第1話 再演の依頼
ドルガスア竜王国の秋は驚くほど短く、気づけば冬が訪れていた。
お披露目式典のときは、ひんやりとした風が心地よかったのに、今は北風がとても冷たい。
曇天の下。私はコートを着込み、宮廷楽団の主要メンバーが集まる打ち合わせ室に向かうため城内に入った。
「失礼します」
私は軽くドアをノックし、部屋に足を踏み入れた。
すでに会議が始まっていたのか、全員の視線が一斉にこちらへ向く。少しだけ緊張しながら、私は軽く会釈して末席に座った。
私が呼ばれた理由は、アレクに相談したいことがあると言われたからだ。その当の本人は、別件で忙しいのか不在だった。冬を迎えて物資の滞留が相次ぎ、処理に追われていると愚痴をこぼしていたのを思い出す。
アレクがいないことで、少し気が抜けたものの、会議の空気に合わせて、改めて気持ちを引き締めなおした。
「遅くなって、すまない」
紙束を抱えたアレクが入室してくる。私に笑みを向け、席を詰めるよう軽く促した。
その仕草には、場の全てを掌握しているように落ち着いている。
「殿下、急なご依頼とのことですが、いかなる内容で?」
団長のダーヴィトさんが尋ねると、アレクは隣に腰を下ろしながら答えた。
「――クルブス家から、魔法演出の依頼があった」
その名前に、楽団の面々がざわめきが走る。
私はいまいちピンと来ておらず、特別な家柄らしいことしかわからないので、アレクの言葉を追うばかりだった。
お披露目式典以降、貴族たちの間では魔法演出が大きな話題になっている。
そして、貴族たちが魔法演出を取り込もうとしても、従来の魔術士は対魔獣用の攻撃や回復が主で、音楽との融合は専門外だ。
けれど、何とかして取り込みたい貴族の代表として、クルブス家が動いたらしい。
「そこで、ハルカを中心に数名の楽団員を選び、クルブス家お抱えの演奏者と合同で演奏会をしてほしい」
「かしこまりました。お引き受けいたします」
即答するダーヴィトさんに対し、私は戸惑いを隠しきれなかった。
依頼があったこと自体は嬉しい反面、私の魔法演出が思いもよらぬ広がりを見せ、知らぬ間に大きくなっているのだ。
(……正直、ちょっと怖い)
これまでの四重奏演奏も、お披露目式典も、アレクからの依頼で、私もやってみたいと思ったから挑戦出来た。
けれど、今回は純然たる「貴族からの依頼」だ。
つまり、初仕事になる。
歴代の聖女は、こんなことやったことはないだろうし、ただの大学生だった私にはあまりにも重い。
しかも、聖女が外に出て働くなんて、どうなのだろう。最初の約束ではあまり外に出ないでほしいと言われていたはず。
頭の中で、反論や不安が次々と駆け巡った。
「ちゃんと補助するから大丈夫」
アレクが柔らかく声をかける。その頼もしさに、不安が少し和らぐ。
楽団の仲間たちも力強く頷き、私を支えてくれている。それに胸の奥がじんと熱くなる。
「国を開く第一歩だ。堂々とやってきて」
「……わかりました。頑張ります!」
こうして、私の初仕事がスタートした。
*
温かな夕食がセッティングされ、とろけるようなミルクの香りに思わずホッと一息つく。
今日のご飯は、寒い夜にピッタリなホワイトシチューだ。
「いただきます」
手を合わせて、さっそく一口。
野菜のホクホクとした食感と優しい風味が広がり、身体の芯まで温まっていく。
「……悪くないな」
私よりも小さめの小鉢を手にしたシグリードが、ぽつりと呟いた。
大柄な彼に似合わぬ控えめな量で、笑ってしまいそうになる。けれど、これが最善の方法だと分かっている。
お披露目式典以降、私たちの生活は少しだけ変化した。
相変わらず、シグリードは省エネモードで大半は過ごしている。けれど、腕輪のおかげで人型になることも増えてきた。
だから夜は、こうして一緒に夕食をとるようになったんだ。
前々からシグリードにその日あったことを報告していたけれど、寒さ厳しい塔の中で会話するのはどうにも堪える。だったら、暖かな部屋に来てもらい、同じ食卓を囲む方がずっといい。
ただ一人で黙々と食べるのは忍びなくて、ロレッタさんに夜食をお願いした。理由は「ついつい、本に夢中になって夜更かしして、お腹が空いてしまうから」なんて誤魔化したけれど――たぶんバレてる。
現に夜食なら、わざわざ温かいシチューを用意したりはしないはずだ。
どこまで把握しているかは分からないけれど、その心遣いに感謝しかなかった。
「それで、貴族の家で魔法演出することになったんだ」
「貴族か……」
「うん」
宮廷楽団の打ち合わせの後、改めて『クルブス家』についてたずねてみた。
ドルガスア竜王国の四大侯爵家のひとつ、由緒ある家柄だそうだ。広大な領地を持ち、その経営手腕は国を支える柱とされている。国としても無視できない重みがあるし、今後の関係性にも直結する。
宮廷楽団の中には、すでにそのクルブス家に支援されている者もいて、彼らが背負うプレッシャーは計り知れない。そうした事情が、かつての楽団分裂の一因になったのだろう。貴族社会の価値観は、私にはまだ未知の領域ばかりだ。
「でも、シルヴィオくんも一緒についてきてくれるんだ」
魔法演出に挑むにあたり、私ひとりでは不安が大きい。そこでサポート役として、シルヴィオくんが抜擢された。
侯爵家相手ともなれば、班長クラスの対応が必要だと判断されたのだろう。最初は露骨に嫌がっていたけれど、特別報酬が出ると知った途端、あっさり態度を翻したのには思わず笑ってしまった。
「不安だけど、サポートはしっかりしてくれるみたいだし、頑張ろうって」
数日後にはクルブス家を訪問する。それまでにやっておくことはたくさんある。新しい演出もしてみたいし、第四班にまたお世話になるだろう。
「無理はするなよ」
「うん。ありがとう」
シグリードの言葉は、温かく胸に染み渡った。
一緒に夕食をとるようになってから、彼を前よりずっと近くに感じる。これが正解だったと、心から思えた。
この時の私は、“貴族社会”の本当の姿を何ひとつ知らなかった。
きらびやかな光の裏に、どろりと濁った闇が潜んでいることも。
ただ期待に応えたい一心で――その陰に気づくことなく足を踏み入れていた。




