第4話 賛否両論
何度練習を重ねても、いざ本番となると、極度の緊張に押しつぶされそうになる。
失敗したらどうしよう。タイミングを間違えて演奏者に迷惑をかけたら、不安ばかりが駆け巡り、息が詰まりそうになる。
「初めて、だな。お前の演出を見るのは」
シグリードの低い声に、張りつめていた肩の力がふっと抜けた
そうだ。初めての四重奏演奏会の時も、お披露目式典のときも、シグリードは塔のなかにいたんだ。
鉄格子越しに言葉を交わし、魔法を教えてもらったあの日々。
お披露目式典のときは、本当に見てもらいたかった。
光が弾け、天井に竜が現れたとき、きっと絶対、驚くに違いない、と。
でも、今は違う。
クルブス家での練習が始まってから今日まで、ずっと彼は隣にいてくれた。
遮るものは何もなく。たわいもない話もできて、演奏だって直接聞ける。
「……うん、見ててね。シグリードがくれた魔法なんだよ」
契約の紋章が淡く光り、身体の内側から力が満ちていく。
彼がいてくれるからこそ、この場所に立てる。支えてくれる仲間もいる。
だから――大丈夫。
高まっていた気持ちが落ち着き、ようやく会場を見渡すことができた。
クルブス邸で開かれるこの演奏会には、下級貴族や商人、名の知れた演奏家、冒険者たちまで、実に多彩な顔ぶれが集まっている。
その賑わいから、クルブス侯の人脈の広さがうかがえた。
(アレクが言っていた“国を開くための一歩”って……こういうことだったんだ)
ようやく合点がついた。
「っし、やるか!」
シルヴィオくんが拳を叩き合わせて気合を入れる。
私は思わず苦笑しながらも、演出ブースへ立つと、足に力を込めた。
――幕が上がる。
今回の演奏会は、弦楽器8人による弦楽合奏会。
全五曲のうち、魔法演出を施すのは中盤の2曲だけ。
アレクの帰国記念演奏会と同じく、「魔法×音楽」を初めて目にする人に向けた構成だ。
やや照明を落としたホールに、軽快なメロディが響き始める。
常日頃から思っているけれど、この国の音楽はクラッシック風もあれば、J-POPに近い曲も多数ある。特にJ-POP寄りは、展開が早く、緩急や強弱もハッキリして、リズムが生きている。曲の長さも短めで、魔法演出に向いているのだ。
もしここにコーラスが加われば、ますます現代的な響きになるのだろう。
けれど、歌声はまだ発展途上だ。
私自身、歌は得意じゃないし、作詞や発声法もわからない。
(本当に曲作りって、すごい才能だなぁ……)
アイドルの世界を支える“裏側”に立つようになって、改めて色々なことがわかってくる。
こうして演奏を届けてくれる彼らの音色も、一つ、一つがどれだけ大切か。一緒に練習してきたからこそ、伝わってくるんだ。
「ハルカ」
小声でシルヴィオくんが呼び、私たちは互いに力強く頷きあう。
クルブス公の紹介を受けて、私たちは息を整えた。
会場がさらに暗くなり、譜面台に明かりが灯る。
演出する1曲目は、光演出を強調するために、あえてシンプルなメロディにした。
静かに染み渡るチェロの響き。温かみと深みのある音色が会場を包み込む。
舞台上に淡い光がほのかに立ち上がる。
それは少しずつ波紋状に広がり、空間全体を別世界へと変えていく。
まるで月光の下で奏でるような、切なくも美しい旋律。
聴く者を魅了し、幻想の中へ誘う。
細かな星のスパンコールが降り注ぎ、壇上と客席の境界線を溶かしていく。
誰もが音と光に心を奪われ、その瞬間に生きていた。
中盤から少しずつ、色を変え、光の粒が呼吸する。
時折、両手を広げて、愛おしむようにそれを見つめる人がいた。
柔らかな音色が、流れる星を生み落としていく。
青白い色から濃い金まで、曲が内包する強いイメージを重ねて変調する。
そして、ビオラの主旋律が、最後のひと言を囁く。
音の余韻とともに、光はひとつ残らず宙へ溶けて消えた。
――ほぅ、と夢から醒めたような吐息が、会場から聞こえてくる。
譜面をめくる音に反応して、熱視線を送る人もいた。
温度の上がった会場を肌で感じると、自然と高揚感が溢れて、左手に力が入ってしまう。
