゆっくりと手を下ろした。


「……待って」


「……ん?」


「……君、これが初めてじゃないって言ったよね」


「……立花さん――」


「……じゃあ、相手は誰だったの?」


私がそう口にした瞬間、彼の表情に微かな変化が走った。


ほんのわずかな。


ほとんど見えないほど。


でも、私はそれを見逃さなかった。


「……その話はしたくないんだ」と彼は静かに言った。


「……中村くん、それじゃ答えになってないよ、そんな風に――」


「……橘さん」


今度は彼の声に力強さがあった。


静かだが、力強い。


私は口を開いた――彼があることを避けようとする時、いつものように強引に詰め寄ろうとしていた――


しかし、その時、彼が咳き込んだ。


激しく。


私の言葉を完全に遮るほどで、その勢いで彼の全身がわずかに前かがみになった。


「…… 「自分の過去については、本当に話したくないんだ」と、咳が収まると彼は言った。その瞬間、彼の目はすでに再び閉じかけていた。「……今はね。もしかすると、いつになっても話せないかもしれない。ごめん。」


「……」


私はそれ以上何も言わなかった。


正直、言えなかった。


だって、あれが何であれ――彼がその話題に幕を引く直前に、彼の顔に一瞬よぎったあの表情――


それは、決して些細なことではなかったから。


「……わかった」と、私はようやく、静かに言った。「……しつこくてごめん」


彼は答えなかった。


彼の呼吸はすでに再び落ち着き、今度はよりゆっくりとしたものになっていた。もうふりをしているのではなく、本当に眠りについていたのだ。


私はもう少しそこに座り続け、彼の顔を見つめながら、胸の奥に重くのしかかるあの疑問を抱えていた。


それは誰だったのか。


私が君を知る前から、君に何が起きたの。


答えは得られなかった。


ただ、家の静かなざわめきと、彼の呼吸、そして彼の肌に当てられた湿布がゆっくりと冷めていく音だけがあった。


階下から声が聞こえてくる頃――彼の母親の笑い声、玄関のドアが閉まる音、夕食の支度をするお馴染みの物音――外はすっかり暗くなっていた。


「……アイリちゃん!リク!ご飯できたよ!」


私は彼に目をやった。


相変わらずぐっすり眠っていて、今は少し横向きに丸くなり、この世の物事とは完全に隔絶された様子だった。


「……仕方ないわね」


私は立ち上がり、スカートを直して、ベッドへと歩み寄った。


「……中村くん。起きて。ご飯よ」


反応はない。


「……中村くん。」


相変わらず反応はない。


私は少し身を屈め、彼の肩を揺さぶろうとした――


そして手を止めた。


彼の顔は……


安らかだった。


普段彼が浮かべている、頑固で皮肉っぽい表情とは全く違っていた。


からかうような笑みもない。


うっとうしい言い返しも並んでいない。


ただ――


静か。


安らか。


髪は枕に押し付けられたまま乱れていて、片手は顔のそばでだらりと丸められ、呼吸はゆっくりで規則的だった。


「……かわいい」と、私は囁いた。


……


……


……


「……!!!」


私の脳が追いついたのは、およそ3秒遅すぎた。


待って、今何て言ったの!!


そんなこと言ってない!


言ってない。


今、私の口から出た言葉なんて、そんな言葉じゃなかった!!!



私は両手で顔を覆った。全く理由もなく心臓が激しく鼓動し、私たち二人しかいないし、彼は明らかに、間違いなく、100%意識を失っているというのに、まるで誰かに聞かれたかのように、空っぽの部屋をきょろきょろと見回した。


「……わかった。わかった。あれは何も意味しない」と、私は自分に呟いた。「……誰だってそう思うだろう。彼はただ……普通に眠っているだけ。それだけ。まったく普通の観察だ。」


私はゆっくりと両手を下ろした。


もう一度彼を見た。


……


相変わらずかわいい。


やめろ!!!


