第30話 セッション
ミディーナがヴァイオリンケースを抱えて、慌てて走ってきた。
赤い髪が闇夜に鮮やかに映えるけど、そんなに急がなくてもいいのに、と思う。
ふと、こんな光景を見たことがある気がして、胸の奥で記憶がよみがえった。
(そうだ、あのとき……)
息を切らしながら私のもとにたどり着き、呼吸を整えるミディーナの姿が、昔の自分と重なる。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれた私に、ミディーナは首をかしげながらも、息を吸うことに専念した。
大きく息を吸い込み、ようやく落ち着いた彼女が、静かに頷く。
「ハルカ、演出してほしいの」
ニンマリと含みのある笑みを浮かべるミディーナ。
その表情を見て、私たちは同時に思い出した。あの“はじまり”のときを。
ふふっと、自然と笑いがこぼれ、お互いに声をあげて笑い合う。
あのときは、光球をふたつ作るのがやっとだった。
魔法の演出が受け入れてもらえるのか不安で、何より、ミディーナに「お願い」することが、すごく怖かった。
でも、あれから――
魔法のバリエーションも増えて、演出の動きもずっと滑らかになった。
人と話すことも、前よりは怖くなくなった。
ミディーナが、ヴァイオリンケースから楽器を取り出し、調弦をはじめる。
――この音に、私はずっと助けられてきた。
彼女の明るくて弾けるような音色は、いつだって私を元気にしてくれる。
繊細で軽やかな指使いが紡ぐ響きが、私の背中を押して支える。
だから、私はこの国の音楽を――この世界の音を、心から愛したいと思ったんだ。
「ねぇ、最初はこの曲にしようよ」
そういって、ミディーナはワンフレーズだけ聞かせてくれる。
明るくて軽快なテンポのある、私とミディーナの始まりの曲。私も頷いて、赤とピンクの光球を生み出した。
ふわりと舞い上がった光球は、音を紡ぐ精霊のように彼女の周りを、踊るように舞った。
それを受け入れるように微笑むと、少し間を開けてから私と視線をかち合わせた。
テンポがあがる。
跳ねるように弓が上がって、彼女自身の動きもダイナミックに揺れ弾き語る。
私もそれに合わせて、大小様々な光球を増やす。
演奏に合わせて弾ませたり、揺らしたり、光が音そのものを楽しんでいるような雰囲気だ。
改めて彼女をみると、指を動かしながらも光を追い、音と光の共演を味わうように目を伏せる。
今までは魔法ばかりに集中していたけれど、こんな風に感じていてくれていたんだ。
四重奏のときに、ロベルトさんが言っていたアレクのことを思い出す。
――まるで光に身を委ねるように、音を楽しんでおられた
熱がこみ上げて、左手に刻まれた契約の紋章が強く光る。
知らず知らずのうちに、演奏者もこの空間を楽しんでいるとわかったら、さらなる魔法が生まれ出てくる。
ふわりと、地面から淡い薄緑色の光が立ち昇る。
石畳の上に、スポットライトの野原が広がった。
緑の絨毯の上で、楽しげに弾く彼女の姿は、曲と相まって、夜空の下でも別世界のように感じられる。
やがて、曲は終わりを告げる。
ヴァイオリンのビブラートが細く長く尾を引き、光とともに儚く消えていった。
「ねぇっ!」
顔を合わせる。
「楽しかったね!」
声を出して笑いあう。
魔法が進化しても、根っこは一緒――ただ、楽しいのだ。
そのとき、「おーい!」と声が飛んだ。
金管リーダーがトランペットを掲げ、マウロさんやロベルトさんもやってくる。フルートが軽やかに一節を吹き、打楽器チームはタンバリンを鳴らす。
「全く。ハルカの魔法は、君だけのものじゃないんだぞ」
ロベルトさんが苦笑し、調弦を始めた。
高らかにトランペットが響き、音楽が自由に走り出す。
弦が、フルートが、鈴が――重なり合って賑やかな演奏となる。
