第29話 想い願う
改めて健康面をチェックしてもらい、竜の塔に戻ることができたのは夕方だった。
シグリードが待つ、ドアの前に立った。けれど、扉を開けるのを躊躇してしまう。
明らかに魔力を使いすぎていたのは伝わっているだろうし、丸一日寝込んでいたということは、いつもの報告もできていない。
つまり、私に何か起きたことは明白だった。
でも“竜”という存在だ。泰然自若で、多少のことなら目をつぶってくれる……かもしれない。
(さすがに、無理があるか)
希望を持つのは止めて、大人しく怒られよう。
なんとなく胸がざわつくのは、嫌な予感がするからだ。ここに立っているだけで、冷たい風が肌をなでる。
でも出来れば、穏便に済みますように、と願いながら、ゆっくりとドアを開けた。
「ハルカッ!」
荒々しくも鋭い叱責の声。
待ち構えているとは思ってもみなかった。けれど、私の気配を感じ取ることくらい造作もないはず。
怒っているのは明白で、逆鱗に触れてしまったことが、震えるような空気でわかる。
このまま踵返しで帰りたくなるけれど、シグリードはそれを絶対に許さないだろう。
重圧を感じながらも、私は意を決して歩く。
ピタリと鉄格子の前に立てば、地盤が崩壊しそうなほどの凄みを効かされて声が出てこない。
心臓が縮み、息をするのが苦しいくらいに、身体が震えて仕方がない。
それでも、頭を伏せて「ごめんなさい」と叱られた子どものように小さく呟けば、苛立ちがこもったため息が頭上に注がれた。
「――何が、あった」
鉄格子を握るシグリードの手が、ぎりり、と音を立てた。
今にも折って砕きそうな力に、もう契約を切られてもおかしくないと覚悟した。
それでも、まだ理由を聞いてくれるシグリードに感謝するしかない。
マメに日夜報告していたこともあり、すぐに説明は終わってしまった。
セルジオさんが認めてくれたこと、宮廷楽団がまとまり始めたこと、それに応えるべく魔法を使いすぎてしまった。単純な出来事ばかりだ。
なのに、これから全部なくなる。
契約が切られるからだ。
私の魔法抜きでも、演出はできるだろうか。アイディアだったらいくらでも出せる。四班のみんなは優しいから、きっと受け入れてくれるかもしれない。けれど、それでも、本番はあの演出ブースにいることはかなわない。
宮廷楽団が眩しく輝く姿を、私は元の世界と同じように観客席から見るしかないんだ。
(やだなぁ……本当にやだなぁ……)
私はいつも、スポットライトを遠くから眺めていた。
ステージに立てるのは『選ばれた誰か』だけ。私はその輝きに声援を送る側で、決して自分が浴びることはないと思っていた。
――だって私は、特別なんかじゃないから。
子どもの頃、よくアイドルのライブに連れて行ってもらっていた。
その話を友達にすると「ずるい」と言われる。
単なる羨望ではなく、舞踏会を覗くだけのシンデレラの“義姉”と変わらない、と。
魔法を持たない彼女たちに責められている気がして、私は少しずつ口を閉ざした。
好きな話を当たり障りのない話に変えていくうちに、いつしか“人見知りで臆病な私”になっていた。
それなのに“魔法”を手に入れてしまった。
招待状じゃない。シンデレラも王子様も、素敵に変身させる魔法使いになれた。
憧れの舞踏会を演出する側になってしまったら“特別”以上の力に魅了されて、欲してしまったんだ。
特別どころか、何者にもなれない弱い人間なのに、夢を抱いて他人を巻き込んだ。
それでも――ようやく手にしたこの熱を、失いたくない。
「――なぜ、泣く」
だから、何も持たない自分に戻るのが怖かった。
ひとりぼっちに戻ってしまうのが、嫌だった。
契約を打ち切らないでほしい。
でも、シグリードは『絶対』だ。私の意志も、命すらも、簡単に奪える。
「だって、契約を切るでしょ? 魔力を求めすぎたら契約を打ち切るって、言ったじゃん」
