第95話 臥龍岡夜助
大日本帝国。岐阜県。養老山地内にある養老の滝。
リアさんが独創世界を展開し、スサノオを異次元に幽閉。
あれから、おおよそ3分ほどの時間が経過しようとしていました。
「……ひとまず、一命は取り留めたようですね」
二名が消えた岩場を警戒しながら、私は言いました。
独創世界の展開は、あくまで一時的なものに過ぎません。
倒すか負けるか維持するか。いずれにしても終わりがきます。
気を抜くはずもなく、赤槍を構え、二名の帰りを待っていました。
「だね。……リアが戻ってくるまでは安心できなさそうだけど」
一方、桃子も同じ反応を見せ、周囲を警戒しています。
喉の調子を整え、いつでも歌う準備はできているようでした。
前もって歌っておかないのは、いつ戻るか分からないからでしょう。
あの技はセンスの消耗が激しい。長時間維持するのは困難だと思われます。
「帰りを警戒するのは当然のことではあるが、二名もいれば索敵は事足りる。長期戦になることも考慮すれば、先にやるべきことを済ませた方が良いのではないか? 共鳴草とやらの持続時間には限りがあるのだろう?」
すると小十郎さんは、長刀を構えながら問いかけてきました。
まるで、戦況を俯瞰で見ているかのような、冷静で本質的な提案。
問題は、彼らの好意甘えて、私だけの都合を優先していいのかどうか。
「あぁ、確かにそうかもね。行っといでよ。近くならすぐ戻って来れるでしょ」
答えるよりも先に反応したのは、桃子さんでした。
私の心情を読み、思考を先回りしたような温かい発言。
ここで変な遠慮を出すのは、彼女たちに逆に失礼でしょう。
「ここは、お言葉に甘えさせてもらいます。その間、哨戒は任せましたよ!」
後ろ向きではなく前向きに、後を託しました。
「任された!」
「お任せあれ!」
心地いい返事に背中を押され向かう先は、滝裏の岩壁でした。
◇◇◇
滝裏の岩壁を押し込み、歩みを進めた先。
そこには、天然の鍾乳洞が広がっていました。
天井からは、ポツポツと水滴が滴り落ちています。
その先には湖があり、一点の濁りもありませんでした。
――反応があるのは、湖底。
目視では確認できないほどの深みがあります。
何やら嫌な予感がしますが、手ぶらでは帰れません。
「潜って確かめるのが手っ取り早そうですね」
赤火大蛇を納め、背中に背負い、軽く屈伸運動をします。
ほどよく全身の筋肉をほぐし、いざ飛び込もうとした時でした。
「――――――」
ザバンと音を立て、湖から現れたのは黒い和服を着た男性。
容姿は若く、二十代前半の美貌を保ち、長い黒髪が目に入ります。
前髪が顔にかかり、襟足は長く、無造作に伸びたセミロングヘアでした。
「え……」
思いがけない出会いに、私は言葉を失ってしまいました。
その男性の姿に釘付けになって、瞬きすら忘れてしまいます。
まるで一目惚れのような感覚。胸の高鳴りが止まりませんでした。
同時に不貞行為をしているような罪悪感にも駆られ、心が乱されます。
――ただ、すぐに頭は冷えました。
共鳴草の反応は、すぐそばにいると示していたのです。
つまるところそれは、疑いようのない事実に結びつきます。
「夜助、さん……?」
女々しく、弱々しい声音で私は確認を取りました。
頭では分かっていましたが、身体と雰囲気がまるで違う。
養老の滝の効能で若返ったのだとしても、違和感がありました。
――別人。
何者かに乗っ取られているような感覚。
先ほど抱いた嫌な予感は膨らんでいくばかりでした。
「………………」
答えが返ってくることはなく、彼は懐に手を伸ばしました。
取り出すのは白鞘のドス。まごうことなき、夜助さんの所有物。
――滅葬具『小刀・濡羽烏』
言葉ではなく物体が、彼の正体を明らかにしていました。
その上でどんな声をかけるべきなのか、頭を悩ませていた時。
「……っ!!!!」
腕に焼けるような痛みが走り、私は反射的に後退しました。
ボトリと私の右手が斬り落とされ、青い飛沫が地面を染め上げます。
(斬られた……。いつ……いいえ、どうして……っ!!)
鬼の再生能力があれば、この程度の負傷は問題ありません。
すぐに右手の骨と肉と神経が再生し、出血は収まっていきました。
だからこそ気になったのは、襲われた事実よりも襲うに足る理由でした。
「…………」
黒髪の男性は、黒い刃をこちらに向けてきました。
問答無用で斬りかかるのではなく、言い分がある様子。
情報を落としてくれるのなら、耳を傾けるしかありません。
「我ハ瀧鳴大神。穢レヲ払イ、恵ミヲモタラス者ナリ」
無機質な声音で語られたのは、夜助さんの内に宿る者の名前。
聞き覚えはないものの、闘いは避けられそうもありませんでした。




