どーでもいーじゃん(4)
玄関で、音が聞こえた。
導かれるように、俺は自分の部屋を出て、玄関へと下りる。
そこには、姉の智里が居た。
靴ひもを結び直して、俺の気配に気づいて振り返った。
「……剛司……」
「姉ちゃん、頑張って……」
姉は無理をしたような表情で笑った。
それから涙をこらえるようにして、上を向いた。
「剛司も……出て行った方が、幸せだよ。」
○ ○ ○ ○ ○ ○
俺の質問を噛みしめて、ついでに最後の一口も噛みしめて、
慎悟はじっくりと考えた。その間に俺は残りのご飯を減らした。
答えはすでに決まっているらしかったが、慎悟はちゃんと言葉を選んだ。
「やっぱり不安はあったよ。だけど、あいつらはあいつらだし、それなりに何とかなると思ってたかな。達也やテルは何も知らなかったしね。」
「あーなるほどじゃん。」
「あとは、それ以上に家を出たいって気持ちが強かったかな。色々トラブルが起きたのは、ほとんど家のせいだと思ってるし……うん、そんな感じ。」
俺は思わず目を反らして、手元のカレーに目を向け、手を動かした。
慎悟の目は、純真で透き通っていて、まっすぐだった。
「やっぱすげーじゃん。過去に立ち向かうって、並大抵のエネルギーじゃできないんじゃね?」
「そうかもね……勇気は必要だったと思うよ。」
慎悟は口角を上げて笑う。目元にしわが寄った。
残ったカレーをかけこみながら、俺はぼんやりと考えていた。
過去に立ち向かう、その言葉の持つ意味を。
ちょうど俺がカレーを食べ終わったので、慎悟は席を立った。
そのまま二人で一度部屋に戻り、風呂へ向かったが、
そこからは大した会話もなく、ただ思い思いに時間を過ごしていった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
一人、風呂から帰る途中、廊下の端から佐久馬が歩いてくるのが見えて、
無駄のない歩き方と、一瞬たりとも崩れない髪や表情に、俺は苦笑した。
「佐久馬じゃん。ハロハロー。」
「ええ、どうも。」
「風呂とか入んねーの?いっつも髪型決まってんじゃん。」
「そうですね、早朝に入るようにしています。」
「へー。」
この会話自体に大した意味はないと思われるので、
そのまま通過しようとしたものの、佐久馬が俺を引き留めた。
「ちょうどよかったです。今、お時間ありますか?」
「いーよ。なに?」
「……ここでは何ですから、場所を変えましょう。お茶を出しますから、是非調理室へどうぞ。」
何の話をされるのか、大体の見当はついていながらも、
俺は佐久馬に言われるままについて行き、調理室へと向かった。
「『奇跡の子』織田直樹のことなんですが……」
「やっぱりじゃん。」
「お察しの通りです。体育祭ではめざましい活躍を遂げ、執行部、部長会、寮生の三大組織に名前が知れた彼について……どう思われますか?」
佐久馬は眼鏡の縁を上げて、俺を見つめたが、
正直俺には、質問の意味がよく分からなかった。
「どういう意味?」
「あそこまで目立った彼に対して、不快感はないか、と聞いているのです。」
佐久馬の目は、俺の瞳の奥に眠る感情を射抜いたかのようだった。
織田直樹の活躍は、非常に惹きつけられるものであったのは確かだが、
その活躍に、全ての人間が良い思いをしたかというとそうではないだろう。
結果だけを見ると、あの男がいたチームは全て勝利を挙げている。
もはや、そこに公平性など存在しなかった。
「別に不快感ないよ。あーいう奴もいるじゃん。」
俺はあっけらかんと答えてみせた。
しばらく佐久馬は疑わしそうに俺を見ていたが、やがてふっと笑った。
「食えない方ですね、貴方は。」
そう言って佐久馬は自分で注いだ紅茶を飲んだが、
一転、彼は顔を歪ませて紅茶のカップを見つめた。
「……濾しすぎましたかね?少し苦いですね。」
……俺は手を付けなくて正解だったようだ。
しかし、織田直樹のことを俺に聞いてきたのは、
あの体育祭で、俺が直樹君に不快感を示したように見えたからだろうか。
いずれにしても、彼の仕える渡透のためにこの質問をしているのだから、
常に一緒に過ごし、居ない時まで彼の事を考えなければならないのは大変だ。
苦い顔をする佐久馬に対し、あえて踏み込んでみる事にした。
「よくそこまで人のために動けるじゃん。」
「……人のため、とは透様のため、ということでしょうか?」
「普通に考えてそーじゃね?」
「透様との関係を勘繰るのがお好きな様ですね。前にもお答えした通り、私は 生まれた時から透様と一緒に居て、それが当たり前だったのです。」
もうそれ以上の答えはない、という顔で憤然としている佐久馬。
育ちの良さそうな彼の姿から見ても、
俺は彼の環境がいかに恵まれているかを思わざるを得ない。
「生まれた時から一緒に居たってさあ。」
「何でしょう?」
「その人を好きになるかどーかは、巡りあわせ次第じゃね?」
紅茶を手に取って一口飲んでみた。確かに苦い。
この苦みは、心の奥底に広がり始めている余計な感情のせいではない。
佐久馬は一定の理解を示しながら、穏やかに笑った。
「その通りですね。ならば私は、巡りあわせが良かった、という事でしょう。」
「すげー自信じゃん。」
「ええ。それでは、貴方には巡りあった方はいらっしゃらないのですか?」
俺の真意を確かめるかのように、佐久馬は聞いてきた。
佐久馬が苦い紅茶を全て飲み干すまで、俺は作り笑顔をして待っていた。
「さーね。居たとしても居ないとしても、言う必要はないじゃん。」
「それもそうです。……お時間を取らせてしまいましたが、それなりに有意義な情報交換が出来ました。」
「良かったじゃん。」
佐久馬が俺のカップを取り上げて、まとめて片付け始めたので、
俺も席を立ち、調理室を出ようと彼に背を向けた。
その時、一度水道を止めた佐久馬が俺の背中に向かって付けたした。
「ああ、私自身、自分が特異な例であるという事は自覚しているのですよ。健全な男子学生であれば、学生生活の中で生涯の友を獲得するようですからね。そんな友が、貴方には居るのではないでしょうか?」
あえて最後の質問には何も答えること無く、俺は階段を駆け上がった。