シグリードは大きく目を見開いた。が、すぐに目を細めて深くため息をつく。
その沈黙が余計に不安を膨らませて、早く断ち切ってほしいとすら願ってしまう。
「お前は、他人を輝かせるために魔法を使う、と言ったな。それ以外に使ったのか?」
私は大きく首を振って、それは違うと訴える。
この力は、演出のためだけに使ってきた。これからも、この先もそのつもりだった。
「ならば……」
目を伏せて数秒。
再び、瞼が開いたとき、その青い瞳がゆっくりと私を捉えた。
「契約は続行だ」
「どうし――」
「ハルカ」
ゆっくりと格子の間から伸びた腕。
前よりも怖くないのは、積み重ねてきた月日が教えてくれる。
指先ではなく、私の頬に落ちた涙ごと撫でるのは、大きくて分厚いシグリードの手のひらだ。
熱を帯びた顔をすっぽりと包むようで、その深く青い瞳は私の姿を映す。
「お前に魔力を供給しているのは誰だ?」
低く窘められるような響きは、揺るぎない一つの答えを意味する。
「シグ、リード」
「そうだ。お前のなかを血が巡るように――」
滑るように、なぞるように、何かを刻みながら、ゆっくりと手のひらが下へ降りていく。
「俺の魔力が、お前のなかを巡っている。それを忘れるな。契約とはそういうことだ」
首筋を覆う、竜の手。
ドクドクと混ざり合う血と魔力。
契約したあの日も、薄明時の燃えるような夕日の下だった。
武骨で力強くがっしりとした手に、そっと自分の手を重ねる。
すると、シグリードの脈を感じた。人の形をしているだけなのに、同じように生きているのだと実感する。
悠久のときを生きる竜が、ちっぽけな私と契約してくれた。
「……うん」
最初に触れてくれたとき、私は自分がここに呼ばれた理由を知った気がした。
孤独で、寂しさを抱えて、それでも誰かを求めることを、本当はやめたくなかった。
だから――貴方が私を見て「ここにいる」と言ってくれた時、どれほど嬉しかったか。
くだらない話に付き合ってくれたり、演出について一緒に考えてくれたり。
その一つひとつが楽しくて、誰かと心を通わせることが、こんなにも温かなものだったと知った。
「ありがとう」
また涙がこぼれる。
けれど、今度は自分で拭った。
私の中には、竜の魔力があるんだ。だったらもう、きっと大丈夫だ。
するりと、シグリードの手が離れようとする。
けれど、私はその手を握って止めた。
「……なんだ」
「えっ、もったいないなぁって」
「意味がわからん」
「もう少しだけ、ね」
ふいにアレクの横顔がよぎった。
自分が見えなくなりそうなとき、誰かに触れほしくなるのはどうしてだろう。
あのとき彼は笑っていた。けれど、本当は今の私と同じだったのかな。
そして今――目の前にいるシグリードも一緒の気持ちだといい。
それを証明するように、シグリードは私の手を振り払ったり、咎める様子もなかった。
握り返すわけでもなく、ただただ、私の手をじっと見つめるだけ。
拒まれないことが、ほんの少し嬉しかった。決して、突き放されないと、そう思えたから。
このぬくもりが心地よく、この熱を抱きしめながら私は歩いていこうと決めた。
*
こうして、宮廷楽団の分裂騒動は幕を下ろし、魔術士団との合同練習も再開した。
お互いに歩調を合わせ、少しずつ式典の全容が形になっていく。
セルジオさんからは後日、改めて正式に謝罪を受けた。
――聖女様が思う以上に“新しいこと”には代償が伴います。
何かを堪えるように口をきつく結んだ彼は、深く頭を下げてくれた。
結局、事の発端となった、噂の出どころはわからないまま。
それと彼の言葉が胸に引っかかり、貴族社会の闇はまだ深く歪んでいるように感じた。
ふと、夕暮れ時に現れたウィリオット王子の姿が脳裏をよぎる。
時は流れ、いよいよ――竜の聖女のお披露目式典、当日を迎えた。