私もほんの少し腕が痛むけれど、光を重ねる。
音はうねり、頂点に達し――そして静かに落ち着いていく。
……だが、旋律は止まらない。
くるり――。
視界が揺れ、定まったときに見上げたのは、練習場の天井だった。
今度は、オーボエの柔らかな音色が満ちている。
まるで昨夜のセッションが、そのまま翌日に繋がったかのように。
けれど、1つだけ違うのは私は魔法演出を一切していない。
オーボエをかき消すように、トランペットが高らかに割り込み、陽気なメロディーを放つ。
――挑発に、オーボエ奏者の目に闘志が宿る。
すぐさま、澄んだ音色が応じた。
風が若葉を揺らすような、清らかで透明な響きだった。
*
昨晩のセッションのあと、ミディーナたちと相談して決めた。
離れていった仲間たちと、もう一度きちんと向き合うことを。
貴族である以上「伝統」から逃れることはできない。
けれど、それ以上に「音楽」と別れられないのが演奏家だ。
何のために演奏するのか。
なぜ、我々は音を奏で続けるのか。
ロベルトさんは「また、戻ってきてしまったな」と苦笑しつつ、明日の作戦を口にした。
題して――「セッション作戦」
オーボエ奏者のセルジオさんは、責任感が強く真面目で、常に公正であろうとする実直な人だ。
だからこそ、オーボエというオーケストラ全体の音を調整し、土台となる安定感を生み出してきた。
ゆえに、彼の口から「伝統」という言葉が出たのだろう。
だが――彼もまた、宮廷楽団の一員。
伝統的な旋律には、新しい響きをぶつけて楽しませればいい。
暴論に思えるかもしれない。けれど、音を極めた人々だからこそ、シンプルな訴えの方が心に響くはずだ。
まず最初に、私を含めた昨日のメンバーは観客にまわり、伝統派の演奏を聴くことにした。
ちょうど各パートごとにばらけていたのもあり、オーボエという調和を生む楽器が功を奏したのだ。
多少ちぐはぐになったとしても、形にはなる。
セルジオさんたちは戸惑っていたけれど、それでも「伝統」に立ち戻れるのならと、承諾してくれた。
*
そして今――不安定だった曲に、一閃のトランペットが割り込む。
伝統派はその音に食らいついた。
リクエストしたのは、もともと揺らぎを許すジャズサウンド。
これもロベルトさんの作戦のひとつだった。
セルジオさんなら、バラバラな楽器を必死にまとめようとするに違いない。
そこへ、一点突破型のトランペットを差し込み、「調和」を乱して「必死」へと切り替えさせる。
案の定、彼は懸命にオーケストラをまとめようとする。
けれど、追い打ちをかけるようにミディーナやマウロさんが加わり、さらに音は広がっていった。
困惑して弓を下ろす者、ついていけずフルートを口から離す者もいた。
だがその代わりに、観客にまわっていた同じパートの仲間が立ち上がり、音を紡ぎ始める。
自然と身体が揺れ、目を細めて笑うような温かなハーモニーが重なっていった。
やがて、一度は演奏をやめた人たちも耳を澄ませ、次のテンポから自分の音を重ねる。
セルジオさんもまた、移り変わる流れに合わせ、オーボエに優しい色を乗せたり、トランペットに負けぬ力強さを響かせたりした。
時には手を止めて音を聴き、自己流のアレンジを加える。
すると、それに応えるように新たな旋律が生まれ、曲は姿を変えていく。
(あぁ――なんて素敵な空間なんだろう)
楽器を弾けない私の指先まで自然と動き、胸は熱くなり、涙で視界がにじむ。
音を楽しむから「音楽」。
まさに今、この瞬間、目の前に広がる光景そのものだった。
やがて全員の視線が絡み合い、一つの終わりを迎える。
名残惜しむかのように余韻を響かせながら――音は、練習室から静かに消えていった。
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