私は唇をぎゅっと噛みしめ、文字通り他の何かに意識を向けようと無理やり自分を奮い立たせた。その時、私の視線は彼の頬に留まった。


右の頬だ。


よく見れば、まだかすかに赤みが残っていた。


さっきの。


私が彼を平手打ちした時の。


二度も。


「……」


胸の奥が締め付けられるような感覚が走り、さっきまでパニックに支配されていた場所に、罪悪感が忍び込んできた。


彼は、実際には自分のせいでもない事故について謝罪し、私が愚かで頑固だったせいで雨の中まで追いかけてきてくれ、体調を崩すにもかかわらずブレザーを貸してくれた。それなのに、私はそのお礼として彼を平手打ちしてしまった。


二度も。


同じ頬に。


「……それは……」


かすかな跡を眉をひそめて見つめ、胸が少し痛んだ。


同情じゃない。


明らかに同情じゃない。


そう呼ぶのは拒んだ。


それはただ――


公平さ。


ごく当たり前の公平さ。


間違ったことを二度もしたなら、それを正すべきだ。


それだけのことだ。


純粋に論理的。


純粋に公平。


「……中村くん」と私は囁いた。彼には聞こえないだろうし、そもそも彼はぐっすり眠っているのだから、彼への言葉というより、むしろ自分自身への言葉だった。「……これは何の意味もないのよ」


私はゆっくりと身を屈めた。


私の心臓は、まったく理不尽な動きをしていた。「何の意味もない」と言い張っている割には、あまりにも激しく鼓動していた。


もっと近くへ。


彼の呼吸はゆっくりで、規則正しく、何も気づいていないようだった。


熱で彼の肌から放たれる温もりを感じ、これほど近くで見たことのないほのかなそばかすが見え、部屋の中の何よりも自分の脈拍の音が大きく聞こえていた。


大丈夫。


彼は眠っている。


これは何の意味もない。


ただ、バランスを取っているだけ。


さらに近くへ。


私はあとちょうど1秒だけ躊躇った――


そして、彼の右頬にそっと唇を押し当てた。


温かい。


予想以上に温かかった。おそらく熱のせいだろう。それはほんの一瞬、一秒にも満たないほどで、素早く、軽く、始まったかと思うとすぐに終わってしまった――


「……!」


彼の目がぱっと見開かれた。


「……タ、橘さん???」


「……!!!」


私はベッドの端から落ちそうになるほど素早く身を引くと、くるりと振り返って顔を彼から完全に背け、胸の中で心臓が今にも破裂しそうなほど激しく鼓動していた。


「……待、待って」と、彼は私の背後で、まだ眠気と戸惑いが混じった声で言った。「……今、僕に……キスした?」


「……私――」


「……やったんだろ、そうだろう――」


「……黙れ!」


「……橘さん、ただ聞いているだけなのに――」


「……黙れ、黙れ、黙れ――!!!」


私はすでに動き出していた。ドアに向かってほぼ全力疾走する勢いで、顔全体が彼の熱に負けず劣らず熱く燃え上がっていた。


「……ただ――!」私は振り返りもせず、片手で顔の半分を覆いながら彼に向かって叫んだ。「……ただ、私があなたを二度平手打ちしたから、それに対する――仕返し――であって、何も意味はないの。ただ公平にしただけ、それだけ――」


「……橘さん――」


「……あああああっ――このバカ――!!」


私は廊下へと逃げ出した。両手で顔を覆い、唇がまだ温かく、心臓の鼓動が止まらないこと以外、何も頭に入らなかった。この状況の――この状況の――何もかもが、まったく意味をなさない。


リクの視点


廊下の向こうでドアがバタンと閉まった後も、私は長い間その場に座り込んでいた。階段の方へ遠ざかっていく彼女の足音はまだ聞こえていた。


ゆっくりと――


私は手を上げた。


右の頬に触れた。


まだ温かい。


「……」


一度咳をした。この時点ではほとんど習慣的なものだったが、正直なところ――


今晩一番、気分が良かった。


実際、かなり気分が良かった。


熱があるかどうかは別として。


「……」


それでも、私はそこに座ったまま、ぼんやりと壁を見つめ、直前の30秒間を繰り返し思い返していた。呆気にとられている気持ちと、まだ名前をつけられない別の感情が半々だった。


「……あれは何だったんだ」と、私は空っぽの部屋に向かって呟いた。


当然のことながら、部屋は答えてくれなかった。


しばらくして、ドアがきしむように開いた。


「リク?起きてる?お嬢ちゃん」


母が顔をのぞかせ、いつものように微笑んでいた。30秒前にこの部屋で何が起きたかなど、全く気づいていない様子だった。


「……熱はどう?アイリちゃんから、気分が優れないって聞いてたんだけど――」


私は慌てて頬から手を下ろし、咳払いをした。


「……うん。僕……大丈夫だよ、ママ」


「……本当に? 顔がすごく赤くなっているけど」


「……」


「……熱のせいだよ」と私は言った。


その時点では、それは部分的な嘘に過ぎなかった。



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