第20話 星と光
空に星が輝き始めた。
あれから、だいぶ時間が過ぎたけれど、会議の後の結果が気になって仕方がない。
それは暗いトンネルを歩いているようで、冷たく重い不安の中を、あてもなくさまよっているのと同じだった。
控えめなノックの音が響く。
最初はロレッタさんが報告に来てくれたのだと思い、返事とともにドアに駆け寄った。
「ロレッタさん、待って、今――」
「ハルカ」
ドアノブに触れた瞬間、その声に手が止まった。
扉の向こう側にアレクがいる。
心臓がゆっくりと速度を上げていく。
謝らないと。
勝手に抜け出したこと。
嘘をついたこと。
そして今日は、ついに会議にまで乱入してしまったこと。
どんな顔をしているのだろう。
怒ってるのか、悲しいのか、全く想像がつかない。
いつだって、優しい微笑みをたたえている人だから、この扉を開くのが怖い。
「ハルカ、ここを開けて? 少し話をしたいんだ」
穏やかな声音で言われてしまったら、覚悟を決めるしかなかった。
ゆっくりと開けて、彼の顔を見るより先に、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい!」
今までやってきたことを、一気にまくし立てた。
こうして挙げていくと、彼を傷つけてばかりだったと痛感する。
言い終えても、怖くて頭をあげられない。
ふいに体が揺れ、緩やかな空気が流れた。
そっと見上げれば、困ったように苦笑するアレクがいた。
「弱ったな。先に謝られたら、怒れないじゃないか」
「あっ」
やっぱり、怒ってたのか。
肩を落とした私に、彼はさらに優しく笑った。
「いいよ。今日は助かったし」
許してもらえたんだろうか、とおずおずとゆっくり顔を上げる。
アレクは、小さく荷物を掲げた。
「庭園へ行こうか」
彼の手には、ヴァイオリンケースがあった。
*
ドルガスア国の冬はいつの間にか遠のき、蕾がほころぶ春の庭園は、星の光を受けて淡く輝いていた。
ほのかに漂う花の香りが、張りつめていた心を解きほぐしていく。
「――ハルカの魔法を初めて見たのは、ここだったね」
ベンチにケースを置き、アレクはヴァイオリンを取り出した。
調弦の音を聞きながら、あの時のことを思い出す。
ミディーナを演出できたことの楽しさが尾を引いていて、誰とも知らず練習相手になってほしいとお願いしたんだ。今思えば無茶なことをしたのに、彼は受け入れてくれた。
全ては、ここから始まった。
「気晴らしに、僕の演奏に魔法をつけてくれる?」
構えた彼に頷き、青白い光の球を生み出す。
流れ出したのは、出会った頃に聴いた、胸が締め付けられるような調べ。
あの時と違うのは、曲に合わせてアレクの演奏をもっと輝かせることができることだ。
青白い光が明滅しながら、頭上から雨のように降り注ぐ。
金糸の髪が揺れ動くたびに、孤独な青年の想いが音に乗って響く。
盛り上がるほどに光は透明度を増し、無数の方向から照らすスポットライトは、彼の影をくっきりと浮かび上がらせる。
奏者の悲痛な想いをクッキリと象徴するために。
やがて光が静かに消えていく。
名残惜しさに、私とアレクの周りの空間に変色するスパンコールを広げた。
淡く発光する結晶が舞って、手の平に乗せれば消えてしまう。
アレクもまた、ヴァイオリンに落ちた粒を愛おしげに見つめていた。
「このまま、時間が止まればいいのにね」
ふっとつぶやき、ヴァイオリンを仕舞い始める。
少し気が晴れたのか、落ち着きを取り戻しているように見えた。
「ハルカが来てから、あっという間に時が過ぎていくし……どんどん変わっていく」
彼のヴァイオリンにも、たくさんの光を注いできた。
1つ1つの出来事のようにカチン、カチンとケースを留めながら続ける。
「……本当は、君を縛りつけたくなんてなかった」
最後にベルトを締める音が、彼の決意を告げるように響く。アレクはゆっくりと顔を上げた。
その瞳に浮かんだものは――泣き出しそうなほどの口惜しさと、どうしようもない苦しさ。
「報告を受けた時、僕が最初に思ったこと、分かる?」
怒った? と呟けば、首を横に振る。
「嫉妬だよ。僕じゃない誰か――しかも、エジュオが君を連れ出したんだ。気が狂いそうだった。王子って立場を捨ててでも、すぐに駆けつけて引き止めたかった」
感情に呑まれないよう、彼はヴァイオリンケースの持ち手を強く握りしめる。
私は“嫉妬”という言葉に戸惑いを隠せなかった。
いつも余裕をもって王子らしくいる人が、そんな気持ちを持つなんて思ってもみなかったからだ。
「薄明竜にまで任せてしまうなんて、情けない。感情で動けないのは、悪い癖だね」
深くため息をつく。
そして、何事もなかったかのように「竜の塔まで送るよ」とアレクは歩き出した。
その後ろ姿に、なんて声をかけるべきか、わからなくなってしまい、追いかけることしかできなかった。
庭園を抜けると、竜の塔は目の前だ。
無言で歩けば、入口へとたどり着く。
シグリードが待っているはずなのに――今はアレクのそばにいたかった。
「軟禁生活はおしまい。君が嘘をついたおかげで、分かりやすいくらい動揺してたからね」
おかげで絞れたよ、と軽口を叩いて片目をつぶる。
反撃の糸口を見つけられたように感じられたけれど、今はどこか痛々しくみえた。
「アレク、私……」
言葉が続かない。
彼に見つめられると、胸がきゅっと締め付けられた。
「……ズルいな」
ヴァイオリンケースを地面に置き、視線を落とす。
「君は僕を“アレクシウス”にしてしまう」
その瞬間、心臓が跳ねた。
私の知らない“アレクシウス”を、目の前の彼は今見せている。
隠しきれない激情が、私の心に直接流れ込んでくるようで、その奔流に押し流されてしまいそうだ。
伸ばされた腕に身がすくむ。
けれど――泣きそうな彼を拒むことなんてできなかった。
震える彼の指先がそれを教えてくれる。
「ハルカ」
引き寄せられ、アレクは背に腕を回した。
最初は優しく包み込むように抱きしめてくれた腕が、次第に強くなっていく。
振りほどく勇気が持てないのは、どこかで受け入れたい自分がいるからだ。
彼の心臓の鼓動が聞こえてきて、その律動が不思議と心地よく感じられた。
アレクの頭が下がり、耳朶に触れそうになる。
「君が誰かにとっての聖女でも――僕にとっての君は、誰よりも特別なんだよ」
そうして――額に、静かな口づけが落ちた。
それは、儀式のように静かで、敬虔で、けれど誰よりも“切実”だった。
「おやすみ、いい夢をみれますように」
いつもと変わらぬ仕草でヴァイオリンケースを拾い、彼は立ち去った。
耳が、心臓が熱い。
まるでまだ抱きしめられているみたいだ。
彼の熱が残って、言葉がこだまして、離れない。
ズルズルとしゃがみこんで、その余韻を噛みしめる。
鼓動だけが、ずっと耳の奥に残っている。
もう触れられていないのに、温度だけはしがみつくように離れない。
見上げた星空が、やけに眩しかった。
彼の微笑みより――ほんの少しだけ。




