悪目立ちの新入生 3
西洋式で建築様式は違うものの、そこは見まごうことなく「教室」だった。木製の5,6人がけと思われる横長、机と椅子。アラベスクのような模様がそれぞれの縁に彫られている。一列6つ縦に並べられたものが、2列ある。年季が入っているみたいだが、学院に備えたられている備品一つ一つが相当のお値打ち物だというものが素人目でも分かる。
同じアラベスク模様が彫られた教卓が置かれた、教壇。40人くらいの生徒を目の前に、ユメはフローラとフェーナに誘導されるまま、緊張して突っ立っていた。多くの好奇心の目。逃げたい、或いは教卓の前で伏せて隠れたくなる衝動を、拳に力をいれて必死に堪える。
「新入生。皆さんが既に知っての通り、ディアナ・クレセント。短期履修生としてうちのクラスに配属です」
フェーナによるユメの紹介は至って簡潔だった。よろしくお願いします、と消え入りそうな声と共にユメがお辞儀をする。だがそれだけでも、教壇を見上げる生徒達にはインパクトは十分であったらしい。教室に足を踏み入れた瞬間訪れた静寂が、針でつつかれ破裂するかのように一斉に生徒たちがざわつき始める。
「来るの今日だったのね、例の月の精霊の・・・・・・」
「おい、フローラ生徒会長がわざわざ来てんぞ。たいそうなご身分だな」
教室中で飛び交う囁き声。転校生紹介にはもはやお決まりなのだろうか。一部の女子はユメよりもその隣のフローラに目を向ける。
「きゃー、フローラ生徒会長だわ! どうにかしてお知り合いになれないかしら?」
「あの子ずるい。当たり前みたいにフェーナと生徒会長にお世話されて」
多少は予想してたが、やはり国王誕生際の出来事の衝撃は、この学院の生徒達にとっても例に漏れず大きなものだったらしい。憶測や噂があの日からどれほど流れたのだろう?
「なんだっけ、行方不明までいなかったんだよね? この世界のこと全然知らないんでしょ?」
「フェーナの手前、身分をわきまえてるのかしら?」
「さぁ、注目されているからって図に乗ってるかもよ」
「思ったよりもちょっと暗そう?」
本人の意思とは関係なく漏れなく耳に届くひそひそ話達に、ユメは嘆息を漏らした。こうなるのが自然なのだから仕方が無いのだろう。
「短期履修入学とは結構なことだが、VIP待遇されんなら迷惑だな」
「いいじゃねぇか。なんたってつい最近まで発狂かなんかしてて意識がなかったんだろう?」
「え!? そうだったの? でも、あ――」
ユメの横であからさまな咳払いが聞こえた。興奮した面持ちで話をしていた生徒達が、フローラのそれにふっつりと声を途切らせる。
ユメは生徒達の視線にどこか尊敬、いや恐れのような色が浮かぶのを見た。ただ一人、ユメの横に立って教室の窓の外をツンとした表情で眺めているフェーナを除いて。
「ディアナは私の大事な友人です。だからディアナがこの学院に慣れないうちは、身の回りの手助けをどうかよろしくお願いします。これは私からのお願いです」
彼女の透き通る声はその場の空気だけでなく、生徒達の態度にも劇的な変化を与えた。恐々とフローラを見上げる者、はっとして口をつぐみ俯く者、うっとりとした表情で見つめる者、悔しそうにユメを睨む者。どうやらこの学院でのフローラの立ち位置はどうやらすごいものらしい。学院に通っているというだけでサプライズなのに、まさかこのような生徒会長の立場にあるとは。
「終わりましたか?」
空気が更に張り詰める。フィーナは面白くなさそうな顔を隠そうともせず、フローラに問うた。
「私、昼食まだですので、よろしければ紹介はこのへんで終わりにしたいのですけど。フローラ生徒会長、まだおっしゃりたいことはありますか?」
「ちょ、ちょっと、フェーナ・・・・・・」
フェーナが立っている前の席に座っている、おさげで眼鏡をかけた気の弱そうな女の子が小声でフェーナを咎めるように言う。
それには全く反応せず、ツンとした表情をユメとフローラに向けるフェーナ。恐々とユメがフローラを見やると、フローラも不快感を露にフェーナを睨みつけていた。普段のフローラからは想像できない、だからこそ余計に怖い表情。二人の間の今や疑いようのない不穏な空気に冷や汗が思わず出るユメだったが、どうやらそれはユメのみではなかったらしい。
ぴんと張り詰めた空気に、多くの生徒が息を呑む。それを先にはじいて揺るがしたのは、フェーナだ。
「私は何かを装ったり、隠したり、ましてや回りくどいことをするのが大嫌いです。だからこの際、はっきりと言っておきましょう。国王様も公示を既になされました。もう公言しても差し支えないでしょう」
「さすがにやばいって、フェーナ!」
眼鏡の女の子が慌てふためいて立ち上がった。フェーナが言わんとしているしていることを察したらしいが、その焦りぶりするとそれが相当まずいことが予想できる。
しかし当のフェーナは一向に構うことなく、刺すような視線と共にフローラ、そしてユメの方に体ごと向き直った。
「私、フェーナ・サンロング。日の精霊の長家として、長の妹として、その誇りにかけて、ウーヌム様を
玉座へと導きます。ゆえに、ラクス様の婚約者であられるフローラ生徒会長、そして――」
フェーナが人差し指をユメに向ける。
「そして、あなた、ディアナ・クレセント。私の情報網では今回ラクス様のサポート役に抜擢されたとか。つまり私と同じ立ち位置」
