第93話 ある日の夕暮れ
ある日の夕暮れ。
背の高い木がまばらに立つ森の中を一本の街道が伸びていた。
その道を一台の荷馬車がゆっくりと進んでいる。
御者台には一人の男が座り、二頭の馬の手綱を握っていた。
日は遠くの山並みの向こうへ沈みかけ、吊るされた小さな灯りが暗くなっていく道を照らしている。
風はない。
木々の枝葉も動かず、さっきまで聞こえていた虫の声も途絶えていた。
不意に二頭の馬が歩みを緩め、そのまま足を止める。
「……どうした?」
手綱を軽く引いてみるが、二頭とも動かない。
男は街道の先へ目を凝らしたが、何かがいるようには見えなかった。
「……ほら、行くぞ」
手綱を振ると片方の馬が大きく首を振った。もう一頭も耳を伏せ、前脚を踏ん張っている。
二頭とも来た道へ戻ろうとしていた。
「……狼でも出たか?」
男は耳を澄ませた。
遠吠えも、茂みの中を何かが動く音もしない。
剣を持って荷馬車を降り、灯りを掲げながら先まで歩いてみたが、目立った足跡もなかった。
戻ると二頭の馬は揃って後ろを向いている。
「はぁ……まあ、仕方ないか」
来た道を戻ったところに古い小屋があった。
男は荷馬車を横へ寄せ、二頭の馬を土間へ入れた。干し草と水を置いてみたが、ほとんど口をつけない。
「……朝になれば落ち着くだろ」
男は戸に鍵をかけ、板張りの床へ毛布を広げた。
間もなく日は完全に沈んだ。
◆◆◆◆◆◆
馬が足を止めた場所から少し先。
街道脇の茂みから小さな獣が飛び出した。
道を横切り、反対側の木々の中へ消えていく。
少しして、いくつもの蹄の音が近づいてきた。
木々の間から角を持つ草食獣が姿を見せ、同じ方角へ駆け抜けていく。
頭上では何羽もの鳥が一斉に飛び立った。
その後、木々の向こうから低い唸り声が聞こえてきた。
大型の肉食獣が姿を見せる。
荷馬車を引く馬よりも大きく、太い前脚には長い爪が並び、口元から牙が突き出していた。
その目の前を草食獣が横切るが、肉食獣はそちらを見もしない。
そのまま街道を横切り、最初の獣と同じ方角へ走り去った。
しばらくして木々の奥で大きな音がした。
一本の木が倒れ、その先でも太い幹が次々と倒れていく。
隙間から灰色の何かが見えた。
一瞬、岩壁の一部かと思ったそれが動く。
巨大な外殻だった。
その下から太い脚が現れる。
木々の向こうから姿を見せた胴体は周囲の木よりも高く、長い尾が地面を削っていた。
巨体は木々を押し倒しながら街道を横切り、反対側の森へ入っていく。
その音が遠ざかり始めた頃、別の場所で太い幹が折れた。
もう一頭いた。
一頭目とは離れた場所から同じ方角へ消えていく。
さらに離れたところでも木が倒れた。
三頭目だった。
―――――
その頃、小屋の壁が細かく震えていた。
外の荷馬車では木箱同士がかたかたと触れ合っている。
その音で男が目を覚ました。
「……な、なんだ?」
二頭の馬は身を寄せ合ったまま動かない。
遠くでは木が倒れる音と何の音ともわからない低い響きが続いていた。
ォォォォォォォォン――――。
それが鳴き声なのか、地響きなのかさえ男には分からなかった。
男は戸を開けなかった。
振動も低い音も少しずつ遠ざかり、いつしか聞こえなくなった。
◆◆◆◆◆◆
翌朝。
男は小屋の戸を開けた。
二頭の馬はまだ落ち着かず、外へ出そうとしても動かなかった。
男は馬を残して街道へ出てみた。
昨夜二頭が立ち止まった場所までは何も変わっていない。
さらに少し先へ進んだところで足が止まった。
街道には小さな獣の足跡や草食獣の蹄、大型の魔物らしい爪痕まで無数に重なっていた。
どれも同じ方角へ向かっている。
その向こうでは木々が倒れ、街道を横切る巨大な通り道ができていた。
それは一筋ではない。
少し離れたところにもう一筋、さらにその先にも三本目の道筋ができていた。
地面には巨大な四肢と尾の跡が深く残り、倒れた木の根元にはこの辺りでは見覚えのない赤い砂が散っている。
「いったい……何が起こってるんだ……?」
男はその場からすぐには動けなかった。
たくさんの跡が森の奥へ続いていた。
第6章が完全に終わりました。
次回より第7章に入ります!
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