第3話 変わるために
私は、私の人生を――前の世界で生きてきた。
アイドルライブのコンサートに行く予定もあったし、グッズの通販だって申し込み済みだ。
大学にも通い、挨拶を交わす程度の知人もいた。家族からも、それなりに愛されていたんだ。
突然、そんな私が消えたら……。
母も、父も、悲しむなんて言葉では足りない。
絶望するだろう。視界が真っ暗になるくらいに。
でも――それは彼らも一緒だった。
アンブローズおじいちゃんは切実に訴えて、すがるような目で私を見つめる。
ウィリオット王子ですら“苦渋の選択”として、顔をしかめて焦燥感に駆られて落ち着かない様子だ。
それほどまでに“竜の聖女”が必要なのだろう。
けれどもし、「ノー」と告げたら、私は……この城を、追い出されるのだろうか。
その疑問に対して、すぐに「それは無いのかもしれない」と感じられた。
それは、あまりにも切々とした雰囲気が伝わってきたからだ。
ゴクリと唾をのみ込んで、深く考え込む。
何の取り柄もなく、人と話すことも苦手。
自己アピールするなら、アイドルステージの設備に少し詳しいのと、SNSの情報収集くらいだ。
全くもって、異世界で通用するスキルじゃない。
それに“聖女”というくらいだ。もっと清らかで品があり、美しい女性が似つかわしいと思う。
国を守護する竜のために呼ばれた人間が、単なるアイドルオタクで、なんだか申し訳なくなってきた。
「代わりに、王族と同等のご身分と待遇をご用意させていただきます。歴代の聖女様方にも、何不自由なくお過ごしいただいた実績もございますゆえ……どうか……」
アンブローズおじいちゃんが、静かに、けれど切実な声で語りかけてくる。
けれど、本当にそうとは思えなかった。
いくらなんでも、見知らずの、ましてや異世界の女を祭り上げるなんて、到底、信じられない。
「不本意だが、あの竜の強大すぎる魔力は健在だ。もし契約が破られたり、制御が少しでも弱まれば、一瞬にしてこの国は終わる」
「っ、そんな!」
「だから、我々としても、お前は不可欠なんだ」
ウィリオット王子が補足してくれたけれど、なおさら、責任が重すぎる。
だからといって「貴女を竜の聖女として召喚しました。よろしくお願いします」と言われて「はい、わかりました」と簡単に受け入れられるはずがない。
だって、今のところ聖女らしい力が、私自身感じられないからだ。
彼らの話が正しければ、聖女としての責務を果たさないと、国が滅んでしまう。それは避けたいし、何より私の命だってかかっている。制御できなかった竜が大暴れして、ペシャンコになんかされたくない。
けれど、なぜか腑に落ちてこないんだ。聖女の力もそうだし、待遇についてもそうだ。
何かがこの状況を歪めている気がした。
ウィリオット王子も、私のことを“不可欠”と言ったワリには、態度がおかしい。
なぜなら、アンブローズおじいちゃんのような必死さがないんだ。
なんていうか、頭では理解しているけれど、釈然としない。といった、雰囲気だ。
彼は単に私のような地味な人間が気に入らないだけではない。この聖女制度そのものを、根底から憎んでいるような……そんな苛立ちが垣間見える。
でも、国の王子が反対するわけにはいかない、そんな所作が足をゆするところからも見て取れた。
(どうすればいいんだろう……)
こうしている間にも、時間は刻一刻と進み、止まることはない。
とりあえず、ウィリオット王子の態度は、保留にしておこう。
目下の課題は、それでも私が“聖女”にならなきゃいけないことだ。
仮にもし、何か裏があったとしても、異世界の人間を勝手に呼びつけたんだ。それ相応の待遇や配慮くらいはしてほしいと思う。
(……やるしかない、のかな)
それに、ほんの少しだけ、逆にこれは“チャンス”なんじゃないかと思えてきた。
ずっと考えてきていた。
一人でも強くしなやかに生きる女性になれたら、変われるんじゃないか、と。
オタク友達が欲しいくせに、ネット弁慶で行動できない私。
そんな自分が嫌いだった。
でも、この世界に来た以上は、オタ活どころの話じゃない。
全部、自分で何とかしなきゃいけないんだ。
それが“聖女”というのなら、似つかわしい人間になれるように努力するっきゃない。
これはセルフプロデュースだ。
オーディションを勝ち抜いて、光り輝いてきたアイドルのように、聖女を目指してやるしかない。
今のところ、具体的な内容が見えてこないけれど、ゆくゆくわかってくることなのだろう。
そうじゃなきゃ、呼ばれた意味がない。
こんな気持ちで、聖女の任を受け入れていいかどうかはわからない。
けれど、拒否する権利なんて無いはずだ。呼ばれてしまった以上は、たぶん、ずっと、責任がついてまわる。
だったら、前向きにとらえるしかない。
アンブローズおじいちゃん、ウィリオット王子の視線が注がれる。
それはまるで、審査員と同じだ。それぞれに抱えている想いは別だけど、私を聖女にしたいという点は同じだと思う。
静まり返る空間のなか、私は胸に手を当てて、小さく頷いた。
「……何ができるか、わからないです。けど……力になれるなら……」
「ハルカ様!」
アンブローズおじいちゃんが、嬉しそうに顔を輝かせて立ち上がる。
その目は、ほんのりと潤んでいるようにも見えた。
ウィリオット王子は、少し面食らったような顔をしていたけれど、すぐにまた、仏頂面に戻る。
彼の眉間のシワは、一体どうすれば取れるんだろうか。
「それでは、ハルカ様。さっそく薄明竜のもとへ、参りましょう」
アンブローズおじいちゃんが立ち上がり、柔らかな微笑みを向ける。
そして、気づく。
私が今から向かうのは、“かつて破壊の限りを尽くした竜”のもとであるという、紛れもない事実に。
遅れてやってきた恐怖に、私は思わず口元をきつく引き結んだ。
ふいに、遠くで低い唸り声が響いた。
――それはまるで、竜が名を呼ぶ者を待っているような音色だった。