――スッと、クルブス侯お抱えのヴァイオリニストのソロから始まった。
弦楽器特有の流麗な調べが、緊張感を含みながら胸に迫ってくる。
音が重なり、曲が重厚さを増していく。
光の量を増やしてドラマティックな展開に華を添えようとした――はずだった。
*
ティールームは、興奮と熱気が渦を巻いていた。
無事にクルブス候の弦楽合奏会が終わり、客人たちは大広間で開かれたお茶会に移り、思い思いに感想を述べている。
立席形式なので、誰でも自由に歩き、気軽に声をかけ合える。
そのおかげで、自然と人々の感想が耳に飛び込んできた。
「いやぁ……素晴らしい。魔術で、あのようなことができるとは」
「本当に美しい光景でしたわ。わたくし、涙が止まりませんでしたもの」
「クルブス侯爵の演奏会は常に最高の音楽を届けて下さるが、今回は聖女様のお力添えがあってこそ。あぁ、早く次の公演が待ち遠しい」
口々に絶賛されると、くすぐったいような、恥ずかしいような気持になる。
演奏チームの面々も「いつもよりも伸びやかに演奏できた」「光のなかにいると、自分も魔法が使えているみたいだ」と興奮気味に話しかけてくれた。
クルブス公への中継ぎを担ったエレナさんも、ビオラ奏者として舞台に立っていた。彼女もまた「今回も楽しかったわ」と満足そうだった。
「もう少し……食べようかな」
空になったケーキ皿を見つめ、卓上に並ぶプチケーキの数々へ視線が吸い寄せられる。
すでにいくつか食べていたけれど、可愛らしく並ぶスイーツの誘惑には勝てなかった。
シグリードの様子を窺うと、ため息まじりに小さく頷いてくれたので、許可を得たとばかりに取りに行く。
(ケーキはやっぱり別腹だもんね)
浮き立つ心で皿を手に取った、そのとき――近くの老貴族の声が耳に刺さった。
「ワシは好かんな」
トングを取る手がピタリと止まる。
険しい声のまま、話を続けた。
「あんな光、気が散るだけじゃ。音楽とは、どっしり構えて聞く。それがいい」
「わかります。私も美しいとは思いましたが、やはり、私は演奏を聴きにきたので、どうにも、ねぇ」
握っていたトングをそっと皿の上に戻す。
キラキラと輝いて見えたケーキが、まるで灰色の泥に沈んでいくようだった。
――でしゃばるな。
ふいに、ウィリオット王子の冷たく鋭い声が脳裏をかすめる。
新しいことをやるには批判が付き物だ。
頭ではわかっていても、似たような非難を受けると、やっぱり堪えるものがある。
すっかり食欲は失せてしまって、空の皿のまま踵返す。
本当なら受け止めて、次にどうすればいいか考えるべきなのかもしれない。けれど、今の私には、それができなかった。
「どうした、食べないのか?」
「うん。見たらお腹いっぱいになっちゃって」
シグリードに心配をかけたくなくて、曖昧に笑って誤魔化す。
隣のシルヴィオくんも首をかしげたが、すぐに気にせずサンドイッチを頬張った。
「そういやさ、結局、もう一人のヤツ紹介してもらえなかったな」
クルブス邸で練習が始まっても「後日、挨拶させる」と言っていた人物を紹介してもらうことはなかった。
エレナさんに尋ねたところ、思い当たる人はいるものの確証はなく「演奏家ではないらしいから気にしなくていい」と一蹴された。
だから、これ以上追及するのは避けておいたんだ。
「そうだね。気になるけれど――」
ふと、会場のざわめきが一瞬やんだ。
何かが起きる予感――そんな刹那の間。
けたたましくドアの開く音が、静寂を打ち破った。
「待て、エジュオ!」
クルブス侯の焦った声に、反射的に振り向く。
その先にいたのは、満面の笑みを浮かべ、両手を叩きながら一直線にこちらへ向かってくる青年だった。
その笑顔は眩しいというより、もはや恐怖すら感じるほど。
あっという間に距離は詰められた上に「会いたかった!」と大声を叫ばれたら、否が応でも、注目を浴びる。
「ミューズ! ボクのミューズ! 最高の舞台だったよ!」
興奮で頬を真っ赤に染め、感情のままに絶賛を叫ぶ彼――エジュオの登場によって、静まり返っていた会場に新たな波乱の幕が上がった。