教室中で息を呑む音が聞こえる。ユメはラクスとのパートナーの事実が既に知られていたことに、度肝を抜く。そして、そこでようやくユメはふっと思い出した。このフェーナ、どこかで見覚えあると思っていたが、あの場で目にしていたのだ。国王誕生際で日の精霊の長、ソラの隣に座っていた少女。
「あえて公言します。負けませんわ。私は――」
「フェーナ」
フェーナに思わず凍てついてしまいそうなほど冷たい横槍が、それまでじっと黙っていたフローラによって入れられる。思わずびくっと肩を縮めたのは、どうやらユメだけではないようだ。
「あなたの決意は立派ですけど、ここがどこかわきまえて? ここは純粋に知を探求する場。政治や家柄などの事情に一切囚われず、まっさらな状態で学問に勤しむのがここの学院での第一の掟だったはず。クラス委員長ともあろうあなたが、まさかそれを忘れてはいないわよね?」
その場の空気全体をも威圧するようなフローラの剣幕に、誰もが縮み上がっているようにみえた。フェーナの前に立っていたおさげの女の子はそのまま呆然と立ち尽くしていたが、だらりと垂れた腕が小刻みに震えている。
だがフェーナも負けてはいない。怯む様子を全く見せないどころか、余裕の笑みを浮かべる。七大貴族の中でもその力は絶大と言われている、日の精霊。その長ソラの妹という誇りが彼女をここまで強くしているようにみえた。
「全く耳が痛いですわ。さすが生徒会長。まるで模範解答のようなお言葉。しかし生徒会長のように優秀なお方であればもうお気づきでしょう。知の探求、その中で重要な位置占める「理論」、そこには限界があるということを。いくら「理論」を深く学ぼうとも、それが現実世界で通用するとは限らない。むしろ通用しないことが多い」
そこでフェーナは一拍間をを置くと、いくらか語気を弱めて続けた。他の者に主張するというよりも、どこか自分に言い聞かせて確信を強めようとしているかのようだ。
「私達が生きているのは「理論」の中ではなく、現実。日の精霊に代々し伝わりし言葉、「汝らの現世がいづこにあるか考えよ」。言うまでもなく、かの名高き日の精霊の始祖、アポロンのお言葉。現実に起こっていることを無視しての「知」にいかばかりの価値があると思われるのですか?」
「言葉を返すようで悪いけど」
雄弁なフェーナに少しも気後れする様子の無いフローラが、苦笑を交えて反論する。先程から全く笑っていない目を一瞬直視したユメは、背筋が寒くなる気がしてすぐに視線をそらした。
「フェーナ、あなた何か勘違いをしているんではなくて? この学園の知がいつ現実を無視したと? 王宮や王国への現代研究が積極的に進められているのをまさか知らないとでも――」
「生徒会長。私がいう現実はこの学院での現実です。生徒会長というお立場から、気づいてないということではないでしょう。国王様が今や王位継承者選抜の公示をなされた今、元来この学院に水面下であった第一王子を支持する者と第二王子を支持する者、通称、前者を第一派と第二派の対立が今や顕在化してるのはごまかしようない事実。第二王子の婚約者であられる生徒会長は言うまでもなく、第二派のお方。いくら中立や無関心を装っても他のものからすれば、それが確固たる事実ですわ。そして私は」
フェーナの視線がフローラからユメに移る。ユメは思わず息をとめた。彼女の言葉の一つ一つが突き刺さるように鋭い。なんとなくパートナーを引き受けたユメにとって、フェーナの心に据えた覚悟はあまりにも自分からは遠い・・・・・・。
「第一王子ウーヌム様を王位継承者争いでサポートするパートナー役。つまり、ディアナ・クレセント、あなたは、疑いようもなく私の敵です。私が馴れ合うつもりがない理由がお分かりになって? 王位継承者争いと言っても、試されるのは王たる資質。本人の能力は当然のことながら、それ以上に多くのものを従える統率力が重要。そのことに関して私達一人一人がいかにしてこの争いに関わるかは、絶大な影響力をもつ。お分かりですか、フローラ生徒会長。ここ学院にも、ここでも継承者争いは繰り広げられる。他が何と言おうと、私はそのつもりでこの学院に、ここの戦場に身をおくつもりです」
フローラは未だ睨みつけるような視線をフェーナに向け、体内から発散されているような威圧する空気でもって他の生徒を黙らせているが、ユメはフェーナに対し感服せざるを負えなかった。
厄介事。それは抗いようもない事実。王位争いなど、できれば関わりたくなかった。この世界での新たな生活を第二の人生というならば、それは静かなひっそりとしたものでありたい。
そう思いつつ、うっかり足を踏み入れたこの争いは、本人やフェーナを始めとして当事者にとってはこんなにも重要な、相当の覚悟と共に自分をその境地に据える、ユメの想像を超えたところにあるものだった。
フェーナのような気の強い性格は苦手だが、嫌いにはなれないような気がした。彼女は目立とうとして宣戦布告したのではないことは分かっていた。彼女はフローラ、そしてユメに忠告したのだ。全力でユメと、いやラクス陣営と対峙するつもりであると。
しんと静まり返った教室。口を開くのも、息をするのに微々たる動きをするのもためらわれた。そこへユメ達が入ってきた教室のドアの方から、堂々とした拍手。
いつの間にか校長がそこに立っていた。